未来で神様は猫を被った。

色採鳥奇麗

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翔楼の章

本当の想い

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 ーー*ヒマワリ*ーー

「教えてよ、本当のことを」

 そう翔楼に問いかける。
 瞬間、雲の切れ間から星明かりが覗き、窓から寝室をほのかに照らした。
 明るい静寂の中にしばらく身を預け、しばらくすると翔楼はようやく重たい口を動かした。

「言うわけないだろ…」

「チッ…ダメだったかニャ…」

 ほんの少しずつ話題を誘導して、真実を喋らせる魂胆も、どうやら翔楼には見破られていたようだ。
 
「どうしてそこまでして口を噤むのニャ…。告げ口なんて卑劣なことはしないからさ。ほら、言ってごらんニャさいよ」

「嘘つけ。■■彼女に言う気満々だろ」

「本当だって~。吾輩は見た目通りの高潔な神様。約束は守る主義だニャよ。あっ、今は猫だった…」

 フフンと胸を張った吾輩に対して、翔楼は訝しげな視線を向ける。
 それから小さく息を吐いて、翔楼はまた枕に頭を埋めた。

「僕の秘密は、絶対に墓まで持っていくって決めているんだ。■■彼女が天国で元気にしてるなら、尚更だ」

「なんで?翔楼が何を抱えているか知らないけど、『彼女』ならきっと、どんな真実でも受け入れてくれるよ」

「…………」

 だんまりと口を閉ざした翔楼は、少しして再び口を開いた。

「そう…なんだろうな…。■■彼女なら、きっと僕の抱えている問題にも親身に寄り添ってくれる」
 
「問題…」 

 さりげない言葉に、吾輩の耳がピクンと震えた。
 
「だからこそ言わなかったんだ。だから僕は、■■彼女の重荷になる前に、別れを告げて消えたんだ」

 その言葉に、心の中にあったつかえが、本の少しだけ取れた気がした。

「いや~よかった~。てっきり吾輩は、翔楼が浮気してたんじゃないかって疑ってたんだよ~」

「おい。まさか僕のことを、そんな不誠実な男だと思ってたのか?今だって彼女一筋なんだぞ」

 プレイボーイだと思われたのが不服だったらしい。翔楼は上体を起こして、目尻をシュッと尖らせた。

「そんな顔されても仕方ないじゃニャいか。悪いのは何も言わなかった翔楼なんだから、誤解されても文句は言えんのニャ」

「確かに…」

「あっ…もうこんな時間ニャ」

 壁の時計が目に止まり、日付が変わっていたことに気づいた吾輩は、翔楼の横で再び丸くなった。翔楼もベッドに身を預けた。
 
「今日はもう遅いのニャ。この辺にしないと明日に響くよ。おやすみ~」

 翔楼を気遣い、談話を切り上げて眠りに就く。すると、ふいに翔楼に呼び止められた。

「なぁ、ヒマ」

 睡魔が迫っていた吾輩は、薄目を開けて翔楼に顔を向ける。

「なぁに?」

「最後にこれだけ、■■彼女に伝えてくれないか」

「いいよ。なんでも来いニャ」

 しばらく考えを咀嚼した後、翔楼は言った。

■■彼女を傷つけた僕が言うのもなんだけど、『今もこの先も、君だけを愛してる』って、そう伝えてくれ」

 その言葉に、吾輩の小さな心臓がドクンと脈を打ち、さっきまであった眠気も一瞬で吹き飛ばされた。

「わ…わかった。必ず伝えるニャ」

 翔楼は安堵したのか、そのまま静かに眠りに落ちていった。
 本来なら寝てる時間。さっきまで無理して付き合ってくれていたのかもしれない。

「おやすみ。翔楼」

 そう言って吾輩も、釣られるように寝息を立てた。
 しかし、翔楼の爆弾発言のせいで、この胸の躍動が簡単には収まらず、なかなか寝付けなくなってしまった。

 …おのれぃ、翔楼め…
 …まぁいいや。

 事の真相について、少なからず進展があった。これは猫生でようやく耳にした貴重な情報。翔楼は誰にも言えないような、何かしらの事情を抱えている。それは最初から、なんとなく察していたけれど、翔楼はそれを『問題』と言っていた。
 それがどういうものなのかは、今はまだまったく見当もつかない。

 …この一歩はすっごく大きいぞ!

 ともあれ、この数日間。翔楼との日々は、吾輩にとって充実した日々だった。
 テレビを見たり、昼寝をしたり、ぐーたらとした悠々自適な猫ライフ。もうちょっと前足が大きければ、ゲームだってできただろうに。それが吾輩には惜しくてたまらない。
 まぁ、これ以上の贅沢は言わない。
 
 翔楼の真相調査も怠らなかった。普段の日常や、さりげない会話の中から、些細な情報も取り溢さない。
 内心では、翔楼の心情を探る度に、彼は『彼女』のことを嫌いになったんじゃないかと不安におちいっていた。
 同時に、もし他の女にうつつを抜かしているようであれば、その整った顔立ちに無数の引っ掻き傷を入れる腹づもりでいた。
 だけど翔楼の背後に女の影はなかった。
 それどころか、今でも『彼女』のことを想い続けていた。それは部屋やリビングなどをよく見れば、すぐに分かったこと。思い出の写真が幾つも飾ってあったからだ。
 その大半が、翔楼と『彼女』が映った写真。翔楼はそれに時折目を止め、思い出に浸るように微笑むのだ。

 …それにしても翔楼、一体何を隠しているんだろう?
 …まっ、吾輩も人のこと言えないか…。

 吾輩にも、翔楼に言っていない秘密がある。
 本当は吾輩…神様でもなんでもない。死後の世界で『彼女』が元気にしてる、なんて話も嘘。全てがでっちあげ…ってわけでもないけど、ほとんどの言葉が、その場凌ぎの出鱈目だ。

 だって吾輩は…

 私は…
 
 彼が愛してるって言ってくれた、その女の子なんだから…


 ー
 
 
 自分が死んだと知った時は、心が張り裂けそうなくらいショックだった。
 大学生活が忙しく、買いだめしていた漫画は一切手を付けてられてない。
 好きなアニメは未完だし、ゲームだって来月発売する新作を、ずっと楽しみにしてたんだ。
 やりたい事も山程残ってた。将来だってまだ決まっていない。決めるには早すぎるくらい、未来があると思っていた。
 でも今は、すべてが手の届かない場所にある。
 その事実に絶望した私は、町中で散々泣き散らした。
 夢半ばで命尽きるなんて、人生は本当に何が起こるか分からない。
 だけど途方に暮れていた私にも、声をかけてくれる優しい人がいた。
 小学生の女の子だ。

「猫ちゃん、カワイイね。よしよ~し、お菓子食べるかい?」

 どういう理由わけが、助けたはずの猫になっていた私。
 女の子は私を心配したわけじゃない。ただ鳴いている一匹の猫に、庇護欲を駆り立てられたに過ぎなかった。
 周囲の人たちには、私の言葉が普通の猫の鳴き声にしか聞こえないらしい。女の子はただ一方的に独りごちてた。
 時間が経つと少女も去り、また一人になった。
 私は心細さからまた泣いてしまった。
 そんな時、私の耳元でふいに誰かが囁いた。

「聞コエマスカ?」

 聞き覚えのある、女の人らしき澄み切った声。私はキョロキョロと周辺を見渡した。
  
「…誰?」

 しかし、それらしき人物は何処にもいない。
 けれどその声は何度も囁いてくる。

「良カッタ。聞コエテイルミタイデスネ」

「ねぇ!さっきから誰なの!?」

 影も形もない奇妙な声に、流石の私も怖くなった。
 それも当然。声は耳元で囁かれていたのではなく、頭の中に直接響いていたのだ。

「驚カナイデ下サイ。チャント説明シマス。マズ私ハ、先日川デ助ケテ頂イタ、黒猫デゴザイマス」

 そう言われ、私は死の瞬間の記憶を手繰たぐり寄せた。
 そういえば、確かにあの時も誰かが頭の中に語りかけていたような…
 あれって、助けた猫だったの?

「コノ度ハ、私ノ様ナ存在ヲ助ケテ頂キ、誠二有難ウゴザイマス」

「あっと…いえいえ。当然のことをしたまでで…」

 あまりにも礼儀正しい物言いに、私も面食らってしまった。渦巻いていた恐怖心も、シュンと静まり返ってしまうほどに。
 そして私の中では、あらゆる疑問が嵐のように飛び交っていて、答えをくれるかもしれない謎の声に、もっとも必要な質問を投げた。

「あ…あの!今の私がどうなってるか、説明してくれる?そして貴方は何者なの?」

「ワカリマシタ。デハ私ノ自己紹介カラシマショウ。ソッチノ方ガ早ク済ムデショウカラ」

 声は改めて、私に語りかけてきた。

「私ハ揺蕩タユタウ者。以上デス」

「………え?それだけ!?早く済むにも程があるでしょうよ!」

 あまりにも短い自己紹介に、思わず声を荒げた。それに対して、声は困ったように呻く。

「ト…言ワレマシテモ。私自身、自分が何者ナノカ、ヨク覚エテイナイノデス。トイウノモ私、コウ見エテ結構ナ長生キ…ナラヌ、長存在デシテ、古イ記憶ガ所々失ワレテシマッテイテ…」

「高齢者特有の認知症!」

「マァ、ソンナ所デスネ!」

 茶目っ気のある声が頭に響く。雰囲気的には結構若く感じられる。
 
「じゃあ名前は?」

「……」

「まさか名前も思い出せないの?」

「恥ズカシナガラ…。デスノデ私ノ事ハ、『無名ナナシ』トデオ呼ビ下サイ」
 
無名ナナシさん…」

 結局のところ、未知な存在の彼女…。
 彼女でいいのだろうか、と内心で思いつつ、話が進まなくなるので、もうひとつの疑念を問い質す。

「じゃあもうひとつの質問。この状況は何?私はどうして猫になってるの?」

「ソレハ、貴方ヲ助ケル手段ガ、コノ方法シカナカッタカラデス」

 それから無名さんは、私の現状を丁寧に説明してくれた。
 彼女が助けられた後、私の肉体は死んでしまい、慌てて私の魂を掴んで自身の肉体にかくまったと言う。そして無名ナナシさんの体…つまりは黒猫の体を、今は二人で相乗りしている、という状態だそうだ。
 
「どうしてそこまでして助けてくれたの?それにこの体、私の方に主導権がある。この体は無名さんのなんでしょ?」

 無名さんの善意に困惑しながらも、私の問いに彼女は穏やかに返した。

「ソレハ、恩人デアル貴方様ノタメデス。私ノ輪廻ハ永劫不滅。例エ今世デ死ンダトシテモ、記憶ヲ来世二引キ継イデ転生デキルノデス。マァ、ソノ際二、古イ記憶ハ少シズツ失ワレテシマイマスガ…」

 自嘲気味じちょうぎみに言った後、無名さんは真摯な調子で続けた。

「デスガ貴方達生物ハ、死後命海メイカイイザナワレタ後、魂ハ完全二漂泊サレテシマウ。経験モ記憶モ、消エテ無クナッテシマウノデス」

「めいかい?」

「簡単二説明シマスト、死シタ生命ノ魂ヲ、次ノ世界ヘト導ク輪廻ノ理デス」

 …仏教における輪廻転生みたいなものかな?

「デスノデ、私ノ事ハオ気ニナサラズ。本来ナラ私ガ、アノ時二死ヌハズダッタノデス。ソレヲ貴方ガ救イ、生カシテクレタ。コレハ私ナリノ恩返シナノデス」

「でも…」

「ソレ二貴方ハ、コノ世界二大キナ未練ガアルノデショウ?」

 遠慮気味の私の言葉を遮って、無名さんは核心を突いてきた。
 そうだ。私には会いに行かないといけない人がいる。
 会って、真実を問い質さないといけないんだ。
 だけど内心、他人ならぬ、他猫の体を好き勝手に使うというのは正直後ろめたい。
 なにしろ、これは無名さんの猫生じんせいを奪ってしまうのと同義なのだから。

「遠慮スル必要ナンテアリマセンヨ。サッキモ言イマシタガ、私ノ命ニハ次ガアルノデス。ソレ二…」

 嬉々とした声が、爛々と魂に響く。
 
「誰カト話ヲスルノハ、私二トッテ八百年ブリノ事。私ハ嬉シイノデス。ダカラ、タッタ数十年程度ノコノ猫生人生。恩人ノ為二尽クスノモ、私ハ悪クナイト思ッテイマス」

 ひとつの体を相乗りしているせいか、無名さんの気持ちが直に伝わってくる。
 彼女は本気で思っていた。自分の全てを、私に預けても構わない、と。

「本当にいいの?」

 無名さんの話は、私にとって願ったり叶ったりの、とてつもなく甘い誘惑だ。言わば、これは命の仮延長かりえんちょう。もしかしたら私は、自分の目的を果たせるかもしれないのだから。
 
「あっ。だけど私の言葉、誰にも伝わらないし…」

「ソウデスネ。貴方ノ言葉ハ死者ノ言葉。本来ナラバ、貴方ノ言葉ハ生者二届クコトハナイ」

 思っていた通りの言葉に、私はシュンと肩を落とした。

「デスガ問題ハアリマセン。神気ノ回復二多少ノ時間ハ掛カリマスガ、対象二私ノ祝福ヲ与エレバ、貴方ノ言葉ヲ届ケル事ガ可能トナルデショウ」

「ホントに!」

 耳よりな話に希望が見えてきた。
 
「じゃあ、私が目的を果たすのを手伝ってくれる?」

「モチロンデス」

 そんな訳で、無名さんと私の奇妙なタッグが結成された。
 それからというもの、私は翔楼に会えそうな場所を探し、気ままな放浪を開始。道中、想像を絶するような生涯を、無名さんは私に語り聞かせてくれた。
 世界は私のいる世界だけじゃなくて、異なる次元に幾つもの世界が、無限に存在しているらしい。
 そんな世界で、無名さんは生と死の輪廻をずっと繰り返している。
 時には虫に…時には獣に…そして時には、その世界の人類に。
 さらにはファンタジーの頂点。ドラゴンとして産まれ落ち、世界を支配していたという。
 本来ならば私も命界を渡って、新たな世界であらたな命に生まれ落ちるはずだった。私の知らない次の私に、まだ見ぬ冒険譚が待っていると思うと、正直ワクワクが止まらない。
 そんなハチャメチャな人生を送る無名さんは、本当に何者なのだろうか。
 『揺蕩う者』とは言っていたけど、これは生と死、そして数多の世界を行き来しているから、単純にそう自称しているだけなのだそう。
 そもそも無名さん曰く、彼女は生命体と言うより、命と自我を獲得した、ある種の『ことわり』に近い存在…というのが彼女の見解なんだとか。
 うん…よくわからん。
 そこに心があるんなら生命体で良いんじゃない?と、私は思う。
 
 そんな無名さんにも弱点があった。 
 私の唯一の話し相手は、神気の回復とやらで長期的に眠ることが多い。しかも相当な寝坊助さんだ。
 私が目的地に到着した時にも、グッスリと眠りこけていた。
 肉体の睡眠と魂の休眠は何かしら違うようで、呼び掛けても応答は無かった。
 
 …まぁ、私の為に色々やってくれてるみたいだし、仕方ないか。
 …私を助けるのにも、結構な力を消耗したって言ってたし。

 一人ぼっちでいるよりはずっと良い。
 頼れる味方が、私の中にもう一人いると思うと、自然と勇気を出せた。
 そして私が足を運んだ目的地。それは葬式場。
 私のお葬式だ。

 猫である私は式場には入れないので、出入りが多いいエントランスを一望できる地点で、私は身を隠しながら陣取った。

「お父さん、お母さん」

 目尻を真っ赤にした両親が、式場に入っていくのが見えた。
 特に母は会話もままならないくらいに泣き崩れていて、それを見た私は、とても胸が痛かった。

 …突然いなくなってゴメンね…

 目の前で悲しむ家族と親戚。そして友人たちを遠目に見つめ、ようやく自分の死を実感した。
 その中でも、金髪に染めた髪の女の子が、母に負けないくらいの大粒の涙を流していた。

「ミミちゃん…」

 大学でできた私の親友。見た目に反して、彼女は凄く大人しい性格で、公衆の面前で声を上げるような真似はしない。そんな彼女が必死に嗚咽を押し殺して泣いている。
 私の為に泣いてくれる人たちを見て、私はまた胸が痛くなった。
 それからも、残酷に時間は進んでいく。
 葬式も終わり、私の亡骸の火葬が始まる。
 ところが、いくら待てども、例の彼が現れることはなかった。

「翔楼…あんニャろ~」

 悲しみよりもふつふつと怒りが込み上げてきた。
 瞬間、火葬場の煙突から私の怒りを体現するかのように、煙がモクモクと立ち昇った。

「見つけたら覚悟しとけよー!めったんのっ!めったんめったんにしてやるからなー!」


 ー


「翔楼…吾輩は怒っている!」

「どうしたんだ?急に…」

 声を荒げた私に対して、翔楼はキョトンと首を傾げた。
 私が怒りを顕にした理由。それは翔楼との生活が、数日どころか数時間という終盤に差し掛かった朝方。私は睡眠から目覚めた瞬間、雷に打たれたように思い出した。
 
「そういえば!翔楼って『彼女』のお葬式に来なかったよね!どうして来なかったんだよ!よし分かった!死刑!」

「急な判決!というか、お前もあの場所に居たんだな…」

 流石の理不尽に翔楼は瞳を丸めた後、冷静に弁明を始めた。

「一応な、僕も葬式場の目前まで、足を運んでいたんだ」

「なぬっ!」
 
 翔楼は物思いに目を伏せて、リビングの椅子に腰掛けた。
 嘘を言っている…という顔ではない。だけど私の記憶では、翔楼は葬式に現れなかった。
 矛盾する言葉と記憶。
 怪訝な思いを抱えたまま、私はテーブルの上へと飛び上がり、翔楼の言葉に耳を傾けた。
 
「でも、道中で一悶着あって、引き返してしまったんだ。ていうか、何で今更思い出したんだ?」

 翔楼はご機嫌でも取るかのように、私の毛並みを撫で始めた。
 しかし、その程度では私の怒りが収まるはずもなく、翔楼の腕を小さな前足でホールドして、残った後ろ足で本能のままに猫キックを浴びせた。

「オラッ!オラオラッ!吾輩は翔楼が来ると思ってずっと待ってたのニャ。この薄情者!吾輩の言葉が分かる翔楼が来てくれていたら、路頭に迷う事も無かったのに!うおおぉぉぉおおおお!」

「そりゃ悪かったな…」

 翔楼は呆れたように苦笑する。そしてサンドバッグの運命から脱却を試みようと、ホールドされた腕を囮に、もう片方の手で私の毛並みを優しく撫で回した。
 猫は反射神経は良いけど、守備範囲が凄く狭い。なにしろ前足を背中に回せない。全方位から攻められると弱いのだ。
 あれよあれよと全身を撫で回され、気づけば翔楼の手中に堕ちていた私。完全に籠絡された私は、不様にも喉をゴロゴロと鳴らしていた。

「………」

 ひょっとして、私ってチョロいのか…?
 なんて思っていると、なにやらリビングが、いつもより綺麗になっていることに気づいた。

「あれ?部屋の掃除でもしたの?」

「言っただろ、長らく家を空けるって」

 そういえば、最初に言ってたなぁ。
 翔楼は所用で、しばらく家に帰れないって…。
 だから私を友人に預ける算段をつけていたんだ。 

「そうだった。何処か行くの?旅行?」

「う~ん………まぁ、そんなところだ」

「いいなぁ。吾輩も行きたい!」

 私は目を輝かせて直談判した。

「悪いな。もう予約は、僕一人で埋まっているんだ」

「ちぇー」

 翔楼に断られ、私は口を尖らせた。

「そうだな。じゃあ、もし帰ってこれたら、僕と旅行にでも行くか?」

 思いもよらぬ提案に、私の期待値は爆増。犬のように尻尾を振って「行きたい!」と声を上げた。しかし、翔楼の言葉が胸に引っかかり、私は怪訝に眉を顰めた。

「ん?帰ってこれたら…ってなに?帰ってこられないかもしれないの?」

「ああ。僕がこれから行く旅は、きっと険しいものになるんだ。もしかしたら帰ってこれないかもしれない」

「サバイバルでもするのかニャ!」

「そうだよ。それくらい、命懸けの危険な旅になるんだ」

 おったまげ~と、思わず口をあんぐりさせる私。
 一体翔楼はどんな冒険に出るのやらと、好奇心に胸が騒ついた。

「じゃあ、帰ってきたら、吾輩と一緒に旅行しようね!翔楼と一緒なら、吾輩は何処へでもついて行くよ!」

 私がそう言うと、翔楼の頬が薄っすらと緩んだ。
 二人で世界を旅するのも、案外悪くないかもしれない。私はすでに死んだ身だけど、それでも思い出が欲しいなんて思うのは欲張りだろうか。
 無名さん、申し訳ないけど、もうちょっとだけ付き合ってね。

「ああ…そうだな。頼りにさせてもらうよ。神様」
 
 だけどこの時、何故だか翔の表情が、私の瞳には儚げに映って見えたんだ。

「でもその前に!真実を知らなきゃいけないから、吾輩が先に翔楼を見つけだしちゃうかもしれないよ!」

 すると私の言葉に、翔楼は「えっ?」と驚いた。

「なんだ。まだ諦めるつもりはなかったのか?」

「当たり前だよ!なんのために翔楼に会いにきたと思ってるんだ!それまでせいぜい、震えて眠ることだね!」

「そっか…。じゃあせいぜい頑張って、僕を見つけ出してくれよ」

 翔楼は私から逃げ切れると自身があるのか、フッと笑って見せたのだった。
 



 そうしてまた時間が過ぎ、とうとう別れの瞬間が刻一刻と迫ってきた。
 タイムリミットはあと数十分。翔楼によれば、新たな飼い主がもうすぐで到着するらしい。
 名残惜しいけれど、これが今生こんじょうの別れになるというわけでもない。
 帰ってきたら旅行に行くという約束もしてくれたし、私はそれを楽しみに、新たな飼い主のもとで悠々自適に暮らすのだ。
 新しい飼い主と言えば、その人は翔楼の友人だと言う。生前の私は、基本翔楼と一緒に過ごしていた。
 つまり翔楼の友だちは、私の友だちでもある。
 一体誰が私を迎えに来るのだろうと、期待に胸を膨らませていたところ、突然、家のインターホンが鳴り響いた。

「来たかな」
 
 噂をすれば何とやら。
 翔楼は重たい腰を上げ、室内のモニターを覗き込んだ。私も翔楼の肩に飛び乗り、一緒に玄関に佇む来客をモニター越しに拝んだ。

 …あれ?この人…茶待君だよね?

 背景が遮られるくらい、アップで映し出された巨大な顔。片桐かたぎり茶待さじという大学の友人の姿に、私は瞳を大きく見張らせた。
 翔楼からも予め友人が来ると聞いていたので、特段おかしな話でもない。でも翔楼は、大学のみんなとは連絡を絶っていたはず。その大学の友人が来訪した事に、私は驚きを隠せなかった。

 …あれ?でも考えてみると小中高って、翔楼って私以外の友達…ほとんどいなかったような…
 …いや~、失敬、失敬。

 ともあれ、私が死んでから連絡を取り合ったのか、死ぬ前から連絡を取り合っていたかは、今はとりあえず置いておこう。
 それより、まずはこの再会を喜びたい。

「なぁ茶待、なんでカメラに顔面を押し付けてるんだ?凄く気持ち悪いぞ」
 
 翔楼は怪訝な表情で、モニターの向こうにいる来客に言った。
 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。その言葉が似つかわしいくらい、来客もまた顔をカメラに近づけて、中央に焦点が寄った瞳で覗き込んでいる。
 うん。キモい。
 そして、何故か来客は申し訳なさそうに、くぐもった声をマイクを通して送ってきた。

『悪い翔楼。まずはお前に謝っておく…』

 翔楼はキョトンと首を傾げ、とりあえず玄関へと向かった。
 そしてガチャリと扉を開けて、来客を家の中に招く…はずだったのだが…。扉を開けた瞬間、翔楼の動きがピタリと止まり、熱でも失ったかのように表情が一瞬で強張った。

「…ミミ?」

 そこに居たのは茶待という名の男友だちではなく、髪を金髪に染めた、やや幼さの残る女の子だった。
 
「久しぶり、翔楼君」

 三三屋みみやかえで
 茶待君の幼馴染みであり、私の親友でもある彼女は、少し気まずそうに視線を逸らして言った。
 思わぬゲストの登場に私は感極まった。だけど、対する翔楼は顔にぎこちない笑みを張りつけた。

 「ひ、久しぶり…」

 ……

 ………

 …………気まずい!

 重苦しい空気が流れる中、彼女の背後では、茶待君がペコペコと頭を下げているのが見えた。
 
 …何やってんだろう、この人…。

 それにしても、翔楼とミミちゃんって、もっと気さくに話せる間柄だったと思うけど、もしかして、私のいない間に何か会ったのかな?

「ニャ(まさか)…ニャウニャ(やっぱり浮気か)!」

「違うって!」

 突然声を荒げた翔楼を、来客二人は怪訝そうに見つめる。
 
「あっ、いや…なんでもない。上がってくれ」

 やらかしたといった様子の翔楼。やっぱり私の声は、翔楼にしか聞こえていないらしい。二人の様子を見て、翔楼もそれを察したのだろう。
 二人は、リビングへと通された。
 懐かしき友人達の会合。テーブルを囲み、賑やかな団欒が始まる…と思いきや、息苦しい空気が私たちの身体にのしかかった。
 そんな中、茶待君が最初に沈黙を破った。

「なぁ、翔楼。トイレ借りてもいいか?」

「ああ、こっちだ、ついてきてくれ」

 そう言って茶待君を案内するために翔楼も席を立った。そうして、リビングから姿を消した二人。
 こりゃ空気に耐え切れずに、逃げたな。
 まぁ、こっちはこっちで、女の子同士の親睦を深めるとしましょうよ。

「ニャニャ~(ミミちゃ~ん)…ニャウニャ~(久しぶりだね~)」
 
 ミミちゃんのお膝元に駆け寄り、可愛らしく愛想を振りまく。すると、彼女の堅苦しかった表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
 流石は猫になった私のキューティクルチャーム。可愛いって…罪だね。
 それにしても翔楼、トイレの案内だけで時間がかかりすぎじゃなかろうか。もしかしたら翔楼と茶待君は、裏で打ち合わせをしてるのかもしれない。

「ニョ~ン(う~ん)。ニャミュラ(やっぱりそうだ)」
 
 その証拠に、私の聴覚の鋭くなった耳に、二人の声が聞こえてくる。
 最初の翔楼の表情から見るに、翔楼とってミミちゃんの登場は予想外の展開だったんだ。その事について茶待君を問い詰めているようだった。
 ところどころ聞き取れないので、ここは全神経を研ぎ澄ませて、二人の会話を傍受するしかない。
 
 …全集中…猫の呼吸!

「ふふ、可愛い」

 …ちよっ、ミミちゃん。今大事なところだから、
 …耳は触らないでもろて。
 
 改めて、人の何倍もの聴力を得ている私は、姿の見えない二人の悪巧みに聞き耳を立てた。

「で?結局バレたのか?」

「いや…。あくまで偶然、翔楼から連絡が来たってていで誤魔化してる」

 焦燥感漂う翔楼の声に、茶待君は落ち着いた声音で答える。
 最初から聞いてなかったので分からないけど、もしかしたら翔楼の抱えている『問題』の事かもしれない。
 
「よかった…。それにしたって、なんでミミまで連れてきたんだよ。危うく心臓が止まりかけたぞ」

「洒落にならねーこというんじゃねーよ。楓がここに来ることになったのは、お前からのメールを偶然アイツが見つけちまったせいなんだよ」

「成る程、茶待の落ち度か…」

「いや、翔楼のメールのタイミングがだなぁ…。いや、よそう。ここで不毛な責任の押し付け合いしたって拉致があかねぇ」

「そうだな…」

「なぁ」

「どうした?」

「楓にはお前の抱えてる問題のこと、教えてやってもいいんじゃねぇか?」

「ダメだ」

「即答かよ」

「この間の事もあるし、ミミは優しいから、今以上に悲しむかもしれないだろ。だから、ミミには言わないでくれ」

「分かったよ」

 やっぱりだ。思っていた通り、話の内容的にも、茶待君は翔楼の抱えている『問題』を知っている。
 …茶待君よー、お前さん真っ黒じゃないか。
 私が落ち込んでいた時、ミミちゃんと一緒に励ましてくれたのに、あれは嘘だったのかい?
 あたしゃショックだよ。

 しばらくして翔楼はリビングに戻ってきた。時間差で茶待君も姿を現す。
 とりあえず、スパイ活動をしていた茶待君への制裁として、すれ違いざまに足首に噛みついておいた。

「痛っ!なんで!?」

 尻込みする茶待君をよそに、翔楼が私を抱き上げて宥めた。

「こら~、ダメだろヒマ」

「ニャッニョーン(挨拶をしただけニャ)」

 茶待君は屈み込んで、噛まれた箇所をさすった。甘噛みして手加減はしたので、傷にはなっていない。だけど彼は、そそくさ私から距離を取って、一番遠い席に腰を下ろした。
 私はそれを見て、しまった!と、自らの行いを反省した。
 茶待君は、私の新しい飼い主となる人。ファーストコンタクトは肝心だ。このままだと、今後に悠々自適な生活に響きかねない。
 私は翔楼の腕を振りほどいて、ヒョイっとテーブルの上に飛び乗った。そして、人懐っこい猫を装って、人畜無害な事をアピールする。

「ニャウゥー(ザッ、キューティクル)!」

「猫って本当に気まぐれだなぁ」

 そう言って警戒心を緩めた茶待君に、ミミちゃんも「そうだね」と槌を打つ。
 ただ翔楼だけは、なんとも言えないような神妙な面持ちで、私をジッと見下ろしていた。
 …なんだい?翔楼。言いたいことがあるのなら言いなよ。
 …この状況で、言えるもんならね。
 なんて調子に乗っていると、なんの前触れもなく、私の中で眠っていたペルソナが、ふいに目を覚ました。

「オヤ?知ラヌ顔ガ増エテイマスネ」

「ニャ(あっ)、ニャオラ(やっと起きたな)ニャッフーン(この寝坊助さん)!」

 眠り姫のお目覚めに、思わず声が弾む私。そんな私の姿を、来客二人は微笑ましそうに見つめていた。だけど翔楼だけは、訝しげな視線を向けた。

「どうしたヒマ?」
 
 再会した時からそうだったのだが、翔楼には私の声が届くというのに、無名さんの声は聞こえなみたいだ。
 ひとつの身体を共有しているから、単に私にしか聞こえない、という事もあり得なくはない。
 このことも、あとで無名ナナシさんに聞いておこう。

 「ニャフ(ちょっと)、ニャウゥー(ゴッ友が起きたみたいだから)、|ニャラニャラ(話してくる)!」

 そう言ってみんなを残し、私はリビングを後にした。私の声を翔楼に聞かれないようにするためだ。
 だけど、みんなのことも気になるので、翔楼たちの様子を窺いながら、リビングの前に陣取ることにした。

「もう、待ちくたびれたよ、無名ナナシさん!もう目を覚まさないんじゃないかってヒヤヒヤしたよ!」

 私と翔楼が再会した直後、「少シ眠リマス」と言って、つい先刻まで眠りこけていたナナシさん。
 当時は、私に体を譲って、永遠の眠りについたんじゃないかと、本気で肝を冷やした。

「ドウヤラ、肉体ノ感覚ガ無イト、体内時計モ失ワレテシマウヨウデスネ。申シ訳アリマセン…」

 と、平謝りする無名さん。

「少シダケ神力モ回復シマシタシ、恩人様トノ共鳴リンクヲ強化シテオキマショウ」

「ん?いま何かしたの?」

「コレト言ッテ何モ…。タダ肉体ノ他二、恩人様ノ感ジル感覚モ、僅カナガラ共有サセテ頂キマシタ。コレマデガ聴覚ト視覚ダケ共有シテイタトコロニ、触覚ト味覚ヲ追加シマシタ」

 なんか地味だなぁと、思ったけど、無名さんが気にするかもしれないので口には出さなかった。
 さておき、今の現状と今後の方針について、無名さんと軽い打ち合わせをした。
 名前を偽り、神様を装って、これまで翔楼の家で世話になっていたこと。
 翔楼との生活はおしまいだということ。そして今日からは、茶待君のところでお世話になるということ。
 翔楼から茶待君へのメールを偶然目撃したミミちゃんが、急遽一緒にやって来たということ。
 思いつく限りのことはすべて話した。
 
「ワカラナイノデスガ、名前ヲ偽ル必要ガアッタノデスカ?」

「姿を消してまで、私から秘密を隠し通そうとする人だよ?本当の名前を名乗ったりなんかしたら、教えてもらえるものも、教えてもらえなくなっちゃうよ。そもそも信じてもらえるかも微妙なところなのに…」

「ソウイウモノデスカ?」

「そう言うものだよ」 

「ソレニシテモ、オ通夜ツウヤミタイニ暗イ雰囲気デスネ。本当二彼ラハゴ友人ナノデスカ?」

 リビングの様子を窺っていると、陰鬱そうに無名さんが言った。
 翔楼、茶待君、そしてミミちゃん。久方ぶりに対面したというのに、私が席を外してからというもの、一段と重苦しい空気を展開している。
 茶待君が必死になって場の空気を取り持とうとしているけど、どれも空振りしているようだ。
 昔は仲良くお喋りしていたのに、今の光景を見ると悲しくなる。
 特に翔楼とミミちゃん。二人が再会を果たした時から、二人からは気まずさを通り越した、並々ならぬ因縁を感じとった。
 時間は人を変えるって言うけど、なんでもないいから早く、前見たいな仲良しに戻ってほしい。

「ところで無名さんさん。翔楼には私の声が聞こえるみたいなんだけど、これって一体どういうことなの?」

「スミマセン。ソモソモ前例ガ少ナイノデ、私ニモ何ガ何ヤラ…」

 どうやら、翔楼の言葉を解する力は、悠久の時を生きる無名さんにもわからないようだった。

「ソレヨリモ恩人様。報告シタイコトガ…」

 改まった様子の無名さんに、私は「どうしたの?」と返した。
 すると無名さんは、自身満々に告げた。
 
「ドウヤラ私ノ神気ガ思イノホカ、回復シテイルヨウデシテ。コレナラ想定ヨリモ早ク、祝福ヲ与エルコトガ可能カモシレマセン」

 他者に祝福を与えるという、無名さんの力。私を体に留めるのにも、その神気をつかっているという。
 元々は、生命を次のステージへとアップデートさせることが、本来の能力の使い方らしい。
 弱き生命を強い存在へ。強い生命は、さらに強い存在へと…。
 しかし、あらゆる神秘に制限を課すこの世界では、その力にも限度がある。
 それは人の観測できる次元を、ほんの少しだけ拡張できる程度。つまり、高次元へのアクセスを可能にして、死者や無名さんの声を、聞こえるようにすることだ。
 当初はこの祝福の力を、翔楼に与えるつもりでいたけど、何故か翔楼は、私の言葉を理解することができていた。そのため、祝福を与える必要が無くなっている。
 だけど、真相に辿り着く事が出来なかった今、私にはさらなる仲間が必要だ。
 というか、それで真実にたどり着ける。

「神気ノ回復マデ、アト数日デス」
 
「うん。誰に祝福を使うかは、もう決まっているよ」

 私はその人物を、鋭い眼光で睨んだ。

「片桐茶待君。彼に祝福を与えて、全ての真実を聞き出そう!」
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