流星痕

サヤ

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結の星痕

流星の軌跡(完)

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「ようこそ。お待ちしておりましたよ」
 エラルドに結界を解いてもらい祠の中へ入り、いつものように泉がある広場まで行くと、アルマクが一人、生前の姿で出迎えてくれた。
「……アウラは?」
 緊張のあまり、渇きで貼り付いた喉をこじ開けて尋ねる。
 広場のあちこちの岩肌は抉れ、巨岩が転がっていたりと、前回来た時と随分様変わりした広場の様子と、この場にアウラの姿が無いという現状が、嫌な汗を流させる。
 しかしアルマクはそんな気持ちを知ってか知らずか、とても穏やかに微笑む。
「安心なさい。泉の中で眠っています。落ち着いてしまえば穏やかなものですよ。今起こしますね」
「そう。良かった」
 ほっ、と自然と胸を撫で下ろす。
 ひとまず、アウラはまだ生きている。
 それだけで、笑みが零れた。
「笑ってる場合か?」
 不意に、グラフィアスの厳しい言葉が入る。
「この有様からして、あいつが今まで通りじゃないことくらい、想像出来るだろ」
「……」
 言い返したいのに、言葉が続かない。
 グラフィアスの言う通り、アウラが無事だという自信は湧かない。
 そんな暗い気持ちを振り払うかのように、大量の水が流れる音が耳に届き、見ると透明な球体が、水を滴らせながら泉の中から浮かび上がってきていた。
 その中にはアウラがいて、目を覚ました彼女は笑った。
 球体が泡のように軽く弾けて消えると、アウラはゆっくりと移動し、泉の縁へと降り立つ。
 一月ぶりに見た彼女は、アウラであって、アウラではなかった。
 深緑の瞳だった片方は黄金色に変わり、獲物を探す獣のような鋭い光を放ち、無駄な筋肉の無いしなやかな左腕には大量の鱗模様が浮かび上がり、その手はもはや人の形を留めておらず、鋭い爪がここからでもはっきりと伺える。
「やあ、久しぶり。みんな来てくれたんだね。嬉しいよ」
 あまりのショックで何も言えずにいると、アウラはそう微笑んだ。
 鮮やかな蒼天の髪と、その声だけは、いつもと同じだ。
 高すぎず、低すぎず、耳に心地良く響く澄んだ声。
「アウラ。その、姿……」
 アウラが呆然と左腕を指差し尋ねると、アウラは困ったように答える。
「ごめんね、こんな姿で。けっこう頑張ったんだけど、だいぶ限界みたい。ああでも、この通りまだ自我は保てるからすぐに襲ったりはしないよ。安心して」
 その笑顔が辛かった。
 シェアトはそれに耐えきれず、口元を抑えて小さく嗚咽を洩らす。
「いつから、そのような姿に?」
 意を決したように、フォーマルハウトが質問する。
「みんなと別れてから暫くして、かな。時々我を忘れて、その度にアルマクに助けてもらって……気がついたら、どこかてが奪われている」
 アウラは左腕を軽く持ち上げながら軽くため息をつく。
「もう、戻れないのですか?」
 ベイドの確認に、アウラは頷く。
「何度も試したからね。本当にもう時間が無いんだ。ルクバット、答えを聞かせてくれ。ここに来たってことは、決めたんだろ?」
 アウラの優しく、力ある瞳が、ルクバットを真っ直ぐに捉える。
 この一ヶ月、悩み抜いた末に導き出した答え。
 それを今、ルクバットはゆっくりと口にした。
「……ごめん。正直まだ、どうしたら良いのか分からないんだ。けど、アウラをこのまま邪竜にしたくないのは本当だよ。出来ればこのまま、一緒に国を護っていきたいっていうのも。……でも、今のアウラを見て、それが無理だって事は、よく分かった。分かったけど、やっぱり俺には、アウラを殺すなんて出来ない」
「なら何故、お前はここに来た?」
 一つ、アウラの声が低くなり、鋭い視線に射抜かれる。
 ルクバットは、手に持つ節刀を邪魔にならない場所にそっと置き、背負っていた円月輪を構える。
「アウラ、俺に言ったよね?これは修行だって。だから俺は、その修行を受けに来たんだ。今の俺を知ってもらう為に。アウラを、越える為に!」
 それが、ルクバットの出した答え。
 アウラは暫く値踏みをするように黙っていたが、やがて柔らかく微笑んだ。
「……確かに、そう言ったな。分かった。それじゃ、最後の修行を始めよう。本気で来いよ?私は遠慮は出来ない。少しでも手を抜いたら、死ぬからな」
「分かった」
 ぐっ、と武器を持つ手に力が籠もる。
 そして隣にグラフィアスが並び、柄に手を添える。
「おい、俺達も混ざって構わないよな?」
「もちろん、各々ここへ来た目的を果たせば良いよ。……けど、行儀よくは出来ないからね?」
 そう答えたかと思うとアウラはおもむろに右手を構え……。
「……え」
 瞬時にアイリスを形成したかと思うと、シェアトにヤドリギを放ち絡め取り、彼女の体力と自由を奪った。
「シェアト姉!」
「くそ!」
 力無く崩れ落ちるシェアトを支えるルクバットとベイド。
 グラフィアスが一直線にアウラに斬りかかるが、アウラは腕をハルピュイアへと変化させ、彼と正面から切り結ぶ。
「いきなりやってくれるじゃねーか!」
「回復役を潰すのは定石だろ?」
 しばらく競り合うが、唐突にアウラが左手で殴ろうとした為、グラフィアスは後方へと距離を取る。
 シェアトをベイドに預け、ルクバットとフォーマルハウトも前線へと上がる。
 アウラが風の力を使わず、殴ろうとした?シェアト姉を殺すんじゃなく、無力化させたからまだ大丈夫なのかと思ったけど、いつもと戦い方が違う……。
「ロールフレア!」
 グラフィアスは戸惑う事なく大剣を振り下ろし、炎の渦でアウラを囲う。
 しかし、
「無駄だ」
 火の勢いはあっという間に消え失せ、アウラに届く前に完全に消失してしまう。
「ちっ。おい、いつまでボーッとしてんだ!お前がそんななら、俺が狩るぞ」
「っ!?分かってるよ!」
 グラフィアスに活を入れられ、再び武器を構える。
 が、それより早くアウラが懐に飛び込んで来て、何の躊躇いもなく斬りつけてきた。
「ぐっ」
 ほぼ反射的に反応して攻撃を防ぎながら後方へ下がるが、アウラの追撃は止まらない。
 左手に猛烈な風を唸らせ、ルクバットの心臓目掛けて突き刺してくる。
「ぅわっ」
 不意に、バランスを崩し、次の攻撃に反応出来なくなる。
 殺られる……!
「アトラクション!」
 アウラの突きが胸を抉る、そう確信した瞬間、アウラはフォーマルハウトの方へと引き寄せられ、何とか助かった。
「ふふ」
 アウラは風の力を利用して引力から逃がれ、皆から少し距離を取り笑った。
「やっぱり頼りになるな、皆。遠慮する必要が無くて助かるよ」
 複数人を相手にしているというのに、アウラはとても楽しそうだ。
 純粋に、今の時間を楽しんでいるように見えた。
「まだまだ、行くよアウラ!」
 ルクバットが気合いを入れてアウラに向かう……。


 四人の戦いは熾烈にして苛烈、そして同時に舞を舞っているかのような美しさがあった。
 グラフィアスの炎をルクバットが助け、アウラの足をフォーマルハウトが鈍らせ、隙をついて全力で叩く。
 アウラはそれらを華麗に捌き、虎視眈々と渾身の一撃を狙ってくる。
 しかし途中からベイドとシェアトも参加した事で、拮抗していた流れが変わる。
 流石に多勢に無勢。アウラは徐々に追い詰められていき、やがては膝を折った。
「はあ、はあ……。やるな。けど、すぐにトドメを刺そうとしないところは、まだまだ甘い」
 言った側から蒼龍の力を傷を癒やしていくアウラ。
 そのまま戦う前の状態へと戻っていく……ように思えたが、
「……っぐ」
「アウラ!」
 アウラの傷が癒えていくにつれて、彼女の邪竜化が進んでいくのが目に見えて分かった。
「……どうやら、限界、みたいだ。……もう、終わらせてくれる、か?」
 アウラは苦痛に顔を歪めながらも、そう微笑む。
「アウラ……」
 事態は、一刻を争う。
 それはもう、誰が見ても明白だった。
「ルクバット君」
 フォーマルハウトの静かな声。
 彼の手には、アウラの節刀が握られていた。
「……」
 震える手で節刀を掴み、アウラの前に立つ。
 柄に手をやるが、手の震えが伝わって金属がカチカチと泣くばかりで、花綱はなかなか切れない。
「く……う。っああ!」
 ルクバットは戸惑っている間にもアウラの邪竜化は進み、彼女を中心に台風のような暴風が発生し始める。
「ちっ、どけ!」
「あっ」
 痺れを切らしたグラフィアスに突き飛ばされ、無様に地面に転がった。
 次に目に映ったのは、グラフィアスがアウラに、剣を突き刺そうとする瞬間だった。
 まだ、お別れすら言っていない。それどころか俺は、アウラの最後の修行すら、まともに出来ていない……。
 剣の切っ先が、アウラに届く。
「お前は、駄目ダ」
「……なっ!?」
 地獄の底から響くような声がした瞬間、グラフィアスの大剣が折れ、そのまま彼ごと吹き飛んだ。
 そしてアウラは、猛烈な風の塊となってシェアト達を襲撃する。
 とっさにフォーマルハウトが壁を作るが、壊されるのは時間の問題だ。
「やれ!ルクバット!」
 グラフィアスに激を飛ばされ、はっと我に返る。
「うわああああ!」
 迷いを振り払うように円月輪を投げつけると、アウラは簡単に避けて上空へと逃げる。
 ルクバットは巧みに武器を操り、アウラを追う。そして、
「アウラー!」
 武器に気を取られたアウラに、抜き払った節刀を両手で握り締め、自分が風でどれだけ切り裂かれようとも怯む事なく、アウラの心臓目掛けて突き刺した。
「……っ!」
 その瞬間、風の中心でアウラが微笑んだのを、ルクバットは見逃さなかった。
 驚きのあまり手を離しそうになるが、アウラがルクバットの手を掴み、あろうことか彼女は、そのまま節刀を自らの身体奥深くはと突き刺した。
 刀を通して伝わる、肉と骨を断つ感触は、とても痛く、悲しい物だった。
「アウラ!」
 風が弱まり、力無く落ちていくアウラを抱きしめる。
 彼女の姿はいつしか、皆が知る元の姿に戻っていた。
「強く、なったな。合格だ」
「そんな、俺なんてまだまだだよ。結局俺一人じゃ、アウラには敵わなかった。俺にはアウラが必要なんだよ」
 弱々しく言うアウラに、涙でぐちゃぐちゃの顔で必死に訴える。
 そんなルクバットをあやすように、アウラはルクバットの頬を優しく撫でる。
「そんな事ない。私は、お前に持てる、全ての力を使えと言った。ここにいる皆は、これからも、お前の力になってくれる。もちろん、私も……私が取り戻したこの国を、お前が守っていくんだ。全てを繋ぐお前なら、安心して任せられる」
「……アウラ」
 彼女のか細い手を握り返し、何度も頷く。
 アウラの身体が、だんだんと透け始めている。
「みんな、ルクバットの事、頼んだよ」
「水臭いよアウラ。私達、友達でしょ」
「僕も。この国が成長していく所を、一緒に見ていきたいです」
「この国はこれからが発展していくんです。私の力が必要でしょう」
 それぞれの答えを聞き、アウラは安心したように微笑む。
 そしてグラフィアスに笑いかけた。
「悪いな。お前の願い、叶えてやれなくて」
「ふん。死にかけの奴に言われたって、気分が悪いだけだ」
 グラフィアスらしい答えに、アウラは「そうだな」と笑い、一つ大きく息を吐いた。
「これでもう、思い残す事は何も無い。ようやく、これで……」
 アウラが瞳を閉じると、一筋の涙が流れ落ちた。
 ルクバットは泣くのをぐっと堪え、最後に一つ、尋ねてみた。
「ねえ、アウラ。本当は、蒼龍の名前、知ってたんじゃないの?」
「……」
 アウラは、答える事なく、静かに風に溶けた。
 しかし、彼女の唇は、ルクバットに答えをはっきりと伝えていた。
「……そっか。素敵な、名前だね」
 目の前に残されたアウラの義手と、バスターの証を抱き締め、ルクバットは声を押し殺して泣き続けた。



   †


「十年前の今日、風の王国グルミウムは滅びました」


 拡声器を介して国中に響く、年若く、溌剌とした新国王の声。
「俺は、当時の事は覚えていないけど、俺達の旅は、そこから始まりました。そして今日、俺が一番大切にしている人の夢が叶います。皆も知ってると思うけど、この日を迎える事が出来たのは、その人がバスターとして頑張ってきたからです。今はもう、皆の前に姿を現す事は出来ないけど、それでもあの人は、俺と一緒に皆の事を守ってくれます。……話を戻すけど、この国は一度、滅びました。そして今日、新しく生まれ変わります。二度と倒れる事のない大木にしていく事が、あの人から受け取った、俺達の役目です。だからこの国の名前を、新しくしようと思います。皆があの人を忘れないよう、あの人が望んだ平和が、ずっと続くよう……。
 永世中立王国、アウラ。それが、グルミウムから受け継いだ、新しい種です」


 新国王の胸には輪っか型の首飾り、肩には空に溶け込むような、美しい蒼龍の守護聖霊。
 互いに微笑み合う王と聖霊を、近くで見守るのは三人の使者。
 各国の王を含んだ、暖かい喝采の中、風の王国は新たな芽を出した。
 これから先、この芽は大きな樹木へと育っていく。
 純粋な子供のようにすくすくと、気ままに流れる風のように伸びやかに。
「頑張れ」
 一つ、風が囁いた。
 国全体を見守るのは三つの風。
 王家の墓前には、色鮮やかな青いアネモネの花が、風と共に踊っている。
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