【完結】わるいこと

さか様

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鷹臣はその日、いつもどおり仕事をしていた。

モニターの白い光が目に痛い。
キーボードを叩く音は一定で、指は迷わず動いている。

会議資料の文言修正、数値の整合、返信待ちのメール。

どれも卒なくこなす。 
その一方で、意識の端には別の思考が居座っていた。

給湯室から戻る途中、背後で同僚の会話が聞こえる。

「この前の限定チョコ、もう売り切れなんだって」
「えー、早すぎ」

チョコ。
たったそれだけの単語で、意識が引っ張られる感覚。

(……ユイ、チョコ好きだよなぁ)

板チョコを一気に齧らず、小さく割って舌の上で溶かす姿。
それなのに、何故かいつも口の周りに付くチョコがおかしくて。

ひとしきり笑うと、いつもユイはきれいな指先で包み紙を几帳面に畳んでいた。

仕事に意識を戻そうとして、ふと昼休憩の弁当に視線が落ちた。

プラスチックの仕切りの一角、だし巻き卵。

(……これも)

ふわっとしたところより、端の少し焼き色がついた部分が好きなのは最近知った。

気づいた瞬間、鷹臣は小さく頭を振った。

(大切にしなくちゃ…)

胸の奥に、じんわりと温度が溜まる。
欲しい、に近い衝動。

しかし、それを「触れたい」よりも先に「大事にしたい」に形を変える。

それがユイを守る形になると、鷹臣は信じていた。

(……帰ったら、何作ろう)

魚を焼いて、だし巻き卵をつけて。
いや、だし巻き卵はまた明日にしようか。

そんなことを考えてしまう自分に、鷹臣は苦笑した。

――

同じ時間。

家の中は、静かだった。

テレビは消えたまま。
カーテン越しの光が、床に四角い影を落としている。
時間が進んでいるのか、止まっているのか、分からない静けさ。

休みのユイはソファに座り、膝を抱えていた。

テレビを付けたり消したりするのも飽きて、窓の外のちょうちょを見るのも飽きた。

何もしない時間は、考えが勝手に動く。

――鷹臣のこと。

名前を思い浮かべただけで、胸の奥がきゅっとする。
いつも近くにある気配。
今朝、項に触れられた指。

今までの人と違い、Ωの自分を使存在。

(……すき、)

言葉にしようとすると、輪郭が崩れる。

すき。一緒にいたい。声を聞きたい。

そこまでは、ユイにも分かる。

でも、その先にある触れてほしい気持ち。
そこが急に生々しくなる。

ユイは視線を伏せた。

「…ぁ、」

身体が、先に反応する。
下腹部に熱が集まり、後ろが鷹臣を求める。

今まで、持て余す熱はいつも「始まりの合図」だった。
求められる前触れ。使われるための準備。

だから、自分からそうなることはいけないことだと思っていた。

息が浅くなって、胸が苦しくなる。
ユイは、そっとソファに身体を沈めた。

誰にも見られない。
誰にも言わない。

ただ、このざわつきを、どうにかしたかった。

想像が止まらなくなる。

抱き締められて、キスをして。
優しく触れて、愛撫する。
痛いことはしない、初めから終わりまで、快感だけが支配する時間。
尊重される心と身体。

(……だめなのに)

ユイは自分の昂ぶりにそっと手を伸ばし、緩く扱いた。
自分でしたことはほんの数えるくらい――ヒートで苦しくて、明也に放置され、どうしようもなくなった時。

先走りが後ろに伝い、すでに濡れている部分をより潤滑にした。

前を弄りなら、後ろにも指を入れる。
一本、二本。

(たかおみさんの…ゆび、なんこ……)

「あ、ぁ、っ…ん、たかおみさっ…」

くちゅ、くちゅと控えめな水音が静かな部屋に落ちた。
身体が、好きという気持ちを追い越してどんどん快感を拾い集めていく。

「あっ……」

喉から、掠れた声が落ちたと同時に、ユイは吐精した。

(でちゃった…)

手についた白濁を見て、慌てて立ち上がり、ズボンを上げる。
やってしまったという実感だけが、はっきり残る。

「て、あらわなきゃ…」

洗面台で、ハンドソープをつけて手をきれいに洗う。

(……わるいこと、)

今まで、たくさんの「わるいこと」があった。
してきた、というより、させられてきた。

それと、同じ匂いが、心に残る。

(ゆい、ちゃんと…えっちできるのかな)

きっと相手はもう決まっているのに。
そう考えると、また胸が熱くなる。

罪悪感と期待と混乱。

好き、という感情が消費と欲望との区別がつかないまま、絡まり合う。

ユイはまたソファに座り、膝を抱えた。
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