君を知る前の僕には戻れない

にまる いお

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46話 前を向く途中

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朝の空気はまだ少し冷たい。春菜は窓を開け放ち、吸い込んだ息の澄んだ感触に小さく微笑んだ。

蒼真への想いに区切りをつけてから数日。鏡に映る顔も、以前よりすっきりして見える。

通勤電車の中、車窓を流れる景色に心を預ける。あの締めつけるような痛みは確かに和らいでいた。ただ、完全に消えたわけではない。時折、ふとした瞬間に胸の奥がちくりと痛むことがある。

それでも以前とは違う。痛みがあっても、それに支配されることはなくなっていた。

---

職場での一日も、落ち着いて過ごせるようになった。書類を整理する手元の動きに、不安の影を落とすこともなくなっていた。

昼休み、給湯室で水を汲んでいると、成瀬が声をかけてきた。

「この前の資料、ありがとうございます。助かりました」

「ううん、役に立ててよかったよ」

何気ない会話。それだけなのに、以前より自然に微笑めている自分に気づく。

成瀬が去った後、春菜は一人でコーヒーを淹れながらつぶやいた。

「少しずつ、かな」

完全に元通りになったわけではない。でも、確実に前に進んでいる。

---

午後、香澄は会議室で成瀬と資料を広げていた。

「成瀬くんの提案、とても参考になります。この構成で進めましょう」

「ありがとうございます」

成瀬が照れたように笑う姿を見て、香澄は小さく微笑んだ。

自分の気持ちを「恋かもしれない」と認識してから、成瀬との時間が以前より意味を持つようになった。会話の一つ一つ、笑顔の一つ一つが、心に深く刻まれる。

(まだ、どうしたいのかはわからないけれど)

ただ、この時間が大切に思えることだけは確かだった。

---

蒼真は混乱から立ち直ろうとしていた。しかし、それは思うほど簡単ではなかった。

仕事に集中しようとするが、ふとした瞬間に春菜の姿が浮かんでしまう。書類をめくる手が止まり、会議中に彼女の声を思い出すことさえある。

「社長、昨日の件、どうしましょうか」

部下からの問いに、一拍遅れて答える。

「……この方向で、進めてください」

声に自信がない。そんな自分を、誰よりも本人がわかっていた。

---

その夜、春菜は久しぶりに料理をしていた。

簡単なパスタだったが、手を動かすことで心が落ち着くのを感じる。

(私、変わったかもしれない)

蒼真への想いは確かに区切りがついた。でも、それは単に諦めただけではなく、自分自身と向き合えるようになったということでもある。

香澄は夜のお茶を飲みながら、成瀬のことを思い出していた。

(あの人と話していると、なぜか心が軽くなる)

何だか落ち着かない感覚だった。それでも、胸の奥はほんのり温かかった。

---

夜、自宅の書斎で遅い夕食を取りながら窓の外を眺める。
(まだ、駄目だな)
忘れようとするほど、春菜のことばかり考えてしまう。あの夜の拒絶の言葉が何度も蘇り、胸を締めつけた。

(本当に、あれで終わりでよかったのか)

自問自答を繰り返しても答えは出ない。時間が解決してくれると信じていたが、現実はそう甘くない。
それを知りながらも、前に進むすべを見いだせずにいた。

三人それぞれが、自分なりのペースで歩き続けていた。完全に癒えたわけではないが、立ち止まることもない。

小さな変化の積み重ね。それが、新しい何かの始まりになるのかもしれなかった。
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