流星痕

サヤ

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転の流星

内なる想い

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 グルミウム王国城内の客室をあてがわれたフォーマルハウトは、部屋の一角に備え付けられている寝台に腰掛け、呆けたように辺りを見回す。
 やはり人の手が入っていない分、壁に亀裂が走っていたり、拳大程の穴が開いていたりするが、十年近く使われていない埃っぽさや、古びた感じは不思議としなかった。
 寝具も普通の宿屋に劣らない質で、ここで眠るのに何の抵抗も抱かない。
 とは言っても、やはり廃虚は廃虚。
 廊下を歩けば床が欠けている箇所をあちこちで見るし、ドアを乱暴に閉めたりしたら、そのまま外れてしまわないか心配にもなる。
 ただ、長い間人が居ないとは思えない雰囲気が漂っているのは確かだ。
 きっとここも、風になってしまった近衛兵の人や聖霊達が護ってきたんだろうな。
 部屋の窓をかたかたと鳴らす風を感じながら、死してなお国を想う彼等に尊敬の意を抱く。
「すごいな。肉体を失った後でも、国の為にここまで必死になれるなんて。……今の任務さえまともにこなせていない僕には、到底真似できないや」
 そう自分を評価しながら、机の上で丸まっている羊皮紙を見つめる。
 上官である兄、アクベンスに送る為の報告書だ。
 エルタニン管轄の港町ネティックスでの報告を最後に、今まで色々やることがありすぎて報告出来ずにいた。
 しかし奇妙な事に、兄からの催促の文も、ここグルミウムに入ってから届いていない。
 きっとあの嵐でダメになっているんだろう。
「何とかしてこちらからの報告書だけでも向こうに届けないとな……」
 アウラ王女に頼んだら、許可してもらえるかな?それに、今後の事も話しておかないと。
 これ以上報告を滞らせるのは流石にマズいと判断したフォーマルハウトは、机に置いてある燭台を手に、アウラを探す為、軋む樫の扉をゆっくりと押し開けた。
 夜の帳が降りた廊下は暗く、とても静かだ。
 手に持つ燭台の明かりが届かない場所には、光から逃げて集まったような、一層深い闇が広がっている。
 廊下に漏れる部屋からの光は三つ。
 シェアト、ベイド、そしてグラフィアス。
 アウラとルクバットはこことは別の部屋で休んでいる。
 ここは客室棟みたいだから、王族の寝室を探さないと。
 どこにあるか分からない王族の寝室を探すべく、まずは食事を摂った食堂へと向かう。
 長方形に伸びたそこは既に人気は無く、暖炉の中で僅かな炎を灯した薪がぱこ、と小さな音を立てる。
 その前を通り、上座にある他より一層豪華な椅子を見下ろす。
 アウラ王女が座っていた場所……。
 正面には、左手と合わせて扉が二つ。
 左は僕達が入ってきた、外に繋がる道。
 もう一つは、どこに出るかな?
 燭台を顔のそばにやり、正面の扉を見る。
 ドアノブに触れると、微かな想いが映像として伝わってきた。
 親しげに会話をしながら扉の向こうへと進んでいくアウラ王女とルクバット。
「こっちか」
 ドアを押し開けると、夏の夜風が頬を撫でた。
 そこは渡り廊下のようになっていて、割れたガラスの向こうに、四方から囲まれた中庭が見える。
 細部まではよく見えないが、月明かりに照らされた花と、一際目を引く一本の桐が静かに佇んでいる。
 廊下を抜け、時折道に迷いながらしばらく歩いていると、通路の一角に明かりが漏れている部屋を見つけた。
 そこからは、少しくぐもった、元気な男の子の声が聞こえてくる。
 ルクバット君だ。
 ようやく人を見つけた事に安堵し、部屋をノックする。
 はーい、と明るい応答があり、内側から扉が開けられる。
「今晩は。夜分にすみません。少しアウラ王女に話があるんですが……?」
 言いながら部屋の中に目線をやるが、そこにアウラの姿どころか、誰もいなかった。
 誰かと話をしていたように思えたので首を傾げていると、ルクバットは部屋から出てきて、通路の更に奥の角を示した。
「アウラの部屋はこの先だよ。一番奥の右側」
「そうですか。分かりました。ありがとうございます。それじゃ、お休みなさい」
「うん、お休みー」
 挨拶もそこそこに部屋に舞い戻るルクバット。
 扉が閉まりきる直前、「母さん」という単語が聞こえ、彼が誰と会話をしていたのかようやく理解出来た。
 再び彼の楽しそうな声が聞こえてきて、何だか暖かい気持ちになり、示された道を静かに進む。
 廊下の最奥には、正面と右手に扉があった。
 言われた通り右手の扉の前に立つが、明かりも、声すらも漏れてこない。
 もう、寝てしまったかな?
 今回一番大変だったのはアウラだ。
 疲れきって既に就寝していたとしてもおかしくはない。
 ……こんな事で起こすのは悪いよな。
 ここまで来て徒労に終わってしまったが、今日も明日も大した差は無い。
 諦めて自分の部屋に戻ろうと踵を返した時、不意に涼やかな声が、はっきりと耳に届いた。
「そうですか。やはり、貴女の転生式は不完全なままなのね」
 ……え?
 聞き間違えようの無い程に、透き通った声。
 今のは、アルマクさん?
 扉の前で釘付けになっていると、再びアルマクの声が聞こえてきた。
「貴女が戻ってきた時、直前の記憶が無いと聞いてまさかとは思ったけれど……。それでは、今でも名前は分からないままなの?」
 名前?
 会話をしているのはアウラだろうが、彼女の声は全く聞こえてこない。
「……そう。なら、分かっているとは思うけれど、今の貴女に残された時間はそれ程多くは無いでしょう。元の貴女に戻った今、独りで己と戦い、勝てない限りは」
 アウラ王女の転生式は不完全で、時間が無いって。それってもしかして……。
 限りなく少ない情報の中で導き出されるのは、辿り着きたくない答えしかない。
 そんな不確定な答えを胸に抱いていると、不意にまた声がした。
「鍵なら開いていますよ。そんな所に立っていないで、中に入ってきたらどうですか?」
「……あ!」
 その言葉は、紛れもなくこちらに向けられた物だった。
 気付かれた!?
 盗み聞きをするつもりは無かった。
 しかし、結果としてそうなってしまった事に後ろめたさを感じ、フォーマルハウトは申し訳ない気持ち一杯で、ゆっくりとドアを開ける。
 ドアを開けてすぐに見える壁際には火の点いた暖炉があり、正面奥に設置されている天蓋付きの寝台に、アウラが腰掛けている。
 彼女のすぐ横で、キラキラと光り輝く何かが上下しているが、おそらくアルマクだろう。
「あの、すみません!立ち聞きするつもりはなかったんです。ただ、あまりにも驚いてしまって……」
「構いません。大した話はしていませんから。それより、何か用があって来たのでしょう?」
 深々と謝罪するフォーマルハウトに対して、アルマクは何でも無いように話を切り替えた。
 あんな大事な話を、何でも無いって……。
 言葉を返そうとしたが、アルマクの声色には、これ以上の追求を許さないような気迫が感じ取れ、大人しくそれに従い、ここへ来た本来の目的を話した。
「今の現状を、上司に報告しておきたいんです。ここへ来てから、向こうからの連絡も途絶えていて。せめて、こちらからの報告だけでも済ませておきたいのですが、何とかなりませんか?」
「……ああ。そういえば、貴方が同行しているのは、アウラの記憶を取り戻す手伝いでしたね。アウラ、どうしますか?許可を出すなら私の方から師団に伝えて、手紙を外へ出せるよう手配しますよ」
「うん、そうだね。今のグルミウムの現状を、天帝様にはちゃんと知っておいてもらった方がいいね。よろしく頼むよ」
 アウラは頷きながら立ち上がり、手を差し出してきた。
「出会い方があんなだったから、ちゃんと挨拶してなかったよね?よろしくね、フォーさん」
「あ、いえ。こちらこそ」
 アウラの挨拶に、ぎこちなく答える。
 そして、彼女の差し出した手に応じるのに戸惑いを覚えた。
 今彼女が差し出しているのは左手。
 紛れもない、本人の手だ。
 そして、フォーマルハウト自身も素手。
 下手に相手の感情を読み取らないようにといつも着用している手袋は、今は無い。
 これは、今回の任務を遂行するにあたって絶好の機会だ。
 しかし、今この手を握るのはとても恐ろしく、怖かった。
 先程思い描いた予想が、的中してしまいそうで……。
「……どうかした?」
 手を取ろうとしないフォーマルハウトに、不審を抱くアウラ。
「あ、すみません!こちらこそ、よろしくお願いします」
 そしてついに、彼女の手を取った。
「……あ。それじゃ、僕はもう少し、報告書をまとめないといけないので、これで……」
 自分が何を言っているのか分からないまま、部屋を出る。
 そしてどこをどうやって歩いてきたのか、気付けば中庭まで戻ってきていた。
 ひび割れた窓ガラスには、冴えない顔をした自分が映る。
 知ってしまった。彼女の真実を。想いを。
「……僕は」
 手に持つ羊皮紙に力が加わり、ぐしゃりと形を変える。
「僕は、どうしたら……」
 フォーマルハウトは、もう片方で持っていた燭台の灯火が消えてもなお、しばらくそこから動けないでいた。


     †


「ねえ、彼に聞かせる必要があったの?」
 フォーマルハウトの気配が完全に部屋から遠のいたのを確認した後、そうアルマクに尋ねた。
 二人とも、彼が近くまで来ていた事に気付き、一旦話を止めたのだが、何を思ったのか、アルマクが唐突に話を続けたのだ。
 一体何を考えているのか、アルマクは事も無げに話す。
「魚を釣るにはまず餌が必要でしょう?」
「魚って……」
「彼自身に関しては特に気にしていませんが、彼の上司が気になります。仕掛けるなら早い方が良い。貴女も私の意図に気付いたからこそ、あんな事をしたのでしょう?」
「それは、まあ。彼の事はよく分からないけど、私も彼自身は無害だと思ったからね」
 アウラは先程握手を交わした自分の左手を見つめる。
 緊張で震える彼の手は冷たく、そして汗ばんでいた。
 手を交わした瞬間、彼の顔色がみるみる悪くなっていくのを見て、確信する。
 フォーマルハウトは、人の心を読める。
「希有な能力ではありますが、あの行動を見る限り、さほど強力な力では無いのでしょう。それより、今後の動き次第では、命を狙われる可能性もあります。十分、気をつけてくださいね」
「大丈夫だよ。そう簡単に死んだりしないから」
 笑って答えるが、アウラは別のことを考えていた。
 彼はきっと、私の想いの全てを知った。……黙ってて、くれるといいけど。
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