【完結】わるいこと

さか様

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タクシーの後部座席で、ユイは落ち着きなく身体を揺らしていた。

背もたれに寄りかかっては、すぐに起き上がり、窓の外を見て、また鷹臣を見る。

視線が定まらない。声がやけに軽い。

「たかおみさん」

「ん?」

「おにごっこ、してたんだよ」

唐突な言葉だった。

「…さっきの?」

「ううん、ずっと」

ユイは楽しそうに指を折って説明しはじめる。

「おにがね、あっくんでね、にげるの。
よくせいざいのんで、まだだよってして…」

後部ミラー越しに、運転手の視線が一瞬だけ揺れる。
怪訝そうな、でも深入りしない目。

鷹臣は気にしなかった。
今はとにかく、このΩに、ユイに注意を向けたかった。

ユイは弾んだ声で続ける。

「でね、きょうは…たかおみさんのおうちに、にげるの。
おとまりかい、するの!」

笑顔だった。無邪気で、期待に満ちていて――そして、壊れている。

(……抑制剤のせいか、それとも――)

ユイの饒舌さと感情の跳ね方は、まるで別人のようだった。

「ユイ」

鷹臣は、低く、はっきり言った。

「鬼ごっこは、しない」

ユイは一瞬、きょとんとする。

「……しないの?」

少し考えてから、ユイは首を傾げた。

「……じゃあ、にげなくて、いい?」

「うん」

その答えに、ユイはふっと力を抜いた。
背中をシートに預け、目を細める。

「ふふ、へんなの」

小さく笑って、また窓の外を見る。

タクシーが停まる。

昨日のラブホテルの派手な外観とは、まるで違う。
明るすぎない街灯、生活の音が遠くに滲む住宅街。

鷹臣の住むマンションだった。

――

エントランスを抜け、エレベーターに乗る。
ユイは床の模様を見て、くるりと回った。

「しかく、たくさん…いち、に、さん…
たかおみさんのおうち、いいにおいする」

「まだ部屋入ってないだろ」

「でも、するよ」

安心と危険が、同時に混じるαの匂い。
鷹臣は一瞬、言葉に詰まった。

ドアを開けると、整った室内が出迎える。
余計なものがなく、使われた形跡だけが静かに残る空間。

ユイの部屋とは、あまりにも違った。

「……おじゃまします、ひろい」

靴を乱雑に脱ぎ、ぺたぺたと床を歩く。
ソファに触れ、テーブルに触れ、壁を見る。

興味深そうに、でも慎重に。
その途中で、ふいに立ち止まった。

「たかおみさん、」

鷹臣が振り返った瞬間だった。

ユイが背伸びをして、鷹臣の首に手を伸ばす。
そして、唇が触れた。

確かめるように唇をなぞる。

「……っ!」

鷹臣の身体が、反射的に強張る。

ユイはすぐに離れて、照れたように笑った。

「ずっとね、おれい、したかったから」

無邪気な声。これは、ただの「ありがとう」。
それが、いちばん危険だった。

「……それは、だめ」

鷹臣は即座に言った。
声は低く、揺れていない。

ユイは少しだけ眉を下げる。

「……だめ、」

意味を理解しているのか、鷹臣の言葉をオウム返しした。

――

「とりあえず、シャワー浴びよう。
ひとりでできる?」

「うん、」

ユイは素直にタオルを受け取り、浴室へ向かう。
その背中を見送りながら、鷹臣は追加で抑制剤を飲んだ。

(……経験不足だ、完全に)

元恋人は女性で、βだった。
慎重に判断したのはもちろんだったが、ヒート中のΩと同じ屋根の下で夜を過ごす経験なんて、ない。

シャワーを終えたユイは、さっぱりした顔で戻って来た。
貸したTシャツは大きすぎて、肩が落ちている。

「…ご飯、食べよ」

鷹臣は見て見ぬふりをしてやり過ごした。

――

簡単な食事を済ませ、時計を見る。

いつの間にかもう、遅い時間だった。
明日は仕事がある。

「ユイ、そろそろ寝よう。ここに布団敷くから、」

そう言うと、ユイは即座に首を振る。

「やだ」

「……なんで」

「たかおみさんのへやで、ねたい」

迷いのない主張。

「ひとり、やだ。あしたパンやさんいくけど、ひとり…いや、」

鷹臣は一瞬、天井を見る。

必然的にαの匂いが一番濃い部屋。
そこに抑制剤を飲んでいるとはいえ、ヒート中のΩを寝かせる危険性。
さっき、ユイの部屋にいたときはすべてを分かったつもりでいたし、今も変わらない。

それでも――

「……寝るだけ、なら」

「うん」

即答だった。

ユイはベッドに潜り込み、満足そうに呟く。

「あったかいね」

「ん、おやすみ」

鷹臣はベッドの横に敷いた布団に横たわる。
ユイのふわふわした香りをなるべく吸い込まないように、背を向けた。

それが、守りたいという感情なのかただの理性なのか、まだ、鷹臣自身にも分からなかった。
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