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7話 気づいてしまった夜
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その日はKITE社での打ち合わせだった。
春菜は少し緊張しながらも、事前に作り込んだ資料を胸に抱え、会議室Bのドアをノックした。
「失礼します」
「どうぞ」
先に入っていたのは蒼真だけだった。会議は午後からの予定だが、「個別に話がしたい」という一文がメールに添えられていたのを、春菜はまだ忘れられずにいた。
「こちらにどうぞ」
穏やかな声に導かれ、対面の席に腰を下ろす。静かな会議室に資料の紙をめくる音が微かに響く。
「資料、見させてもらいました。前回の指摘も、よく反映されていますね」
「ありがとうございます。少しでも読みやすくなるように、構成を見直してみました」
「伝わってますよ。……こういうところ、あなたは細かいところまで目が届く。熱意もあるし」
春菜は一瞬、言葉に詰まる。その視線が、まっすぐに自分を見ているのを感じた。
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
資料について話しているうちに、蒼真は春菜の真剣な表情を見ながら、ふと思った。いつも一生懸命で、素直で。こんな人が、プライベートではどんな時間を過ごしているのだろう。
「……水沢さんは、お忙しいでしょうね。こんなに丁寧に仕事をされていると、休む暇もないんじゃないですか」
「そんなことはないです。ちゃんと、プライベートの時間も作っています」
春菜は少し照れたように笑った。
「恋人の方もいらっしゃるんですか?」
言葉が出てしまってから、蒼真は自分でも驚いた。なぜそんなことを聞いたのか。
唐突な問いに、春菜は一瞬目を見開いたが、すぐに小さく笑って答えた。
「はい。……長く付き合っている人がいます」
その言葉に、蒼真は少しだけ視線を伏せた。そして、穏やかな微笑みを浮かべる。
「そうですか。きっと、その方も大切にされているんでしょうね」
春菜は気づかなかった。
その一瞬だけ、蒼真の声がほんのわずかに揺れていたことに。
---
会議は、淡々と進んだ。
春菜はいつものように丁寧に説明し、蒼真もいつものように鋭く、しかし温かい視点でコメントを返す。ビジネスのやりとりとしては、何ひとつ問題はない。けれど、蒼真の胸の奥には、今までとは違うざわめきが残っていた。
(恋人がいるんだな……)
それは、ほんの一言だった。けれど、なぜだろう。どこかで予想はしていたはずなのに、思った以上に胸の奥が重い。
会議が終わったあと、春菜が会釈をして退室しようとしたそのときだった。
「水沢さん」
「はい?」
春菜が振り返る。
「……今後の展開、僕は楽しみにしています。あなたの仕事には、いつも気持ちがこもってるから」
「……ありがとうございます。すごく、励みになります」
春菜は笑って、静かに扉の向こうへと去っていった。
蒼真はしばらくその背中を見つめていた。まっすぐで、誠実で、どこか儚げな人。仕事相手として、最初はただそれだけだった。けれど今は、その誠実さが、胸に残ってしまっている。
(……いつから、こんなふうに思うようになったんだろう)
---
夕方。残業を終えてオフィスを出ようとした時、蒼真は偶然エントランスの大きな窓から外を見た。
夕暮れの中、一台の車が停まっている。ハザードランプが静かに点滅していた。そこに春菜が駆け寄って、運転席から降りた青年と笑顔で話している。男性が春菜にコートをかけてやる仕草は、慣れた日常の一コマのようだった。
(……あの人が、彼か)
自然に寄り添う二人の姿を見て、蒼真は静かに目をそらした。
(そうか……俺は、きっと)
ようやく自分の気持ちがはっきりした。けれど、それと同時に、もう答えは出てしまっているということも分かった。
蒼真は振り返らずに、別の出口へと向かった。
---
KITE社を出てからの帰り道、蒼真は車を使わず、ふと足の向くまま夜の街を歩いていた。
すれ違う人々の顔も、喧騒も、今はただの風景のように流れていく。
(……あの笑顔を、もっと見ていたいと思った)
水沢さんが見せた、嬉しそうな、けれど少し照れくさそうな笑みが頭から離れなかった。
仕事の話をしているだけなのに、その表情を見ているだけで、胸が暖かくなった。
(でも、もう十分だ)
自分に言い聞かせるように、蒼真は小さく息をついた。
彼女には大切な人がいる。それは、とても自然なことだった。
(仕事は、これからも続いていく)
その中で、彼女の成長を見守ることはできる。良い提案があれば、きちんと評価もしてあげよう。
(……それで、いいんだ)
---
一方、アパートの前で春菜は優斗に手を振りながら笑っていた。
その笑顔を見て、優斗も少し照れたように頷く。
「また、連絡するよ。……無理すんなよ」
「うん、ありがとう。……おやすみ」
車のテールライトが角を曲がって見えなくなってから、春菜は家の中へと入っていった。
---
帰宅後の夜。
蒼真は、デスクの上に置いたファイルに手を伸ばしかけて、ふと止めた。
(……また、明日にしよう)
いつもなら夜遅くまで仕事をしているのに、今日は何となく集中できそうにない。
それだけ呟いて、デスクのライトをそっと消す。
部屋の中に静寂が広がる。
(きっと、明日からは、いつも通りだ)
そう思いながら、蒼真は静かに眠りにつこうとした。けれど、心の奥で何かが変わってしまったことを、彼は薄々感じていた。
春菜は少し緊張しながらも、事前に作り込んだ資料を胸に抱え、会議室Bのドアをノックした。
「失礼します」
「どうぞ」
先に入っていたのは蒼真だけだった。会議は午後からの予定だが、「個別に話がしたい」という一文がメールに添えられていたのを、春菜はまだ忘れられずにいた。
「こちらにどうぞ」
穏やかな声に導かれ、対面の席に腰を下ろす。静かな会議室に資料の紙をめくる音が微かに響く。
「資料、見させてもらいました。前回の指摘も、よく反映されていますね」
「ありがとうございます。少しでも読みやすくなるように、構成を見直してみました」
「伝わってますよ。……こういうところ、あなたは細かいところまで目が届く。熱意もあるし」
春菜は一瞬、言葉に詰まる。その視線が、まっすぐに自分を見ているのを感じた。
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
資料について話しているうちに、蒼真は春菜の真剣な表情を見ながら、ふと思った。いつも一生懸命で、素直で。こんな人が、プライベートではどんな時間を過ごしているのだろう。
「……水沢さんは、お忙しいでしょうね。こんなに丁寧に仕事をされていると、休む暇もないんじゃないですか」
「そんなことはないです。ちゃんと、プライベートの時間も作っています」
春菜は少し照れたように笑った。
「恋人の方もいらっしゃるんですか?」
言葉が出てしまってから、蒼真は自分でも驚いた。なぜそんなことを聞いたのか。
唐突な問いに、春菜は一瞬目を見開いたが、すぐに小さく笑って答えた。
「はい。……長く付き合っている人がいます」
その言葉に、蒼真は少しだけ視線を伏せた。そして、穏やかな微笑みを浮かべる。
「そうですか。きっと、その方も大切にされているんでしょうね」
春菜は気づかなかった。
その一瞬だけ、蒼真の声がほんのわずかに揺れていたことに。
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会議は、淡々と進んだ。
春菜はいつものように丁寧に説明し、蒼真もいつものように鋭く、しかし温かい視点でコメントを返す。ビジネスのやりとりとしては、何ひとつ問題はない。けれど、蒼真の胸の奥には、今までとは違うざわめきが残っていた。
(恋人がいるんだな……)
それは、ほんの一言だった。けれど、なぜだろう。どこかで予想はしていたはずなのに、思った以上に胸の奥が重い。
会議が終わったあと、春菜が会釈をして退室しようとしたそのときだった。
「水沢さん」
「はい?」
春菜が振り返る。
「……今後の展開、僕は楽しみにしています。あなたの仕事には、いつも気持ちがこもってるから」
「……ありがとうございます。すごく、励みになります」
春菜は笑って、静かに扉の向こうへと去っていった。
蒼真はしばらくその背中を見つめていた。まっすぐで、誠実で、どこか儚げな人。仕事相手として、最初はただそれだけだった。けれど今は、その誠実さが、胸に残ってしまっている。
(……いつから、こんなふうに思うようになったんだろう)
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夕方。残業を終えてオフィスを出ようとした時、蒼真は偶然エントランスの大きな窓から外を見た。
夕暮れの中、一台の車が停まっている。ハザードランプが静かに点滅していた。そこに春菜が駆け寄って、運転席から降りた青年と笑顔で話している。男性が春菜にコートをかけてやる仕草は、慣れた日常の一コマのようだった。
(……あの人が、彼か)
自然に寄り添う二人の姿を見て、蒼真は静かに目をそらした。
(そうか……俺は、きっと)
ようやく自分の気持ちがはっきりした。けれど、それと同時に、もう答えは出てしまっているということも分かった。
蒼真は振り返らずに、別の出口へと向かった。
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KITE社を出てからの帰り道、蒼真は車を使わず、ふと足の向くまま夜の街を歩いていた。
すれ違う人々の顔も、喧騒も、今はただの風景のように流れていく。
(……あの笑顔を、もっと見ていたいと思った)
水沢さんが見せた、嬉しそうな、けれど少し照れくさそうな笑みが頭から離れなかった。
仕事の話をしているだけなのに、その表情を見ているだけで、胸が暖かくなった。
(でも、もう十分だ)
自分に言い聞かせるように、蒼真は小さく息をついた。
彼女には大切な人がいる。それは、とても自然なことだった。
(仕事は、これからも続いていく)
その中で、彼女の成長を見守ることはできる。良い提案があれば、きちんと評価もしてあげよう。
(……それで、いいんだ)
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一方、アパートの前で春菜は優斗に手を振りながら笑っていた。
その笑顔を見て、優斗も少し照れたように頷く。
「また、連絡するよ。……無理すんなよ」
「うん、ありがとう。……おやすみ」
車のテールライトが角を曲がって見えなくなってから、春菜は家の中へと入っていった。
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帰宅後の夜。
蒼真は、デスクの上に置いたファイルに手を伸ばしかけて、ふと止めた。
(……また、明日にしよう)
いつもなら夜遅くまで仕事をしているのに、今日は何となく集中できそうにない。
それだけ呟いて、デスクのライトをそっと消す。
部屋の中に静寂が広がる。
(きっと、明日からは、いつも通りだ)
そう思いながら、蒼真は静かに眠りにつこうとした。けれど、心の奥で何かが変わってしまったことを、彼は薄々感じていた。
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