ラジオの中の届かなかった想い

にまる いお

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㉔ 許しの音

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放課後、夕暮れの光が校舎の窓を朱く染めていた。
すずりは廃校の裏手にある坂道を、静かに登っていた。
手にはノートと筆記用具。けれど、それは言い訳のようなものだった。

(……本当は、勉強しに来たわけじゃない)

大学の入試も近い。課題は山ほどある。
朗読の練習だって、本当なら学校の放送室を借りればいい。
でも、どうしても違うのだ。
廃校の放送室じゃなきゃ、だめだった。

あの日、怖い思いをした。
それでもここは、彼の声が生きている場所。
月島悠の、あの未送信の言葉がまだ空気の中に残っている気がする。
——それが、すずりにとっての「家」だった。

家に帰れば、母の笑い声が響く。
隣にはあの若い恋人。
すずりの居場所は、そこにはもうなかった。

(……逃げ場が、ほしかった)

放送室の前に立ち、扉に手を伸ばす。
ノブの冷たさが、掌に伝わる。
胸の鼓動が速くなる。

(また、誰かがいたらどうしよう)
(でも、逃げたくない)

扉を開けると、夕陽の光に包まれた放送室の中に、
あの日と同じ後ろ姿があった。

椅子に座る男性――大悟。
彼はヘッドホンを外し、こちらにゆっくりと顔を向ける。
静かな目。
その中に、敵意も興味もなかった。ただ、落ち着いた静けさ。

「……この時間、よく来るんだね」

声は低く、柔らかかった。
すずりは一瞬、足がすくむ。
けれど、その声音が、思っていたよりもずっと穏やかで――
ほんの少しだけ、息ができた。

「……ちょっと、落ち着ける場所が欲しくて」

彼は一瞬だけ目を伏せ、それから穏やかに頷いた。
 
「……静かだもんね、ここ」

その言葉に、張りつめていた空気がゆるんだ。
すずりは放送室の隅に腰を下ろし、ノートを開いた。
ペン先を動かしながら、ふと視界の端に目をやる。

テーブルの上に置かれたカセットテープ。
その白いラベルに、見覚えのある文字があった。

——放送:2015年6月10日 未送信.

胸の奥がじん、と熱くなる。
心の奥の“声”が目を覚ます気がした。

「……そのテープ、聴いてるんですか?」

思わず口に出すと、大悟は一瞬驚いたように目を見開き、
すぐに、柔らかな表情でうなずいた。

「うん……不思議だね。たった声なのに、こんなに優しい気持ちになるなんて」

大悟は静かにテープを見つめた。
夕陽が彼の横顔を照らす。
古い放送機材に反射する光が、
どこか懐かしい時間を呼び覚ますようだった。

「ここ、いい場所だよね」
「……はい」

その一言だけで、
空気が変わった。
すずりの胸の奥で、冷えていたものが少しずつ溶けていく。

彼は何も聞かない。
ただ、そっとそこにいるだけ。
それが、なぜか安心だった。

ページの端に文字を書く。
ペンの音。
窓の外の風の音。
そして——古いスピーカーから、
かすかに流れ出したテープの音。

それは、かつての月島悠の声だった。
淡く滲むような響き。

すずりの手が止まる。
頬に触れる風が、少しだけあたたかかった。

(……あぁ、やっぱりここだ。
 ここが、私の声のある場所だ)

すずりは深く息を吸い込み、
そっとペンを置いた。
目を閉じると、静かな放送室の空気の中に、
自分の鼓動だけが響いていた。

大悟は窓の外に目を向けたまま、静かに言った。

「……僕、ひどいことをした。  
 ……相手の気持ちを、勝手に決めつけて。  
 傷つけて、壊したんだ」

すずりは少し戸惑いながらも、まっすぐに彼を見た。
すずりの胸の奥がきゅっと締めつけられた。
彼の言葉の“温度”が、どこか現実離れしているように感じた。

「……その人に、謝りたいんですね」

大悟は小さくうなずく。
「……でも、謝る資格があるのか分からない。  
 僕みたいな人間を信じなくていい。
でも、君の話し方はさ——まっすぐで、きれいだね」

静かな沈黙が流れた。
その言葉の奥に、すずりは説明できない痛みと“怖さ”を感じていた。
でも、不思議と逃げたいとは思わなかった。
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