君を知る前の僕には戻れない

にまる いお

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36話 指輪に触れた日

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ブライダルサロンから1週間後の午後。
蒼真と香澄はジュエリーショップの一角にあるブライダルコーナーを訪れていた。

「こちらのセットは、最近人気のデザインでして。シンプルですが飽きのこないフォルムが特徴です」
と、店員が笑顔で説明する。

ショーケースには、柔らかな光を受けて輝く指輪が並んでいた。

「……きれいね」

香澄はケース越しに目を細めた。
白いブラウスが照明の光を反射して、ふわりと柔らかく浮かび上がる。

蒼真は少し離れた位置から、彼女の横顔を静かに見つめていた。

「……上品で、似合いそうだな」

「ええ。指が細く見えるデザインだし、つけ心地も良さそう」

香澄はさらりと答えた。
その声は穏やかだが、どこか淡々としていた。

プラチナ、ピンクゴールド、ダイヤの有無――いくつかの指輪を試しながら、香澄は手元のタブレットにメモを取り、スタッフに細かな質問を投げていく。

「これ、セットリングになってるのね。将来的に重ねづけしても違和感なさそう」

「……そうだな」

一拍遅れて返ってきた蒼真の声。
香澄はちらりと彼を見たが、何も言わず、また指輪に視線を戻した。


---

接客が終わり、店員が会計カウンターへ戻っていったあと、
ふたりはショップの前で並んで立っていた。

「……蒼真さん、今日の指輪、どうだった?」

「よかったと思う。君にも似合ってたし」

「そうね。でも……」

香澄は少し間を置いて、遠くを見るように言った。

「ドレスに指輪……全部が順調に進んでいるのに、気持ちだけが追いついていかないの。不思議なものね」

その言葉に、蒼真の表情がわずかに曇る。

「……香澄さん」

「ごめんなさい。変なこと言ったわね」

香澄は軽く首を振って微笑んだ。

「でも、せっかくだから、いい関係は築いていきたいの。お互いのために」

「……そうだな。僕も、そう思ってる」

蒼真の返答は誠実だったが、どこか重みがあった。

「この指輪、候補として覚えておきましょう。もう少し他も見てから決めたいわ」

「ああ……わかった」

その「わかった」が、どこかぎこちなく響いたことに、
お互い気づきながらも、そっと目を伏せた。


---

その日の夜。
香澄はひとり、部屋のソファに座っていた。

スマホの画面には、日中に試着した指輪の写真が表示されている。

美しいデザイン、柔らかな光。これから蒼真と身につけることになる象徴。

(理想的な結婚生活……)

でも、なぜか心は軽やかではなかった。

ふと、先週の撮影のことを思い出す。あの時の成瀬の素直な笑顔。なぜか印象に残っている。

(なぜ、あの人のことを思い出すのかしら……)

香澄は自分でも不思議だった。これまで、結婚を意識してから他の男性のことを考えることなどなかった。

でも最近、ふとした瞬間に成瀬の屈託のない笑顔が頭をよぎる。それも、決して嫌な気持ちではない。

香澄はスマホを置いて、小さくため息をついた。

(私、どうしちゃったのかしら……)

結婚準備が進む中で、胸の奥に小さな混乱が芽生えていた。
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