神さまの嫌われもの

marvin

文字の大きさ
11 / 65
3章 天上の火の粉

第11話 急行

しおりを挟む
「いい給餌機があるの。ルクスルーナの工房で作った最新式。今あるのは亀用なんだけど、心配しないで。きっと、人にも使えると思うから」
 亀用って何だ。ザイナスは呻いた。
「うっかり死なれたら困るから、檻の居心地は良くしてあげる。頑丈にするし、外にも出さない。だって、危ないから。他の奴らに見つかるかも、だし」
 クリスタの笑顔はどこまでも無邪気だ。愛玩動物が脱毛症を患う類の愛情だ。死刑が終身刑になった。それを減刑と喜ぶべきだろうか。
「ところで、ザイナスくんさあ――」
 生まれついての厄憑きだ。理不尽な災厄には慣れている。これが諍いの類であれば、道理を見つけて回避もできた。だが、目の前にあるのは天災だ。
 これが御使いの感覚か、それとも彼女の性格なのか。いずれにしても、問題だ。死んでいないというだけで、自由の範囲はほぼ皆無。逃げる機会もないではないが――いっそ亀の先達に、脱出のコツを訊くべきかも知れない。
「ねえ、おい、聞いてんの?」
 詰め寄る鼻先を見つめて返し、はあ、とザイナスは機の抜けた声で応えた。
 むう、とクリスタは口を尖らせる。
「何でかな。余裕あるよね、ザイナスくん」
 単に途方に暮れているだけだ。
「やっぱり、今すぐ召されたい?」
 そんな事は思いもしないが、オルガはそれを人の望む栄誉だと信じていた。
「寿命は全うしたいですね」
 我が身を差し出すほど敬虔ではない。むしろ、奉神不在の無信心者だ。
「それは無理。スヴァールに取られるなんて、もっと嫌」
 言って、クリスタはザイナスを見遣る。平然と――単に亡羊としているだけだが――見返すザイナスに、微かに目許に朱が差した。
「自分の立場はわかってるかな、ザイナスくん」
 つんとした鼻の根に小皺を寄せて、クリスタが睨む。
「ええ、たぶん」
 応えて逃げ場を思案する。説得が無理なら物理的に。
「だったら、あたしとしては、もう少し子羊っぽくメエメエ鳴いて欲しいんだけど」
 また、勝手なことを言い出した。
 だが、オルガとは信者の捉え方が違う。今の人生が御柱の望みより優位にあることを知っている。クリスタ自身がそうだからだ。その上で、彼女はザイナスを逃す気がない。いたぶり楽しむ猫の嗜虐性が顔を覗かせている。
 彼女の嗜好を擽るべきか。返答を思案して、諦めた。要は、面倒この上ない。
「メエメエ」
 さて、彼女の度量はどの辺りだ。
 クリスタの表情を黙って眺め、ザイナスは先を推し量る。蛇を踏むような心持ちだが、死ぬまで幽閉すると宣言した相手に遠慮する必要もない。
「喧嘩、売ってる?」
「畏れ多い」
 白銀の光を垣間見て、ザイナスは自分と窓の距離を測る。
 予期せぬ警笛が張り詰めた空気を切り裂いた。クリスタの目線が宙に振れるや、急制動に突き飛ばされた。腰を浮かせていたのが災い、クリスタの身体が席に転げ込む。背板の革の上張りに、頬がひたりと張りついた。
 その鼻先に音を立て、ザイナスが掌を叩きつけた。思わずびくりと身を竦ませて、クリスタはザイナスの頬を間近に見上げた。
 放り出されたザイナスが腕を張る。辛うじて押し潰すのを堪えている。鼻先で見上げるクリスタの視線は、あえて見ない振りをした。
 声も吐息も聞こえない。断続的な制動音が、びりびりと身体を震わせる。延々続くと思われたとたん、不意に二人は宙に浮き、もんどりうって向かいの席に縺れ込んだ。吃逆するように何度も跳ねて、最後のひと揺れで汽車が停まった。
 二人の空気も動かない。静けさに、きんと耳鳴りがした。
 天井の伝声管に声が漏れた。遠くで乗務員が呼び合っている。ところが、それを最後に声は遠退き、微かに空電を流すだけの管になった。
 ザイナスに抱えられたまま、クリスタは身を強張らせている。突き飛ばすでも、抗うでもなく、沸騰間際の鍋のように体温を上げ続けている。
 一方、ザイナスは伝声管に耳を澄ませていた。それが何ら状況を知るに足りないと悟ると、辺りを見渡した。茹で上がるクリスタの無事を確かめ、席に残して身体を引いた。床の上に落ちた鼻眼鏡を拾い上げる。
 目が合うと、微かにクリスタの身体が跳ねた。威嚇するようにザイナスを睨んだかと思うと、巣穴を探す鼬のように身体を抱えて狼狽えている。
「ええと」
 クリスタの態度が意味不明だ。
 途方に暮れたザイナスは、所在なく眼鏡を摘まんだまま、薄桃色の鼻根の跡をぼんやりと眺めた。ほつれた紅い髪と相まって、クリスタは子供のような顔をしている。むしろ、童顔だ。眼鏡も衣装も交渉事の虚勢かも知れない。
賞牌マユスのせい?」
 クリスタは驚いている。何を、と思案し、オルガも確か似た顔を見せたとを思い出した。ザイナスが考えなしに手を取った折りだ。
 ザイナスは嘆息した。どうやら距離感が拙いらしい。妹がいるせいでザイナスは女性に気安い。当のリズベットが目くじらを立て、何度もザイナスにそう指摘していた。とはいえ、これは緊急事態だ――その言い訳は通じるだろうか。
 乱暴に見えても御使いだ、神聖、不可侵には違いない。ましてや歳頃の女性でもある。ここは素直に謝るべきか。それとも何事もなく振舞うべきか。
 ザイナスが思案するうち、クリスタはもぞもぞと身形を整える。ほつれた髪を撚りながら、不意に引っ手繰るようにザイナスから眼鏡を奪った。
「なるほど、そうね」
 縁と硝子越しにザイナスを値踏みして、クリスタはぷちぷちと口の中で呟いた。
「思ったより価値はあるかもね」
 クリスタは襟裾を整えながら席を立ち、車両をぐるりと見渡した。無言の伝声管をひと睨みして、ザイナスを跨ぐように車窓に張りついた。
 灯りを遮って外を確かめる。
「あの」
 乱暴な停車の都合は何だろう。
 訊ね掛けたザイナスを車窓の反射越しに見て、クリスタは唐突に宣言した。
「あたしの部屋で飼うことにするわ」
 いや、状況は変わっていない。
「贅沢させてあげる。期待していいわよ。お姉さん、お金持ちだから」
 少し歳上かも知れないが、クリスタは変な方向に優位に立とうと足掻いていた。
 どう返したものか、とザイナスは思案する。緊急停車のお陰で一触即発は免れたものの、却っておかしな具合に抉れている。彼女の態度について行けない。
「埒が明かない」
 汽車を指しての悪態のようだ。言って、クリスタが立ち上がる。
「ザイナスくんは此処にいて」
 言って通路を歩いて行く。
「逃げようなんて思わない事。どうせ此処は――」
 言いつつ、クリスタが振り返る。目が合った刹那、表情が変わった。
 ザイナスの胸から白銀の切っ先が突き出していた。
「あれ?」
 息を呑むクリスタの顔を見た。目線を追って胸元に目を落とし、ザイナスはようやく背から刺し貫かれていることに気がついた。
 痛みはない。血の一滴も出ていない。胸に冷えた異物の感覚だけがある。
「おや、残念。やっぱり、ボクじゃ資格がないか」
 席の背板の後ろから、困ったような声がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。 「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」 身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。 冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。 「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」 得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。 これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...