今日も振り向かない君の半歩後ろを歩く

さか様

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影踏み

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赤板組と木下組が統合してから、半年が過ぎていた。

最初のざわつきは、もうない。
顔を合わせるたびに探っていた視線も、言葉を選びすぎる間も、今はほとんど残っていなかった。

朝になれば、それぞれが支度をし、
決まった順で玄関を抜け、決まった配置で外へ出る。

誰が前に立ち、誰が後ろに下がるか。
考える前に、身体が動く。

恒一は、今日も半歩後ろを歩いていた。

燈の右肩より、わずかに後ろ。
路地に入るときは少し距離を詰め、通りに出る前には、先に視線を走らせる。

それは命令でも、意識的な配慮でもない。
半年のあいだに自然とそうなった。

燈も振り返らない。

背後にいるのが誰かは足音で分かるから、わざわざ確認する必要もない。

今日の仕事は、違法物品の回収だった。

派手な抗争とは無縁だが、気を抜けば厄介な仕事だ。
薬物、横流し品、出どころの怪しい銃器。
赤板も木下も、そういう“汚れた商売”を嫌う。

だからこそ、見つけたら没収する。
売らず、抱えず、処分する。

金にはならないが、後腐れもない。

倉庫裏での作業は、淡々と終わった。

若い衆が手早く箱を運び、確認が済めば封をして、トラックに積む。

「以上っす」

短い報告。
燈は一度だけ中を確認し、頷いた。

「戻るぞ」

それだけ。

誰も異を唱えない。
このやり取りも、もう日常だ。

帰り道は、少し遠回りになる。

人通りを避けるために選んだ、細い路地。
建物と建物の隙間を縫うように伸びていて、昼でも薄暗い。

燈が先に入り、恒一が続くと、ふたりの靴音がコンクリートに乾いて響く。

(……段差、)

恒一は一瞬だけ足元を見る。

この路地には、途中にひび割れた段差がある。
半年前は、よく躓きかけた。

今は、自然に足が避ける。

燈は何も言わないが、歩幅をほんの少しだけ緩めている。無意識だろう。

恒一は、その背中を見ていた。

薄い肩。
黒いジャケットの線。

(……猫背、)

思ってから、首を振る。

(仕事だ)

そう切り替える癖も、身についた。

路地の奥に差しかかると、空気が変わる。

風が止まり、音が何かに吸われたみたいに遠くなる。

燈の歩みが、ほんの一拍だけ遅れる。

恒一は、その変化に気づいた。

視線を上げ、周囲を見る。

シャッターの降りた裏口。
積まれた古い段ボール。
割れた街灯。

不自然なものは、ない。

だが、違和感は残る。

(……待ち伏せか?)

確信はない。
ただ、視線の端で何かが動いた気がした。

恒一は、無言のまま一歩だけ距離を詰める。

燈のすぐ後ろ。
近すぎず、離れすぎず。

影が、二人分、壁に映る。

一瞬、もう一つ、重なったように見えた。

燈が足を止める。

「……あ?何だ」

低い声。

恒一は即答しない。
代わりに、路地の奥を見た。

風が、また吹いた。
紙屑が一枚、足元を転がる。

ただそれだけ。

「……気のせいか」

燈が、そう言って歩き出す。

恒一も、何も言わずに続いた。

だが、足音は揃えない。
半歩遅らせる。

影が、また重なる。

今度は、はっきりと。

恒一の背筋に、冷たいものが走った。

(……まだだ)

そう判断する。

ここではない。
今じゃない。

路地の出口が、見えた。

昼の光が、細く差し込んでいる。

一歩、外に出れば、人の気配が戻る。

その直前で、恒一は無意識に拳を握っていた。

――

路地の出口は、もう目の前だった。

昼の光が、コンクリートの隙間に細く落ちている。
湿った影の向こうに、人の気配が戻ってくる。

あと数歩。

そのはずだった。

「――っ」

音は、遅れて届いた。

金属が擦れる、短い音。
乾いた破裂音が、それに続く。

銃声。

理解するより先に、恒一の身体が動いていた。

「兄貴、伏せろ!」

声と同時に踏み出す。
肩を掴み、引き倒すように距離を詰める。

次の瞬間、弾が壁を叩いた。
コンクリートが弾け、破片が飛ぶ。

燈は反射的に身を引いたが、完全には間に合わない。
恒一の腕が、肩を強く引いた。

二人の影が、路地の脇へ崩れ込む。

「……っ、何だ!?」

燈の声は荒れている。
だが、混乱はない。

二発目。

近い。

恒一は燈を壁に押しつける形で覆った。
身体の向き、角度、距離。
思考より先に、配置が決まる。

「動くな、兄貴」

低い声。
命令ではなく、共有。

「んなでけぇ身体で被られたら動けねぇよ、」

燈の減らず口も、ここ半年で慣れたひとつ。

路地の奥で足音が走る。
一人じゃない。少なくとも二人。

影が、動く。

恒一は燈の背を押し、位置をずらした。
撃たれた壁の死角。

燈の呼吸が、すぐ近くにある。
荒いが、逃げようとはしていない。

「……クソが、撃ってきやがったな」

燈の声は、低く抑えられている。

「回収した物の元締めだと思う」

恒一は短く答える。

三発目は来ない。
代わりに、足音が速くなる。

ここで撃ち返すには、路地が狭すぎる。
燈を巻き込む可能性が高い。

判断しかけた、その瞬間。

「右」

燈の声。

一言。

恒一は即座に理解した。
段ボールの影。ほんの一瞬の死角。

「行け、恒一」

言葉より先に、燈が低く踏み出す。
いつからか名前を自然に呼ばれるようになった。

恒一がその背中を追う読み通り、男が飛び出してきた。

刹那、迷わず踏み込む。
肘で顎に一発、重い衝撃を与える。

男が崩れ落ちるのを視界の端で捉えた。

もう一人が動く。

刃物。
鈍い光。

燈が舌打ちする。

「……チッ」

踏み込もうとするのを、恒一が腕で制した。

「兄貴、俺が行く」

年下の即断を燈は一瞬睨みつける。
だが恒一は引かなかった。

燈と背中合わせになり間合いを読んだ。

刃が振り下ろされる。

恒一はそれを避け、懐に入った。
息がかかる距離で遠慮なく拳を叩き込む。

男が呻いて倒れると、静寂が急に戻った。

路地に残ったのは、荒い呼吸と崩れた影だけ。

恒一はすぐに周囲を確認する。
追撃はない。

「……終わりだ」

そう言ってから、燈を見る。

燈は無傷だった。
服も乱れていない。

だが、目だけが少し見開かれている。

「……クソ、」

何か言いかけて、燈は口を閉じた。

恒一が燈の肩から手を離したその時。

脇腹に、遅れて熱が走った。
次いで、はっきりとした痛みが身体を割く感覚。

「……っは、」

短く息を詰める。

燈がその異変に気づく。

「おい」

視線が、恒一の腹に落ちる。
黒いジャケットに、濃い色が滲んでいた。

どっちの弾が肉を抉ったのか、考えもしなかった。
ただ、燈を守ろうと身体が動いた結果だった。

「……バカが」

低く吐き捨てる声。
怒りと、恐怖が混じっている。

燈は一歩詰めた。

「撃たれながら前に出るな、死にてぇのか」

「…兄貴が、無事なら問題ない」

恒一は淡々と答える。それは、本音だった。

それに応えるように燈の拳が握り直されると、それはためらいなく恒一の腹に叩き込まれた。

「……ぐっ!」

鈍い衝撃。

怒りのままの一発。
境界に踏み止まらせるための、殴打だった。

「調子乗んな!」

燈の声が震える。

(お前が死んだら、)

恒一の視界の端が、わずかに滲んだ。

血が引いていく感覚。
足元が、遠い。

(……まずい)

そう思ったときには、もう遅かった。

膝が折れる。

「おい、」

燈の声が、少し遅れて届く。

恒一は壁に手をつこうとして失敗し、そのまま崩れ落ちた。

ポケットから、何かが滑り落ちる。

白いハンカチ。
血だまりに落ちて、じわりと赤が滲む。

燈は反射的にそれを拾い上げた。

「……お前、これ、」

濡れた布握ると、そこに挟まっていたものがあらわになった。

淡い色の、桜の花びら。

一瞬、時間が止まる。

「……は?」

燈の喉から、間の抜けた声が落ちた。

それは、見覚えがあった。

自分の部屋。
恒一のポケットから落ちて、畳に張り付いていた、あの花びら。

「……お前、」

呟きは、怒りにならなかった。

意味が分からない。
だが、胸の奥がざわつく。

燈はハンカチを握りしめたまま、倒れた恒一を見る。

顔色が悪い。
呼吸は浅いが、続いている。

「……クソ」

舌打ちして、肩を掴む。

「死ぬな。こんなとこで」

返事はない。
ただ、血と桜が混じった布が、燈の手の中にあった。
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