君を知る前の僕には戻れない

にまる いお

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34話 揺れる立ち位置

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プロジェクト開始から一週間。

午後の社内会議室には、ブライダルフェアの準備資料が積み上がっていた。春菜と成瀬は、来週末に予定されている撮影のスケジュールとパンフレット構成を確認していた。

「これが当日のタイムテーブル。香澄さんと高瀬社長の撮影は午前中で押さえてあります。春菜さん、この写真ロケ、俺が同行していいですか?」

「もちろん。現地で確認するほうが安心だし」

春菜の声は落ち着いていた。仕事に集中することで、なんとか平静を保っていた。

「香澄さんと高瀬社長の撮影カット、会場Aに変更でいいですね?」

成瀬が資料に目を通しながら確認すると、春菜は頷いた。

「うん。午前の自然光が一番きれいに入る時間だから、ベストだと思う」

「香澄さんって、実際どんな人なんでしょうね。財前グループのお嬢さんって聞くと、ちょっと近寄りがたいイメージが」

「どうかな。撮影で会えば分かるよ」

---

撮影当日。

春菜と成瀬は、都内の人気ブライダル会場に足を運んでいた。

館内は柔らかな白を基調にしたインテリアで統一され、自然光が差し込むチャペルが撮影の舞台だった。

「すごく素敵な会場ですね」

成瀬が感嘆の声を上げる。

「うん。この会場を選んだのは正解だね」

準備作業を進めていると、メイクルームから香澄が姿を現した。純白のウエディングドレスに身を包んだ姿は、まさに理想的な花嫁だった。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

香澄の挨拶は上品で、でも親しみやすさも感じられた。

「こちらこそ。お早い時間からありがとうございます」

春菜が応えると、香澄は微笑んだ。

「楽しみにしていたの。こういう撮影は初めてで」

そのとき、会場の入口から蒼真が現れた。黒のタキシードに身を包んだ姿は、香澄と並ぶのにふさわしい装いだった。

春菜の胸が、小さく跳ねる。仕事だと分かっていても、彼を見ると心が揺れてしまう。

「おはようございます。本日はよろしくお願いします」

蒼真の声は、いつもの業務的な丁寧さがあった。春菜と目が合った瞬間、軽く会釈を交わすが、つい目をそらせない。

――一瞬だけ時が止まったが、春菜は深呼吸をして気持ちを切り替えた。

「それでは、準備が整い次第、撮影を開始します」


---

撮影は順調に進んだ。香澄と蒼真は絵になるカップルで、カメラマンも満足そうだった。

「お二人とも、とても自然ですね」

休憩時間に、成瀬が感想を漏らした。

「慣れているのかもしれないね」

春菜は撮影データを確認しながら答えた。客観的に見て、二人は確かによく似合っていた。でも、恋人同士というより、良きパートナーのような雰囲気だった。

撮影の合間、香澄が一人でいる時間があった。春菜が水を差し出すと、香澄は感謝を込めて受け取った。

「ありがとう。春菜さん、でしたよね?」

「はい」

「とても段取りがお上手ね。撮影って、こんなにスムーズに進むものなの?」

「スタッフの皆さんが優秀だからです」

謙遜する春菜に、香澄は微笑んだ。

「謙虚な方ね。でも、きっと春菜さんの采配があってこそよ」

その時、成瀬が機材の準備をしながら近づいてきた。

「香澄さん、お疲れさまです。ドレス、本当にお似合いで」

「ありがとう。成瀬くんって、いつもそんなに明るいの?」

香澄の問いかけに、成瀬は少し照れたように笑った。

「まあ、職業病かもしれません。撮影現場って、明るい方が良い写真が撮れるんで」

「素敵ね。そういう考え方」

香澄の表情が、ほんの少し柔らかくなったのを春菜は見逃さなかった。

---

撮影が終了すると、蒼真は早々に会場を後にした。

「お疲れさまでした。仕上がりを楽しみにしています」

春菜への挨拶も、最小限だった。その素っ気なさが、かえって胸に刺さる。

香澄は着替えを済ませてから、ゆっくりと春菜たちに挨拶をした。

「本当にありがとう。とても楽しい撮影だったわ」

「こちらこそ、ありがとうございました」

春菜が答えると、香澄はふと成瀬の方を向いた。

「成瀬くん、また機会があったら、お話しできると嬉しいわ」

「え、あ、はい!こちらこそ」

成瀬の慌てた様子に、香澄は楽しそうに笑った。


---

会場を出る時、春菜は一人で振り返った。

(綺麗な撮影だった)

蒼真と香澄の姿を思い返すと、胸の奥が少しだけ熱くなる。仕事に集中していたせいか、今になってやっと気づく自分の気持ち。――私たちにも、あんな風に自然に笑い合える日が来ればいいな、とほんの一瞬だけ思った。

でも、その期待が現実的ではないことは、胸のどこかで分かっている。

春菜は小さく息を吐き、心の奥の高鳴りをそっと胸にしまった。
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