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恋は秋菊の香り
胡ぞ然く天のごとくなるや。君は天女のように美しいのに、なぜ。
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韓無忌の気持ちを汲んで動いた趙武は何故か女子の惨殺死体を見て、しかもその血と脳みそをひっかぶることとなった。
そんな趙武を慮ることなく、己の都合だけを考える士匄に、気をつかう必要は無い。事態の平和的解決が一番だ。趙武の目は雄弁にそれを語っていた。
「いや本当、やめて。やめろ、ください、やめてください! ご心配おかけしましたゴメンね!」
常に傲岸不遜、人に頭を下げるくらいなら相手の頭を切り落とす。常はそのような態度を隠さない士匄のくせに、平身低頭土下座して趙武に懇願し謝った。
士匄が趙武を教導しているように、かつて士匄は荀罃に教導された。荀罃。いつか出演した、荀氏知家の長男、字を知伯。一見穏やかだが公事に厳しく軍人気質の男である。士匄はハートマン先任軍曹に教育される新兵のごとく、お世話になった。二度とお世話になりたくない。そのくせ士匄はは荀罃に頼ることしばしばである。
荀罃に士匄を預けたのは、節度高く戒め深い厳父の士爕であった。ここまでされて士匄の性根は全く矯正されなかったのであるから、教育の敗北であろう。
趙武は、今まで見たことのない士匄の反応に
「あ、私も先達に言いすぎたような、気がします。あの、何があったのでしょう」
と怯えながら言った。士匄は気を取り直したように頷き、簡潔明瞭に説明した。この男は、人に説明するときに過不足が全く無い。まさに弁が立つの見本である。
「――というわけで、だ。我が君は二日酔いでさぼる口実で、わたしに解決せよと命じられた。が、また一人死んだ。お前も来た。こうなるとおおごとになりかねぬ、じきに我が君も命令を撤回なされるであろう」
最後、士匄はよけいなことを添えて、口を閉じた。
趙武は連絡に来た女官たちのあいまいすぎる言葉に今頃気づき、苦い顔をした。己が自由になりたいがため、韓無忌や趙武を巻き込もうとした、としか聞こえなかった。が、趙武は追求をやめた。本題はそこではないのだ。
「女官をただ殺すだけではなく、惨いめに合わせる。よほど、その女官が憎かったのでしょうか。私が見た彼女も、同じものに殺されたのでしょうか」
士匄も趙武も、呪いのたぐいであることを疑っていない。ただ、君主の住む宮中、最も清浄な場所で人を呪い殺すなどできようか、という問題はある。
「同じかどうかわからぬが。まあ、いまだ君命あり、その狄の女を見るか。趙孟、来い。先達の仕事に倣うも後輩の務めだ」
あの惨殺死体を再び見ろというのか。趙武は顔を引きつらせたが、頷いて拝礼した。先達の教導に素直に従うのは趙武の美徳であった。根性のある彼は、腹をくくって、今回も士匄についていくことを覚悟したのであった。
さて、女官、狄女の死体である。
宮中に死体置き場もなければ、不浄のものを屋内にいれるわけにもいかぬ。もっこにくるまれて、庭の端に放置されていた。衛女がさっさと運びだされたことを考えれば少々不自然であった。
それを問わば、
「指示がございませぬで」
と案内を命じられた寺人が言う。士匄は適当に頷くと、もっこを力任せに開いた。両端の粗末な縄が土の上で一度、跳ねる。
頭を割られた、無惨な女であった。
手足も引き裂かれながらも繋がっているのが逆に惨たらしかった。趙武は思わず目を背ける。庭の枝にちらほらと鳥が止まっていた。常なら微笑ましく見る風景であったが、この死体を狙っているのではないか、と思えば怖気が走る。
士匄といえば、女の傷を検分するように見たあと、首にかかった飾りを指で引っ張った。血に汚れた首飾りを、持っていた布でぬぐう。
「見ろ、趙孟。文字だ」
士匄の言葉に、趙武が嫌悪感を飲み込みながら、首飾りを見た。
「……『洛酉、庚辰』ですか」
趙武は眉をひそめた。士匄の隣に死んでいた女官は『洛甲乙亥』であった。違う文字でも、法則性はあっている。
「趙孟。この女は狄のものと言っていたな。洛、すなわち周都より『酉』。つまり西だ。西戎の女といったところか。女官として買われたのが庚辰、やはり先月の初めだな。洛甲よりは数日後というところだが、新たに入った女官の一人というわけだ」
西戎は晋よりも西にある大国、秦の勢力圏にいる狄である。一時期は威勢強かったが、秦の度重なる討伐に圧迫され併呑されつつあり、女が戦の果てに売られることもあろう。
しかし、周より西には他にも狄の大勢力がある。士匄が西戎と推定した理由がわからず、趙武は素直に問うた。士匄は心底バカにした顔をする。
「お前がわたしに言ったのだ。夕焼けが美しい、一緒に見たい。女官の言葉であろう? 別にこの女官は、元々西日を特別視していたわけでもあるまいよ。ここに来て心は西に向いた。もっと言えば、お前に故郷の夕焼けを見せたいとくどいてきていた」
「いえいえいえいえ。あの女官は、望郷の思いに苦しみ、私に思わず言ってしまったまででしょう!? くどくとか飛躍しすぎではないですか?」
趙武が慌てて手を振った。鳥を見て山を思い、夕焼けに思いを馳せて言葉を紡ぐ女官は、故郷を求めていた。趙武の主張に士匄は心底呆れ、嘲笑した。
そんな趙武を慮ることなく、己の都合だけを考える士匄に、気をつかう必要は無い。事態の平和的解決が一番だ。趙武の目は雄弁にそれを語っていた。
「いや本当、やめて。やめろ、ください、やめてください! ご心配おかけしましたゴメンね!」
常に傲岸不遜、人に頭を下げるくらいなら相手の頭を切り落とす。常はそのような態度を隠さない士匄のくせに、平身低頭土下座して趙武に懇願し謝った。
士匄が趙武を教導しているように、かつて士匄は荀罃に教導された。荀罃。いつか出演した、荀氏知家の長男、字を知伯。一見穏やかだが公事に厳しく軍人気質の男である。士匄はハートマン先任軍曹に教育される新兵のごとく、お世話になった。二度とお世話になりたくない。そのくせ士匄はは荀罃に頼ることしばしばである。
荀罃に士匄を預けたのは、節度高く戒め深い厳父の士爕であった。ここまでされて士匄の性根は全く矯正されなかったのであるから、教育の敗北であろう。
趙武は、今まで見たことのない士匄の反応に
「あ、私も先達に言いすぎたような、気がします。あの、何があったのでしょう」
と怯えながら言った。士匄は気を取り直したように頷き、簡潔明瞭に説明した。この男は、人に説明するときに過不足が全く無い。まさに弁が立つの見本である。
「――というわけで、だ。我が君は二日酔いでさぼる口実で、わたしに解決せよと命じられた。が、また一人死んだ。お前も来た。こうなるとおおごとになりかねぬ、じきに我が君も命令を撤回なされるであろう」
最後、士匄はよけいなことを添えて、口を閉じた。
趙武は連絡に来た女官たちのあいまいすぎる言葉に今頃気づき、苦い顔をした。己が自由になりたいがため、韓無忌や趙武を巻き込もうとした、としか聞こえなかった。が、趙武は追求をやめた。本題はそこではないのだ。
「女官をただ殺すだけではなく、惨いめに合わせる。よほど、その女官が憎かったのでしょうか。私が見た彼女も、同じものに殺されたのでしょうか」
士匄も趙武も、呪いのたぐいであることを疑っていない。ただ、君主の住む宮中、最も清浄な場所で人を呪い殺すなどできようか、という問題はある。
「同じかどうかわからぬが。まあ、いまだ君命あり、その狄の女を見るか。趙孟、来い。先達の仕事に倣うも後輩の務めだ」
あの惨殺死体を再び見ろというのか。趙武は顔を引きつらせたが、頷いて拝礼した。先達の教導に素直に従うのは趙武の美徳であった。根性のある彼は、腹をくくって、今回も士匄についていくことを覚悟したのであった。
さて、女官、狄女の死体である。
宮中に死体置き場もなければ、不浄のものを屋内にいれるわけにもいかぬ。もっこにくるまれて、庭の端に放置されていた。衛女がさっさと運びだされたことを考えれば少々不自然であった。
それを問わば、
「指示がございませぬで」
と案内を命じられた寺人が言う。士匄は適当に頷くと、もっこを力任せに開いた。両端の粗末な縄が土の上で一度、跳ねる。
頭を割られた、無惨な女であった。
手足も引き裂かれながらも繋がっているのが逆に惨たらしかった。趙武は思わず目を背ける。庭の枝にちらほらと鳥が止まっていた。常なら微笑ましく見る風景であったが、この死体を狙っているのではないか、と思えば怖気が走る。
士匄といえば、女の傷を検分するように見たあと、首にかかった飾りを指で引っ張った。血に汚れた首飾りを、持っていた布でぬぐう。
「見ろ、趙孟。文字だ」
士匄の言葉に、趙武が嫌悪感を飲み込みながら、首飾りを見た。
「……『洛酉、庚辰』ですか」
趙武は眉をひそめた。士匄の隣に死んでいた女官は『洛甲乙亥』であった。違う文字でも、法則性はあっている。
「趙孟。この女は狄のものと言っていたな。洛、すなわち周都より『酉』。つまり西だ。西戎の女といったところか。女官として買われたのが庚辰、やはり先月の初めだな。洛甲よりは数日後というところだが、新たに入った女官の一人というわけだ」
西戎は晋よりも西にある大国、秦の勢力圏にいる狄である。一時期は威勢強かったが、秦の度重なる討伐に圧迫され併呑されつつあり、女が戦の果てに売られることもあろう。
しかし、周より西には他にも狄の大勢力がある。士匄が西戎と推定した理由がわからず、趙武は素直に問うた。士匄は心底バカにした顔をする。
「お前がわたしに言ったのだ。夕焼けが美しい、一緒に見たい。女官の言葉であろう? 別にこの女官は、元々西日を特別視していたわけでもあるまいよ。ここに来て心は西に向いた。もっと言えば、お前に故郷の夕焼けを見せたいとくどいてきていた」
「いえいえいえいえ。あの女官は、望郷の思いに苦しみ、私に思わず言ってしまったまででしょう!? くどくとか飛躍しすぎではないですか?」
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