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恋は秋菊の香り
人の言を為す苟も亦信ずることなかれ、話を鵜呑みにするな、作り話だよ
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――迂遠な結界だ。
一通り確認した士匄はそう憤りながら、部屋に戻り脇息を蹴り飛ばした。趙武が先達の行儀の悪さに呆れながらも口を開く。
「結界、は分かります。私も范叔も何故か外に出ることあたわず。でも、迂遠というのはどういうことでしょう」
士匄は、控えている寺人に巫覡を連れて来い、と命じた後、
「この場全員を閉じ込めることなく、我らが関係しなければ女官も寺人も自由に外と往き来できる。しかし我らが問えば、共に出ようとすれば、あの者らも外を見失う。巫覡が軽く使う咒も、まあ似たようなことはできる」
と転がっていた脇息を引き寄せ乗りかかり言った。
趙武は、かつて士氏の巫覡が士匄の動きを止めていたことを思いだし頷く。
「しかし、動きを止めるにしても操作するにしても目的を明示する。夏に我が士氏の巫覡が私の足を止めたときもそうだ。不祥の獣を捨てろ、でなければ通さぬ。まあ、そういったものだ。しかし、この結界は目的を見せず、とりあえずここにいろと閉じ込めてきている。わたしには解をぼやかしているようにも思える。何かしてほしかったらはっきり言え、くそ」
最後、士匄が苛ついたように脇息を殴りつけた。この、晋公の財産であろう脇息も散々である。が、士匄とすれば、晋公のお膝元で不穏な輩が動いているかもしれぬのだ。あのお調子者で軽薄な君主がどうなろうとどうでもいいのだが、己の目の前で不祥事が起きるなど、矜持として許しがたい。士氏の名折れというものであった。
士匄の言葉を最後まで聞き、咀嚼するような顔を見せた趙武が、それは、と返し始める。
「范叔。それは、范叔のようなものごとをはっきりしたい方のお考えです。史官、卜占、巫覡の方々も同じ価値観をお持ちでしょう。式があり解があり、そこには理、つまり明確なロジックとシステムがある。だから、范叔は解をぼやかしているとお思いなんでしょう。私は、この結界を感じ取れているわけではなく、不祥も人並みにしかわかりません。范叔のように見えるわけでもない。でも、人は誰でも言いたいことが言えるわけでもない、かたちにならない。ふわっとすることありますでしょう。えっと、どう言っていいかわからないことってあるじゃあないですか。そんな感じです」
「だから、どういうことだ」
少しずつあやふやで感覚的になっていく趙武に、士匄は端的に言い返す。何が言いたいのか、と眉をしかめる士匄に、趙武が怖じけず、自分に言いきかせるように頷くと口を開いた。
「仮に、です。奴隷の中に淫祠の方がおられた。その方は、なんとなく咒をお使いになり、それが少しずつおおごとになり、それをなんとかしようとして、その場しのぎに咒や呪いを行い、今に至る、ということもあるのです。ここに解は無い。ただ、事態を先延ばしにして逃げているだけなら、この結界も意味は無いでしょう。そういった、ことです。張本人も理由なんてわからない、やりたいことだってわからないのに、やってしまうというものです」
趙武の言葉に、士匄は
「は!?」
と大声で、そして素で叫んだ。
「なんだ、その、愚人は? は? はあ? 自分で何をやりたいかわからん、の意味がわからん! いや、着地点あるだろう、最初は場当たりでも! おい!」
私に言われても、と趙武が前置きしたあと、肩をすくめて苦笑した。
「子供が、怒られるのが怖くて逃げちゃうのと一緒です。それは、誰でも持っているんですよ范叔。あなたは今はわからない。そうですね、共に学んでいる方々みなわからないかも。知伯は少しおわかりかもしれません、あの方は戦争で捕虜になって人質になっておられた」
妙に大人びた顔つきとなる趙武を睨め付けながら、士匄は首のしぐさで話の先を促した。子供が怒られたくなくごまかす、はわかる。それとこの事態、そして解が無いに繋がる意味がわからない。趙武が頷いて口を開く。
「己以外が責任をとってくれません。誰も守ってくれない、誰もたよることできない。自分に手の余ることを肩代わりしてくれる人などいない。それだけの話です。あなたは間違ってもお父上が、士氏が守ってくれます。他の方もそう。しかし、一つ間違ったら終わる人も多い。その中には、終わりから逃げようとしてさらなる困窮に入っていく人も、とても、多いのです」
士匄は、何が言いたい、と畳みかけることはしなかった。
「お前の言いたいことはわかった。弁は本題からずれてブレまくっている、気をつけろ。つまりお前は、犯人は何も考えていない無計画なアホ、と言いたいのだな」
長々とした主張を一言にまとめられ、趙武は苦い顔をした。そのような表情でも美しいご面相はそのままであるため、やはりお得な顔である。悔しいことに、趙武が必死に言葉としたことを、士匄は一言で言い切った。その通りです、と頷き拝礼するしかなかった。
士匄は、脇息から離れ、姿勢を正してそれを見る。
「……まあ、お前の考えも一理あるとして一考しよう。しかし悪意の無さにこだわりすぎる、とは先達として言っておこう。わたしの知る限り、お前は誰よりも人の悪意を最も知っている。妙な達観せぬのは良いが、夢や希望を見過ぎるのもいかがなものか。わたしの見た女官の死体には、明確な悪意が見えた。あれをその場しのぎの行いとするは、天地開闢以来の争いは偶然起きた不幸な事故と言うに同じ。無計画なアホに悪意が無いと思わぬことだ」
「……わかっていますとも。……ご教示、ありがとうございます」
趙武が少し低い声で呟く。士匄は再び脇息にもたれかかり、くわ、とあくびをした。巫覡が思ったより遅かった。
結局、宮中を守る巫覡は現れなかった。
一通り確認した士匄はそう憤りながら、部屋に戻り脇息を蹴り飛ばした。趙武が先達の行儀の悪さに呆れながらも口を開く。
「結界、は分かります。私も范叔も何故か外に出ることあたわず。でも、迂遠というのはどういうことでしょう」
士匄は、控えている寺人に巫覡を連れて来い、と命じた後、
「この場全員を閉じ込めることなく、我らが関係しなければ女官も寺人も自由に外と往き来できる。しかし我らが問えば、共に出ようとすれば、あの者らも外を見失う。巫覡が軽く使う咒も、まあ似たようなことはできる」
と転がっていた脇息を引き寄せ乗りかかり言った。
趙武は、かつて士氏の巫覡が士匄の動きを止めていたことを思いだし頷く。
「しかし、動きを止めるにしても操作するにしても目的を明示する。夏に我が士氏の巫覡が私の足を止めたときもそうだ。不祥の獣を捨てろ、でなければ通さぬ。まあ、そういったものだ。しかし、この結界は目的を見せず、とりあえずここにいろと閉じ込めてきている。わたしには解をぼやかしているようにも思える。何かしてほしかったらはっきり言え、くそ」
最後、士匄が苛ついたように脇息を殴りつけた。この、晋公の財産であろう脇息も散々である。が、士匄とすれば、晋公のお膝元で不穏な輩が動いているかもしれぬのだ。あのお調子者で軽薄な君主がどうなろうとどうでもいいのだが、己の目の前で不祥事が起きるなど、矜持として許しがたい。士氏の名折れというものであった。
士匄の言葉を最後まで聞き、咀嚼するような顔を見せた趙武が、それは、と返し始める。
「范叔。それは、范叔のようなものごとをはっきりしたい方のお考えです。史官、卜占、巫覡の方々も同じ価値観をお持ちでしょう。式があり解があり、そこには理、つまり明確なロジックとシステムがある。だから、范叔は解をぼやかしているとお思いなんでしょう。私は、この結界を感じ取れているわけではなく、不祥も人並みにしかわかりません。范叔のように見えるわけでもない。でも、人は誰でも言いたいことが言えるわけでもない、かたちにならない。ふわっとすることありますでしょう。えっと、どう言っていいかわからないことってあるじゃあないですか。そんな感じです」
「だから、どういうことだ」
少しずつあやふやで感覚的になっていく趙武に、士匄は端的に言い返す。何が言いたいのか、と眉をしかめる士匄に、趙武が怖じけず、自分に言いきかせるように頷くと口を開いた。
「仮に、です。奴隷の中に淫祠の方がおられた。その方は、なんとなく咒をお使いになり、それが少しずつおおごとになり、それをなんとかしようとして、その場しのぎに咒や呪いを行い、今に至る、ということもあるのです。ここに解は無い。ただ、事態を先延ばしにして逃げているだけなら、この結界も意味は無いでしょう。そういった、ことです。張本人も理由なんてわからない、やりたいことだってわからないのに、やってしまうというものです」
趙武の言葉に、士匄は
「は!?」
と大声で、そして素で叫んだ。
「なんだ、その、愚人は? は? はあ? 自分で何をやりたいかわからん、の意味がわからん! いや、着地点あるだろう、最初は場当たりでも! おい!」
私に言われても、と趙武が前置きしたあと、肩をすくめて苦笑した。
「子供が、怒られるのが怖くて逃げちゃうのと一緒です。それは、誰でも持っているんですよ范叔。あなたは今はわからない。そうですね、共に学んでいる方々みなわからないかも。知伯は少しおわかりかもしれません、あの方は戦争で捕虜になって人質になっておられた」
妙に大人びた顔つきとなる趙武を睨め付けながら、士匄は首のしぐさで話の先を促した。子供が怒られたくなくごまかす、はわかる。それとこの事態、そして解が無いに繋がる意味がわからない。趙武が頷いて口を開く。
「己以外が責任をとってくれません。誰も守ってくれない、誰もたよることできない。自分に手の余ることを肩代わりしてくれる人などいない。それだけの話です。あなたは間違ってもお父上が、士氏が守ってくれます。他の方もそう。しかし、一つ間違ったら終わる人も多い。その中には、終わりから逃げようとしてさらなる困窮に入っていく人も、とても、多いのです」
士匄は、何が言いたい、と畳みかけることはしなかった。
「お前の言いたいことはわかった。弁は本題からずれてブレまくっている、気をつけろ。つまりお前は、犯人は何も考えていない無計画なアホ、と言いたいのだな」
長々とした主張を一言にまとめられ、趙武は苦い顔をした。そのような表情でも美しいご面相はそのままであるため、やはりお得な顔である。悔しいことに、趙武が必死に言葉としたことを、士匄は一言で言い切った。その通りです、と頷き拝礼するしかなかった。
士匄は、脇息から離れ、姿勢を正してそれを見る。
「……まあ、お前の考えも一理あるとして一考しよう。しかし悪意の無さにこだわりすぎる、とは先達として言っておこう。わたしの知る限り、お前は誰よりも人の悪意を最も知っている。妙な達観せぬのは良いが、夢や希望を見過ぎるのもいかがなものか。わたしの見た女官の死体には、明確な悪意が見えた。あれをその場しのぎの行いとするは、天地開闢以来の争いは偶然起きた不幸な事故と言うに同じ。無計画なアホに悪意が無いと思わぬことだ」
「……わかっていますとも。……ご教示、ありがとうございます」
趙武が少し低い声で呟く。士匄は再び脇息にもたれかかり、くわ、とあくびをした。巫覡が思ったより遅かった。
結局、宮中を守る巫覡は現れなかった。
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