神さまの嫌われもの

marvin

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3章 天上の火の粉

第12話 暴走

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 駆け寄りザイナスの手を引いて、クリスタは席の背板を蹴り倒した。ザイナスの身体を抱え込み、向かいの席に転がり込む。刃を乱暴に引き抜かれ、ザイナスは感触に顔を顰めた。痛みこそはないものの、異物が臓器を潜り抜ける。
 どうにも心地が悪かった。オルガに槍で突かれて以来の感触だ。
「あんた――」
 ザイナスの頭越しにクリスタが声を上げた。
 きつく抱かれた胸元でザイナスはどうにか首を捻った。片目で先を覗き見る。座席の背から覗いているのは、悪戯な目をした少年だ。
 歳はリズベットと同じ頃だろうか。無邪気な笑みを浮かべているのに、どこか昏いと感じてしまう。聖像もかくやと整った容貌が却って妖しさと紙一重だ。
 ザイナスの頭上が白銀に陰った。翳したクリスタの腕に盤が乗っている。思えば、盾はヘルフの神器だ。呑気に手を打つザイナスを抱え、クリスタは席を蹴った。通路を越えて横に跳び、手にした盾を少年に投げる。
 胡散臭い悲鳴を上げて、少年は嬉々と身を隠した。
 空いた座席がくの字に弾け、笠木が折れ、背板が割れ、席ごと後ろにひっくり返って、床の固定具が捩じ切れた。樹を切り倒す大鉈もかくや、白銀の盾が寝台を投げ落とすような音を立てる。いちいち首を竦めるほどだ。
「いきなり、酷いなあ」
 少年がひょっこり顔を出した。いつの間にやら、さらに奥の席にいる。
「どうして此処にいんのよ、ゲイラ」
 席を押し割る盾が白銀の塵になって消えるや、クリスタの腕に再び現れた。
「キミが自慢気に言ってたじゃないか、地上じゃ人を使う方が優勢なんだって」
 少年が笑う。クリスタは苛々と顔を顰めた。
 ゲイラもまた御使いの名だ。仕える神は自由神ケイオス。新聖座における冠絶神、旧聖座では能神に配されている。ただし、教会の聖像とは性別が違う。確かに顔立ちは可愛くあれど、目の前にいるゲイラは少年だ。
 ザイナスの混乱をよそに、少年はクリスタに艶然と微笑んで見せた。
「権力を使うならスルーズがいちばん、お金を使うならキミがそう。でも、残念。人の欲を扱うなら、ボクが誰より優秀だ」
 問答無用で盾が飛んだ。座席が弾け、引き攣れた革に連なる木片と化した。
 自由神ケイオスは十二柱屈指の特異な神だ。芸術の神であり、盗賊の神でもある。月並みの道徳に縛られず、善悪の境なく独創性を重んじている。
「だからねえ、人の獲物を掠め取るなんて、ボクの方が向いてる筈でしょ?」
 いつの間に移ったのか、少年は砕けた席の後ろの背板から顔を出した。
 聖像のゲイラが持つ神器は白銀の短刀だ。ザイナスを刺したのも、それだろう。オルガと同じく一撃に躊躇がなかった。ただ、少年は賞牌マユスが刈れない理由を自分のせいだと判じた。何気に彼女と理解が異なっている。
「汽車を停めたのは、あんた?」
 クリスタが噛み付いた。ザイナスを盾に隠しつつ、通路を下がって距離を取る。片手でザイナスを抱えたまま――というより、何気に抱えて吊り下げている。
 力が尋常でなく強い。困ったことに息ができない。呼吸をするのも気が引けた。薄いが柔らかな双丘が、形を変えるほど押しつけられているからだ。
「停まらなかったらどうしようかと思ったよ、脱線しなくてよかったね」
「何してくれてるの、この臨時便にいくらかかったか知ってる?」
 クリスタの怒りどころも微妙にずれている。
 ゲイラが席を這い出して、通路でクリスタに対峙した。少年の背後は、ほぼ瓦礫だ。客車は向かい合わせの座席が左右に二列、中央の通路は広くない。
 クリスタはようやく腕を解き、そのままザイナスを後ろ手に押し遣った。
「前の客車に逃げて」
 ザイナスに囁く。此処は車両の中ほどだ。前の扉には少し距離がある。
「巻き込まれたら、簡単に死ぬわよ」
 神器は傷ひとつ残さなかったが、あくまで賞牌マユスを刈る場面だ。クリスタの盾を見ればわかる。どうやら、オルガも少年も簡単にザイナスを殺し得た。
 今更ながら肝が冷える。
「スルーズから賞牌マユスを掻っ攫うなんて、中々だ。どうせならボクも混ぜて欲しいな。いっそ、キミが自由神ケイオスに仕えるのはどうだい?」
「ふざけんな、仕込みの分も詫び金を寄越せ」
 クリスタが少年に向かって突っ込んだ。盾を押し込み、薙ぎ払う。席が割れ飛び、木片が列車内を跳ね回った。その悉くを少年が躱す。
「御柱の使命に金儲けを絡めるなんて不敬じゃないか」
 白い軌跡が矢継ぎ早に宙を走った。クリスタの盾が打ち払う。白銀の刃が鉄を打つような音を立て跳ね散った。車窓の硝子が立て続けに割れて、吹き込む強風に粉塵が舞い上がる。停車中にも拘わらず、客車に轟々と風が鳴った。
「何が使命だ、あんたに関係ないでしょう」
 盾は短刀を吸い寄せるように弾いた。槌のように打ち、鉈のように割り、投げては手元に顕れる。神器の応酬は一瞬だ。請願と祈りを唱える聖霊術とは話が違う。だが、盾一枚の動作の一方、短刀には数の際限がないらしい。
 客車の暴風に木片が跳ねる。爆ぜた破片にも命を落としかねない。
「そんなナリで降りて来て、魂刈りの資格もないくせに」
 クリスタの詰りに少年が表情を消した。笑みを絶やしてこそいないが、明らかにそう見える。少年がクリスタの懐に飛び込み、盾を足蹴に飛び退った。
「本当に、そうさ。御柱の気まぐれは、ほとほと意味がわからない。だったらね、せめてキミたちを引っ掻き回すのがボクの役目だ。そう思わない?」
 クリスタが追うも少年は身軽に席に逃げ込み、身を躱す。
「思うか」
 破れた窓から吹き込む風に、木屑が吹雪のように煽られている。辺りが霞むほど飛び散って、製材所にも似た匂いが漂っていた。クリスタに逃げろと言われたものの、ザイナスはまだ客車の半ばにいる。
 少年はいつから車両にいたのだろう。クリスタとの会話の間、扉も窓も開いていない。後ろの扉は衛兵が錠を落とした。前の扉はずっと視界の隅にあった。
 ぼんやり、そんな事を考えている。
「あたしとザイナスくんの邪魔をしないで」
 クリスタが苛々と声を上げる。
「まだキミのじゃないだろう」
 ふと、ザイナスの目が少年と合った。
「ボクも彼に興味があるんだ」
 姿がゆらりと掻き消える。クリスタの盾が勢い余って後部の扉に突き刺さった。
 ザイナスはそのまま、クリスタの背中と間に漂う木屑を眺めている。
 頃合いかな、と何気に目の前に手を伸ばした。指先が布地を滑って素肌に触れた。驚いて遠ざかるそれを感覚で追い掛け、手探りのまま両手で捉まえる。
「本当に消えるんだ」
 あてずっぽうだが、正解だった。
 不意に現れた少年の手を取り、ザイナスは感心して呟いた。
「御使いは凄いな」
 少年の向こうで、クリスタがぽかん、と振り返る。ザイナスは困ったように微笑んだ。運がよかっただけだ。通路は目の前の一本しかない。
 我に返った少年が腕を振り払った。
 半歩退いて呆然とその手を見つめる。ザイナスを見上げてふ、と笑った。
「何て事だ、こんなの当たり前――」
 駆けたクリスタが追いついて、勢いもそのまま白銀の盾を真横に薙いだ。少年は振り向きもせず身を躱し、横の座席に飛び込んだ。
 引っ手繰るようにザイナスを抱え、クリスタはそのまま通路を駆け抜ける。少年は身軽に笠木を跨ぎ、二人の横を追って跳んだ。
 客車の端に突き当たるや、クリスタは体を入れ替えて、ザイナスを扉に押し遣った。盾を投げつけ、少年を追い払う。
 扉に取りついたザイナスは、把手を横に引き開けた。幸い錠は下りていない。手洗いの扉や給仕室の向こう、前の車両の連結の手前に乗降口があった。
「逃げられないよ」
 少年の声に向かってクリスタが盾を振る。少年は易々と掻い潜り、クリスタの傍を擦り抜けた。二人の動きはあまりに近く、苛立ちまぎれに振り回した盾が、勢い余ってザイナスを打った。目の中に星が散る。
 つんのめる身体を追い越して、中身が飛び出たような感覚だ。幸い、座席のように砕けはしなかったが、ザイナスは息もできないまま吹き飛ばされた。
 客車の前を奥まで転がり、連結扉に打ちつけられた。無意識に身体を丸めたおかげで、どうにか意識が残っている。ザイナスを呼ぶ声、扉の前で争う破砕音が、耳鳴りの向こうでわんわんと鳴って聞こえた。
 痛みはさて置き、身体はまだ動く。飛ばされたのは乗降口の傍だ。ザイナスは這うように近づき、把手に縋って身体を起こした。引き下げ式の開閉だった。
 支え方が悪かったのか、身体が扉に引き摺られた。轟、と風が吹きつける。煽られ足許が覚束ず、ザイナスは半ば滑り落ちるように車両から落ちた。
 身体の悲鳴を後に回し、手足を掻いて身を起こす。目を傷めたかと思ったが、どうやら辺りは夜の闇だ。目を眇めても何も見えない。
 叩く風が容赦ない。開けた場所から吹くそれは、まるで空の只中にいるようだ。
「逃げられないって言ったじゃないか」
 少年の声に振り返った。
 星空を覆う黒々とした車両の壁に、灯を吐く四角い窓が連なっている。見上げる乗降口を塞ぐように、少年の影が佇んでいた。
 その灯に明暗の感覚を壊され、ザイナスは地面を足先で探った。砂利や土ではなさそうだ。辺りは遮るもののない空気感、地続きの感じもまるでない。
「いい加減にして、この半端者」
 クリスタの罵声を背中に聞いて、少年は肩を竦めるように身を躱した。
 掠めて飛び出たクリスタの盾が、ザイナスの頭上を突き抜ける。見上げて無意識に後退り、間近にあった鉄柱に肩を打ちつけた。よろめいて、蹈鞴を踏む。
 ようやく気づいた。鉄橋の上だ。広く深い渓谷に掛かった橋の真ん中にいる。
「あ」
 声を上げたのは誰だろう。
 なるほどそんな場所ならば、確かに何処にも逃げ場はない。突風に煽られたザイナスの身体は、気づけば何もない中空に投げ出されていた。
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