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★押し問答
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「もう平気かい?」
「ぐず……。うん……」
感情の赴くままに泣き続けた私は、目を真っ赤に腫らし、グズグズと鼻を鳴らしつつそう答え、賢者様から身を起こす。
どこに触れても、彼の身体はしっかりしている。
先程のように溶ける事はもうないと理解はしたものの、未だに離れがたく、私の手は彼の手を離す事が出来ないでいる。
「……ふふ」
それが可笑しかったのか、賢者様は小さく笑い、ぎゅっと強く握り返してきた。
「さあ、涙を拭いて。女王の前だ。気丈にいこう」
「……はい!」
その言葉でグイと涙を拭き取り、私は女王様と向き直る。
律儀にも、私が落ち着くまで待っていてくれていた女王様は、退屈そうに「ふわぁ」と口元を隠しつつもあくびをしていた。
その眠たげな表情は、先程よりもあどけなく、それでいて魅惑的に見える。
「感動な場面は終わったか?いい加減、微睡んでしまいそうだ」
気怠げに、私達を見るでもなく、手元に漂う炎を弄りながら言う。
「ええ。十分に堪能させてもらいましたよ。貴女からの懲罰も済んだ事ですし、そろそろ私の用件を聞いていただきたいのですが?」
未だに力が入らないのか、私の肩に手を置いて少しだけ支えのようにして立っている賢者様がそうお願いをする。
「……用件?」
その言葉で何かを思い出したのか、ギロリと、切れ長の目で私達を見下す。
「ああ、そうだったな。よし、聞こうではないか。我との契約をたかが五十年なんぞで違え、心地よく微睡んでいた我をその不快な気配で叩き起こしたのだ。それ相応の用件なのであろうな?」
不愉快とも、愉悦とも言えない複雑な笑みを浮かべて女王様は私達に向き直る。
やはり、正面から対峙していると胸がつかえるような圧迫感がある。
そしてどことなく、本当に漠然とそう感じるのだが、ティー姉さんに似ている。
「っ!?」
不意に視線を向けられ、咄嗟に視線を足元に落とす。
直視が出来ない。もし彼女の瞳と目が合ったなら、私の命はそこまでだろう。
「まさかとは思うが、そこな小さな姫の紹介に来たわけではあるまいな?」
頭越しに聞こえてくる彼女の声色は、やはり不機嫌と言える。
それに対して賢者様はくすりと微笑む。
「それはそれで素敵ですが、今回は世界に関わる事です。……と言っても、私の我儘により訪れるかもしれない世界の危機、ですけどね」
「お前の考える事だ。我にとってはくだらない、呆れた用件なのであろう。勿体ぶるな、早々に述べよ」
ふわぁと、再び女王様の欠伸が聞こえる。
このまま回りくどい会話を続けていれば、本当に眠ってしまいそうだ。
そして賢者様は、今回の目的を口にする。
「では、単刀直入に言わせてもらいますが……私に宿る魔王の魂を浄化したい。その為の知恵と力を、お貸し願えますか?」
「…………」
「……っ」
顔を上げて女王様の様子を伺うまでもない。
賢者様のお願いで、空気が一変した。
自分達がいる場所の温度が見る間に下がり、吐く息が白くなっている。
「……貴様、今何と申した?」
奥歯がガタガタと音を鳴らしているのは、何も寒いだけでは無い。
先程とは全く違う、地の底から這い寄って来るようなおぞましい女王様の声に、私は恐怖し全身が震えていた。
肺に取り込む空気が刃のように突き刺さり、凍るよりも先に内側から突き破られそうだ。
「ですから、魔王を完全に消し去る為に、力をお借りしたいと、そう申しているんです」
賢者様は女王様を恐れていないのか、彼女が豹変した言葉をもう一度繰り返す。
「先程の刑罰だけでは物足りなかったか?それとも我はまだ、夢現なのか……」
くっくっく、と笑ってはいるが、その声色には何の変化もない。
「よもや、我がアレをどう思っているのか、忘れたわけではあるまいな?か弱き人間の魔法使いよ」
「見た目の醜悪さ、世界を我が物にせんとする強欲さ故に、目にするのも、耳にするのも疎ましい存在。しかし同胞故に、自らとは切っても切れぬ存在……でしたよね?」
つらつらと説明する、女王から魔王に対する位置付け。
魔王が女王をどう思っているかは分からないが、彼女が彼を毛嫌いしているのは、今の態度を見てもよく分かる。
加えて過去にいざこざでもあったのか、二人の間には深い溝があるような説明だ。
「忌々しい事よ。奴が地上に蔓延れば、あれの醜悪な臭いを纏わせた者共が闊歩し、さりとて冥府は我の庭。あんな醜い魂が我の庭で謳歌するなど耐えられぬ」
苦虫でも磨り潰しているような、ぎりぎりと鈍い歯軋りが聞こえてくるが、不意にその声色から怒気が消えた。
「我を永久の苦患から解放してくれたお前には感謝しているのだぞ?故に無断で我の庭に忍び込み、半永久な生命を得る術を身に着けたお前を赦し、あまつさえお前達と契約を結び、我は暫しの微睡みについた。それで十分であろう。何より貴様の話には、我には何の得もない」
「いえ、得ならありますよ」
穏やかながらも圧のある女王様の言葉に対して、賢者様はそう静かに微笑んだ。
「よく考えていただきたい。今ある平穏は、私あっての平穏。いつか私の精神が死を迎えた時、彼は蘇る。復活までの時間は今までよりも遥かに稼げているかもしれないが、根本的な事は何も解決出来てはいないのです」
「くく……。貴様のその図太い神経と偏った正義感があれば、半永久的に生き続ける事は我でも想像がつく。貴様さえ我に近付かねば何の支障も無い」
「残念ですが……その偏った正義感が今は、悪い方へ傾いているのですよ」
言いながら彼は、私の肩に手を回す。
「今の私は、彼女と生きる事を望んでいる。それを実現する為なら、世界がどうなろうと知った事ではないんですよ」
「戯言を」
怒りにも、呆れにも取れるため息を零す女王様に、賢者様は続ける。
「先程の得の件ですが、彼が完全に消滅さえしてしまえば、この先貴女が憂う事は無くなるのです。悪い話ではないでしょう?」
「この世からの消滅はつまり、あの世への旅立ちを示す。さすれば奴は、我の庭たる冥府へ居座る。我にとってはその方が耐えられぬ」
「では、彼を永久に閉じ込める箱を用意する事は出来ませんか?」
「パンドラの箱を用意しろと?」
は、と鼻で笑う女王は頬杖を付き続ける。
「それが強き人間ではないか。あの醜悪な男が器にお前達を選ぶ理由が解るか?打倒された腹いせなどではない。強き肉体には強き魂が宿る。それを内側から蝕み、勇者が死を迎えた時に見せる魂の色合いを楽しむ為よ。貴様も、奴の呪いは受けているのだろう?」
「ええ。私は皆と違いますから彼からの干渉は少ないですが、夜になると死にたくなりますね」
「死にはしまいのだ。上手く折合いをつけるが良い」
くっくと笑う女王様との会話は、何処まで行っても押し問答で、明確な答えが得られない。
やがて賢者様は諦めたように肩を落とす。
「……どうやら、これ以上は時間の無断なようですね。他を当たります。貴女の眠りを妨げてしまって申し訳無い、女王。再び良き夢を」
行こう、と背中を押され、私達は女王様に背を向け元来た道を引き返す。
背後で見送る女王様からは何の言葉も無く、やがて私達は暗闇に包まれた。
「ぐず……。うん……」
感情の赴くままに泣き続けた私は、目を真っ赤に腫らし、グズグズと鼻を鳴らしつつそう答え、賢者様から身を起こす。
どこに触れても、彼の身体はしっかりしている。
先程のように溶ける事はもうないと理解はしたものの、未だに離れがたく、私の手は彼の手を離す事が出来ないでいる。
「……ふふ」
それが可笑しかったのか、賢者様は小さく笑い、ぎゅっと強く握り返してきた。
「さあ、涙を拭いて。女王の前だ。気丈にいこう」
「……はい!」
その言葉でグイと涙を拭き取り、私は女王様と向き直る。
律儀にも、私が落ち着くまで待っていてくれていた女王様は、退屈そうに「ふわぁ」と口元を隠しつつもあくびをしていた。
その眠たげな表情は、先程よりもあどけなく、それでいて魅惑的に見える。
「感動な場面は終わったか?いい加減、微睡んでしまいそうだ」
気怠げに、私達を見るでもなく、手元に漂う炎を弄りながら言う。
「ええ。十分に堪能させてもらいましたよ。貴女からの懲罰も済んだ事ですし、そろそろ私の用件を聞いていただきたいのですが?」
未だに力が入らないのか、私の肩に手を置いて少しだけ支えのようにして立っている賢者様がそうお願いをする。
「……用件?」
その言葉で何かを思い出したのか、ギロリと、切れ長の目で私達を見下す。
「ああ、そうだったな。よし、聞こうではないか。我との契約をたかが五十年なんぞで違え、心地よく微睡んでいた我をその不快な気配で叩き起こしたのだ。それ相応の用件なのであろうな?」
不愉快とも、愉悦とも言えない複雑な笑みを浮かべて女王様は私達に向き直る。
やはり、正面から対峙していると胸がつかえるような圧迫感がある。
そしてどことなく、本当に漠然とそう感じるのだが、ティー姉さんに似ている。
「っ!?」
不意に視線を向けられ、咄嗟に視線を足元に落とす。
直視が出来ない。もし彼女の瞳と目が合ったなら、私の命はそこまでだろう。
「まさかとは思うが、そこな小さな姫の紹介に来たわけではあるまいな?」
頭越しに聞こえてくる彼女の声色は、やはり不機嫌と言える。
それに対して賢者様はくすりと微笑む。
「それはそれで素敵ですが、今回は世界に関わる事です。……と言っても、私の我儘により訪れるかもしれない世界の危機、ですけどね」
「お前の考える事だ。我にとってはくだらない、呆れた用件なのであろう。勿体ぶるな、早々に述べよ」
ふわぁと、再び女王様の欠伸が聞こえる。
このまま回りくどい会話を続けていれば、本当に眠ってしまいそうだ。
そして賢者様は、今回の目的を口にする。
「では、単刀直入に言わせてもらいますが……私に宿る魔王の魂を浄化したい。その為の知恵と力を、お貸し願えますか?」
「…………」
「……っ」
顔を上げて女王様の様子を伺うまでもない。
賢者様のお願いで、空気が一変した。
自分達がいる場所の温度が見る間に下がり、吐く息が白くなっている。
「……貴様、今何と申した?」
奥歯がガタガタと音を鳴らしているのは、何も寒いだけでは無い。
先程とは全く違う、地の底から這い寄って来るようなおぞましい女王様の声に、私は恐怖し全身が震えていた。
肺に取り込む空気が刃のように突き刺さり、凍るよりも先に内側から突き破られそうだ。
「ですから、魔王を完全に消し去る為に、力をお借りしたいと、そう申しているんです」
賢者様は女王様を恐れていないのか、彼女が豹変した言葉をもう一度繰り返す。
「先程の刑罰だけでは物足りなかったか?それとも我はまだ、夢現なのか……」
くっくっく、と笑ってはいるが、その声色には何の変化もない。
「よもや、我がアレをどう思っているのか、忘れたわけではあるまいな?か弱き人間の魔法使いよ」
「見た目の醜悪さ、世界を我が物にせんとする強欲さ故に、目にするのも、耳にするのも疎ましい存在。しかし同胞故に、自らとは切っても切れぬ存在……でしたよね?」
つらつらと説明する、女王から魔王に対する位置付け。
魔王が女王をどう思っているかは分からないが、彼女が彼を毛嫌いしているのは、今の態度を見てもよく分かる。
加えて過去にいざこざでもあったのか、二人の間には深い溝があるような説明だ。
「忌々しい事よ。奴が地上に蔓延れば、あれの醜悪な臭いを纏わせた者共が闊歩し、さりとて冥府は我の庭。あんな醜い魂が我の庭で謳歌するなど耐えられぬ」
苦虫でも磨り潰しているような、ぎりぎりと鈍い歯軋りが聞こえてくるが、不意にその声色から怒気が消えた。
「我を永久の苦患から解放してくれたお前には感謝しているのだぞ?故に無断で我の庭に忍び込み、半永久な生命を得る術を身に着けたお前を赦し、あまつさえお前達と契約を結び、我は暫しの微睡みについた。それで十分であろう。何より貴様の話には、我には何の得もない」
「いえ、得ならありますよ」
穏やかながらも圧のある女王様の言葉に対して、賢者様はそう静かに微笑んだ。
「よく考えていただきたい。今ある平穏は、私あっての平穏。いつか私の精神が死を迎えた時、彼は蘇る。復活までの時間は今までよりも遥かに稼げているかもしれないが、根本的な事は何も解決出来てはいないのです」
「くく……。貴様のその図太い神経と偏った正義感があれば、半永久的に生き続ける事は我でも想像がつく。貴様さえ我に近付かねば何の支障も無い」
「残念ですが……その偏った正義感が今は、悪い方へ傾いているのですよ」
言いながら彼は、私の肩に手を回す。
「今の私は、彼女と生きる事を望んでいる。それを実現する為なら、世界がどうなろうと知った事ではないんですよ」
「戯言を」
怒りにも、呆れにも取れるため息を零す女王様に、賢者様は続ける。
「先程の得の件ですが、彼が完全に消滅さえしてしまえば、この先貴女が憂う事は無くなるのです。悪い話ではないでしょう?」
「この世からの消滅はつまり、あの世への旅立ちを示す。さすれば奴は、我の庭たる冥府へ居座る。我にとってはその方が耐えられぬ」
「では、彼を永久に閉じ込める箱を用意する事は出来ませんか?」
「パンドラの箱を用意しろと?」
は、と鼻で笑う女王は頬杖を付き続ける。
「それが強き人間ではないか。あの醜悪な男が器にお前達を選ぶ理由が解るか?打倒された腹いせなどではない。強き肉体には強き魂が宿る。それを内側から蝕み、勇者が死を迎えた時に見せる魂の色合いを楽しむ為よ。貴様も、奴の呪いは受けているのだろう?」
「ええ。私は皆と違いますから彼からの干渉は少ないですが、夜になると死にたくなりますね」
「死にはしまいのだ。上手く折合いをつけるが良い」
くっくと笑う女王様との会話は、何処まで行っても押し問答で、明確な答えが得られない。
やがて賢者様は諦めたように肩を落とす。
「……どうやら、これ以上は時間の無断なようですね。他を当たります。貴女の眠りを妨げてしまって申し訳無い、女王。再び良き夢を」
行こう、と背中を押され、私達は女王様に背を向け元来た道を引き返す。
背後で見送る女王様からは何の言葉も無く、やがて私達は暗闇に包まれた。
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