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誰にも渡したくない
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士匄が自業自得にも己の体を持て余し、慰めていたころ、趙武は何をして何を思っていたか。
彼は、士匄の苛立ちを思いため息をついていた。趙武だって、自分が頑なで理不尽なことくらいわかっている。今、あふれる想いを恋だとしていまえば、何も考えずに士匄との逢瀬を楽しめるのだ。
自分は、士匄とどうなりたいのであろう。
士匄をどうしたいか、というのは明白であった。
「あの方は自儘で、友人も多いし……かっこよくて頭も良い切れ者ですが、口が回りすぎて墓穴も掘られる脇の甘さ。放っておけない」
趙武は馬車に揺られながらひとりごちる。
「皆さま、范叔がおかわいいことを知らないから、平気に接しておられる。知られる前に隠さないと。閉じ込めてしまいたいんですが。人は容易く失われますもの」
一人の人間に固執したのは生涯二度目である。一度目は育ての親であった。父の親友であり貴族として軽輩であったあの人は、趙武の成人を見届けて自殺した。それもあり、趙武は努めて特別な人間を作りたくない。特に年上などもってのほかであったが、世の中理屈通りにはいかないようだ。
「范叔を、私だけのものにしたいのは、恋でしょうか。ただの浅ましいわがままでしょうか。そもそも恋ってなんでしょう。身体を繋げていいのが恋にも見えますけど、それはなんだか嫌です。そんなものにこだわらなくてもいいじゃないですか、私が全部面倒見ます。私だけの范叔になってほしい……」
これが、恋だと言うのであれば、寒々しく乾いた荒野が広がっていることとなる。何もかも貪り食いきってしまいたいこの気持ちをきっと母も持っていたのであろう。士匄が何を言おうと、この強い想いを恋としてしまいたくなかった。それでは何か、と問われれば口ごもるしかないのであるが。
冷たい寒気も、暖かな敷布が和らげ、馬車の中は比較的暖かい。兎の毛皮は手勢のものが穫ってきた。共に狩りに出た趙武はたいして戦果がなかった。この細い体は、あらごとに全く役に立たない。ただ、差配は素晴らしいですよ、と家宰に慰められたのが救いていどである。全体を見て指示することができるのだ、軍も率いることができます、とも言われた。
士匄であれば、全体の差配も自己の技量も完璧であろう。弓矢にて敵を屠る姿は、きっと絵になる。あの男らしい士匄を組み敷いてユルユルの顔と体を知っているのはこの己だ、と思い至り、趙武は暗くうっとりとした笑みを浮かべた。
馬車が止まり、目的地についた旨を告げられた。趙武は緩む頬を叩き、
「しっかりなさい。私は氏族の長なのだから」
と強く言い聞かせた。父は早世するわ、親戚には放り出されるわ、父の友情のよすがで離され育てられるわ、あげくに親戚一同が母の不貞に横槍を入れて返す刀で趙氏が滅亡しかけるわ、趙武の周囲は惨憺なありさまである。が、運良く趙武はあとを継いだ。ただ、若すぎるため別の氏族が後見人となって世話をしてくれている。その、真面目で誠実な後見人に定期的に報告し、家のことなど相談しているのであった。
後見人は真面目な堅物であるが、冷たくはない。世慣れぬ趙武の相談を頭ごなしに決めつけることもなく、いつも丁寧に話を聞いてくれている。いくつかの領地の件について聞いたあと、
――この人なら恋についてきちんと伺えるのでは
と、趙武は気づいた。はっきり言って、気づかねば良いことであったが、気づいてしまった。
以前、この後見人の息子に問うたが、士匄に遮られた。その後、息子に再度問うたが
「私は答える立場ではない」
とよくわからない返しで、話を切られた。この息子は、士匄と趙武の関係に気づいたわけではない。単によく知っている友人の下ネタを聞きたくないだけであった。男性には珍しい、性マウントに興味がないタイプである。
が、趙武はそういった機微がわかっていない。そこはどうも幼い。
ゆえに、素直にするすると、全てを暴露し
「私は范叔がかわいくて、誰にも渡したくないし、心が欲しいのです。私の想いも伝えたいのですが、これが恋なのか浅ましい欲でしかないのか、他のなんなのか、若輩非才の身にてわかりかねております。ご教示願います」
と親のような年の後見人に伏して問うた。後見人は、節度と理性を総動員し、表情を変えなかった。余人であれば叫びだしていたであろうから、この後見人は本当にできた大人であったろう。
「……趙孟。汝は相手に欲することがある。そして、相手も汝に欲することあろう。それは己の感情そのままで、まあ、若者にはよくある」
後見人は士匄の名をわざと言わなかった。目の前の嫋やかで美しい少女めいた青年が、あの我が強く雄くさい男を組み倒しているとか、あまり考えたくないのである。
「私も世をあまり知らぬ、恋に身を浸す余裕のない人生を送ってきた。ただ、己が欲しいだけをぶつけ合う人間関係は終わりが良くない。趙孟の欲ではなく、相手のために何かできないか、を考え、それが相手の幸せにつながることであれば……そしてそこに己の喜びがあれば、良い関係を築けるだろう」
「えっと……范叔はそれは出来のよろしい方ですが、スキも多い方。私は何かできればと考え、我が領地で今から余生を過ごしていただきたいと思っておりますが、そういったことですね?」
趙武の我欲にまみれた善意を後見人は思い切り否定した。それはやめろと言い、それは汝がやりたいことだとも釘を差した。趙武は違いがわからなかったが、先達が言うのだからとむりやり納得することにした。
「とりあえず……距離が離れて寂しいのであれば、汝から近づけば良い。もう雪解けも近く、野に花も咲き始めている。散策でもして、少しずつ歩み寄ってはいかがか」
後見人の素朴なデートプランに、趙武は素直に頷いた。士匄がその場にいれば、訓戒めいた助言から始まる一連の会話に、なんてつまらない男どもだ、と顔を引きつらせたであろう。もちろん、後見人は相談したことを黙っているよう念押しした。この青年が、恋を秘め事と思っていないことに気づいたためである。
恋が秘められた己だけの気持ちであるのなら、開けっぴろげに吹聴する趙武は、確かにいまだ恋をしていないとも言えた。
翌日、趙武はなぜか顔をそらす士匄に怯みながらも、捕まえ
「野に遊びへ行きませんか」
と誘った。士匄がなぜ切れ散らかして怒ったのかも知らぬ。ひそかに傷ついたがそれを掘り出して言い募るも男らしくない気がして、ただ、目的だけを伝える。
士匄は。趙武がすがって謝ってこいと思っていた士匄は、手を振り払わなかった。共に帰ろうと連れていた欒黶を、当然のように追い払う。
「そういえば。お前から誘ってきたのは初めてであったな。まあ、民の遊びだが、悪くない、いいだろう」
と、少し照れくさそうに頷いた。
彼は、士匄の苛立ちを思いため息をついていた。趙武だって、自分が頑なで理不尽なことくらいわかっている。今、あふれる想いを恋だとしていまえば、何も考えずに士匄との逢瀬を楽しめるのだ。
自分は、士匄とどうなりたいのであろう。
士匄をどうしたいか、というのは明白であった。
「あの方は自儘で、友人も多いし……かっこよくて頭も良い切れ者ですが、口が回りすぎて墓穴も掘られる脇の甘さ。放っておけない」
趙武は馬車に揺られながらひとりごちる。
「皆さま、范叔がおかわいいことを知らないから、平気に接しておられる。知られる前に隠さないと。閉じ込めてしまいたいんですが。人は容易く失われますもの」
一人の人間に固執したのは生涯二度目である。一度目は育ての親であった。父の親友であり貴族として軽輩であったあの人は、趙武の成人を見届けて自殺した。それもあり、趙武は努めて特別な人間を作りたくない。特に年上などもってのほかであったが、世の中理屈通りにはいかないようだ。
「范叔を、私だけのものにしたいのは、恋でしょうか。ただの浅ましいわがままでしょうか。そもそも恋ってなんでしょう。身体を繋げていいのが恋にも見えますけど、それはなんだか嫌です。そんなものにこだわらなくてもいいじゃないですか、私が全部面倒見ます。私だけの范叔になってほしい……」
これが、恋だと言うのであれば、寒々しく乾いた荒野が広がっていることとなる。何もかも貪り食いきってしまいたいこの気持ちをきっと母も持っていたのであろう。士匄が何を言おうと、この強い想いを恋としてしまいたくなかった。それでは何か、と問われれば口ごもるしかないのであるが。
冷たい寒気も、暖かな敷布が和らげ、馬車の中は比較的暖かい。兎の毛皮は手勢のものが穫ってきた。共に狩りに出た趙武はたいして戦果がなかった。この細い体は、あらごとに全く役に立たない。ただ、差配は素晴らしいですよ、と家宰に慰められたのが救いていどである。全体を見て指示することができるのだ、軍も率いることができます、とも言われた。
士匄であれば、全体の差配も自己の技量も完璧であろう。弓矢にて敵を屠る姿は、きっと絵になる。あの男らしい士匄を組み敷いてユルユルの顔と体を知っているのはこの己だ、と思い至り、趙武は暗くうっとりとした笑みを浮かべた。
馬車が止まり、目的地についた旨を告げられた。趙武は緩む頬を叩き、
「しっかりなさい。私は氏族の長なのだから」
と強く言い聞かせた。父は早世するわ、親戚には放り出されるわ、父の友情のよすがで離され育てられるわ、あげくに親戚一同が母の不貞に横槍を入れて返す刀で趙氏が滅亡しかけるわ、趙武の周囲は惨憺なありさまである。が、運良く趙武はあとを継いだ。ただ、若すぎるため別の氏族が後見人となって世話をしてくれている。その、真面目で誠実な後見人に定期的に報告し、家のことなど相談しているのであった。
後見人は真面目な堅物であるが、冷たくはない。世慣れぬ趙武の相談を頭ごなしに決めつけることもなく、いつも丁寧に話を聞いてくれている。いくつかの領地の件について聞いたあと、
――この人なら恋についてきちんと伺えるのでは
と、趙武は気づいた。はっきり言って、気づかねば良いことであったが、気づいてしまった。
以前、この後見人の息子に問うたが、士匄に遮られた。その後、息子に再度問うたが
「私は答える立場ではない」
とよくわからない返しで、話を切られた。この息子は、士匄と趙武の関係に気づいたわけではない。単によく知っている友人の下ネタを聞きたくないだけであった。男性には珍しい、性マウントに興味がないタイプである。
が、趙武はそういった機微がわかっていない。そこはどうも幼い。
ゆえに、素直にするすると、全てを暴露し
「私は范叔がかわいくて、誰にも渡したくないし、心が欲しいのです。私の想いも伝えたいのですが、これが恋なのか浅ましい欲でしかないのか、他のなんなのか、若輩非才の身にてわかりかねております。ご教示願います」
と親のような年の後見人に伏して問うた。後見人は、節度と理性を総動員し、表情を変えなかった。余人であれば叫びだしていたであろうから、この後見人は本当にできた大人であったろう。
「……趙孟。汝は相手に欲することがある。そして、相手も汝に欲することあろう。それは己の感情そのままで、まあ、若者にはよくある」
後見人は士匄の名をわざと言わなかった。目の前の嫋やかで美しい少女めいた青年が、あの我が強く雄くさい男を組み倒しているとか、あまり考えたくないのである。
「私も世をあまり知らぬ、恋に身を浸す余裕のない人生を送ってきた。ただ、己が欲しいだけをぶつけ合う人間関係は終わりが良くない。趙孟の欲ではなく、相手のために何かできないか、を考え、それが相手の幸せにつながることであれば……そしてそこに己の喜びがあれば、良い関係を築けるだろう」
「えっと……范叔はそれは出来のよろしい方ですが、スキも多い方。私は何かできればと考え、我が領地で今から余生を過ごしていただきたいと思っておりますが、そういったことですね?」
趙武の我欲にまみれた善意を後見人は思い切り否定した。それはやめろと言い、それは汝がやりたいことだとも釘を差した。趙武は違いがわからなかったが、先達が言うのだからとむりやり納得することにした。
「とりあえず……距離が離れて寂しいのであれば、汝から近づけば良い。もう雪解けも近く、野に花も咲き始めている。散策でもして、少しずつ歩み寄ってはいかがか」
後見人の素朴なデートプランに、趙武は素直に頷いた。士匄がその場にいれば、訓戒めいた助言から始まる一連の会話に、なんてつまらない男どもだ、と顔を引きつらせたであろう。もちろん、後見人は相談したことを黙っているよう念押しした。この青年が、恋を秘め事と思っていないことに気づいたためである。
恋が秘められた己だけの気持ちであるのなら、開けっぴろげに吹聴する趙武は、確かにいまだ恋をしていないとも言えた。
翌日、趙武はなぜか顔をそらす士匄に怯みながらも、捕まえ
「野に遊びへ行きませんか」
と誘った。士匄がなぜ切れ散らかして怒ったのかも知らぬ。ひそかに傷ついたがそれを掘り出して言い募るも男らしくない気がして、ただ、目的だけを伝える。
士匄は。趙武がすがって謝ってこいと思っていた士匄は、手を振り払わなかった。共に帰ろうと連れていた欒黶を、当然のように追い払う。
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