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余談 虜囚と幼児(附記 六博について)
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今作において、荀罃と荘王の遊戯をご覧に入れたが、もちろんこれはフィクションである。
紀元前597年における邲の戦いで捕縛された記述から紀元前588年に帰国するまで、荀罃の記事は史書にない。そんな荀罃の最も有名な逸話が、この帰国寸前、紀元前588年における楚共王との対話である。
荘王の息子、諱は審。諡号共王。ここでは共王で進める。お察し、今作に出てきた『太子』と呼ばれた幼児である。即位時は13才だったとも言われる。どちらにせよ、15才に満たなかったであろう。
この少年王は帰国が決まった荀罃を呼び出して問うた。
「我を怨んでますか?」
荀罃を虜囚にしたのは父の荘王である。共王は無関係、と現代なら思うであろう。が、共王は楚という国と一体化した存在である。楚を怨んでいるのであれば、共王を怨んでいるに等しい。さて。荀罃は考え込むことなく返した。
「戦争は国と国で行われたことです。私は無能で務め果たせず、生け捕りとなりましたが、楚の皆様は私を殺して血を太鼓にぬるということもなさらず、本国に戻して我が君の罰を受けさせて下さる。それもみな、あなたさまの恩恵というものです。私こそ愚人。誰を怨むことございましょうか」
共王は驚いたであろう。物心つくころからいた、虜囚の晋人である。きっと怨みを長く燻らせていたに違いないと、密かに怖れていたのかもしれない。
「そ。それならば我に恩を感じますか?」
少年の声にはわずかな期待が入っていた。9年の滞在のなかでこの晋人は楚に親しんだのかもしれぬ。が、荀罃にそのような媚びめいた態度はない。
「晋楚双方がそれぞれが国の都合を思い、民を安んじようと願い、怒りを抑え許しあうという立場により、両国ともに捕虜を放免して友誼を結ぼうとしているのです。友誼は国家間のこと、私ひとりのことではございません。従って、誰にも恩に着ることはありませぬ」
荀罃の態度は、かたくなではなかった。柔らかく、どこか諭すような声音でもあった。友誼は国家間。荀罃は個人だから関係無く、恩はないという。しかし、共王の恩恵を嘉していた。共王は、荀罃に親しんでいたところがあったのかもしれない。ゆえに
「帰ってから、我にどのように報いてくれますか」
と、言ってしまった。恩に着ることはないとしても、荀罃が五体満足なのも、晋の申し出を受け捕虜交換に応じたのも、共王が荘王の意志を受け継いだ上で、穏便さを好んだからである。少年は、青年期が終わりかけている男をじっと見た。男――荀罃は、気負い無く口を開く。
「私は誰にも、あなたさまにも怨み無く、あなたさまもまた私に恩をほどこされたわけでもございません。たがいに怨なく恩なければ、ご挨拶することもないでしょう」
挨拶という優しい言葉に変えても、報うことなし何もしない、と言い切ったことに変わらない。
「そうであろうが……。本来そのとおりであろうが、あなたの心の裡を知りたい」
共王がこう言うには、荀罃が建前を言っていると感じる何かがあったのか、それとも少年の願望であったろうか。荀罃は柔和な光を目に浮かべて言葉を紡ぎ出した。
「この捕らわれた男はあなたさまの威霊にて故国に戻されます。帰国し、我が君により罰され処されれば思い残すことございません、死しても私の名は朽ちず残ることでしょう。もし、仮に我が君があなたさまの恩恵にあやかり罪を許し、我が父である首に我が身を下げ渡され、父により廟の前で処され祖に捧げられても本望というもの。やはり私の名は朽ちずに残ることでしょう。もし、この一命を助けられ父を継がなければならず、貧弱な軍を率いる身となり、たとえ楚の方々と相まみえても逃げ隠れせず容赦無く力の限り戦い、二心なく我が君に忠節を捧げます。これが、あなたさまへのご挨拶でございます」
そう言葉を終えると、荀罃はしずしずと拝礼した。
この時、この場にいるのは王と虜囚ではなく、少年と教育者だったのかもしれない。共王は、荀罃の苛烈ともいえる言葉を全身で聞いて咀嚼した。忠と孝の道を語り、そして真の誠実さを語ったのである。虜囚だったから、解き放って貰ったから忖度するようなものは報いるとは言わぬ。節度を持って、戦うときは戦い、和するときは和するべし。もし、共王や楚人が荀罃の情を頼ってすり寄れば、叩き斬るという言葉でもあるし、恥を知るというのはこういうものだ、という話でもある。
真の忠臣は君主の前で命乞いせず罪を認め罰を受け入れる。
孝というものは親、祖に対してどこまでも尽くすべし。それを為してこそ己も親となる。
目先の情に目が眩み忖度するは誠実ではない。理を以て当たるべし。
当時の価値観、理想像のひとつである。共王は、荀罃が建前や単なる理想論を吐いているのでなく、本気で実行するつもりなのだと理解した。
「晋は、まだまだ敵にまわす国じゃあない」
共王はうっすら笑った後、良き言葉でした、と荀罃に言った。彼は王であるため、虜囚に拝礼などできぬ。しかし、叶うことならぬかずき、良い訓戒でした、と礼を言いたかったであろう。
以上、荀罃と共王の唯一の会話を小説とした。共王はこの言葉に感化されたかどうかわからぬが、臣下思いの名君となる。むろん、父の名を越えたとは言わないが、楚人に愛された記述が残っている。
共王との会話、その後の人間関係から、やはり荀罃は教育者として良い質を持っていたのではないだろうか。
たとえば、趙武の成人式の言葉で『趙盾のように忠義ある人になりなさい』という言葉を贈っている。趙盾は晋の土台を作った宰相の一人であるが、霊公弑殺の主犯とされている。が、荀罃は君主殺しではなく、君主をなんども諫め続けた部分を評価したのであろう。
彼は人の短所や失敗よりも長所を見る人だったのかもしれない。
趙武だけでなく、士匄や荀偃、欒黶、を彼らが壮年になっても辛抱強くさとし、導く姿が見うけられる。正直、趙武はともかく他三人に関しては、お疲れ様ですとしか言いようが無いのであるが、晋の正卿として7年間、頼りない後輩達を率い、紀元前560年に死去した。楚に捕縛されたのを仮に21才だとすれば、享年は58才。
さて。この話の中心にある博――もしくは六博の話を最後にしておく。ただの蘊蓄である。
以下、清水康二氏の『東アジア盤上遊戯史研究』内『六博の変遷と地域性』等を参考に記す。また、この資料は少々古いため、日本ウィキペディア、百度百科、フランス版ウィキペディア等欧州圏のプロジェクト跡地も参照にした。ウィキペディアや百度百科は精査されていない情報の記述が多いため情報として不確かなのだが、ゆっくり調べる余裕無く、不甲斐ないかぎりである。
中国戦国時代から漢代にかけて遊ばれたとされるこの盤上ゲームは、戦国策(戦国期の逸話を集めた本)にも記述があり、身近で遊ばれていたようである。この盤と同じ構図・文様が、銅鏡の文様になっている。日本で模倣して作られた銅鏡は簡略化されすぎて消えてしまったが、漢代の銅鏡は、中心に四角があり、四方に文様があった。これが後にいわゆる四神、青龍、朱雀、白虎、玄武の意匠と変わっていったらしい。この盤が占いから生じたというのは、まあ世界各国の盤上ゲームと同じく間違い無いであろう。
盤のことを『博局』といい、これはかなりの種類が出土している。正方形の他、長方形もあり、中の文様も単純なものから複雑なものがある。真ん中に四角の『方』つまり太極がないのもある。ランダムで出た出目にあわせて駒を動かしていくゲームであるため様々な亜種、サプリメントが作られたようである。そのため、ブラッシュアップしないままローカルルールが膨れあがっていったのではないだろうか。
発掘された最も古い博局でも戦国期中期らしい。ただ、この時に未完成のものというわけではないので、それ以前から存在はしていたであろう。また、博局の形や分布から楚が発祥の可能性があるらしい。作内では便宜上、春秋時代でも珍しくない遊戯として出した。占いから発展したとはいえ、遊戯となれば賭けをし、罰酒も呑んでいたようだ。
このゲームを説明したとされている木簡が出土しているが、一から説明したというよりは、いわゆる棋譜に近いらしく、現代ではどのように読み取ってどのようなゲームであったかを断言できないとされている。マスを駒が動くことはわかるため、双六か戦術ゲームかで、まず論が割れているらしいが、このあたりは割愛する。答えが出ないからである。
日本の研究者及びウィキペディアはこのゲームのルールについて言及を避けている。分からなければ断言しないスタイルは歴史研究としては正しい。
中国版というべき、百度百科やそれに準じた動画は、駒の動かしかたと共に、占い方法を記載していた。博易占と呼ばれるそれは、止まった駒と対応表を見比べて、運勢を占う。6話で荘王が荀罃に話しかけていたそれである。こればかりは、14面体ダイス振って出た目で占った。なかなか面白い結果で話に絡めやすく筆者は大変助かった。
欧州圏は卓ゲー友達にお願いして翻訳してもらった。こちらはゲームのルールを説明していたためこの説をとることにした。いくつかの説(双六型、戦術型)を見た中で、これが一番ゲームとして整合性がとれていたためである。むろん、発掘されたものや文献とそぐわない部分があるため、歴史的に正しいとは思わない。
ほぼ、この欧州圏版に合わせて話は進めている。
ただひとつ、以下のルールはとらなかった。
勝利条件に『魚が梟を捕ったら勝ち』というものがある。いわば逆転のようなものであろう。2体の魚駒が梟駒を捕るようなのだが、具体的にどうしたら取れるかがわからなかった。そのため、この勝利条件は無かったことにしている。
今回は以下のとおりにした。
改めてルール
・マスを進む順番は決まっており反時計回り。
・手番にサイコロは2回振る。駒(魚)はそれぞれの出目で2つ動かす。
・相手の魚駒があるところと同じマスに止まったら、駒は取られる。
・中心にある『方』という四角い囲いのマスにとまれば駒は梟となる。『方』にあるマスは4つ※この4つは連続マスではない。
・梟に成ったときはもう一度サイコロを振れる。
・梟が相手の魚駒に止まったら、魚を狩れる。また、魚駒が梟のいるマスに止まったらやはり狩られる。
・梟を動かすときのみ、2つの出目を足してよい。
・梟は一度通ったマスを使えない。
・魚は『角』という特殊なマスでワープ移動できる。角と角で移動先は相互で決まっており、任意のマスではない。ドラクエ3の旅の扉みたいなもの※複数存在している。
・マスは全部で60。60マス全てをひとつでも駒が通り、超過したらゲームは引き上げ、ドロー、勝負無しとなる。また1から開始。その際、取っていた駒は全て相手に返す。
・梟が相手の梟のマスに入ると狩られる。
・狩られた梟は魚に戻り手元返る。その駒は振り出しから始める。
・梟が狩られ駒が手元に戻った時に1回ダイスを振る。
・梟が狩られ駒が手元に戻ったとき、魚に狩られた自分の駒を返してもらう。梟に狩られた魚の駒は返されない。
勝利条件
・相手の駒を全て取る。
・梟駒1つ、魚駒5つが場に出ている。
欧州圏版はだいたいこのような感じで、勝利条件に『魚駒2つによる梟狩り』が加わる。
ただ、この場合であると、共に発掘されている『算』という点数棒をどう使ったのか、という疑問が残る。また、盤に丸い駒(碁石のようなものか)を配置していた可能性があり、これこそが魚で、捕ることによるボーナスがあったのではないか、という説も見受けられた。
まあ、ボドゲといえば等欧州圏ですので、この六博について、卓ゲー研究者さんたちか色々想定し、さらに追求して下さっているようです。助かった、本当に助かりましたありがとう。
これをブラッシュアップしたゲームがアメリカのサイトでダウンロードできるそうです。今度遊んでみます。
紀元前597年における邲の戦いで捕縛された記述から紀元前588年に帰国するまで、荀罃の記事は史書にない。そんな荀罃の最も有名な逸話が、この帰国寸前、紀元前588年における楚共王との対話である。
荘王の息子、諱は審。諡号共王。ここでは共王で進める。お察し、今作に出てきた『太子』と呼ばれた幼児である。即位時は13才だったとも言われる。どちらにせよ、15才に満たなかったであろう。
この少年王は帰国が決まった荀罃を呼び出して問うた。
「我を怨んでますか?」
荀罃を虜囚にしたのは父の荘王である。共王は無関係、と現代なら思うであろう。が、共王は楚という国と一体化した存在である。楚を怨んでいるのであれば、共王を怨んでいるに等しい。さて。荀罃は考え込むことなく返した。
「戦争は国と国で行われたことです。私は無能で務め果たせず、生け捕りとなりましたが、楚の皆様は私を殺して血を太鼓にぬるということもなさらず、本国に戻して我が君の罰を受けさせて下さる。それもみな、あなたさまの恩恵というものです。私こそ愚人。誰を怨むことございましょうか」
共王は驚いたであろう。物心つくころからいた、虜囚の晋人である。きっと怨みを長く燻らせていたに違いないと、密かに怖れていたのかもしれない。
「そ。それならば我に恩を感じますか?」
少年の声にはわずかな期待が入っていた。9年の滞在のなかでこの晋人は楚に親しんだのかもしれぬ。が、荀罃にそのような媚びめいた態度はない。
「晋楚双方がそれぞれが国の都合を思い、民を安んじようと願い、怒りを抑え許しあうという立場により、両国ともに捕虜を放免して友誼を結ぼうとしているのです。友誼は国家間のこと、私ひとりのことではございません。従って、誰にも恩に着ることはありませぬ」
荀罃の態度は、かたくなではなかった。柔らかく、どこか諭すような声音でもあった。友誼は国家間。荀罃は個人だから関係無く、恩はないという。しかし、共王の恩恵を嘉していた。共王は、荀罃に親しんでいたところがあったのかもしれない。ゆえに
「帰ってから、我にどのように報いてくれますか」
と、言ってしまった。恩に着ることはないとしても、荀罃が五体満足なのも、晋の申し出を受け捕虜交換に応じたのも、共王が荘王の意志を受け継いだ上で、穏便さを好んだからである。少年は、青年期が終わりかけている男をじっと見た。男――荀罃は、気負い無く口を開く。
「私は誰にも、あなたさまにも怨み無く、あなたさまもまた私に恩をほどこされたわけでもございません。たがいに怨なく恩なければ、ご挨拶することもないでしょう」
挨拶という優しい言葉に変えても、報うことなし何もしない、と言い切ったことに変わらない。
「そうであろうが……。本来そのとおりであろうが、あなたの心の裡を知りたい」
共王がこう言うには、荀罃が建前を言っていると感じる何かがあったのか、それとも少年の願望であったろうか。荀罃は柔和な光を目に浮かべて言葉を紡ぎ出した。
「この捕らわれた男はあなたさまの威霊にて故国に戻されます。帰国し、我が君により罰され処されれば思い残すことございません、死しても私の名は朽ちず残ることでしょう。もし、仮に我が君があなたさまの恩恵にあやかり罪を許し、我が父である首に我が身を下げ渡され、父により廟の前で処され祖に捧げられても本望というもの。やはり私の名は朽ちずに残ることでしょう。もし、この一命を助けられ父を継がなければならず、貧弱な軍を率いる身となり、たとえ楚の方々と相まみえても逃げ隠れせず容赦無く力の限り戦い、二心なく我が君に忠節を捧げます。これが、あなたさまへのご挨拶でございます」
そう言葉を終えると、荀罃はしずしずと拝礼した。
この時、この場にいるのは王と虜囚ではなく、少年と教育者だったのかもしれない。共王は、荀罃の苛烈ともいえる言葉を全身で聞いて咀嚼した。忠と孝の道を語り、そして真の誠実さを語ったのである。虜囚だったから、解き放って貰ったから忖度するようなものは報いるとは言わぬ。節度を持って、戦うときは戦い、和するときは和するべし。もし、共王や楚人が荀罃の情を頼ってすり寄れば、叩き斬るという言葉でもあるし、恥を知るというのはこういうものだ、という話でもある。
真の忠臣は君主の前で命乞いせず罪を認め罰を受け入れる。
孝というものは親、祖に対してどこまでも尽くすべし。それを為してこそ己も親となる。
目先の情に目が眩み忖度するは誠実ではない。理を以て当たるべし。
当時の価値観、理想像のひとつである。共王は、荀罃が建前や単なる理想論を吐いているのでなく、本気で実行するつもりなのだと理解した。
「晋は、まだまだ敵にまわす国じゃあない」
共王はうっすら笑った後、良き言葉でした、と荀罃に言った。彼は王であるため、虜囚に拝礼などできぬ。しかし、叶うことならぬかずき、良い訓戒でした、と礼を言いたかったであろう。
以上、荀罃と共王の唯一の会話を小説とした。共王はこの言葉に感化されたかどうかわからぬが、臣下思いの名君となる。むろん、父の名を越えたとは言わないが、楚人に愛された記述が残っている。
共王との会話、その後の人間関係から、やはり荀罃は教育者として良い質を持っていたのではないだろうか。
たとえば、趙武の成人式の言葉で『趙盾のように忠義ある人になりなさい』という言葉を贈っている。趙盾は晋の土台を作った宰相の一人であるが、霊公弑殺の主犯とされている。が、荀罃は君主殺しではなく、君主をなんども諫め続けた部分を評価したのであろう。
彼は人の短所や失敗よりも長所を見る人だったのかもしれない。
趙武だけでなく、士匄や荀偃、欒黶、を彼らが壮年になっても辛抱強くさとし、導く姿が見うけられる。正直、趙武はともかく他三人に関しては、お疲れ様ですとしか言いようが無いのであるが、晋の正卿として7年間、頼りない後輩達を率い、紀元前560年に死去した。楚に捕縛されたのを仮に21才だとすれば、享年は58才。
さて。この話の中心にある博――もしくは六博の話を最後にしておく。ただの蘊蓄である。
以下、清水康二氏の『東アジア盤上遊戯史研究』内『六博の変遷と地域性』等を参考に記す。また、この資料は少々古いため、日本ウィキペディア、百度百科、フランス版ウィキペディア等欧州圏のプロジェクト跡地も参照にした。ウィキペディアや百度百科は精査されていない情報の記述が多いため情報として不確かなのだが、ゆっくり調べる余裕無く、不甲斐ないかぎりである。
中国戦国時代から漢代にかけて遊ばれたとされるこの盤上ゲームは、戦国策(戦国期の逸話を集めた本)にも記述があり、身近で遊ばれていたようである。この盤と同じ構図・文様が、銅鏡の文様になっている。日本で模倣して作られた銅鏡は簡略化されすぎて消えてしまったが、漢代の銅鏡は、中心に四角があり、四方に文様があった。これが後にいわゆる四神、青龍、朱雀、白虎、玄武の意匠と変わっていったらしい。この盤が占いから生じたというのは、まあ世界各国の盤上ゲームと同じく間違い無いであろう。
盤のことを『博局』といい、これはかなりの種類が出土している。正方形の他、長方形もあり、中の文様も単純なものから複雑なものがある。真ん中に四角の『方』つまり太極がないのもある。ランダムで出た出目にあわせて駒を動かしていくゲームであるため様々な亜種、サプリメントが作られたようである。そのため、ブラッシュアップしないままローカルルールが膨れあがっていったのではないだろうか。
発掘された最も古い博局でも戦国期中期らしい。ただ、この時に未完成のものというわけではないので、それ以前から存在はしていたであろう。また、博局の形や分布から楚が発祥の可能性があるらしい。作内では便宜上、春秋時代でも珍しくない遊戯として出した。占いから発展したとはいえ、遊戯となれば賭けをし、罰酒も呑んでいたようだ。
このゲームを説明したとされている木簡が出土しているが、一から説明したというよりは、いわゆる棋譜に近いらしく、現代ではどのように読み取ってどのようなゲームであったかを断言できないとされている。マスを駒が動くことはわかるため、双六か戦術ゲームかで、まず論が割れているらしいが、このあたりは割愛する。答えが出ないからである。
日本の研究者及びウィキペディアはこのゲームのルールについて言及を避けている。分からなければ断言しないスタイルは歴史研究としては正しい。
中国版というべき、百度百科やそれに準じた動画は、駒の動かしかたと共に、占い方法を記載していた。博易占と呼ばれるそれは、止まった駒と対応表を見比べて、運勢を占う。6話で荘王が荀罃に話しかけていたそれである。こればかりは、14面体ダイス振って出た目で占った。なかなか面白い結果で話に絡めやすく筆者は大変助かった。
欧州圏は卓ゲー友達にお願いして翻訳してもらった。こちらはゲームのルールを説明していたためこの説をとることにした。いくつかの説(双六型、戦術型)を見た中で、これが一番ゲームとして整合性がとれていたためである。むろん、発掘されたものや文献とそぐわない部分があるため、歴史的に正しいとは思わない。
ほぼ、この欧州圏版に合わせて話は進めている。
ただひとつ、以下のルールはとらなかった。
勝利条件に『魚が梟を捕ったら勝ち』というものがある。いわば逆転のようなものであろう。2体の魚駒が梟駒を捕るようなのだが、具体的にどうしたら取れるかがわからなかった。そのため、この勝利条件は無かったことにしている。
今回は以下のとおりにした。
改めてルール
・マスを進む順番は決まっており反時計回り。
・手番にサイコロは2回振る。駒(魚)はそれぞれの出目で2つ動かす。
・相手の魚駒があるところと同じマスに止まったら、駒は取られる。
・中心にある『方』という四角い囲いのマスにとまれば駒は梟となる。『方』にあるマスは4つ※この4つは連続マスではない。
・梟に成ったときはもう一度サイコロを振れる。
・梟が相手の魚駒に止まったら、魚を狩れる。また、魚駒が梟のいるマスに止まったらやはり狩られる。
・梟を動かすときのみ、2つの出目を足してよい。
・梟は一度通ったマスを使えない。
・魚は『角』という特殊なマスでワープ移動できる。角と角で移動先は相互で決まっており、任意のマスではない。ドラクエ3の旅の扉みたいなもの※複数存在している。
・マスは全部で60。60マス全てをひとつでも駒が通り、超過したらゲームは引き上げ、ドロー、勝負無しとなる。また1から開始。その際、取っていた駒は全て相手に返す。
・梟が相手の梟のマスに入ると狩られる。
・狩られた梟は魚に戻り手元返る。その駒は振り出しから始める。
・梟が狩られ駒が手元に戻った時に1回ダイスを振る。
・梟が狩られ駒が手元に戻ったとき、魚に狩られた自分の駒を返してもらう。梟に狩られた魚の駒は返されない。
勝利条件
・相手の駒を全て取る。
・梟駒1つ、魚駒5つが場に出ている。
欧州圏版はだいたいこのような感じで、勝利条件に『魚駒2つによる梟狩り』が加わる。
ただ、この場合であると、共に発掘されている『算』という点数棒をどう使ったのか、という疑問が残る。また、盤に丸い駒(碁石のようなものか)を配置していた可能性があり、これこそが魚で、捕ることによるボーナスがあったのではないか、という説も見受けられた。
まあ、ボドゲといえば等欧州圏ですので、この六博について、卓ゲー研究者さんたちか色々想定し、さらに追求して下さっているようです。助かった、本当に助かりましたありがとう。
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古代中国の雰囲気が伝わってきて、大変読みごたえがあります。ジックリ読ませてもらいますね。
ありがとうございます!楽しんでいただければ嬉しいです。良いお時間になれば幸いです