【完結】愛を刻んで

さか様

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社会人編

春を待つ

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午前十時。
オフィスの窓から差し込む光が、ゆっくりと書類の上を滑っていた。
カチ、カチ、と時計の針。

優真と玲央はパソコンに向かっている。
この春に向けて、少しずつ仕事の引き継ぎを始めていた。

「……こっちの対応表は、週ごとに更新してるんです。
優先フラグついてるのが緊急案件です。
…で、クライアントの変更履歴は、ここのタブから確認できます」

優真は、画面を指でなぞりながら静かに説明していた。
隣に座る玲央は、背筋を伸ばしてメモを取り続けている。

「……改めて聞くと分かってきました!
……あ、こっちも優真先輩が整理してたんですか?
タグ分けのカラーめっちゃ見やすいなって」

「はい、ごちゃつきやすかったので。
でも、引き継いだら玲央くんのやりやすいように変えて大丈夫ですよ」

そう言って笑うと、玲央が少し口を尖らせた。

「えー……なんか変えづらいですよ~。
優真先輩の“痕跡”消すの、もったいないっていうか……」

優真は一瞬手を止め、そして小さく笑った。

「ふふ、痕跡って……。
仕事は残らなくても、やり方はちゃんと続くから大丈夫ですよ」

玲央はペンを回しながら、少し黙り込んだ。

「……なんか、実感がこう…じわじわと。
ほんとに行くんですよね。いや、分かってるんですけど!
右も左もわかんない俺に優真先輩はいつも優しくて、しんみりしたくないのに、やっぱり…」

机の上の時計の針が静かに進む。
優真はしばらく考えて、穏やかに頷いた。

「……でも、玲央くんは最初からちゃんと“自分の足”で立ってましたよ」

「そんなことないです。
だって、優真先輩が後ろから支えてくれてたの、わかってたんで」

玲央は笑いながらも、どこか目を赤くしていた。

「……ほんとに寂しいな。
まだ行かないって分かってるのに、なんか最後の授業受けてる気分です」

優真は苦笑した。

「教えるのは今日で終わりじゃないですよ。
春までは、まだ一緒にいられるんですから」

そう言って立ち上がる。

「さて、今日の午後休ですよね?ハルさんが味見係募集って言ってましたよ!」

「え、味見係?」

「お昼のエーテルの準備です。
カフェメニューの試作中で、蓮さんも先に行ってるらしくて」

玲央は一気に顔を輝かせた。

「えっ、蓮さんも!?
行きましょ!!」

優真が笑いながら上着を手に取る。

「ふふ、そしたら準備しますか!」

――

昼下がり。
オフィスを出ると、もう少しで春を連れてきそうな空気が頬を撫でる。

「今日、天気いいですね」

優真が言うと、玲央は鼻をすんと鳴らした。

「なんか、冬の終わりって、ちょっと寂しいですけど…わくわくもするっていうか」

「……たしかに、毎年そわそわしちゃいますね!」

ふたりは笑い合いながら、“エーテル”の前に立った。
昼間の店はまだ看板も出ていない。
しかし扉の向こうからは、甘い香りと話し声が漏れていた。

「ほんとに入っていいんですか…?準備中って書いてあるけど」

玲央が覗き込みながら小声で言う。

「“味見してほしい”って言われてますから!」

「ははっ、スイーツバイキングですね!!」

無邪気な玲央の一言に、優真は微笑んだ。

――

扉を開けた瞬間、コーヒー豆とバターの匂いが一気に広がった。

「来たわね、いらっしゃい!」

カウンターの中では、ハルが泡立て器を構えている。
テーブルには、タルトやムース、パフェがずらりと並んでいた。

「こんにちわ、ハルさん!
……これ、全部試作品ですか?」

優真は入るやいなや目を丸くする。
どれも完成度が高く、試作品と呼ぶにはもったいない。

「ちわ…!えぇ、こんなに食べていいんですか?!」

玲央も驚いた顔でテーブルとハルの顔を交互に見る。

「そうよ、みんなで味見してほしいの。感想とか、改善点とか遠慮なくね!」

その瞬間、奥の席から声が飛んできた。

「こっちのパフェ、もっと中身なんかねぇの?」

聞き慣れた低い声。
パーカー姿の蓮がフォークを持ったままこちらを見ていた。
テーブルの上には食べかけのスイーツ皿が3枚、更に手にはパフェグラスを持っている。

「……蓮さん、もうそんなに食べたんですか?!」

「推しはスイーツ食べててもかっこいい…」

優真と玲央は蓮を見て口々に言った。

「ん、仕事一段落したし…解禁した!」

スプーンをくわえながら、どこか満足そうに笑っている。

「ていうかさっき“ピスタチオ強い”って言ったら、ハルに泡立て器で殴られかけたんだけど、おたくのハルチャンはどうなってるんですかー、陸~?」

蓮が陸に報告すると、ハルの後ろから陸が顔を出す。

「すいません蓮さん…ハル、駄目だろ?」

「だって言い方がムカつくのよ、蓮は!」

ハルは泡立て器を振り回しながら抗議した。
泡が飛んで蓮の頬をかすめる。

「ほら~!ひど!」

「ところで、ハル、これ砂糖か?」

陸がボウルを覗き込みながら首を傾げた。

「やだちょっと!塩!!!」

ハルの即答に陸が頭を掻く。

「だよな……なんかしょっぱかった」

「なぁ優真、これ大丈夫だと思う?」

「んー、まだオープンまで時間あるので!!」

蓮が問を投げかけると、優真は笑いながらフォローする。
バタバタとしたやり取りに店の中が笑い声で満ちた。

マスターがカウンター越しにその光景を眺め、カップを磨きながら言う。

「……いいねぇ。昼のエーテルも、賑やかそうで」

「最高です!…てかハルさんの試作品、どれもプロレベルっすね!うま!」

「まだ途中よ。でも嬉しい」

ハルが照れ笑いを浮かべる。

優真はその光景を見つめながら、
胸の奥に静かに広がるぬくもりを感じていた。

窓の外では風が街路樹を揺らし、枝先の小さな蕾が、光を受けてほのかに色づいていた。
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