【完結】愛に堕ちる

さか様

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未来

年の瀬

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年の終わりの空気は、街ごと息を潜めたみたいに静かだった。

窓の外では、雪が降るか降らないかのぎりぎりの白が、街灯の光に溶けている。

ハルの部屋は暖房が効いていて、昼間に焼いた焼き菓子の名残の甘い匂いがまだ残っていた。

テーブルの端には、卒業制作のノート。
その隣に、陸が脱いだジャンパーが無造作に置かれている。

ソファに並んで腰を下ろしていた、そのとき。

スマホが、短く震えた。

画面に浮かんだ名前を見た瞬間、ハルはぴたりと動きを止めた。

〈正樹〉

(……もう、かけてこなくていいのに)

そう思うのに、指はすぐに拒否を選ばなかった。

胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
嫌じゃない。

ただ、少しだけ、居場所を引き戻されそうになる。

陸が気づいて、何も言わずにこちらを見る。
問いも、詮索もない。
ただ、ここにいる、という眼差しを向けた。

ハルは小さく息を吸って、通話ボタンを押した。

「……もしもし」

『春虎か』

兄の声。
昔と変わらない、淡々とした呼び方。

「……久しぶりね、正兄まさにい

『今、話せるか』

「うん。でも、長くは無理」

『そうか。年末だしな。帰らないのかと思って』

一瞬、間が空く。

ハルは視線を落とし、指先でスマホの縁をなぞった。

「言ったでしょ、もう帰らないわ」

即答だった。
でも声は、ほんの少しだけ柔らいだ。

『……そうか』

兄はそれ以上、理由を聞かなかった。

「今ね、私……大切な人と一緒にいるの」

『……そうか』

重ねて言われたその言葉に、責める色も、探る色もなかった。

ハルの口元が、ほんのわずかに緩む。

「ちゃんと、守ってもらってる。
ここが、私の居場所なの」

『……春虎がそう言うなら、それでいい』

胸の奥が、じんと温かくなる。

「だから……心配しなくていいわ。
私、大丈夫だから」

『……分かった。
良い年を迎えろ』

「えぇ。正兄も」

通話は、それだけで終わった。

画面が暗くなると同時に、ハルはスマホを胸に抱きしめた。

「……もう、かけてこなくていいのに」

心の中の声がそのまま漏れた。
その顔は、泣きそうで、でも少しだけ満たされていた。

陸が、そっとハルの顔を覗き込み、無骨な指先で肩までの短い髪を耳にかける。
何度もしてきた仕草なのに、今日は少しだけ意味が違った。

「…久々に話したんだな、」

「えぇ。何年ぶりかしら、」

ハルは陸を見上げ、微笑んだ。

「私、ここにいるって、言えたわね」

陸は答えず、ただハルを抱き寄せる。
外で、雪がひとひら、音もなく落ちた。

――

やがて、夜は深くなる。

日の終わりを名残惜しむかのように、ハルは陸の胸に額を預けた。

「……年末って、」

「?」

「変な気持ちになるわね。
終わる感じと、始まる感じが一緒で」

「……あぁ」

陸の手が、ハルの背をゆっくり撫でる。
言葉より先に、体温が伝わる。

「いいかしら、」

「……何がだ」

ハルは顔を上げて、わざと曖昧に笑った。

「全部、ほしい…」

その一言で十分だった。

陸はハルの頬に手を添え、ゆっくり、確かめるように口づける。

灯りを落とした部屋で、陸はハルをソファから抱き上げた。

驚くほど自然な動きで、迷いがない。

「……ぁ、ちょっと、」

抗議の言葉は形だけで、腕はすでに陸の首に回っている。

「そんなこと言われて、離すと思ったか?」

低く囁かれて、喉がひくりと鳴る。

ベッドに下ろされると、陸はすぐには覆い被さらずハルの髪を指ですくった。

短くなった髪。
耳にかける仕草は、もう癖みたいに自然だ。

「この長さ、好きだ」

「……急に、何よ」

「触りやすい」

それだけ言って、陸はまた唇を重ねてきた。

さっきのキスより、ずっと深い。
急がず、奪わず、でも確実に逃げ場を塞ぐキス。

唇が離れるたび、呼吸が絡まって、また近づく。

「……は、ぁ、陸」

名前を呼ぶ声が、思ったより弱くて、陸の喉がわずかに鳴った。

「名前、たくさん呼べ」

「……ばか」

そう言いながら、ハルの指は陸の背に爪を立てる。

お返しというように陸の手が、ハルの背中をなぞり、肩甲骨に触れ、腰へ落ちる。

触れられるたび、“安心”と“熱”が同時に広がる。

「……なあ」

「なに」

「そんな顔で俺を見るな」

「どんな顔よ」

「……早く入れてほしい顔だ、」

図星で、言葉が詰まる。

陸は額を合わせて、低く、確かめるように言った。

「年明けても、寝かせないから」

そのまま、ハルを引き寄せた。

ベッドが軋む音。
肌に触れる空気が冷たくて、でもすぐに、陸の体温で上書きされる。

呼吸が近すぎて、相手の鼓動がわかる距離。

「……、ね。陸」

今度は、ちゃんと名前を呼んだ。

陸は一瞬だけ目を伏せてから、ゆっくり、ハルの首筋に口づけた。

何度も、何度も。

「……ここにいる」

囁く声が、肌に落ちる。

「帰らないって言っただろ」

「えぇ」

「なら、ハルは俺のもの」

答える代わりに、ハルは陸の頬に触れた。
後ろを貫く熱と昂ぶりを扱かれる感覚。
今は何一つ手放したくなくて、陸の律動に見を預けた。

「ん、ぁ…ふっ……ん、陸、り、くっ…」

陸は四つん這いのハルの肩を掴み、深く腰を打ち付ける。
水音とベッドの軋む音、肌のぶつかる音がやけに大きく聞こえた。

「ハル、…春虎、」

ベッドの上で縺れながら、何回も体位を変えてはキスをして。

外は寒いのに抱き合うふたりは汗ばんでいった。

「ん、陸…もう、やっ……イく…イッちゃう…、だめ、だめ、」

ハルは陸に貫かれながらうわ言のように口走る。

「は、ぁっ…ハル、ハル……」

息を合わせて、腰を何度か強く打ち付ける。
向かい合う互いの視線が絡み、ハルは後ろを強く締め付け、達した。

陸はハルに締め付けられながらも奥へ、奥へと愛を注いだ。

――

目を開けると、カーテン越しの光が白く滲んでいた。

夜の名残を引きずるように、部屋はまだ静かで、外の音も遠い。

ハルは小さく身じろぎして、すぐにやめた。

腰のあたりが重く、身体の芯に眠気が残っている。
それ以上に、隣にある体温が心地よすぎた。

陸はまだ眠っている。
腕は自然にハルの背に回され、呼吸は深く穏やかだ。

(……新年早々、こんな格好で起きるなんて)

思った瞬間、胸の奥がむずがゆくなる。
恥ずかしいのに、離れがたい。

ハルはそっと顔を上げ、陸の寝顔を盗み見た。
昨夜の強さが嘘みたいに、今は静かで無防備で――
それが、妙に愛おしい。

「……起きてるのか?」

低い声が、まだ眠りに沈んだまま聞こえた。

「……え?」

驚いて視線を戻すと、陸の目は閉じたまま、口元だけが少し緩んでいる。

「呼吸、変わった」

「……鋭すぎるわよ」

小さく文句を言うと、陸はようやく目を開けた。
一瞬だけ、互いに見つめ合う。

――沈黙。

昨日のことが、同時に頭をよぎったらしい。
どちらからともなく、目を逸らす。

「……おはよう」

陸が言った。

「……おはよう」

声が少し掠れて、また照れる。

陸はハルの髪に触れ、短い毛先を指で整える。
耳にかける仕草は、すっかり定番になった。

「今年もよろしく。
…新年早々、あれだな、」

「……何よ、それ」

「悪くない」

あっさり言われて、余計に顔が熱くなる。

ハルは毛布の端を掴んで、半身を起こした。
身体のあちこちが、ゆっくり現実に戻ってくる感覚。

「……ふふ、新年ね、」

「あぁ、」

「……元旦からだらしないわね、私たち」

「たまにはいいだろ」

陸はそう言って、軽く肩をすくめた。
珍しい陸の返しに、ハルは思わず笑ってしまう。
胸の奥に、じんわりとした安心が広がる。

「……ね、陸」

「ん?」

「今年も、よろしくね?」

問いというより、確認だった。

陸は迷わず、ハルを引き寄せる。

「当たり前だ」

短い答え。
それで全部、足りた。

カーテンの向こうでは、新しい年の始まりを祝福するかのように、雪が静かに光っていた。
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