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5章 狼と狐のゲーム
第20話 勝者(敗者)の賞牌
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さて、困った。どうしたものかと思案する。果たして、上手く行ったのだろうか。
ザイナスは両手の重みに途方に暮れた。抱えているのは同じ歳頃の女性だ。後ろで束ねた長い髪は榛色、陶然とザイナスを見つめ返す瞳は、光の加減で螺鈿のような黄金色を――いや、今のそれは髪と同じ榛色をしている。
「――射た筈だ」
間近の唇に言葉が漏れた。身体がザイナスの腕を引く。骨が溶けてしまったような、見掛け以上の重みに堪えた。弓や大ぶりの山刀を含め、倒れないよう抱え直す。ふと、わざと力を抜いてやしないかな、と疑問が頭を過ぎった。
ザイナスは口を開き掛けて、口籠もり、答えの代わりに自身の名を告げた。
はじめまして、も今更だ。虚を突かれた目で見返して、彼女は唇の端で笑った。
「知っている」
吐息と一緒に緑と土の匂いがした。如何せん身体が近すぎる。しかも正直、硬くて痛い。革のコルセットは鎧のようで、袖はないが籠手がある。下穿きの裾は短いが、革のブーツは膝上まであった。臨戦体制の狩人だ。
「オレはヒルドだ」
答えにザイナスは首を振った。
「御使いの名前は無闇に呼べないので……」
「ラーズ。ラーズ・ベルセリウス。信心もないくせに律儀な奴だ」
ラーズは茫然自失を脱していた。正直、少し前からだ。我に返っている癖に、ザイナスに身を任せたままでいる。触れた身体が痺れて熱い。壁越しの感覚がまるでない。この感覚はヒルドがラーズに降りて以来だ。
一方、ザイナスは警戒していた。これで魂刈りの資格を奪えたとしても、御柱の使命を奪えた訳ではない。彼女の怒りのひと打ちで、呆気なく死んでしまう。
「何て事だ。良くやったザイナス」
調子の良い声が樹々の向こうから響いた。
「キミならできるって信じてたよ」
「ゲイラか」
眉根を寄せてラーズが振り返る。不意に消えた身体の重みに、ザイナスはつんのめりそうになった。立てるのなら最初からそうして欲しい。
アベルがいるのは樹々の向こう側だ。覗き込まねば目が届かない。幹を背にして動けずにいるのは、大きな白狼が彼を威嚇し、足止めしているからだ。
それを覗いて目を見張り、ラーズはザイナスを振り返った。
「どうして、おまえがガンドを使える」
単に運が良かっただけだ。川辺で助けたあの狼が、ザイナスを憶えていたからだ。潜むアベルに嗾けられたのは、一緒に暮らして覚えた仕草が役に立った。
「知り合いだ。遠くで迷って、一緒にいた」
ザイナスが正直に答えると、ラーズは驚き、破顔した。
「そうか、お前が。おかげでこ、いつは太りすぎだ。鈍いのも当然だな」
「ねえ、お願いだから、これを何とかしてくれないかな」
アベルが二人に割って入った。ラーズの従者は優秀だ。人の言葉を読み解くし、御使いの動きに引けを取らない。アベルの隠形も役に立たなかった。
「ガンド」
ラーズが白狼を呼び寄せる。ガンドは交互に二人を見て伏せた。さも満足げな様子の従者に、ラーズは呆れて口を尖らせ、それでも耳の裏を掻いてやった。
アベルがひょっこり現れる。
「凄いぞ、ザイナス。まさかホントにやれるなんて」
「さっき、信じてたとか言ってなかったか」
唸るガンドを遠巻きに、アベルはザイナスの背に隠れて言った。肩の上から顔だけ出して、眇めるようにラーズに目を遣る。
「そうだったっけ、まあいいや。まさか、本当に資格が失せるなんてね」
空恐ろしい事を平然と言う。
「残念だったね、ヒルド。これでキミもボクと同じ脱落者だ」
アベルはラーズに向かって飄々と微笑んだ。
「お前、オレから賞牌を掠め取る気だったろう」
ラーズが睨むとガンドも唸った。
「仕方ないだろう? 他にボクにどんな方法がある」
アベルが開き直って舌を出す。
「これでキミもお役御免だ。その犬っころと一緒に余生を好きに暮らすといい。ボクとザイナスは、そうもいかないけどね。さあ、これから忙しくなるぞ」
饒舌なアベルを振り返り、ザイナスはその螺鈿に光る黄金の瞳を覗き込んだ。
「何しろ、使いはまだ――」
ザイナスは無造作にアベルを抱き寄せ、唇を奪った。
「な――」
ザイナスを突き放し、アベルは跳ぶように後退る。口許を覆い茫然と睨んだ。
「何をする、ボクは――」
ザイナスは、その見開かれた目を眺め遣る。瞳から螺鈿が消え、宝石のような蒼に変わった。なるほど、それが資格の有無らしい。判り易くて何よりだ。
「念の為だ。意地悪なのはお互い様だろ」
男だから資格がない。そう誤解していたのはアベル自身だ。ザイナスに神器を突き立てたものの、賞牌を刈るには祭壇が要る。オルガの知見が共有されていなかったせいだ。危ういが、唯一の切り札に違いない。
絶句するアベルに一瞥を投げ、ラーズは堪え切れずに笑い出した。
「案外、おまえは欲張りだな」
ザイナスの肩を抱き竦める。ザイナスは棒立ちになって身を固くした。
「いいだろう。オレもこいつも、おまえのものだ。煮るなり抱くなり好きにしろ」
さばさばとしたラーズの答えは予想の明後日を向いている。
「ヒルド、勝手なことを言うな」
我に返ったのはアベルの方だ。柄にもなく上擦った声でラーズに噛みついた。
「資格をなくした以上、使命からは解放される。そう思っても良いのかな」
ザイナスが二人に確認する。頷くラーズに、半分ほどは安堵した。
「だったら、君たちは自由に――」
「キミが奪ったのは、あくまで賞牌を刈る資格だ。使いの不可侵は消えやしない。むしろ、ずっとこのままだ」
アベルが拗ねたままの声で口を挟む。
「オレはこれで構わない」
ラーズは平然と、そう応えた。
「ヒルド、ザイナスはボクの餌だ。こいつは全員に狙われてる。キミが腑抜けたみたいな隙に、ボクは賞牌掠め取る」
「ならば、ザイナスはオレが護ろう」
ラーズがザイナスを胸元に抱え込んだ。
「お前にも奪わせはしない」
革の胸当てが頬に痛い。呆気に取られたアベルが詰める。
「キミは群神の忠犬だろ。その犬っころと一緒に、熊でも獅子でも好きに狩ってればいいじゃないか。これ以上、ボクとザイナスに関わるな」
焦って子供のように食って掛かった。困惑しているのはザイナスも同様だ。資格が失せても御使いだ。立ち位置は天界に在る。ラーズの理屈が解らない。
「敗者となれば使命は破棄する。それが御柱との契約だ。オレは勝者の獲物だからな。ザイナスにはオレを喰らうなり、番うなりの権利がある」
その確信に抉じ入る隙がなく、アベルは言葉を失った。また、ザイナスも同様だった。二人が言い争う隙に退き、ようやくザイナスは遠巻きに見る。
状況は辛うじてザイナスに追い風だ。だが、暴風にもなりかねない。
魂刈りの資格を奪う手立てがあった。資格のある御使いを見極めることもできる。もちろん、都合よく運ぶ保証はない。むしろ、非常に困難だ。間近に瞳を覗き込めるなら、胸を抉られるにも十分な距離だ。それでも、少しの望みはある。
ただ、頭の隅に妙な焦燥があった。思い出すのが躊躇われる記憶だ。螺鈿のように色を変える黄金色の瞳。幾つかが記憶の中に引っ掛かっている。
不意にガンドが唸り声を上げた。空に向かって威嚇している。
見上げる前に辺りが翳った。勢い、影が周囲を埋めている。突き飛ばすような土埃が吹いた。立つ事さえやっとのザイナスを、降り落ちた厚い壁が囲い込んだ。その質感に呆然とする。それは、一本がひと抱えほどもある指先だ。
「シンモラ」
アベルとラーズが声を揃えた。
足下の土ごと掬い込み、巨大な指の囲いが閉じた。轟々と耳許に風が鳴る。吹き転がされて指先の内を転がる。急停車のような勢いに圧し潰された。
指に隙間が開いた思うと、巨大な翠色の瞳がザイナスを覗き込んだ。声を上げるその前に、再び辺りが真っ暗になる。巨大な手が虫篭のように閉じ込めた。
ザイナスの身体が再び跳ねる。上に下にと振り回される。今度はそれが延々と続いた。絞り袋の生乳脂のような気分だ。遠くにラーズとアベルの声がしたが、それもじきに届かなくなった。ザイナスの意識は否応なく落ちた。
ザイナスは両手の重みに途方に暮れた。抱えているのは同じ歳頃の女性だ。後ろで束ねた長い髪は榛色、陶然とザイナスを見つめ返す瞳は、光の加減で螺鈿のような黄金色を――いや、今のそれは髪と同じ榛色をしている。
「――射た筈だ」
間近の唇に言葉が漏れた。身体がザイナスの腕を引く。骨が溶けてしまったような、見掛け以上の重みに堪えた。弓や大ぶりの山刀を含め、倒れないよう抱え直す。ふと、わざと力を抜いてやしないかな、と疑問が頭を過ぎった。
ザイナスは口を開き掛けて、口籠もり、答えの代わりに自身の名を告げた。
はじめまして、も今更だ。虚を突かれた目で見返して、彼女は唇の端で笑った。
「知っている」
吐息と一緒に緑と土の匂いがした。如何せん身体が近すぎる。しかも正直、硬くて痛い。革のコルセットは鎧のようで、袖はないが籠手がある。下穿きの裾は短いが、革のブーツは膝上まであった。臨戦体制の狩人だ。
「オレはヒルドだ」
答えにザイナスは首を振った。
「御使いの名前は無闇に呼べないので……」
「ラーズ。ラーズ・ベルセリウス。信心もないくせに律儀な奴だ」
ラーズは茫然自失を脱していた。正直、少し前からだ。我に返っている癖に、ザイナスに身を任せたままでいる。触れた身体が痺れて熱い。壁越しの感覚がまるでない。この感覚はヒルドがラーズに降りて以来だ。
一方、ザイナスは警戒していた。これで魂刈りの資格を奪えたとしても、御柱の使命を奪えた訳ではない。彼女の怒りのひと打ちで、呆気なく死んでしまう。
「何て事だ。良くやったザイナス」
調子の良い声が樹々の向こうから響いた。
「キミならできるって信じてたよ」
「ゲイラか」
眉根を寄せてラーズが振り返る。不意に消えた身体の重みに、ザイナスはつんのめりそうになった。立てるのなら最初からそうして欲しい。
アベルがいるのは樹々の向こう側だ。覗き込まねば目が届かない。幹を背にして動けずにいるのは、大きな白狼が彼を威嚇し、足止めしているからだ。
それを覗いて目を見張り、ラーズはザイナスを振り返った。
「どうして、おまえがガンドを使える」
単に運が良かっただけだ。川辺で助けたあの狼が、ザイナスを憶えていたからだ。潜むアベルに嗾けられたのは、一緒に暮らして覚えた仕草が役に立った。
「知り合いだ。遠くで迷って、一緒にいた」
ザイナスが正直に答えると、ラーズは驚き、破顔した。
「そうか、お前が。おかげでこ、いつは太りすぎだ。鈍いのも当然だな」
「ねえ、お願いだから、これを何とかしてくれないかな」
アベルが二人に割って入った。ラーズの従者は優秀だ。人の言葉を読み解くし、御使いの動きに引けを取らない。アベルの隠形も役に立たなかった。
「ガンド」
ラーズが白狼を呼び寄せる。ガンドは交互に二人を見て伏せた。さも満足げな様子の従者に、ラーズは呆れて口を尖らせ、それでも耳の裏を掻いてやった。
アベルがひょっこり現れる。
「凄いぞ、ザイナス。まさかホントにやれるなんて」
「さっき、信じてたとか言ってなかったか」
唸るガンドを遠巻きに、アベルはザイナスの背に隠れて言った。肩の上から顔だけ出して、眇めるようにラーズに目を遣る。
「そうだったっけ、まあいいや。まさか、本当に資格が失せるなんてね」
空恐ろしい事を平然と言う。
「残念だったね、ヒルド。これでキミもボクと同じ脱落者だ」
アベルはラーズに向かって飄々と微笑んだ。
「お前、オレから賞牌を掠め取る気だったろう」
ラーズが睨むとガンドも唸った。
「仕方ないだろう? 他にボクにどんな方法がある」
アベルが開き直って舌を出す。
「これでキミもお役御免だ。その犬っころと一緒に余生を好きに暮らすといい。ボクとザイナスは、そうもいかないけどね。さあ、これから忙しくなるぞ」
饒舌なアベルを振り返り、ザイナスはその螺鈿に光る黄金の瞳を覗き込んだ。
「何しろ、使いはまだ――」
ザイナスは無造作にアベルを抱き寄せ、唇を奪った。
「な――」
ザイナスを突き放し、アベルは跳ぶように後退る。口許を覆い茫然と睨んだ。
「何をする、ボクは――」
ザイナスは、その見開かれた目を眺め遣る。瞳から螺鈿が消え、宝石のような蒼に変わった。なるほど、それが資格の有無らしい。判り易くて何よりだ。
「念の為だ。意地悪なのはお互い様だろ」
男だから資格がない。そう誤解していたのはアベル自身だ。ザイナスに神器を突き立てたものの、賞牌を刈るには祭壇が要る。オルガの知見が共有されていなかったせいだ。危ういが、唯一の切り札に違いない。
絶句するアベルに一瞥を投げ、ラーズは堪え切れずに笑い出した。
「案外、おまえは欲張りだな」
ザイナスの肩を抱き竦める。ザイナスは棒立ちになって身を固くした。
「いいだろう。オレもこいつも、おまえのものだ。煮るなり抱くなり好きにしろ」
さばさばとしたラーズの答えは予想の明後日を向いている。
「ヒルド、勝手なことを言うな」
我に返ったのはアベルの方だ。柄にもなく上擦った声でラーズに噛みついた。
「資格をなくした以上、使命からは解放される。そう思っても良いのかな」
ザイナスが二人に確認する。頷くラーズに、半分ほどは安堵した。
「だったら、君たちは自由に――」
「キミが奪ったのは、あくまで賞牌を刈る資格だ。使いの不可侵は消えやしない。むしろ、ずっとこのままだ」
アベルが拗ねたままの声で口を挟む。
「オレはこれで構わない」
ラーズは平然と、そう応えた。
「ヒルド、ザイナスはボクの餌だ。こいつは全員に狙われてる。キミが腑抜けたみたいな隙に、ボクは賞牌掠め取る」
「ならば、ザイナスはオレが護ろう」
ラーズがザイナスを胸元に抱え込んだ。
「お前にも奪わせはしない」
革の胸当てが頬に痛い。呆気に取られたアベルが詰める。
「キミは群神の忠犬だろ。その犬っころと一緒に、熊でも獅子でも好きに狩ってればいいじゃないか。これ以上、ボクとザイナスに関わるな」
焦って子供のように食って掛かった。困惑しているのはザイナスも同様だ。資格が失せても御使いだ。立ち位置は天界に在る。ラーズの理屈が解らない。
「敗者となれば使命は破棄する。それが御柱との契約だ。オレは勝者の獲物だからな。ザイナスにはオレを喰らうなり、番うなりの権利がある」
その確信に抉じ入る隙がなく、アベルは言葉を失った。また、ザイナスも同様だった。二人が言い争う隙に退き、ようやくザイナスは遠巻きに見る。
状況は辛うじてザイナスに追い風だ。だが、暴風にもなりかねない。
魂刈りの資格を奪う手立てがあった。資格のある御使いを見極めることもできる。もちろん、都合よく運ぶ保証はない。むしろ、非常に困難だ。間近に瞳を覗き込めるなら、胸を抉られるにも十分な距離だ。それでも、少しの望みはある。
ただ、頭の隅に妙な焦燥があった。思い出すのが躊躇われる記憶だ。螺鈿のように色を変える黄金色の瞳。幾つかが記憶の中に引っ掛かっている。
不意にガンドが唸り声を上げた。空に向かって威嚇している。
見上げる前に辺りが翳った。勢い、影が周囲を埋めている。突き飛ばすような土埃が吹いた。立つ事さえやっとのザイナスを、降り落ちた厚い壁が囲い込んだ。その質感に呆然とする。それは、一本がひと抱えほどもある指先だ。
「シンモラ」
アベルとラーズが声を揃えた。
足下の土ごと掬い込み、巨大な指の囲いが閉じた。轟々と耳許に風が鳴る。吹き転がされて指先の内を転がる。急停車のような勢いに圧し潰された。
指に隙間が開いた思うと、巨大な翠色の瞳がザイナスを覗き込んだ。声を上げるその前に、再び辺りが真っ暗になる。巨大な手が虫篭のように閉じ込めた。
ザイナスの身体が再び跳ねる。上に下にと振り回される。今度はそれが延々と続いた。絞り袋の生乳脂のような気分だ。遠くにラーズとアベルの声がしたが、それもじきに届かなくなった。ザイナスの意識は否応なく落ちた。
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