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28話 名もなき痛み
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翌日、春菜は朝から妙な緊張感を抱えて出社した。
蒼真との会話が、頭から離れなかった。
(……あの時のことは、って何を言いかけたんだろう)
「気にしていません」という言葉の奥に、何か別の感情が隠されているような気がしてならなかった。
「春菜さん、今日の午後、KITE社から試作レビューの資料届くみたいです」
「え、そうなんだ」
成瀬の声に、春菜ははっとして目線を戻した。
「もしかしたら、急遽オンラインで確認依頼来るかもしれないんで、対応お願いしてもいいですか?」
「うん、大丈夫。来たらすぐ見るね」
(……午後にまた、彼から連絡が来るかもしれない)
春菜の心は、期待と不安が入り混じっていた。
---
午後三時すぎ、社内チャットに通知が届いた。
送り主は、高瀬社長――ではなく、KITE社の開発担当者からだった。
> 試作デザイン、更新版をお送りします。ご確認ください。
尚、レビューは木曜の午後に設定し直しました。—KITE開発担当・木本
(……彼じゃ、ない)
理由もない落胆が、春菜の胸に静かに沈んだ。
けれど、すぐに気を取り直して資料を開く。仕事に私情を挟まない。
とはいえ、夜になってもなぜか気持ちは晴れなかった。
---
退勤後、春菜は駅ビルの本屋に立ち寄った。気持ちをリセットしたくて、何かに没頭したかった。ビジネス書のコーナーを見ていると、ふいに背後から声が聞こえた。
「……偶然ですね」
振り返ると、そこにいたのは蒼真だった。スーツジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくり上げた姿は、いつもよりラフな印象だったが、その眼差しは変わらず静かだった。
「……こんばんは。お仕事帰りですか?」
「ええ、少し買いたい本があって」
「私も……同じです」
蒼真は手に持った本を会計に向かい、春菜も選んだ本を手に取った。会計を済ませた後、店の外に出ると、蒼真がためらうように口を開いた。
「……よろしければ、少しお話しませんか」
春菜は驚いたが、静かに頷いた。
---
駅前の小さな公園。街灯に照らされたベンチに、二人は少し距離を置いて座った。
平日の夜、公園には人影もまばらで、街の喧騒が遠くに聞こえるだけだった。
しばらくの沈黙の後、春菜が口を開いた。
「……この間のこと、やっぱり……私、気にしています」
蒼真は、少し驚いたように目を見開く。
「あなたが『あの時のことは』って言いかけたとき、本当は……何か言いたいことがあったんじゃないかって、思ってしまって」
言いながら、自分でもなぜここでこんなことを言ってしまうのかわからなかった。
蒼真は視線を夜空に向け、しばらく黙っていた。
「……そうですね」
その声は、ほんの少し、震えていた。
「本当は……あの日、君があの男性と笑っているのを見たとき、自分でも抑えがきかなくなりそうでした。
でも……君にとっては迷惑だったかもしれないと思って、何も言えませんでした」
春菜の胸が、静かに高鳴った。
「……迷惑なんかじゃ、ありません」
「春菜さん……」
また名前で呼ばれて、春菜の目がふいに潤んだ。あの夜の廊下での呼び方と同じ、特別な響きがあった。
「ただ……」
蒼真の声が途切れる。結婚の話、仕事上の関係、越えてはいけない線。すべてが彼の言葉を止めていた。
「わかっています」
春菜は小さく微笑んだ。
「でも、今夜だけは……ここにいさせてください」
静かな公園に、ふたりだけの時間が、確かに存在していた。
街灯の柔らかな光が、二人の間に落ちる影を優しく照らしていた。
蒼真との会話が、頭から離れなかった。
(……あの時のことは、って何を言いかけたんだろう)
「気にしていません」という言葉の奥に、何か別の感情が隠されているような気がしてならなかった。
「春菜さん、今日の午後、KITE社から試作レビューの資料届くみたいです」
「え、そうなんだ」
成瀬の声に、春菜ははっとして目線を戻した。
「もしかしたら、急遽オンラインで確認依頼来るかもしれないんで、対応お願いしてもいいですか?」
「うん、大丈夫。来たらすぐ見るね」
(……午後にまた、彼から連絡が来るかもしれない)
春菜の心は、期待と不安が入り混じっていた。
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午後三時すぎ、社内チャットに通知が届いた。
送り主は、高瀬社長――ではなく、KITE社の開発担当者からだった。
> 試作デザイン、更新版をお送りします。ご確認ください。
尚、レビューは木曜の午後に設定し直しました。—KITE開発担当・木本
(……彼じゃ、ない)
理由もない落胆が、春菜の胸に静かに沈んだ。
けれど、すぐに気を取り直して資料を開く。仕事に私情を挟まない。
とはいえ、夜になってもなぜか気持ちは晴れなかった。
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退勤後、春菜は駅ビルの本屋に立ち寄った。気持ちをリセットしたくて、何かに没頭したかった。ビジネス書のコーナーを見ていると、ふいに背後から声が聞こえた。
「……偶然ですね」
振り返ると、そこにいたのは蒼真だった。スーツジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくり上げた姿は、いつもよりラフな印象だったが、その眼差しは変わらず静かだった。
「……こんばんは。お仕事帰りですか?」
「ええ、少し買いたい本があって」
「私も……同じです」
蒼真は手に持った本を会計に向かい、春菜も選んだ本を手に取った。会計を済ませた後、店の外に出ると、蒼真がためらうように口を開いた。
「……よろしければ、少しお話しませんか」
春菜は驚いたが、静かに頷いた。
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駅前の小さな公園。街灯に照らされたベンチに、二人は少し距離を置いて座った。
平日の夜、公園には人影もまばらで、街の喧騒が遠くに聞こえるだけだった。
しばらくの沈黙の後、春菜が口を開いた。
「……この間のこと、やっぱり……私、気にしています」
蒼真は、少し驚いたように目を見開く。
「あなたが『あの時のことは』って言いかけたとき、本当は……何か言いたいことがあったんじゃないかって、思ってしまって」
言いながら、自分でもなぜここでこんなことを言ってしまうのかわからなかった。
蒼真は視線を夜空に向け、しばらく黙っていた。
「……そうですね」
その声は、ほんの少し、震えていた。
「本当は……あの日、君があの男性と笑っているのを見たとき、自分でも抑えがきかなくなりそうでした。
でも……君にとっては迷惑だったかもしれないと思って、何も言えませんでした」
春菜の胸が、静かに高鳴った。
「……迷惑なんかじゃ、ありません」
「春菜さん……」
また名前で呼ばれて、春菜の目がふいに潤んだ。あの夜の廊下での呼び方と同じ、特別な響きがあった。
「ただ……」
蒼真の声が途切れる。結婚の話、仕事上の関係、越えてはいけない線。すべてが彼の言葉を止めていた。
「わかっています」
春菜は小さく微笑んだ。
「でも、今夜だけは……ここにいさせてください」
静かな公園に、ふたりだけの時間が、確かに存在していた。
街灯の柔らかな光が、二人の間に落ちる影を優しく照らしていた。
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