甘い恋をいただきます。

沢渡奈々子

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27話

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「どういうことですか? 婚約者って何!?」
 職員室まで迎えに来る――一番恐れていたことを、忘れた頃にあっさりとされてしまい、すっかり面食らってしまった。挙句の果てに、園長や教員たちの前で婚約者を名乗るなんて無謀にも程がある。廊下を並んで歩きながら、花菜実は小声で幸希を責める。
 けれど彼はそんなとがめなどどこ吹く風で。
「説得力の問題だ。ただの友人だとか彼氏程度だと怪しまれて中に入れてもらえない可能性があるし。婚約者なら結婚する相手の職場環境を把握しておきたい、と言ってもそれほど違和感はないだろう? 何なら花菜実も僕の職場を見に来るといい」
「そんな自殺行為、誰がすると思います!?」
 声を荒らげるが、周囲に聞こえないようボリュームは抑える。
 ともかく、来てしまったものは仕方がない。園長たちの手前、無下にするわけにもいかず、とりあえずは教室へと連れて行くことにした。
「へぇ……ここが花菜実の職場か……」
 物珍しそうに、辺りを見回す幸希。
「幸希さんは有名幼稚園に通ってらしたんですか?」
「幼稚園は家の近所の普通のところに行っていたよ。小学校から大学までは一貫校に通っていたけれど」
 彼ならきっと、お受験必至の名門幼稚園に通っていたのだろうと、花菜実は思ったのだが。返って来た答えは意外なものだった。
「あぁ、うちの兄と同じ大学ですよね。あそこは幼稚園はないですもんね。でも小学校も入るの大変だと聞きますよ」
 花菜実の兄の尚弥は公立高校からその大学に入ったのだが、入学した当時から幸希は学内で超有名人だったと、先日帰省した時に聞いた。その尚弥も入学して瞬時に有名人へと上り詰めたらしいが。
「……あ、ここが私が担任をしてるひまわりぐみです」
 花菜実が教室に入ると、幸希が後に続く。
「可愛らしいな」
 後方の掲示板には、色紙で作られたひまわりや動物が貼られている。その隙間を埋めるように、誕生月ごとに園児の名前が書かれた用紙も掲示されていた。他の壁面にも様々な形に切り抜かれた色紙がカラフルに配置されている。それはすべて担任の花菜実が作ったものだ。
「幼稚園ですからね。……すみません幸希さん、後ほんの少しで終わるんで、お仕事続けてもいいですか?」
 机の上にあるバースデーブックを指差す。
「かまわないよ。むしろ仕事をする花菜実が見たい」
 そんな風に言われてしまうと、ペンを持つ手が緊張で震えそうになってしまう。とはいえ、あと一人分だけメッセージを書けば終わりだ。集中し、その子の顔を思い浮かべながら丁寧に書き込んでいく。
 教室内に静寂しじまが横たわる。幸希は視界に入らないところに立っているようだ。近くにいるのにまったく気にならないのは、花菜実に気配を感じさせないよう、気遣ってくれているからだろうか。
 数分ほどしてすべてが終わり、ほぅ、と息をつく。振り返ると、幸希が記入済みのバースデーブックを手に取り、読みふけっていた。
「あっ、何見てるんですか! 恥ずかしいんでやめてください!」
 両手を振って慌てる花菜実の声など意に介さず、幸希は、ふ、と笑う。
「どうして笑うんですか!」
「いや、花菜実らしいメッセージだと思って。可愛くて、温かみがある。園児と一緒に写ってる花菜実も可愛い。僕にも一冊ほしいくらいだ」
 園児の写真が貼られているページを指差し、幸希がさらに笑みを深くする。花菜実は頬を膨らませ、
「そしたらメッセージには幸希さんへの文句ばかり書いちゃいますよ? いきなり園に来ないでよー、とか」
 意地悪く言い放った。
「それでもいいよ」
 花菜実がすることなら何でも嬉しい――そんな眼差しで、幸希が穏やかに言葉を紡ぐ。
「もう……」
 何を言っても暖簾に腕押しな気がして。花菜実は肩をすくめ、もう何も言い返すことなく、バースデーブックなどすべてを片づける。
「仕事はもう終わり?」
「えぇ一応。職員会議も終わってますし」
「あぁ、だから職員室にあまり人が残ってなかったのか」
 職員室にはもう三、四人ほどしか教員が残っていなかった。延長保育の教室には二名の補助教員がいて、預かった子供たちの面倒を見ているが。
「でもこれからおゆうぎ会の準備が始まるんで、残業増えちゃいますけど」
「おゆうぎ会……花菜実のクラスは何をやるんだ?」
「一寸法師をやることになりました。来週には配役も決めます」
 おゆうぎ会の時期になると、脚本、配役、衣装・小道具作成、そして練習など、やることがとにかく多くなる。衣装は園に保管してあるものをカスタマイズして使用しているが、小道具は一から作るものがほとんどなので、かなり大変だ。
「主役をやりたい子が多そうで大変だな」
「そう思うでしょう? ところがそうでもないんです」
 幸希の言葉に、ニッと笑う花菜実。
「? どういうことだ?」
「実は主役よりも悪役や脇役の方が意外と人気あったりするんですよ? 特に男の子とかは、鬼がかっこいい~って、桃太郎とか一寸法師ではじゃんけんになるほどなんですよ」
 花菜実の先輩が以前、担当のクラスで「浦島太郎」をやることになり、配役を決める際、タイやヒラメ、カメなどの動物に希望者が殺到したそうだ。逆に浦島太郎や子供たちには一人も立候補者がおらず、先輩教員は、
『人間やりたい子、いないの~!?』
 と、嘆いていたらしい。
「へぇ……最近の子供は面白いな」
 幸希が感心したように呟いた。
「でしょう? 子供は面白いです……それに可愛いですし」
「花菜実は子供が好きなのか?」
「というより、むしろ子供が私を好きですよ? 昔からほんとに子供には懐かれましたし」
 盆暮れに親戚で集まった時など、花菜実はよく小さな子供に囲まれていた。尚弥や千里は、子供たちには少々近寄りがたい存在だったが、童顔の花菜実は親しみやすかったのだろう。遊んでとせがまれることが多かった。幼稚園でも、休み時間ごとに子供に囲まれている。
「友達だと思われてないか? それ」
「ひど! それって、私が幼いって言いたいんですか?」
「あははは、冗談だよ」
 ふくれっ面をする花菜実を見て、幸希は楽しそうに目を細めた。
「もう……幸希さんこそ、お仕事の方大丈夫なんですか? こうして私のことなんか迎えに来たりして。ちゃんとお仕事してます?」
「僕はもう何年もほとんど有給なんて取ったことなかったんだ。今こうして月に二、三度フレックスを使ったところで、誰にも文句なんか言われない。それにそのためにちゃんと仕事は調整してる」
 幸希はずっと仕事の虫で、家庭の事情や体調不良以外で有給休暇を消化したことなど、ほぼなかったらしい。花菜実と過ごすようになってからフレックス退社をすることが少し増え、周囲は驚いているそうだ。
 職員室へ戻ると、残っている教員が好奇心でいっぱいの視線を否応なくぶつけてくるから、居心地が悪くて仕方がない。
「花菜実先生、まだ残ってたの?」
「はぁ……」
「早く帰りなよ! 婚約者さん、待たせちゃだめよ!」
 先輩教師がニヤニヤしながら花菜実を突いてきた。
「いえ、あの……」
「水科さん、今日は楽しいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。部外者からの差し入れなどは本来は辞退させていただいているのですが、ご婚約されたばかりでおめでたいことに水を差すのも野暮ですので、今回だけはいただきます。ごちそうさまでした。それから花菜実先生、本格的に日取りなどが決まったらお知らせしてくださいね」
 園長がニッコリと笑って花菜実の肩に手を置いた。
「いや、だからあの……」
「もちろんです。披露宴にはご招待させていただきますので」
 園長の笑顔に、満面の愛想笑いを返す幸希。
「ちょっ、何言っ……」
「それでは、失礼いたします。副園長先生にもよろしくお伝えください。……花菜実、昇降口で待ってるから」
 幸希が会釈をして職員室を後にした。
「ほら、花菜実先生も早く支度してお帰りなさい」
 園長に促され、花菜実は苦笑いをしながらロッカーにエプロンをしまい、荷物を抱えて「お、お先に失礼します……」と小声で挨拶をし、きびすを返した。
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