君を知る前の僕には戻れない

にまる いお

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4話 まっすぐなひと

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数日後、春菜は定時ぎりぎりまで資料作成に追われていた。

「これでよし……っと」

小さく息をつくと、スマホが震えた。

> 優斗「今日は仕事早く終わった。迎えに行こうか?」

思わず笑みがこぼれる。
忙しい日々のなか、こうして連絡をくれることが、思いのほか嬉しかった。

> 春菜「うん、ありがとう。ロビーで待ってて」

---

会社のロビーに降りると、優斗が手をポケットに突っ込んで立っていた。
彼の顔を見るだけで、春菜の肩の力がすっと抜ける。

「おつかれ。頑張ったね、今日も」

「ありがとう。優斗は? 仕事、落ち着いた?」

「まあまあ。でも春菜に会えたから元気出た」

「……もう、そういうの急に言うのやめてよ」

照れ隠しのように笑い合うふたり。

---

そのまま駅前のベンチで、軽く夜風にあたりながら話す。
他愛もない会話の中で、ふいに優斗が言った。

「春菜ってさ、昔から真面目だよね。俺、そういうとこいいと思う」

「え……なに、急に」

「いや、改めて思っただけ。俺とは正反対だけど、だから惹かれたのかもな」

春菜は視線をそらすように、夜空を見上げる。

「……ありがと」

その言葉が、なんだか胸の奥にふわりと灯った。
好きになってよかった。

---

ふたりは電車のホームで手を振り合い、別れた。
家路をひとり歩きながら、春菜はスマホの画面をそっと見つめた。

> 優斗「今日は会えて嬉しかった。明日も頑張ろうな」

春菜は短く返事を打つ。

> 春菜「うん。おやすみなさい」

画面を伏せたとき、どこかで見えない未来への不安が、ふっとよぎった。
けれど、それをすぐに打ち消す。
今はただ、優斗と築くこの関係を、大切にしていたかった。

---

翌日の午後、社内チャットに通知が届いた。
差出人は──高瀬蒼真。

【KITE社・高瀬社長】
「本日17時以降、お時間いただけますか?
先週お約束した企画案について、ご相談があります」

ディスプレイに浮かぶその名前に、春菜の胸がわずかに高鳴る。
先週──緊張しながら臨んだ、KITE社への初回提案。
あの時、蒼真が「次回、具体的な企画案をお持ちします」と言っていた。

ほんの一瞬、戸惑いがよぎる。
でもすぐに、キーボードに指を置いた。

【春菜】
「はい、大丈夫です。17時にKITE社へ伺います」

送信ボタンを押すと同時に、自分の中で何かが静かに切り替わった気がした。
これは、チャンスなのかもしれない──。

---

17時ちょうど、KITE社に到着。
受付を済ませ、案内された会議室のドアを軽くノックする。

「失礼します」

「どうぞ。お待ちしていました」

先に部屋にいた蒼真が、穏やかな笑みで出迎える。
その落ち着いた口調に、春菜の緊張が少しだけ和らいだ。

「お忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。実は、お話ししたい案件があるんです」

蒼真は手元の資料を広げながら、説明を始めた。

「3ヶ月後、弊社で新サービスのローンチイベントを予定しています。規模は中規模で、業界関係者とメディア向けです。会場は都内のホテル、参加者は150名程度を想定しています」

春菜は手帳を取り出し、メモを取りながら聞いた。

「新サービスの内容は、企業のブランディング支援に特化したコンサルティングサービスです。ターゲットは中小企業の経営者層。このイベントで、サービスの認知度向上とリード獲得を目指したいと考えています」

「なるほど。イベントの方向性としては、どのようなものをお考えですか?」

「堅い発表会ではなく、参加者同士の交流も重視したいですね。新サービスの魅力を伝えつつ、来場者にとって価値のある時間にしたい」

春菜は頭の中で、これまでの経験を整理しながら考える。

「でしたら、基調講演とパネルディスカッション、そして交流会の3部構成はいかがでしょう?基調講演で高瀬社長にサービスの展望をお話しいただき、パネルディスカッションで業界の有識者と意見交換。最後に立食形式の交流会で、参加者同士のネットワーキングを促進する、という流れです」

蒼真は興味深そうに聞いている。

「パネルディスカッションの登壇者は、どのような方を想定されますか?」

「中小企業のブランディングで実績のあるコンサルタントの方や、実際にブランディングで成功した企業の経営者の方。あとは、メディア関係者の方もいらっしゃると、多角的な視点で議論できると思います」

「それは面白そうですね。会場の装飾や演出についても、何かご提案はありますか?」

春菜は少し考えてから答えた。

「新サービスがブランディング支援ということでしたら、会場自体もブランディングの実例として見せられればと思います。KITE社のコーポレートカラーを効果的に使った装飾で、洗練された印象を演出する。参加者の方々に『この会社なら、確かに良いブランディングをしてくれそう』と感じていただけるような空間作りはいかがでしょうか」

蒼真の表情が、わずかに明るくなったように見えた。

「なるほど。イベント自体が、弊社のブランディング力を示すショーケースになるということですね」

「はい。そして交流会では、参加者の方々に新サービスの資料をお渡しするだけでなく、簡単な個別相談ブースを設けることもできます。関心の高い方には、その場でより詳しいお話をしていただけると思います」

ふたりは資料を見ながら、詳細を詰めていく。
蒼真は春菜の提案に対して的確な質問をし、春菜もそれに丁寧に答えていく。

──不思議だった。
商談のはずなのに、まるで自然な会話のように言葉が交わされる。
居心地の良い静けさのなか、一通りの話が終わった瞬間──蒼真がぽつりと口を開いた。

「水沢さんのご提案、とても具体的で実現可能性が高いですね。一つ一つの提案に、きちんと理由がある」

「ありがとうございます。まだ細かい部分は詰めていかなければなりませんが……」

「いえ、それは当然です。ただ……」

蒼真は春菜の目を見つめて続けた。

「水沢さんは、言葉の芯がぶれないですね」

「え?」

「伝え方に迷いがない。だから聞いている側も、自然と耳を傾けたくなる。……最近、そういうプレゼンはあまり見かけません」

「そんな、まだまだです……」

春菜が視線を逸らすように笑うと、蒼真は小さく首を振った。

「それは謙遜です。ビジネスの場では、大きな強みになると思いますよ」

その言葉が、すっと胸に染みこんだ。
優しいのに、なぜか切ない。
でも──心のどこかが、確かに温かくなっていた。
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