【完結】わるいこと

さか様

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朝の就労支援施設は、静かだった。

開所前の廊下には、まだ人が少ない。
消毒液の匂いと、コピー用紙が擦れる音が、規則正しく響いている。

鷹臣は、ユイの半歩後ろを歩いていた。
昨日よりも足取りは落ち着いているが、今朝の元気は少し影を潜めたのか、肩は少しすぼめたまま。

鷹臣は、その背中を見ながら、昨夜の言葉を思い出していた。

――すき、かも。

少なくとも好意を向ける、そういう言葉。
だが同時に、鷹臣は分かっている。

ユイは言葉を“使う”だけで、その意味を選んでいない。

だから、勘違いだと思っている。
優しくされたからそう言っただけ、と。

そう、頭では結論づけている。

「……ここ」

鷹臣の思考を遮るようにユイが小さく言った。

慣れた場所のはずなのに、声は弱い。
受付で名前を告げると、担当の女性の支援員が顔を上げる。

「あ、ユイくん。今日は――」

そこで鷹臣の存在に気づく。
一瞬だけ、支援員の視線が止まった。

「……あ、お電話いただいていた…付き添いの方ですか?」

「はい、神崎です。ユイ…さんとは、知り合いなのですが。ここ数日、事情がありまして」

それ以上は言わない。
言わなくても伝わる空気があった。

支援員は頷き、廊下の奥を見てから言った。

「少し、お話いいですか」

ユイはベンチに腰掛けると、すぐに手を股に挟んだ。
不安になると、いつもそうする。

「ユイくん、ちょっと、ここで待っててね」

「……うん」

ユイは頷いたが、鷹臣の袖を一瞬だけ掴んで、すぐに離した。

その“ためらい”に、鷹臣の胸の奥がざわついた。

依存させる気はない。
守ることと、縋らせることは違う。

改めて自分に言い聞かせる。

(長くなりそうだ…会社に連絡いれとこう、)

鷹臣は支援員の後を追った。

――

「……正直に言います」

小会議室の中、声を落として支援員は切り出す。

「私たち、ユイくんについて、ずっと違和感を抱えていました」

鷹臣は黙って聞く。

「衣服や体が…汚れた状態で来ることがあって、急に泣き出すこともあったりして。
理由を聞いても、教えてくれなくて……でも、少しするとまたいつもの感じに戻るんです」

それは、今なら分かる。

「“困ったときに呼ぶ人”として、弟の…明也さんの名前が度々出ていました」

明也の名前は、目の前にいないのに度々出てくる。 家族だから、そういうものなのか。

「あの、初めて迷子のユイさん…ユイと出会ったのは…数週間前です。ここ数日一緒にいただけですけど。
ユイ、弟から…性加害、受けてませんか?」

自分で言いながら鷹臣の喉の奥はひりついた。
支援員の瞳が大きく見開かれる。

「あ、いや、その…警察に言えって話ですよね、こんな…本人がいないところでプライベートな話を――」

「いえ、」

話を切り上げようとした時、支援員がそれを遮った。先程より更に深刻な顔をしている。

「流産のこと、聞きましたか?それこそ、本人がいないところであまり…憚られますが――」

支援員の話を、注意深く聞く鷹臣だったが、内容は想像を絶するものだった。

理解ができない内容。

双子の弟、明也はαであること。
3年前にで、ユイは明也との子を身篭ったこと。
そしてしばらくして、明也の暴力により、ユイが流産したこと。

事故として表沙汰にならなかった。
ユイの証言に信憑性がないとの判断だった。

昨日ユイが泣きながら話した内容と、今並べられている事実が噛み合ってしまっていた。

(ユイは、犯人を知らない…?)

支援員は気まずそうに続ける。

「なので…明也さんとの接触は危険ではないかと、考えていて、施設としても、」

ガチャ

「あっくん、あぶないの?」

支援員の話の途中で、ユイが小会議室に入ってきた。

(まずい、どこから聞いて――…)

鷹臣と支援員は息を呑んだ。
ユイはつまらなさそうな顔で視線をそらしながら尋ねた。

「……おはなし、おわった?」

「あ、あぁ…」

鷹臣が支援員とアイコンタクトしながら頷く。

「ユイくん…待たせちゃってごめんね」
 
(聞いてなかった、か…?)

「……ゆい、きょう、パンやさんできる?」

支援員は椅子から立ち上がらながら答えた。

「うん、大丈夫。
でもヒートが辛かったら、言ってね」

ユイは少し考えてから、頷いた。

「……あっくん、おむかえ、こない?」

その問いに、鷹臣の心が少し冷える。
きっと深い意味は、ない。
来てほしいのか、来ないことを確認したいのか――昨日の様子だと、きっと後者だと思った。

しかし、昨日も、今も。
ユイの中で“呼びたい存在”は消えてはいない。

刷り込み、洗脳、共依存、ストックホルム症候群。
いや、専門家ではないから、わからない。

「来させない、ように…できるといいけど」

鷹臣は歯切れ悪く答えるしかできなかった。

「……ねえ、たかおみさん」

「ん?」

「……あっくん、さみしい、かも」

声は小さく、独り言に近かった。
袖口を弄りながら、続ける。

「きのう、おうち、きたから」

その一言で、鷹臣の思考が、意図せず跳ねた。

――すき、かも。

昨夜、あの部屋で聞いた言葉。
熱に浮かされたような声。
同じ語尾。
同じ、曖昧な距離。

胸の奥に、理由の分からない苛立ちが走る。

(……それは、違うだろ)

明也に向けられたものは、恐怖の名残で、刷り込みで、依存だ。好意なんかじゃない。

分かっている。

分かっているのに、ユイが同じ温度で口にしたことが、どうしても腹立たしかった。

廊下の空気が、わずかに張りつめる。

ユイは俯いたまま、何も言わない。
袖口を、ぎゅっと掴んでいる。

その様子を見て、鷹臣の中で溜まっていたものが、制御を失った。

苛立ちと焦り。
そして、自分でも扱いきれていない感情。

「ユイ」

名前を呼ぶ声が、思ったより低くなった。
ユイが、びくりと肩を揺らす。

「……“さみしい”とか、“かわいそう”とか、そういう理由で人を選ぶのは違う、」

ユイの指が、強く絡まる。

「いらない心配を、しちゃだめだ」

鷹臣は続ける。

「都合のいいように弄ばれたのに」

正論だった。
でも、その正しさは、上からだった。

「神崎さん…?」

支援員が声をかける。
しかし、鷹臣は退けず、言葉を選ぶ余地はもう残っていなかった。

「ユイは自分の気持ちを、ちゃんと分かってない」

ユイの呼吸が、浅くなる。

「“さみしい”と思ったら近付く、困ったら頼る、それを“好き”だと思い込んでるだけだ」

鷹臣は自分に向けられたユイの言葉をなぞった。

守るために線を引いたつもりの言葉は、ユイの中で、別の形に変換される。

「たかおみ、さん…?」

言葉の半分も理解ができないユイだったが、いつもの態度と違う鷹臣が怖く感じた。

(わるいこと…わるいこと、)

「……っぁ、」

一瞬、何か言おうとして、言葉が見つからない。

「……ごめん、なさい」

反射的に出た、その謝罪に、鷹臣は“しまった”と思った。

言いすぎた。声が、強かった。

「…その、ごめん、言い方が――」

言い直そうとした、その瞬間。

ユイが、一歩、下がった。

「……ゆい、」

声が小さく震える。

「……まちがえた」

その問いは、確認じゃない。
結論を探すための言葉だった。

――怒られた
――困らせた
――ここにいてはいけない

「……ごめんなさい、いかなきゃ」

もう一度、言って。
次の瞬間ユイは走り出した。

「ユイ!」

鷹臣が呼ぶ。

廊下の奥へ、外へ。
小さな背中が、人の流れの向こうに消えていく。

「待って!」

鷹臣はユイの後を追った。

――

冷たい空気と朝のざわめき。

ユイは震える手で、かんたんスマホを取り出す。

画面に並ぶ、少ない連絡先。

――あっくん

迷いは、ほんの一秒もなかった。
呼び出し音。

「……ユイ?」

電話はすぐに繋がった。
その声を聞いた瞬間、胸が、すっと楽になる。

「……ごめんなさい」

開口一番、謝るユイに、明也は直感的に鷹臣では駄目だったとほくそ笑む。

「どうした」

低くて、穏やかな声。
感情は隠しておかなくてはいけない。

「……まちがったの、おこられたの。たかおみさんがね、ゆいね、」

ユイは涙声で支離滅裂に応えた。

「あー、そっか。?」

結局のところ。
家族で、知能が低くて、Ωで、寂しがり屋のユイには自分が必要だという優越感が心地よかった。

「うー…あっくん…さみしい、」

「そこ、まっすぐ行って。角、右。
自販機の横、細い道あるだろ」

ユイは、言われた通りに歩く。
頭で考えない。明也の言うことを聞く――それだけだった。

「ユイ!」

鷹臣の声がした。

ユイは、肩をすくめた。
怒鳴られた記憶が、まだ近い。

「……ごめんなさい」

誰に向けた言葉か、わからないまま、
足を速める。

「そのまま。誰も見てない」

電話の向こうで、そう言われる。

角を曲がると、空気が変わった。

音が減り、影が増える。

自販機の灯りが、
白く、冷たい。

「……かくれんぼのおうち、」

「うん。そのまま入って」

いつもの明也の隠れ家。
路地裏は、細かった。壁が近く、空が切り取られている。

ユイは、立ち止まりかけて、胸の奥がきゅっと縮む。

(たかおみさん、ごめんなさい)

明也の安心の形をした声が耳を撫でた。

「大丈夫。俺がいる」

その声は、鷹臣のもののように聞こえた気もして。
ユイは、一歩、踏み出した。

「ユイ!」

もう一度どこかで名前を呼ぶ遠い声。
今度は、息が切れている。

教えたいけど教えたくなかった。
きっとまた間違って怒られて、迷惑をかける。

怒られないほうへ。声が優しいほうへ。

「ユイ、おいで、」

「……ぁ」

ユイの声は、壁に吸われた。

電話が切れ、静かにドアが開くと、ユイは影の向こうへ消えた。

通りに残ったのは、人のざわめきと、遅れて届く足音だけだった。
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