流星痕

サヤ

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承の星々

右腕

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「おい、坊主。さっさと起きろ!」


「う……」
 誰かの怒声が響き、グラフィアスは呻きと共に目を覚ました。
 最初に視界に入ったのは、ベナトシュだった。
 とても必死な顔で、何かをしている。
 続いて目についたのは……。
「やっと起きたか。さっさとここを離れるぞ。お前は動けるだろ?急げ!」
 彼が抱き上げた物が何なのか、理解するのに少し時間が掛かった。
 血の気が失せ、蝋人形のように白い顔。
 それとは対照的に、肩から続いてあるはずの右腕部分から大量の血を流し、ベナトシュの衣や肌を赤黒く汚しており、自身はぐったりと身を委ねているボレアリスだ。
「な……」
 そう認識した瞬間、思考が停止した。
 しかし直後に、自分が気を失う前に起きた出来事を思い出す。
 邪竜を従えようとして失敗し、襲われそうになった所を、ボレアリスに救われた。
 俺の、せいで……。
「おい、坊主。自分で歩けるだろ?お前の面倒まで見切れねえぞ」
 ベナトシュに叱咤され、はっと我に帰る。
 身体中痛むが、動く事に支障は無い。
 立ち上がると、またもベナトシュが声を掛けてきた。
「悪いけど、あれ持ってきてくれるか?手が塞がっちまった」
 ベナトシュが顎で示した先には、ボレアリスが所持している腰刀と、その柄を握り締める右腕が転がっていた。
「……っ!」


 何も言うことが出来ないまま協会に帰り着き、ボレアリスは治療室へと担ぎ込まれ、バスターではないグラフィアスは、横で狼狽するルクバット共に協会の入口で立ち尽くしていた。
「ねえ、アリスは大丈夫だよね?しんだりしないよね?」
 グラフィアスの衣の裾を掴み、ルクバットが祈るように尋ねてくるが、グラフィアスの耳には届かない。
 無言のまま、硬く握った拳を震わせながら協会を睨み付ける。
 こんな終わり方、俺は認めないぞ。絶対に!だから死ぬな。意地でも戻ってこい!


 彼女が目を覚ましたという情報が入ってきたのは、それから五日後だった。


     †


「……」
 目を開けると、灯火の明かりに揺れる、見慣れない天井があった。
 次いで薬品の匂いが鼻をつき、ここがどこかの医務室である事が分かる。
 いつもより視野が狭いのに気づき、右目側が包帯で巻かれていて、見えていないのが分かる。
 ……どうして、こんな所に?
 大怪我をし、医務室に運ばれた事は理解出来た。
 しかし、何故自分がこのような怪我をしているのか、その理由が解らない。
 記憶が欠落している。
 顔をゆっくりと右に向けると、刀身が剥き出しの見覚えのある刀が床に突き立てられている。
「……?」
 一体これは、何の為にそうなっているのか。
 どうせまた彼の好きなジパングに由来する何かなのだろうが、それは自分には分からない。
 それを黙って見ていると、部屋のドアが開く音が聞こえ、刀の主が姿を見せた。
「……ん?アリス!目が覚めてたんだな。気分はとうだ?」
「ベナト。また随分と派手にやってくれたな」
「は?お前何言ってんの?」
 冷ややかな言葉に対して、間の抜けた返事が返ってきて、頭に疑問符が浮かぶ。
「これ、お前がやったんじゃないのか?」
 記憶には無いが、この怪我はベナトシュとの稽古で出来た物だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
 ベナトシュは真面目な顔付きで、近くの椅子を引き寄せて座り、ボレアリスの目を見つめたまま静かに言った。
「それは、俺がやったんじゃない。お前、蒼竜と戦ったんだよ。たった一人で。覚えてないか?」
「蒼、竜……」
 その単語を聞いた瞬間、あの時の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
「そうか。……そうだったな」
 次いで、まるで記憶が戻るのを待っていたかのように、右腕が酷く痛んだ。
「っ……!」
「大丈夫か?ほら、これ飲め」
 ボレアリスの呻きに、即座に反応したベナトシュが口元に飲み物を運んでくれる。
 苦い薬草のような臭いと味がしたが、喉が渇いていた事もあり、少しずつ飲み干す。
「今日はもう遅いから、もいっかい寝とけ。明日、ルク坊も連れてきてやるよ」
 ボレアリスが飲み終わるのを確認したベナトシュは、床に突き立てていた刀を鞘に納め、部屋を照らしていた灯火を手にする。
「おやすみ、アリス」
 こちらを振り返り、そう挨拶をしてから部屋を出て行った。
 再び静寂が訪れた数分後には、薬の効果なのか、また眠気がやってきて、ボレアリスはゆっくりと、心地良い眠りに落ちていった。


     †


「ねえ、まだ起きないよ?」
 耳元から少し離れた所から、若干高めの声が聞こえてくる。
「ベナト兄、アリスは本当に起きたの?もしかして、昨日のうちに死んじゃったんじゃ……」
 今までどんなやりとりをしていたのか、声の主の心配そうな言葉に、思わず笑いそうになり、口を開いた。
「ちゃんと生きてるよ」
 そしてゆっくりと目を開ける。
 右目は相変わらず視界が塞がっているが、驚いた表情のルクバットが見えた。
「おはよう、ルクバット」
「アリス!ああ、良かった、本当に生きてた!」
 微笑むと、ルクバットは半泣き状態で笑い返してくる。
「心配かけてごめんな」
「いいよそんなの。それより、お腹空いたでしょ?オレ、食べ物持ってくるよ!」
 ルクバットは目に浮かんだ涙を拭い、駆け足で部屋を出て行った。
 それを見届けたボレアリスは身体を起こそうとするが、上手く力が入らない。
「おいおい、ムリすんなって」
 ベナトシュの助けでようやく上体を起こし、一息つく。
「なあ、アリス」
「ん?」
 返事をし、顔を上げた直後、
 ぱしっ
 と、乾いた音が部屋に響く。
 叩かれた。頬を。
 ベナトシュを見上げると、怒っているわけではなく、むしろ悲しそうな表情をしていた。
「俺、言ったよな?一人で突っ込むなって。そんなんじゃ、死にたがりって言われても文句は言えねーぞ」
 頬は軽く熱を持っていたが、痛くはなかった。
 こんな風に怒られたのは、いつぶりだろう。
「……約束は出来ないって、言ったはずだ」
 謝る事はせず、そう突っぱねる。
 それ以上ベナトシュは、何も言ってこなかった。
 話を逸らすように、ボレアリスは自分の身体をしげしげと観察し、ため息をつく。
「それにしても、酷い有り様だ」
「当たり前だろ?右半身に目。あばら二本と大腿骨にヒビ。その他諸々の大量出血。しばらくは絶対安静の大重傷人だ。ルク坊がいなかったら、確実に死んでたぞ」
「そうか。それじゃルクバットには感謝しなきゃな」
 軽い口調で言うと、ベナトシュの呆れたようなため息が降ってくる。
「ベナト。私は今回の事、後悔はしていないよ。学んだ事が沢山あった」
 自由に動く左手で、先の無い右腕に触れる。
「私はまだまだ弱い。これはその結果だ。けど、生き残る力はあった。だから、私はもっと強くなれる」
「無謀と勇敢は別だぞ」
「分かってるよ」
 ベナトシュの警告に頷き、ボレアリスは右目を覆う包帯をおもむろに外し始める。
「おい、お前勝手に」
「ここは風に煽られただけだ。こんなものしてたら、見える物も見えなくなる」
 幾重にも巻かれていた包帯が全て首元に落ち、最後にガーゼを外すと、額から頬にかけて一直線に傷跡が走る、ボレアリスの顔が露わになる。
「見えてるか?」
 ベナトシュが右側に立ち、確認をとる。
「……ああ」
「どれ?」
 人差し指を立てて目の前で右に左へと動かし、ボレアリスはそれを追う。
 途中から指を二本、三本と増やしていくので、数を答えた。
「二、三……五」
 最後は親指と小指を立たせる。
「……二」
「ざーんねん。『男』と『女』でしたー」
「アホか」
 ベナトシュの冗談をあしらって顔を上げると、今まで見えていなかった物が目に入った。
 ベナトシュの後ろにある棚。
 その上に置かれたエラルドの形見と、粗末な布にくるまれた何か。
「ん?ああ……」
 ベナトシュはボレアリスの視線だけで気付いたようで、見向きもせず答える。
「刀の方は鍛え直せば良いけど……腕はもう、風に還ってる」
「……そう」
 何となく予想していた分、そこに特別な感情は生まれなかった。
 ただ、無くなってしまったという事実が残るだけ。
「なあ、アリス。そんなナリで、まだバスターを続けるのか?」
 不意に聞かれた愚問。
「当たり前だろ?私の目的は、まだ何一つ果たされてないんだから。早く治して、この身体にも慣れないと。……流石に、義肢は必要かな。いきなりどうした?」
 不意に真剣になるベナトシュは、とんでもない事を考えている事が多くて気持ち悪い。
 そして、今回も。
「……もし、その義肢が、何にでもなる優れものだったら、どうする?」
「どういう事だ?」
「俺も詳しくはないけど、その義肢は、持ち主の魔力によって形を変えるらしいんだ」
「形を?」
 いまいち想像が出来ないし、そんな義肢は、聞いた事もない。
 そこまで高度な技術を持つ者となると、機械文明の巨匠、カメロパダリスの出身だろうか。
「その職人は今どこに?カメロパダリスか?」
「いや、それがよく分かんねーだよ。相当な偏屈らしくて、仲介を野生の動物にさせてるんだ。肝心な義肢を貰った奴らも、職人の顔は見てないんだと」
 野生の動物を……?ということは、ポエニーキスの人間?
 歯切れの悪いベナトシュの返答にもやもやとしながら考えこんでいると、部屋の外から誰かと話しているルクバットの声がした。
 そして、手ぶらのルクバットが入ってきて、何故か手に食べ物が乗った盆を持ったグラフィアスが続いた。
「アリス。このお兄ちゃん、アリスに用があるんだって」
 荷物持ってもらっちゃった。と笑うルクバットの横に並ぶグラフィアスは、盆を机に置くと、厳しい顔つきのまま言った。
「何故助けた?」
「……?」
「俺は、お前を殺す為にここまで来た。剣まで向けた俺を、お前は何故助けた?」
 彼の言葉からは怒りが伝わってくる。
 それはボレアリスと、自分自身に向けられているようだった。
「勘違いしてるみたいだけど、私が助けたのはお前じゃなく、蒼竜だ。これ以上、あの方に罪を背負わせたくない。それに、目の前で死なれても目覚めが悪い。ただそれだけの話さ」
「……命を助けた事、いつか後悔させてやる」
「後悔?私が?出来るかな、お前みたいなガキに」
 バカにしたように笑うと、グラフィアスの目つきが一層鋭くなり、
「やってやるさ。絶対にな!」
 と唸って出て行った。
「ガキって。同い年くらいだろ、お前ら」
 静まった部屋にすぐ、ベナトシュの呆れた突っ込みが飛ぶ。
「あれくらい言っておけば、暫くは大人しくしてるだろ。こっちも休養が必要だからな。それとベナト。さっきの話だけど、その人と連絡は取れるのか?」
 聞くと、ベナトシュはにやりと笑う。
「じゃなかったらこんな話してねーよ。もちろん、やるだろ?」
「ああ。よろしく頼む」
 任せとけ!と嬉しそうに自分の胸を拳で叩くベナトシュ。
 そしてまた、今度はいたずらっぽくニヤリと笑う。
「そうと決まれば、まずは体力を回復させないとな。食べ難いだろうから、俺が食わせてやるよ。ルク坊、飯寄越せ」
「うん!」
「それくらい、自分で出来る。ルクバット、渡さなくていいから。おい、ベナト!」
 取り上げようにも食器類はいとも簡単にベナトシュの手に渡ってしまう。
「いーからいーから。病人は大人しくしとけって。お前はなんだからさ」
「それとこれとは話が別だ!」
 そう反論するも、ボレアリスの抵抗は虚しく終わり、自力で歩けるようになるまでは、ベナトシュの助けを借りる事となる。
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