君を知る前の僕には戻れない

にまる いお

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35話 その瞬間の、気配

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撮影から数日後

朝、社内の共有スペースに光が差し込む頃。
春菜は成瀬と並んでパソコンに向かっていた。

「……この間の撮影、まとめてみました。あとは写真をレイアウトに落とすだけで」

成瀬が画面を指差す。そこには、香澄と蒼真が並ぶ美しいツーショット――
チャペルの階段を背景に、穏やかに笑うふたりの姿があった。

春菜は目をそらすように、画面の隅に視線を滑らせた。

「……うん、いいと思う。全体のトーンも柔らかくて素敵」

「でしょ? 香澄さんって、なんか近寄りがたいのかと思ってたけど、意外と気さくでしたよね」

「そう……そうね」

春菜の返事は淡々としていたが、内心では複雑な思いが静かに渦巻いていた。

---

一週間後

その日、香澄は社内のスタジオブースに現れた。
次号特集の追加カットを撮るためだった。

「今日はよろしくお願いします」

柔らかな声で挨拶する香澄。成瀬は前回の撮影で話しやすい印象を持っていたのか、少しリラックスした様子で応えた。

「こちらこそ。今日の衣装も素敵ですね」

「ありがとう。成瀬くんのおかげで、この間の撮影も楽しかったわ」

香澄の笑顔が、より自然に見えた。成瀬も嬉しそうに微笑む。

そのやりとりを遠くで見ていた春菜は、気づけば手を止めていた。

(前より、親しくなってる……)

二人が楽しそうに話す姿に、ふと自分と蒼真の関係を重ねてしまう。

嫉妬ではない――ただ、自分の立場の曖昧さを改めて感じてしまう。微かな複雑さが生まれた。

撮影終了後

「お疲れさまでした」

春菜が挨拶すると、香澄は振り返って微笑んだ。

「春菜さんも、今日はありがとう。とても段取りが良くて助かったわ」

「いえ、こちらこそ」

香澄は荷物をまとめながら、何気なく口にした。

「そうそう、これから蒼真さんと一緒にドレスのフィッティングに行くの。結婚式用の本番のドレス選びなのよ」

春菜の手が、一瞬止まった。

「……そう、ですか」

「もう式まで時間がないから、準備が大変で。でも…」

香澄が一瞬、唇を噛むような仕草を見せた。その表情が、ほんの一瞬だけ陰ったのを春菜は見逃さなかった。

「香澄さん?」

「ああ、ごめんなさい。ちょっとぼんやりしちゃって」

香澄はいつもの笑顔に戻ったが、その笑みは少しだけ作られたもののように見えた。

「楽しみですね。きっと、お似合いのドレスが見つかりますよ」

春菜は努めて笑顔を作った。

(結婚式の……本当のドレス)

胸の奥で、重い石が落ちるような感覚があった。

「ありがとう。また今度、お写真見てくださいね」

香澄はそう言って、軽やかに出ていった。

残された春菜は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

「春菜さん、大丈夫ですか?」

成瀬が心配そうに声をかける。

「え? ああ、大丈夫。ちょっと疲れただけ」

春菜は慌てて笑顔を作った。でも、確実に何かが変わっていた。


---

同時刻――ブライダルサロン

香澄は、純白のドレスに身を包んで鏡の前に立っていた。背後では、スタッフが裾を整えている。

「お似合いですよ。ラインがとても綺麗です」

「ありがとうございます……」

微笑んだ香澄だったが、目元にはどこか影があった。

蒼真は少し離れたソファに腰掛けていた。手にはスマホ。画面を見つめながら、表情は冴えない。

「蒼真さん、どう? 変じゃないかしら?」

香澄が声をかけると、彼は顔を上げた。

「……いや、綺麗だ。すごく」

その言葉には嘘はなかった。けれど、その"熱"は――どこか遠い。

香澄は自分の胸元に視線を落とし、そっと言った。

「わたしね、子どもの頃から、こういう日を夢見てたの。でも、いざその日が近づくと……不思議。夢の中にいるみたい」

鏡の中の自分を見つめながら、香澄は小さく微笑んだ。

蒼真はその姿をじっと見ていた。けれど、その視線もまた、どこか過去を探しているようだった。
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