9 / 14
番じゃなかった
しおりを挟む
「あははははー、変な声出しちゃって。何、デート? 俺はねぇ、デート。今彼女が化粧直しに行ってるんだ。女のトイレって長くてめんどくさいよね~?」
先日のことなどとっくの昔に忘れましたが何か? という顔で、小野塚が立っていた。
「……っ」
蒼は思わず後ずさって身構えるが、小野塚はケラケラと笑い、
「もうあんなことしないから安心して。正直、薬飲んでる子とやってもあまり気持ちよくないんだもん」
と、さりげなく蒼の匂いをくん、と嗅ぎながら小声で言った。その後「薬飲んでないオメガっことやるのが最っ高に気持ちいいんだよ? 知ってる?」などと、満面の笑顔で言い放つ。
「は、はぁ……」
(この人、マジで危ねぇ……)
蒼は本能でそう感じた。
「それに、君に手を出したら凛に怒られるしぃ。凛の家ってうちの本家筋だからおいたすると怒られちゃうんだよ」
「本家筋……ですか」
【本家】などという言葉を聞くと、家柄だとか格だとかそういう高尚な単語を思い出してしまう。やっぱり鳴海の家は由緒正しい名家なのだろうか、と蒼は思った。
「ところでオメガちゃん?」
「オメガちゃんじゃないです、俺には末永蒼、って名前がありますから」
蒼の頭をいいこいいこしながら、小野塚が尋ねる。何度手で払っても撫でられるので、終いには諦めて好きにさせておいた。
「んじゃ蒼ちゃん。蒼ちゃんは凛の運命の番なの?」
思わずドキリとした。今まで何度も鳴海が自分を運命の番だと女の子たちに言ってはきたが、他人からその質問をされたのは初めてだったからだ。何と言っていいのか迷ったが、小野塚は男であると同時に鳴海の親戚なので嘘をつく必要もないと思い、
「ち、違います。ただの友達、です」
と、本当のことを言った。
「だよねぇ、凛にはもう番いるし」
頷きながらの小野塚の言葉に、蒼の動きが止まった。心臓が嫌な感じで速い鼓動を刻み始めた。
「そ、そうなんですか?」
目を泳がせながら答える。手の平には脂汗がじっとりと浮かび始めた。小野塚の前で平静を装うので精一杯だ。
「だよ。去年の夏に出会った年上のオメガの女の子。ツーショの写メ見せてもらったけどめっちゃ可愛い。凛にはもったいない子だった。どうせなら俺の番にしたかったくらい。前々から番がいたのに、最近になって学校で噂が流れたりして、変だなぁなんて思ってたんだけどねぇ」
「へぇ~」
(……そっか、鳴海にはもう番の子がいるから俺のフェロモンに反応しなかったんだ)
先日病院からもらった本に書いてあったのを思い出した。
【オメガと番になったアルファは、他のオメガのフェロモンには反応しなくなる】
「何だ、そっか……」と、蒼は呟く。その時、
「恵斗! おまえこんなとこで何やってるんだ。また末永に変なことをしてたんじゃないだろうな?」
眉を吊り上げた鳴海が慌てたように近づいてきて、蒼を守るように二人の間に割り込んだ。
「ただお話ししてただけだよ~。ね、蒼ちゃん」
「うん……」
即座に答えるも、ぎこちなくなってしまう蒼。
「もしヒートの時に我慢出来なくなったら、俺のこといつでも呼んでくれていいからね、蒼ちゃん」
小野塚は鳴海をさっとかわしてから蒼の耳元で小声で呟き、電話番号を走り書きしたレシートを彼の手に握らせた。
「末永、大丈夫? 何もされなかった?」
小野塚が去った後、鳴海が末永の無事を確認するように目線を合わせた。
「だ、大丈夫だよ。ほんとに話してただけだから! ありがとう、気にしてくれて」
その時蒼は鳴海の目を見ることが出来なかった。
気がついたら、自宅の自分の部屋にいた。あの後、鳴海と一緒にどこへ行き、どんなことを話したのか、何一つ覚えていなかった。
『凛にはもう番いるし』
『去年の夏に出会った年上のオメガの女の子』
小野塚から聞かされた言葉が、耳にこびりついて離れない。何度も何度も頭の中で繰り返されている。そしてしばらく経ってから、
(どうして俺、こんなにショックを受けているんだろう……)
自分の気持ちの状況に対し、ようやく疑問を投げかけることが出来た。
(友達に番がいたところで、別にいいよな)
実際、凪から今の彼女と既に番になっている、と聞かされた時も「すげぇな、もう結婚相手がいるのかぁ」くらいにしか思わなかったし、それを凪が自分にもちゃんと報告してくれたことが嬉しいと思った。
(そうだよ『鳴海、おまえ、もう番がいるんだってな、すげぇな! おめでと!』って言えばいいのに)
けれど、ほぼ同じ内容なのに相手が鳴海となると、どうしてこんなにも自分の心に重くのしかかるのか。
校医の榊から、自分がオメガであると聞かされ、更に運命の番が側にいる可能性を示唆された時、真っ先に思い浮かんだのは、紛うことなき鳴海の姿だった。
病院からもらった本を読んでいた夜、自分は頭の中で何を思っていただろうか。
『運命の番、鳴海かも……知れない』
何度も頭に浮かべては、その度に打ち消していた。
そんなはずないのに、叶うはずもないのに、心の片隅でそう願っていた。
今考えると、こんなに滑稽なことはない。
やっと気づいた。
「そっかぁ……俺、鳴海のことが好きになってたんだな……」
気づいた時にはもう遅かった――いや、遅かったわけではない。そもそも、スタート地点にすら立てなかったのだから。
自分の馬鹿さ加減に、蒼の両の目から雫が滴り落ちた。
「……い、蒼!」
登校中、充が呼んでいるのに気づいたのは、名前を呼ばれて五回目の頃だったらしい。イライラし始めた充に、蒼は目を瞬かせた。
「あ、ごめん……何? 充」
「おまえ、どしたの?」
「何でもない」
明らかに前日とテンションが違うので、充が訝しみ、蒼を問い詰めようとしている。
「どう考えても何かあったとしか思えないんだけど。……俺にも言えないこと?」
蒼の顔を覗き込み、何かを聞き出そうとしている充だが、蒼は見るからに痛々しげな笑顔を作り、
「いいなぁ、と思ってた子にフラれたんだよ。傷を抉るな」
さらりとそう言った。
(嘘はついてない……よ、な)
「ふーん……おまえ、今までフラれてもここまで落ち込むことなんてなかったのにな?」
「ぐっ……」
(充が相変わらず鋭すぎて怖ぇ……)
「――ところで蒼、昨日ケーキビュッフェ行ったんだろ? どうだった?」
「……え? あ? うん、超美味しかった! もう一回行きたい! 今度一緒に行く?」
「俺、彼女と行く予定だからパス」
「あーっそ。仲がよくていいな!」
学校へ着いてもどこかぼんやりとしてしまい、凪にも涼真にも心配されてしまった。遠くの席から、鳴海が時々こちらを見ていたことにも気づいていたのだが、とてもではないが彼の顔を見ることが出来なかった。
(もう、俺なんかが鳴海を誘ったりしない方がいい……よ、な)
自分が友人としてではなく恋愛感情で見られていると知ったら、おそらく鳴海はもう蒼をあんな笑顔では見てくれなくなるだろう。そんな蔑まれた目で見られるくらいなら、自分から離れてしまった方がマシだと思った。そもそも鳴海とは大したつきあいではなく、ここ何ヶ月かの時間の一部を分け合っただけの仲だ。離れたところでさほど変には思われないだろう。
少し前の生活に戻るだけだ。鳴海と友達になる前の自分に――ただ、ほんの少しの心の痛みと、オメガとなった自分の身体だけは、なかったことにすることは出来ないけれど。
それから蒼はひたすら前を向いて過ごした。充と凪と涼真と、それからクラスの友達たちと賑やかな毎日を送った。
鳴海とは必要以上に接触しなかった。当たり障りのない会話のみし、週末にどこかへ誘ったりなどもちろんしなかった。逆に鳴海が何度か誘いのメールをくれたが、何だかんだと理由をつけて断っている。
【もしかして、俺のこと避けてる?】
こんな文面が送られてきたが、
【違うよ。最近ちょっと忙しいから。ごめん、また今度誘って】
と返した。
蒼はぷつり、と携帯電話の電源を落とし、机の上に乱暴に放り投げた。その後に自分自身をベッドの上に乱暴に放り投げた。
「は……」
目の奥が痛くて鼻の奥がツンとしてくる。こみ上げてくるものを押さえるように、蒼は腕で目を覆った。
番の噂が少し落ち着いた頃から、鳴海はまた以前のように女子に囲まれ始めた。曰く【遠くの番より近くの女子】作戦なんだとか。同じ学校に番がいない美形アルファはこういう事態になることがままあるそうだ。
(いくら好きになっても無駄なのにな……一生懸命になっても、所詮は番には勝てないんだ)
蒼はあれからアルファとオメガの関係性について書かれた書物をいくつか読んだ。いろんな見解が記されていたのだが、どれにも共通して書かれていたのは、
【運命の番と結ばれたアルファが他のオメガ、若しくはベータに心を奪われる可能性はほぼゼロである】
ということだ。
蒼はほぅ、と息をついた。その時、頭を軽い刺激が襲った。充が蒼にげんこつを乗せていたのだ。
「蒼、おまえ何、物欲しそうに見てるんだよ」
「な、何でもないよ」
ふるふるとかぶりを振る蒼。充は彼がそれまで見つめていた方向に目をやり、
「前と逆だな」
と、肩をすくめて言った。
「何が?」
「少し前は、鳴海が今の蒼みたいな目をしておまえを見てることが多かったよな」
「そう……だったっけ?」
「最近、鳴海と出かけたりしてないのか?」
「う、うん。ちょっとね」
「ケンカでもしたか」
「そんなわけあるかよ。ケンカするほど仲なんてよくないし」
自分で言って悲しくなった。そう、自分は鳴海についてほとんど知らないのだ。充とはつきあいも長い分、いろんなことを知っているのに。
蒼は窓の外に顔を向ける。空にはうろこ雲が浮かんでおり、それを囲む水色は抜けるようにきれいだ。蒼はそれを眺めながら、
「充……想像妊娠、って知ってる?」
充に尋ねた。
「お、まえ……いきなりエグい話題出すな。一応、ざっくりとは知ってるけどさ」
充が眉をひそめるのを尻目に、蒼はぽつりぽつりと語る。
「アクオメガの中にはさ、運命の番が現れなくても覚醒しちゃう人もいるんだってさ。この間本で読んだんだけど」
番のフェロモン等に誘発されなくともオメガ覚醒するパターンとしては、オメガ因子異常反応が挙げられる。オメガ因子が【運命の番と出会った】と思い込んでしまい、勝手に呼応してしまう状態を言う。つまりは、想像妊娠と同じ原理なわけである。但し、想像妊娠は実際には妊娠していない状態を指すのに対し、この場合は実際にオメガ覚醒してしまうことを言う。
アクオメガである人物が、人を好きになった時にごくごくまれに引き起こされる異常反応なのである。
「俺、異常だったのかな……別に好きな女の子なんていなかったのにな」
目の焦点を合わせないまま、蒼が呟いた。
「馬鹿、おまえが異常なわけあるか」
渋い表情をした充がぼそりと返す。蒼は瞳を潤ませて俯き、充の袖口を握った。
「なぁ充……俺、どうしてオメガになっちゃったんだろう……」
鳴海と友達になったあの日から、四ヶ月が経とうとしていた。
先日のことなどとっくの昔に忘れましたが何か? という顔で、小野塚が立っていた。
「……っ」
蒼は思わず後ずさって身構えるが、小野塚はケラケラと笑い、
「もうあんなことしないから安心して。正直、薬飲んでる子とやってもあまり気持ちよくないんだもん」
と、さりげなく蒼の匂いをくん、と嗅ぎながら小声で言った。その後「薬飲んでないオメガっことやるのが最っ高に気持ちいいんだよ? 知ってる?」などと、満面の笑顔で言い放つ。
「は、はぁ……」
(この人、マジで危ねぇ……)
蒼は本能でそう感じた。
「それに、君に手を出したら凛に怒られるしぃ。凛の家ってうちの本家筋だからおいたすると怒られちゃうんだよ」
「本家筋……ですか」
【本家】などという言葉を聞くと、家柄だとか格だとかそういう高尚な単語を思い出してしまう。やっぱり鳴海の家は由緒正しい名家なのだろうか、と蒼は思った。
「ところでオメガちゃん?」
「オメガちゃんじゃないです、俺には末永蒼、って名前がありますから」
蒼の頭をいいこいいこしながら、小野塚が尋ねる。何度手で払っても撫でられるので、終いには諦めて好きにさせておいた。
「んじゃ蒼ちゃん。蒼ちゃんは凛の運命の番なの?」
思わずドキリとした。今まで何度も鳴海が自分を運命の番だと女の子たちに言ってはきたが、他人からその質問をされたのは初めてだったからだ。何と言っていいのか迷ったが、小野塚は男であると同時に鳴海の親戚なので嘘をつく必要もないと思い、
「ち、違います。ただの友達、です」
と、本当のことを言った。
「だよねぇ、凛にはもう番いるし」
頷きながらの小野塚の言葉に、蒼の動きが止まった。心臓が嫌な感じで速い鼓動を刻み始めた。
「そ、そうなんですか?」
目を泳がせながら答える。手の平には脂汗がじっとりと浮かび始めた。小野塚の前で平静を装うので精一杯だ。
「だよ。去年の夏に出会った年上のオメガの女の子。ツーショの写メ見せてもらったけどめっちゃ可愛い。凛にはもったいない子だった。どうせなら俺の番にしたかったくらい。前々から番がいたのに、最近になって学校で噂が流れたりして、変だなぁなんて思ってたんだけどねぇ」
「へぇ~」
(……そっか、鳴海にはもう番の子がいるから俺のフェロモンに反応しなかったんだ)
先日病院からもらった本に書いてあったのを思い出した。
【オメガと番になったアルファは、他のオメガのフェロモンには反応しなくなる】
「何だ、そっか……」と、蒼は呟く。その時、
「恵斗! おまえこんなとこで何やってるんだ。また末永に変なことをしてたんじゃないだろうな?」
眉を吊り上げた鳴海が慌てたように近づいてきて、蒼を守るように二人の間に割り込んだ。
「ただお話ししてただけだよ~。ね、蒼ちゃん」
「うん……」
即座に答えるも、ぎこちなくなってしまう蒼。
「もしヒートの時に我慢出来なくなったら、俺のこといつでも呼んでくれていいからね、蒼ちゃん」
小野塚は鳴海をさっとかわしてから蒼の耳元で小声で呟き、電話番号を走り書きしたレシートを彼の手に握らせた。
「末永、大丈夫? 何もされなかった?」
小野塚が去った後、鳴海が末永の無事を確認するように目線を合わせた。
「だ、大丈夫だよ。ほんとに話してただけだから! ありがとう、気にしてくれて」
その時蒼は鳴海の目を見ることが出来なかった。
気がついたら、自宅の自分の部屋にいた。あの後、鳴海と一緒にどこへ行き、どんなことを話したのか、何一つ覚えていなかった。
『凛にはもう番いるし』
『去年の夏に出会った年上のオメガの女の子』
小野塚から聞かされた言葉が、耳にこびりついて離れない。何度も何度も頭の中で繰り返されている。そしてしばらく経ってから、
(どうして俺、こんなにショックを受けているんだろう……)
自分の気持ちの状況に対し、ようやく疑問を投げかけることが出来た。
(友達に番がいたところで、別にいいよな)
実際、凪から今の彼女と既に番になっている、と聞かされた時も「すげぇな、もう結婚相手がいるのかぁ」くらいにしか思わなかったし、それを凪が自分にもちゃんと報告してくれたことが嬉しいと思った。
(そうだよ『鳴海、おまえ、もう番がいるんだってな、すげぇな! おめでと!』って言えばいいのに)
けれど、ほぼ同じ内容なのに相手が鳴海となると、どうしてこんなにも自分の心に重くのしかかるのか。
校医の榊から、自分がオメガであると聞かされ、更に運命の番が側にいる可能性を示唆された時、真っ先に思い浮かんだのは、紛うことなき鳴海の姿だった。
病院からもらった本を読んでいた夜、自分は頭の中で何を思っていただろうか。
『運命の番、鳴海かも……知れない』
何度も頭に浮かべては、その度に打ち消していた。
そんなはずないのに、叶うはずもないのに、心の片隅でそう願っていた。
今考えると、こんなに滑稽なことはない。
やっと気づいた。
「そっかぁ……俺、鳴海のことが好きになってたんだな……」
気づいた時にはもう遅かった――いや、遅かったわけではない。そもそも、スタート地点にすら立てなかったのだから。
自分の馬鹿さ加減に、蒼の両の目から雫が滴り落ちた。
「……い、蒼!」
登校中、充が呼んでいるのに気づいたのは、名前を呼ばれて五回目の頃だったらしい。イライラし始めた充に、蒼は目を瞬かせた。
「あ、ごめん……何? 充」
「おまえ、どしたの?」
「何でもない」
明らかに前日とテンションが違うので、充が訝しみ、蒼を問い詰めようとしている。
「どう考えても何かあったとしか思えないんだけど。……俺にも言えないこと?」
蒼の顔を覗き込み、何かを聞き出そうとしている充だが、蒼は見るからに痛々しげな笑顔を作り、
「いいなぁ、と思ってた子にフラれたんだよ。傷を抉るな」
さらりとそう言った。
(嘘はついてない……よ、な)
「ふーん……おまえ、今までフラれてもここまで落ち込むことなんてなかったのにな?」
「ぐっ……」
(充が相変わらず鋭すぎて怖ぇ……)
「――ところで蒼、昨日ケーキビュッフェ行ったんだろ? どうだった?」
「……え? あ? うん、超美味しかった! もう一回行きたい! 今度一緒に行く?」
「俺、彼女と行く予定だからパス」
「あーっそ。仲がよくていいな!」
学校へ着いてもどこかぼんやりとしてしまい、凪にも涼真にも心配されてしまった。遠くの席から、鳴海が時々こちらを見ていたことにも気づいていたのだが、とてもではないが彼の顔を見ることが出来なかった。
(もう、俺なんかが鳴海を誘ったりしない方がいい……よ、な)
自分が友人としてではなく恋愛感情で見られていると知ったら、おそらく鳴海はもう蒼をあんな笑顔では見てくれなくなるだろう。そんな蔑まれた目で見られるくらいなら、自分から離れてしまった方がマシだと思った。そもそも鳴海とは大したつきあいではなく、ここ何ヶ月かの時間の一部を分け合っただけの仲だ。離れたところでさほど変には思われないだろう。
少し前の生活に戻るだけだ。鳴海と友達になる前の自分に――ただ、ほんの少しの心の痛みと、オメガとなった自分の身体だけは、なかったことにすることは出来ないけれど。
それから蒼はひたすら前を向いて過ごした。充と凪と涼真と、それからクラスの友達たちと賑やかな毎日を送った。
鳴海とは必要以上に接触しなかった。当たり障りのない会話のみし、週末にどこかへ誘ったりなどもちろんしなかった。逆に鳴海が何度か誘いのメールをくれたが、何だかんだと理由をつけて断っている。
【もしかして、俺のこと避けてる?】
こんな文面が送られてきたが、
【違うよ。最近ちょっと忙しいから。ごめん、また今度誘って】
と返した。
蒼はぷつり、と携帯電話の電源を落とし、机の上に乱暴に放り投げた。その後に自分自身をベッドの上に乱暴に放り投げた。
「は……」
目の奥が痛くて鼻の奥がツンとしてくる。こみ上げてくるものを押さえるように、蒼は腕で目を覆った。
番の噂が少し落ち着いた頃から、鳴海はまた以前のように女子に囲まれ始めた。曰く【遠くの番より近くの女子】作戦なんだとか。同じ学校に番がいない美形アルファはこういう事態になることがままあるそうだ。
(いくら好きになっても無駄なのにな……一生懸命になっても、所詮は番には勝てないんだ)
蒼はあれからアルファとオメガの関係性について書かれた書物をいくつか読んだ。いろんな見解が記されていたのだが、どれにも共通して書かれていたのは、
【運命の番と結ばれたアルファが他のオメガ、若しくはベータに心を奪われる可能性はほぼゼロである】
ということだ。
蒼はほぅ、と息をついた。その時、頭を軽い刺激が襲った。充が蒼にげんこつを乗せていたのだ。
「蒼、おまえ何、物欲しそうに見てるんだよ」
「な、何でもないよ」
ふるふるとかぶりを振る蒼。充は彼がそれまで見つめていた方向に目をやり、
「前と逆だな」
と、肩をすくめて言った。
「何が?」
「少し前は、鳴海が今の蒼みたいな目をしておまえを見てることが多かったよな」
「そう……だったっけ?」
「最近、鳴海と出かけたりしてないのか?」
「う、うん。ちょっとね」
「ケンカでもしたか」
「そんなわけあるかよ。ケンカするほど仲なんてよくないし」
自分で言って悲しくなった。そう、自分は鳴海についてほとんど知らないのだ。充とはつきあいも長い分、いろんなことを知っているのに。
蒼は窓の外に顔を向ける。空にはうろこ雲が浮かんでおり、それを囲む水色は抜けるようにきれいだ。蒼はそれを眺めながら、
「充……想像妊娠、って知ってる?」
充に尋ねた。
「お、まえ……いきなりエグい話題出すな。一応、ざっくりとは知ってるけどさ」
充が眉をひそめるのを尻目に、蒼はぽつりぽつりと語る。
「アクオメガの中にはさ、運命の番が現れなくても覚醒しちゃう人もいるんだってさ。この間本で読んだんだけど」
番のフェロモン等に誘発されなくともオメガ覚醒するパターンとしては、オメガ因子異常反応が挙げられる。オメガ因子が【運命の番と出会った】と思い込んでしまい、勝手に呼応してしまう状態を言う。つまりは、想像妊娠と同じ原理なわけである。但し、想像妊娠は実際には妊娠していない状態を指すのに対し、この場合は実際にオメガ覚醒してしまうことを言う。
アクオメガである人物が、人を好きになった時にごくごくまれに引き起こされる異常反応なのである。
「俺、異常だったのかな……別に好きな女の子なんていなかったのにな」
目の焦点を合わせないまま、蒼が呟いた。
「馬鹿、おまえが異常なわけあるか」
渋い表情をした充がぼそりと返す。蒼は瞳を潤ませて俯き、充の袖口を握った。
「なぁ充……俺、どうしてオメガになっちゃったんだろう……」
鳴海と友達になったあの日から、四ヶ月が経とうとしていた。
41
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
オメガの香り
みこと
BL
高校の同級生だったベータの樹里とアルファ慎一郎は友人として過ごしていた。
ところがある日、樹里の体に異変が起きて…。
オメガバースです。
ある事件がきっかけで離れ離れになってしまった二人がもう一度出会い、結ばれるまでの話です。
大きなハプニングはありません。
短編です。
視点は章によって樹里と慎一郎とで変わりますが、読めば分かると思いますで記載しません。
アルファだけど愛されたい
屑籠
BL
ベータの家系に生まれた突然変異のアルファ、天川 陸。
彼は、疲れていた。何もかもに。
そんな時、社の視察に来ていた上流階級のアルファに見つかったことで、彼の生活は一変する。
だが……。
*甘々とか溺愛とか、偏愛とか書いてみたいなぁと思って見切り発車で書いてます。
*不定期更新です。なるべく、12月までメインで更新していきたいなとは思っていますが、ムーンライトノベルさんにも書きかけを残していますし、イスティアもアドラギも在りますので、毎日は出来ません。
完結まで投稿できました。
アルファのアイツが勃起不全だって言ったの誰だよ!?
モト
BL
中学の頃から一緒のアルファが勃起不全だと噂が流れた。おいおい。それって本当かよ。あんな完璧なアルファが勃起不全とかありえねぇって。
平凡モブのオメガが油断して美味しくいただかれる話。ラブコメ。
ムーンライトノベルズにも掲載しております。
オメガ転生。
桜
BL
残業三昧でヘトヘトになりながらの帰宅途中。乗り合わせたバスがまさかのトンネル内の火災事故に遭ってしまう。
そして…………
気がつけば、男児の姿に…
双子の妹は、まさかの悪役令嬢?それって一家破滅フラグだよね!
破滅回避の奮闘劇の幕開けだ!!
【完結】僕の匂いだけがわかるイケメン美食家αにおいしく頂かれてしまいそうです
grotta
BL
【嗅覚を失った美食家α×親に勝手に婚約者を決められたΩのすれ違いグルメオメガバース】
会社員の夕希はブログを書きながら美食コラムニストを目指すスイーツ男子。αが嫌いで、Ωなのを隠しβのフリをして生きてきた。
最近グルメ仲間に恋人ができてしまい一人寂しくホテルでケーキを食べていると、憧れの美食評論家鷲尾隼一と出会う。彼は超美形な上にα嫌いの夕希でもつい心が揺れてしまうほどいい香りのフェロモンを漂わせていた。
夕希は彼が現在嗅覚を失っていること、それなのになぜか夕希の匂いだけがわかることを聞かされる。そして隼一は自分の代わりに夕希に食レポのゴーストライターをしてほしいと依頼してきた。
協力すれば美味しいものを食べさせてくれると言う隼一。しかも出版関係者に紹介しても良いと言われて舞い上がった夕希は彼の依頼を受ける。
そんな中、母からアルファ男性の見合い写真が送られてきて気分は急降下。
見合い=28歳の誕生日までというタイムリミットがある状況で夕希は隼一のゴーストライターを務める。
一緒に過ごしているうちにαにしては優しく誠実な隼一に心を開いていく夕希。そして隼一の家でヒートを起こしてしまい、体の関係を結んでしまう。見合いを控えているため隼一と決別しようと思う夕希に対し、逆に猛烈に甘くなる隼一。
しかしあるきっかけから隼一には最初からΩと寝る目的があったと知ってしまい――?
【受】早瀬夕希(27歳)…βと偽るΩ、コラムニストを目指すスイーツ男子。α嫌いなのに母親にαとの見合いを決められている。
【攻】鷲尾準一(32歳)…黒髪美形α、クールで辛口な美食評論家兼コラムニスト。現在嗅覚異常に悩まされている。
※東京のデートスポットでスパダリに美味しいもの食べさせてもらっていちゃつく話です♡
※第10回BL小説大賞に参加しています
忘れられない君の香
秋月真鳥
BL
バルテル侯爵家の後継者アレクシスは、オメガなのに成人男性の平均身長より頭一つ大きくて筋骨隆々としてごつくて厳つくてでかい。
両親は政略結婚で、アレクシスは愛というものを信じていない。
母が亡くなり、父が借金を作って出奔した後、アレクシスは借金を返すために大金持ちのハインケス子爵家の三男、ヴォルフラムと契約結婚をする。
アレクシスには十一年前に一度だけ出会った初恋の少女がいたのだが、ヴォルフラムは初恋の少女と同じ香りを漂わせていて、契約、政略結婚なのにアレクシスに誠実に優しくしてくる。
最初は頑なだったアレクシスもヴォルフラムの優しさに心溶かされて……。
政略結婚から始まるオメガバース。
受けがでかくてごついです!
※ムーンライトノベルズ様、エブリスタ様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる