9 / 19
第九話 宴席
しおりを挟む
晋の分家ごとき、周の軍事的看板である虢の相手ではない。一気に軍勢を入れ、伐った。
伐つというのは、ただ追い払うだけではなく、その領地にまで進行し鄙邑を攻撃する意味である。
曲沃としては最後に手痛い反撃をくらうこととなった。称は腹立ちまぎれに虢軍へ唾を吐き捨てた。君主の行いというには品がなさすぎるが、父の晩年に虢に邪魔をされ、今回もである。翼よりも虢に対する憎悪が増した。
「翼を亡ぼしたら、次は虢だ!」
なんとか追い返した虢軍を見ながら、称は吐き捨てた。周りの臣たちは肩をすくめるだけである。
翼を亡ぼせるかどうか、実のところわからぬ。すぐに亡ぼせると桓叔は思っていたであろうが、もう孫の世代である。ずるずると膠着し、次代に引き継がれてもおかしくはない。
そして、たとえ翼を亡ぼしても、虢は亡ぼせぬ。国力が違いすぎた。そんなことは、称もわかっているが、言わずにはおられなかった。
この青年にとって残念なことであるが、彼は虢を亡ぼせなかった。彼の人生は翼との対峙で終始していく。
冬が終わる前に曲沃を討ち払い、翼は一息つくこととなった。
虢公に感謝の宴席を設け、光が晋公としてもてなして、この戦争を終えることとなる。
当時、儀礼に関して細かい取り決めがあり、またこれこそが王侯貴族にとって重要とされている。周室の決めた儀を正しく行うことこそ、礼の証となる。
欒成は父や師に儀礼を叩き込まれており、それを光に全て教え込んだ。光はその質まではわからずとも、形だけはととのえることができた。
東アジアに生まれたこの文明は食への拘りが強い。つまり、食事全てが儀礼である。
ひとつひとつの料理に祀りがあり、それを行いながら決まった所作で食す。
そのうち、仔羊の丸蒸しが運ばれた。虢公はそれを祀るそぶりをみせず、光をじっと見た。それは値踏みの視線であり哀れみと嘲りがまざっていた。父より年上の男の目は、突き刺すようでもあった。
光は意味がわからず、困惑の顔で、周囲を眺め、欒成を見た。欒成も困惑し、虢公を見る。虢の人々は状況がわかっているようだが、口に出さぬ。つまり、饗応している晋の手落ちとしているらしい。光も、差配の中心であった欒成もわからぬ。
「ああ、失礼」
乾いたものが床に落ちる音と共に、声がした。場違いなのんびりさであるが、品の良い声である。隰叔であった。
彼は落とした胡桃をそっと拾い、欒成の視線に合わせ、伺うように見て来る。こちらに投げろ、と言っているように思えた。
欒成は頷き、隰氏の非礼、許されよ、とまず皆に拝礼し
「この隰氏は杜伯の末、かつて周室に仕えた大夫の血筋です。こたびの宴席でこのものが用意したものあるよし、我が君のひと声をお待ちしております。我が君といたしましては、儀と違うことを行うがため、なかなかお声かけできなかったことですが、私め成が隰氏に命じ行ったこと。堂々と、お声かけなされませ」
と、言葉を続けた。光は特別察しが悪い子供ではない。ここまで欒成がお膳立てすれば、とりあえず声をかければ良いであろう、と
「隰氏、許す」
と言った。隰叔が拝礼し口を開く。
「貴き身でなけれども、我が君より命あり、謹んで申し上げまする。このたび、宴席に丸蒸しの羊をお出ししたは、伯父の虢、甥の晋の好を結ぶ宴席だけにあらず、天を祀り、周王さまの親戚として盟いたいがため。我が君といたしましては、戦勝の儀にあらず、私めにご相談なされたよし、私は周室の儀礼に反しておらずと申し上げました。丸蒸しの羊を祀りましたなら、外に出て改めて盟いの儀式に案内つかまつります」
隰叔の言葉を全て聞き、虢公が頷く。
「本来、我ら親戚同士の宴席はほぐした肉を出す。丸のままは天への生け贄であり、戦勝の儀にあらずと戸惑っていたが、そういったことであれば、こちらの器量が小さかった。我ら虢とそちら晋は今後も周に仕える衛士として、さらなる交誼を結ぼう」
そこまで聞いて、欒成はため息をつきそうになるのをなんとか止めた。周のしちめんどくさい儀式をいかに正しく知っているか、が国としての体面である。
後世の人間としてはどうでもいいだろう、となるのだが、彼らにとっては文明人としての軽重を問われると言って良い。
欒成はそれを正しく知らず、晋公である光に教えられず。いつのまにか、翼は正しい知識が失われていたということである。
それがいつからなのかわからぬが、少なくとも欒成は翼の衰退を感じた。
それは光も同じである。彼は欒成以下、大人どもの言うとおりに物事を行っている。それが間違っていた、ということである。
この先、何を指針にして良いのか。たかが食事の出し方ひとつであったが、彼の心は暗澹とした。
ふと、視線を感じ、光は顔をあげる。虢公がじっと見てきていた。儀礼を曲げたのは晋である。虢はそれを受けると返した。光はさも予定調和であったというていで礼を言わねばならぬ。
「伯父と甥として共に絆があれど、天に盟い互いの繁栄としたい所存でございます。戦勝の儀から外れるゆえ、若年の身として申し出せなかった非礼をお詫びいたします」
光の言葉に、虢公がゆったりと笑んだ。
慶事に始まり、苦味に終わり。新たな翼の年は、前半の歓喜よりも後半の辛酸の記憶が強く残ることとなった。
虢公はご親切にも、
「これからもお力になろう」
と言い残して帰っていった。天に誓う同盟をしたのであるから、お言葉ごもっともであったが、晋に介入をするという宣言でもある。結局、内部の曲沃、外部の虢と、翼は二面体制で年を越すこととなった。
伐つというのは、ただ追い払うだけではなく、その領地にまで進行し鄙邑を攻撃する意味である。
曲沃としては最後に手痛い反撃をくらうこととなった。称は腹立ちまぎれに虢軍へ唾を吐き捨てた。君主の行いというには品がなさすぎるが、父の晩年に虢に邪魔をされ、今回もである。翼よりも虢に対する憎悪が増した。
「翼を亡ぼしたら、次は虢だ!」
なんとか追い返した虢軍を見ながら、称は吐き捨てた。周りの臣たちは肩をすくめるだけである。
翼を亡ぼせるかどうか、実のところわからぬ。すぐに亡ぼせると桓叔は思っていたであろうが、もう孫の世代である。ずるずると膠着し、次代に引き継がれてもおかしくはない。
そして、たとえ翼を亡ぼしても、虢は亡ぼせぬ。国力が違いすぎた。そんなことは、称もわかっているが、言わずにはおられなかった。
この青年にとって残念なことであるが、彼は虢を亡ぼせなかった。彼の人生は翼との対峙で終始していく。
冬が終わる前に曲沃を討ち払い、翼は一息つくこととなった。
虢公に感謝の宴席を設け、光が晋公としてもてなして、この戦争を終えることとなる。
当時、儀礼に関して細かい取り決めがあり、またこれこそが王侯貴族にとって重要とされている。周室の決めた儀を正しく行うことこそ、礼の証となる。
欒成は父や師に儀礼を叩き込まれており、それを光に全て教え込んだ。光はその質まではわからずとも、形だけはととのえることができた。
東アジアに生まれたこの文明は食への拘りが強い。つまり、食事全てが儀礼である。
ひとつひとつの料理に祀りがあり、それを行いながら決まった所作で食す。
そのうち、仔羊の丸蒸しが運ばれた。虢公はそれを祀るそぶりをみせず、光をじっと見た。それは値踏みの視線であり哀れみと嘲りがまざっていた。父より年上の男の目は、突き刺すようでもあった。
光は意味がわからず、困惑の顔で、周囲を眺め、欒成を見た。欒成も困惑し、虢公を見る。虢の人々は状況がわかっているようだが、口に出さぬ。つまり、饗応している晋の手落ちとしているらしい。光も、差配の中心であった欒成もわからぬ。
「ああ、失礼」
乾いたものが床に落ちる音と共に、声がした。場違いなのんびりさであるが、品の良い声である。隰叔であった。
彼は落とした胡桃をそっと拾い、欒成の視線に合わせ、伺うように見て来る。こちらに投げろ、と言っているように思えた。
欒成は頷き、隰氏の非礼、許されよ、とまず皆に拝礼し
「この隰氏は杜伯の末、かつて周室に仕えた大夫の血筋です。こたびの宴席でこのものが用意したものあるよし、我が君のひと声をお待ちしております。我が君といたしましては、儀と違うことを行うがため、なかなかお声かけできなかったことですが、私め成が隰氏に命じ行ったこと。堂々と、お声かけなされませ」
と、言葉を続けた。光は特別察しが悪い子供ではない。ここまで欒成がお膳立てすれば、とりあえず声をかければ良いであろう、と
「隰氏、許す」
と言った。隰叔が拝礼し口を開く。
「貴き身でなけれども、我が君より命あり、謹んで申し上げまする。このたび、宴席に丸蒸しの羊をお出ししたは、伯父の虢、甥の晋の好を結ぶ宴席だけにあらず、天を祀り、周王さまの親戚として盟いたいがため。我が君といたしましては、戦勝の儀にあらず、私めにご相談なされたよし、私は周室の儀礼に反しておらずと申し上げました。丸蒸しの羊を祀りましたなら、外に出て改めて盟いの儀式に案内つかまつります」
隰叔の言葉を全て聞き、虢公が頷く。
「本来、我ら親戚同士の宴席はほぐした肉を出す。丸のままは天への生け贄であり、戦勝の儀にあらずと戸惑っていたが、そういったことであれば、こちらの器量が小さかった。我ら虢とそちら晋は今後も周に仕える衛士として、さらなる交誼を結ぼう」
そこまで聞いて、欒成はため息をつきそうになるのをなんとか止めた。周のしちめんどくさい儀式をいかに正しく知っているか、が国としての体面である。
後世の人間としてはどうでもいいだろう、となるのだが、彼らにとっては文明人としての軽重を問われると言って良い。
欒成はそれを正しく知らず、晋公である光に教えられず。いつのまにか、翼は正しい知識が失われていたということである。
それがいつからなのかわからぬが、少なくとも欒成は翼の衰退を感じた。
それは光も同じである。彼は欒成以下、大人どもの言うとおりに物事を行っている。それが間違っていた、ということである。
この先、何を指針にして良いのか。たかが食事の出し方ひとつであったが、彼の心は暗澹とした。
ふと、視線を感じ、光は顔をあげる。虢公がじっと見てきていた。儀礼を曲げたのは晋である。虢はそれを受けると返した。光はさも予定調和であったというていで礼を言わねばならぬ。
「伯父と甥として共に絆があれど、天に盟い互いの繁栄としたい所存でございます。戦勝の儀から外れるゆえ、若年の身として申し出せなかった非礼をお詫びいたします」
光の言葉に、虢公がゆったりと笑んだ。
慶事に始まり、苦味に終わり。新たな翼の年は、前半の歓喜よりも後半の辛酸の記憶が強く残ることとなった。
虢公はご親切にも、
「これからもお力になろう」
と言い残して帰っていった。天に誓う同盟をしたのであるから、お言葉ごもっともであったが、晋に介入をするという宣言でもある。結局、内部の曲沃、外部の虢と、翼は二面体制で年を越すこととなった。
11
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる