神さまの嫌われもの

marvin

文字の大きさ
21 / 65
6章 妹大戦

第21話 妹の逃走

しおりを挟む
 目覚めると、茜色をした空の上だった。此処が件の魂の選別場ニヴルヘイムだろうか。教会の説話では、白い霧に覆われた世界という話なのだが。
 ザイナスは空をぼんやり眺め、ひらひらと舞う羽根を目で追った。夕暮れに翳って風に乗るそれらは、どうやら乱暴に引き毟られたせいで縮れている。
 身体を起こして見渡せば、辺りは狭く平らな岩場の上だ。四方の縁は、すとんとそのまま空に抜け、遥か遠くの稜線の向こうに陽が落ちそうになっている。槍先のように削ぎ落とされた、恐ろしく狭い頂の上だ。
 羽根が鼻先を横切った。エステルが鳶の羽根を毟っている。素っ裸だ。
 なるほど、魂の選別場ニヴルヘイムよりも奇異な状況だった。頭痛にも似た困惑に、ザイナスは顔を顰めた。気づいて、エステルが顔を上げる。
「食べる」
 にかっと笑って丸裸にした鳶を突き出した。
「生はだめ。お腹を壊すから」
 答えたものの、そんな場合ではない。
「ここは何処?」
「んー」
 よくわからないらしい。
「服は?」
「大きくなると、なくなる」
 こう、ばーんって、とエステルは手を振って見せる。状況を整理するというより、馬鹿げた仮説に逃げ道がないと確認するのに一拍を要した。
「エステルはシンモラ?」
「ん」
 素直に頷いた。
 巨神ギガンタの御使いの名だ。アベルとラーズもそう呼んでいた。エステルの事だったのだ。心の中で留保していたものの、ザイナスも考えなかった訳ではない。勿論、巨人になるなど想像もしていなかった。
 アベルとラーズはどうなったのだろう。
「あれは駄目。ザイナスを連れて行くから」
 エステルに問うと、そう返された。
 あー、うん。確かに、シンモラにとってはそうだろう。御使いは互いに賞牌マユスを巡って競い合っている。だが、エステルの立ち位置がよくわからない。
 ザイナスの賞牌マユスには気づいている筈だ。だが、いつから? エステルに魂を刈る素振りはなく、何より鳶色の瞳には螺鈿の黄金色もない。
 いや、微かに見た記憶もある。すぐに消えてしまったが。
 さっぱり訳がわからない。アベルはそれを見立てと言ったが、資格がが御使いの認識に左右されるものなら、その線引きが想像できない。
 言いたいこと、聞きたいことは幾つもあった。とはいえ、優先順位は別だ。
 ザイナスは上着を脱いでエステルに着せた。袖を通すため丸裸の鳶を取り上げる。もちろん、空腹を放置することもできないが、此処では調理も難しそうだ。
 ザイナスが狭い頂の上を歩いて回る。エステルも何かと後ろをついて回った。
 辺り一帯は深い森だ。此処と同様、突き出た裸の岩山が幾つか周囲に突き出している。遠くに森の境界が窺えるものの、じきに夕闇に覆われるだろう。
 何より――。
 ザイナスは岩場の縁から下を覗き込んだ。下りる足場がない。削ぎ落したように真っ直ぐ突き立っている。空でも飛べない限り、誰も行き来できないだろう。
 あの巨人の他には。
 エステルが横から覗き込み、遥か樹々の先端を見おろした。
「おりる?」
「そうだな、とりあえず風邪を引く前に何とかしないと」
「わかった」
 エステルが飛び降りた。止める間もなかった。
 ザイナスは声より先に手を伸ばしたが、身を乗り出しても届かない。転落の寸前で辛うじて堪えて、落ちて行くエステルを目で追った。
 遠近がおかしい。風に煽られた黄金色の髪が空の只中で止まって見える。
 いや、みるみる近づいて来た。距離の問題ではない。エステルが大きくなっている。ザイナスの上着が膨れて張り裂け、小さな布切れになって風に散った。
 巨大化したエステルが遥か眼下に大木を踏み折る。目線は崖の縁にしがみつくザイナスにまで届いた。いつの間にやら身体には、風を形にしたような白いドレープが掛かっている。袖のない修道衣だ。空と同じ茜色に染まっていた。
「大きくなりました、ザイナス」
 轟々と風が鳴る。身の丈よりも大きな顔がザイナスを覗き込んだ。自身が映る翠の瞳は、頭よりも大きい。遅れて遥か眼下の樹々が圧し折れる音がした。
「下に降りますか?」
 呆気に取られているうちに、言葉の理解が遅れてしまった。
「エステル、何というか――」
 流暢だ。
「私、大きすぎるから。色々と向こうに置いて来てしまっているのです」
 ザイナスの表情を察し、はにかむように微笑んだ。
 なるほど、せめて子供服くらいは持ってくるべきだったな。などと、余計な感想を脇に寄せる。仕組みも愚痴も後回にして、ザイナスはエステルに訊ねた。
「どれくらい、そのままでいられる?」
「少しだけ」
 答えを聞いて読み解くに、恐らく三分ほどらしい。案外、不便なものだ。
「お腹も空いてしまいます」
 エステルは悲し気に呟いた。言葉遣いもそうだが、普段の見掛けよりは大人びて見える。頭身も大人ほどあるようだ。だが、エステルはエステルだ。
「一旦、下に。陽が落ちたら、また大きくなって森の外に出よう」
 ザイナスが言うと、エステルは頷いた。
「たぶん、街はあっち――」
 エステルが傍に手を寄せただけで、ザイナスは吹き飛ばされそうになった。
 掌に乗れというのだろう。おそるおそる指を踏み掛け、置き去りにされた丸裸の鳶を拾って乗った。食事の支度も此処よりは、下の方が融通も利く。
 落とさないようにと指で囲われ、勢いザイナスは窪んだ掌にひっくり返った。不意に身体の血の気が登る。移動に便利と思いきや、乗り心地には要注意だ。
 揺れながら、ザイナスは束の間に思案する。
 アベルもラーズも踏み潰されるほど鈍重ではない。むしろ、すぐにでも追いつくだろう。決して二人も無害ではないが、放置しても当面の危険はない。
 後でエステルにも言い聞かせねば。
 人と御使いの両方がザイナスを追っている。その状況は変わらない。このまま逃げるにせよ、対策を講じるにせよ、知識と手勢はいくらあっても足りない。
 ともかく、身支度と食事を考えてから、エステルとゆっくり話をしよう。手の中で揺れる丸裸の鳶を眺めながら、ザイナスは毟られた羽根に思いを馳せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。 「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」 身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。 冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。 「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」 得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。 これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...