流星痕

サヤ

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承の星々

博愛主義者

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 人の死が、あんなにも誇り高く、美しいと思ったのは、あの少女のものが、初めてだった。


 死ぬって、何だろう。
 命が終わること、身体が消え去ること。
 聖霊になれるかもしれないこと……。
 死は痛い。死は苦しい。死は悲しい。死は辛い。死は……。
 僕は、死が怖い。
 死を怖れない人なんてそうはいないと思うが、人が死んでいくのを見るのも耐えられない。
 だから僕は人を、生き物を殺める事が出来ない。
 そんな僕を義兄さんは、落ちこぼれフォールと呼んだ。

     †


「フォーマルハウト!」
 家の近くまで来た途端、大きな怒声に出迎えられた。
 家の門扉の前に仁王立ちしている声の主は、溢れんばかりの怒りを隠す事なく、大股でこちらに向かってくる。
「あ、アクベンス義兄さん……」
 たじ、と一歩後退りするものの、フォーマルハウトは何とかその場に踏みとどまる。
 義兄の手には、握り潰された羊皮紙が収まっていて、それに何が書かれているかは、フォーマルハウト自身が一番よく分かっている。
 それが原因で、彼がこんなにも激怒している事も。
「何なんだこれは?貴様、一度ならず二度までも。一体何を考えている?自分が何をしているのか、分かっているのか!」
 ばし、と手に持っていた羊皮紙を力任せに投げつけてくる。
 もちろん紙故に痛くはないが、変わりに心が痛んだ。
 きゅ、と口を結んで、何も言わずに落ちた羊皮紙を見つめる。
 くしゃくしゃになったそれから「バスター協会 仕官入試試験結果通知」の文字が見える。
「試験を受け、落ちたというならまだ聞こえはいい。だが貴様は、最終試験まで残りながら、それを受けなかった。二度もだ!ふざけているのか?お前は、恩のある我が家に、泥を塗りたいのか!」
 周りを気にすることなく怒りを露わにするアクベンス。
 そう。今日はバスター協会の役人になる為の試験日。
 フォーマルハウトがこれを受けるのは二度目で、今年も去年同様、最終試験まで残ったにも関わらず、それを棄権した。
 受かる筈の試験を二度も蹴ったのだ。
 どんなに罵られようが、何も言い返す事は出来ない。
「出て行け」
「え?」
 俯いて顔を上げ聞き返す。
 義兄は、先程までとは違い、表面上はとても冷静に告げた。
「出て行けと言ったんだ。この家に、仕官にならない者は必要ない。元々お前は拾われた身。十四にもなるのだから、一人で生きていけるだろ?」
 嫌みのように、フォーマルハウトが手にしていたスケッチブックを一瞥し、馬鹿にするように鼻で笑う。
「そうやって一日中、好きな絵でも描いて暮らせばいいさ。その方が、お前も幸せだろ?」
 さあ、行け。と最後に言い放ち、家の敷居を跨ぐ事を許さないかのように、腕組みをしてこちらを睨み付けてくる。
 前々から嫌われていることは知っていたが、ここまでとは。
 フォーマルハウトは生まれてから間もなく、施設に捨てられたと聞いている。
 そんな身寄りのない彼を引き取ったのが、代々優秀な仕官を輩出してきた名家、ウヌカルハイ家の現当主、ハマルだった。
 ハマルが養子を取った理由は、実子であるアクベンスにある。
 彼は元々身体が弱く、季節の変わり目事に体調を崩す子供であった。
 そして十五を迎えたばかりの頃、生死を彷徨う程の大病に罹り、万一の為にと、当時四歳だったフォーマルハウトを養子として迎え入れたのだ。
 しかし実際のところ、アクベンスの体調は回復に向かい、その後は大きな病に罹る事なく、今日に至る。
 自分の死後の変わりであるフォーマルハウトの存在を、彼が認めるわけがない。
 いつかこんな日が来るのではないかと、心の隅で常に考えており、それが今来ただけのこと。
「今まで、お世話になりました。義兄さん、これからもお元気で。お養父さんにも、宜しくお伝えください」
 義兄の顔を直視する事が出来ずに頭を下げ、そのまま背を向けた。
 しかし、
「これ。何処へ行く気だね?」
 その背中に、穏和な声が投げかけられた。
 振り返るとそこに、背中が少し曲がり始めた初老の男性が立っていた。
「お養父さん」
 ウヌカルハイ家の当主にして、アクベンスやフォーマルハウトの父、ハマルだった。
「お前の家はここだろう。早く中に入りなさい」
「父さん、正気ですか?何故こんな奴をいつまでも家に置いておくんです?父さんだって結果を見たでしょう?こいつはまた試験を……」
「アクベンス。話なら中で聞こう。そんなに声を荒らげては、周りにも迷惑だ」
 静かに諭す父の言葉に、アクベンスは喉を詰まらせたように唸り、こちらを睨み付けて「フォール落ちこぼれが」と呟き家に入っていった。
 それを見送ったハマルは、優しい笑顔のまま言う。
「さあ、お前もお入り。今日の出来事を、書斎で聞かせてもらおう」
「……はい」
 暖かい手に背中を押され、フォーマルハウトは養父と共に家へ戻った。


     †


「さてさて、どうしたものか」
 書斎に入り、デスクの椅子に深々と座りながらぼやくハマル。
 出入り口付近で待機していると、近くに寄るよう手招きされ、おずおずとデスクに近寄る。
「今日は、何を描いたんだね?」
「え?」
 怒られると思って身構えていたので、間の抜けた声が漏れた。
「絵だよ。描いたんだろ?見せてごらん」
「あ、はい」
 言われるがままに、手にしていたスケッチブックの一番新しい頁を開き、ハマルに手渡す。
「風景画か。相変わらず上手いな。誰に教わったわけでもないのに。……才能とは、こういう事を指すのだろうな」
「あの、怒らないんですか?」
 指摘されない事に逆に耐えられなくなり、こちらから話題を口にする。
「何故僕が、最終試験を受けないのか」
「ああ」
 ハマルはスケッチブックを机の端に起き、背もたれに体重を預け、深く息を吐く。
「大方の予想はついているよ。お前は、最終試験の内容が不服なんだろう?」
「……はい」
 流石は養父さん。分かってらっしゃる。
 仕官入試試験の内容は、全部で三つ。
 一つは学力、二つ目は基礎体力、そして最後の三つ目は、実力。
 ここでは、受験者それぞれがペアを組み、戦わなければならない。
 その試験内容が、フォーマルハウトはどうしても受け入れられなかった。
「僕達仕官は、邪竜や魔物を討伐するバスターと違って、彼等を管理する側。それなのに、どうしてあんな事をしなくちゃいけないんですか?」
「確かに仕官は、滅多な事では武器を取らない。だが、軍隊を持たないこのエルタニンでは、我々がその役目を負っているんだ」
「軍隊の、役目を?」
「うむ。我が国の天帝様は、世界で最も強力な力を有したお方だ。それ故に、五大国建設の際、土の天地エルタニンでは、軍を持たない中立国である事を宣言した。だが……」
 ハマルは頭を抱えつつ、デスク脇に置かれたバスター協会の資料を指でこつこつと叩く。
「これを設立してからは、そういう訳にもいかない」
「どういう事ですか?」
「バスターは年齢、性別、国籍。全てを問わずに目指せる唯一の職業。賞金稼ぎや鎮魂参りでなる者が主だが、彼らがこの国に牙を向くとも限らない。
 仕官に、エルタニン出身者しかいないのは、その為。我々は、天帝様を守る、最後の砦なのだよ」
「……たとえ砦でも、僕は誰かが傷付いたり、傷付けたりするのは、見たくないんです」
 こんな時代に、そんな甘えた考えを持つなんてと、同期や教官に罵られた事は数知れない。
 それでも、願わずにはいられない。
 誰も傷付け合う事のない、平和な世界を。
「臆病故の優しさか……。それとも、守る物が無い故の浅はかさか」
「え?」
 ハマルは机の上で組んだ両手に額を当て、その隙間からこちらを見つめる。
「人は何故、戦うと思う?武器を取る、その真意が分かるか?」
「それは……」
 どれだけ考えても辿り着けない答え。
 何故戦うのか?何の為に武器を取るのか。
 その答えを、養父はこう述べた。
「守りたいものがあるからだよ」
「守りたいもの?」
 ハマルは静かに頷く。
「それは大切な人や物だったり、己の命や財産だったり。物事の良し悪しはあれど、戦う理由の根元にそれはあると、私は考えている。お前には、守りたいものはあるかね?」
 僕の、守りたいもの……。
 そんな物、考えた事なかった。
 自分はいつだって、求められた事をやるだけだったから。
 考え込んでいると、書斎のドアが強めに叩かれ、アクベンスが足早に入ってきた。
「お話し中のところすみません、親任管。協会からの緊急伝達です」
 ハマルを役職名で呼び、手に持った小さな文を渡すアクベンスの顔は、緊張で強張っている。
「なんということだ……。ポエニーキス。よもやここまでやるとは」
 文を読み終えたハマルも手を震わせ、絶句する。
「どうしますか?」
 緊張した面持ちのままアクベンスが尋ねると、ハマルは顔を上げて答えた。
「私は協会に向かう。お前は直ちに現地へ向かってくれ」
「分かりました」
「ああ、待ちなさい」
 軽くお辞儀し、すぐさま部屋を出て行こうとするアクベンスを、ハマルは慌てて止め、
「フォーマルハウト。お前も、アクベンスと共に火の帝国ポエニーキスに向かいなさい」
 と言ってきた。
「え?」
 言葉の意味が分からなかった。
 それは義兄も同じだったようで、驚いた顔をしている。
「父さん……!」
「この際だ。事実を肌で感じた方が良い。その上で、今後どう生きるか決めなさい。もしかしたら、お前の考えが変わるかもしれない」
 それっきり、ハマルは文を見つめたまま、何も語ろうとはしなかった。
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