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14章 王墓血戦
第54話 探索、防衛、暇つぶし
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王都の擁する奉都《カペル》スヴァールの王墓には、三つの封がある。
一つ目は法と畏れの見えない封だ。あいにく、御使いには効果がない。
二つ目は微動だにしない石の封。これはエステルのひと暴れで開いた。
三つ目は少し凝っている。王族の血に織り込まれた聖霊術の封だ。
「これでよろしいかしら?」
ペトロネラが優美に髪を梳いた。白く冴えた顎先で指し示す先、どれほどの時を経たとも知れない堅牢な術式が雪のように解け崩れて行った。
「はい、御苦労さま」
リズベットは軽く手を振っただけで、自慢げなペトロネラの横を通り過ぎた。エステル、オルガ、ソフィーアも、さっさと扉を潜って先に行く。
「ちょっと、何ですの」
口を尖らせ、ペトロネラが皆を追い掛ける。
王墓の探索とザイナスの護衛に御使いを分け、街外れには防衛線も引いている。だが、ザイナス不在の探索班には華がない。魅せる甲斐がないからだ。
「とりあえず、状況を知らせるわ」
リズベットが羽根に手を添える。地上は相互に会話ができるが、封のある地下は彼女を以てしても送り送られの一方通行だ。こうした事情も勘案し、ザイナスを地上に残している。御使いの解放にザイナスは不可欠だが、今回ばかりは分が悪い。探索への同行は危険に過ぎた。
ティルダも脅威ではあるが、御使いの数では分が優る。魔女は複数の御使いを操るが、ソフィーアの経験上、その支配には濃淡があった。これほどの時間を支配されたカミラは、恐らく魔女そのものだ。既に人格も融けているだろう。
危険はティルダの比ではない。
加えて、最後の御使いだ。シグルーンは初めから、大凡あたりが付いている。不明は身元の方でなく、その行方にあった。彼女も失踪して十年になる。
受肉は黒神の修道士シーグリッド・シベリウスだ。神の娘と謳われたそれは、女であっても人ではない。恐らく、ザイナスの無自覚な誘惑も通じないだろう。もしも共に魔女ならば、今回は御使いの力押しだ。
人の身体は花より脆い。同行のザイナスが巻き込まれ、命を落とすような事にでもなればスヴァールの勝ちだ。魔女もそれを狙っているに違いない。
一行は封の石室を抜け、地下道を辿った。恐らく三桁の年月で人の出入りは絶えている。だがスヴァールの権能があれば、こうした路も必要ではない。
やがて至ったのは、円天蓋の大広間だった。
天然の洞を掘り整え、ぐるりを丁寧に石積みしている。底は粗い岩場のままで、剥落した天板が積もっていた。通廊は上から続いているが、木が朽ちたのか降り場がない。訪れたのが御使いでなければ、梯子が必要な造りだった。
降り立った皆が辺りを見渡す。ぽつんと広間に置かれた祠も、些か奇妙な具合に見える。まず全体に造りが粗い。石の面は生のままで、梁や斜交いも剥き出しだ。王家の逸話に沿って見比べるなら――。
「期待外れですわね」
ペトロネラは無遠慮にそう言った。
「魔女はどこだ」
鼻息の荒いエステルを宥めつつ、リズベットは堂を仰いで皆を振り返る。
「魔女の家じゃなさそうね」
「そうですね。少し大きいのが気になりますが」
ソフィーアが眉根を寄せた。
「大きい? これが? 御手水ほどもないでしょうに」
「れは封の見立てです。中に何かがあるという訳では――あるのでしょうか」
思案するソフィーアを眺めて、オルガは肩を竦めて見せた。
「罠を疑うべきかな」
「分断、ということ?」
リズベットならず、ザイナスと離れることには最初から賛否があった。
「この隙に、エイラに私たちの居場所を囁いたり、とかかしらね」
ペトロネラが指摘するのは聖騎士の率いる部隊の追撃だ。既に各地に手配が廻り、奉都スヴァールには斥候の兆しもあった。三方を山に閉ざされたこの街に兵軍が押し寄せるとなれば、籠城も余儀なくされるだろう。
オルガは口許を曲げた。
「さて兵隊同士の争いではないし、我ら相手に人がどうにかできるとも思えん。魂の選別場を満たすだけのことだ」
リズベットが振り返る。
「エイラが変な気を起こさない?」
「それなら、堕とすに好都合だ」
それが問題なの、とオルガを睨んだ。
「妻だの愛人だの、もうたくさん」
「確かに、正妻はひとりで十分だ」
「確かに、正妻はひとりで十分ですわ」
声を合わせたオルガとペトロネラにリズベットは唸った。みな勝手な事ばかり。ザイナスの将来は、とうに自分が決めてある。余計な口を挟まないで欲しい。
「私は愛人でも良いのですけれど」
ソフィーアはこっそり呟いてから、皆を目の前の現実に引き戻した。
「確かにエイラを唆すだけなら魔女の仕事も楽でしょう。ですが、そのためのフリストとヘルフ――それより、此処に魔女が居るのも確かなようです」
と、見回し堂を指す。
「ただし、これも封ですが」
きょとんとする皆に紐解いて見せる。この円蓋の広間と同じく、堂の見栄えの違和感は、これらが全てが内に向けて防御を固める造りだという。
「つまり、奥から来るものを阻むの見立てです」
「出さないように、か」
オルガは頷いた。御使いの絡む封印として、そうした例は無くもない。ただ、多くは儀式装飾だ。これほどの規模の物理施設は天界にも情報がない。
「この中に」
リズベットが訊ねると、ソフィーアは微かに口許を顰めた。
「この下に」
また穴倉を降りるんですの? とペトロネラが零した。
「壊す?」
「まだよ」
ソフィーアがエステルの肩を抱え、ペトロネラに目を遣って堂を促す。
「どちらにせよ、また私の出番ですわね」
「何となく聖王家の血統を残す意味が解って来たわ」
顔を曇らせ、リズベットが呟いた。
「いえ、待って。王家の紋ではなさそうです」
ソフィーアの言葉にペトロネラが蹈鞴を踏んだ。
「ここに来て何ですの」
造りは確かに沿っているが、封を施したのは別の手らしい。あるいは、この円天蓋の城塞と堂には別の役割があるのではないか。ソフィーアが思案する。
「でしたら、さっさと壊してしまいなさいな」
「大丈夫か?」
オルガがソフィーアに訊ねる。
「今更かと思いますけれど」
答えつつ、オルガを見返した。
「壊すの?」
エステルが焦れて地団太を踏んだ。
「そうだな、厄介ごとは早めに片付けるとしよう」
オルガが頷いて促した。エステルが揚々と駆け出して行く。リズベットは白銀の羽根に手を添えて、ザイナスに状況を送ろうとした。
「兄さん、この下に――」
◇
「何だって、あたしがこんな所にいるわけ?」
硝子窓から目を逸らし、退屈に痺れを切らしたクリスタがぼやく。自身の映る向こう側には、緑の敷かれた丘陵と濃い樹々の畝、遥かに稜線が縁取っている。
王都の北東に位置する奉都、最古の奉都《カペル》スヴァールは、緩やかな窪地の底にある。西に大きな石切り場、東に広大な記念墓所。唯一開けた街の南に街道と路線が集まっており、人の往来はそれなりに多い。
そうした景色を眺め遣るクリスタの目線は、丘より遥かな高さにあった。眼下を覗けば路と軌道が走る。それは切り通しの丘の上、更にその上空だ。
そこに、城のような鉄塊が蹲っている。ビルギットの巨人機、その改だ。大規模な隠蔽術が施され、今は樹々を蒸し焼くドレンさえ目に見えない。
ビルギットの製造した半神兵装も、一度はシムリスの路線に打ち捨てられた。とはいえそれも元来は、第一都市ヴェスローテの依頼で制作された都市防衛装備だ。クリスタも契約を捨てきれず、ビルギットの改修は已む無く呑んだ。
結局、ヴェスローテへの納品より先に、皆の王都脱出に使用してしまったが。
「しっかり見張って」
クリスタを見もせず、ビルギットが諌めた。
「斥候が街に来たんだから」
言いつつ、自分は操作卓に貼り付いている。だゆん、と潰れた双丘が計器の大半を埋めている。よく誤作動を起こさないものだ、とクリスタは鼻を鳴らした。
「蜘蛛蛸だって出してるんでしょ、あたしが見張る必要なんてある?」
クリスタが言うのは多脚の自律機だ。
「あれは森の見張り用、ヘルフは線路の見張りをするの」
正直、閉鎖釜は動力が足りない。短期駆動か持久力への全振りかが極端だ。索敵に後者を選んだ以上、殆ど蜘蛛蛸には防衛力がない。
巨人機も端々は超高圧釜で動いているが、基幹の動力は御使いだ。エステルに使ってザイナスに叱られた神聖転換炉が本来の仕様だ。
ともあれ、ザイナスの敵は規模も手数も多い。何せ彼は御使いと魔女、何より人からも追われている。教会はティルダの指揮のもと、正式に魂なきものの聖伐を宣言。加えてペトロネラの王位継承宣言により、宮廷議会も僭王を称したザイナスに国軍を差し向けているという。
のほほんと魔女を追っているように見えて、その実どうにか逃げ延びたに過ぎない。奉都スヴァールに駐留兵がいないのも幸いした。ただし、その他の都市、聖堂も、いずれ王都の模様眺めに徹している。大勢はどうあれ、鎮火後の方が力を誇示し易いからだ。神敵も王も今後の状況次第だった。
「線路を壊しとけばいいじゃない」
クリスタがごねる。
「駄目だって、ザイナスも言った」
巨人機は攻城規模だ。兵員輸送車を撃つ方が被害が出せる。相手の戦力に負担を増せば、交渉に至るのも早まるとの判断だ。御使いに囲まれているせいか、ザイナスの考え方も微妙に効率重視だった。
「面倒くさい、ザイナスくんと一緒にいたい」
「ゲイラとヒルドがいる」
うー、とクリスタが爪を噛む。
「ゲイラの奴、男のくせにくっつき過ぎ。ザイナスくんはあたしのペットだぞ」
「勝手に思ってれば」
ビルギットはにべもない。
「何よ、あんたはいいの?」
「どうでもいい。ザイナスはぼくのじゃないけど、ぼくはザイナスのものだから」
ぽかん、とクリスタはビルギットを見遣る。朱くなった耳の先を見て、ひとしきり唸るや、生意気だとばかりにビルギットの頬を思い切り摘んで引っ張った。
「いあい、いあい――」
クリスタに引かれるまま首を伸ばしたビルギットが、ふと硝子窓の前で止まる。クリスタが何気に目線を追うと、稜線に白煙が覘いていた。
◇
空回りしている感覚だった。たまに何かが噛み合うような――そんな時、たいていザイナスは災難に遭った。意識し始めたのいつ頃か。奉神不在の宣告か、神器に胸を突かれてからか。まったく、地霊術は儘ならない。
巨人機で覗いた歯車が、ザイナスの心象を明確にしたのも大きい。以来、印章が結び易い。ザイナスの内の五九個は、形も大きさも違うぎざぎざの環だ。それが延々空回りしながら、互いに噛み合うのを待っている。
「どうしたザイナス、考え事?」
幾重にも続く緑の畝を背景に、悪戯な目がザイナスを覗き込む。ぼんやり見おろす丘陵は、白く削った道なりに雑多な石碑の乱杭歯が生え散らばっている。
「死んでそれまでなんだから、僕にあれは関係ないな」
墓碑を眺める観光客、水売り、飴売り、土産物屋の曳き屋台。ちらほら伺えるそれらを眺めて、ザイナスは肩を竦めて見せた。
「なるほどね、手っ取り早くスヴァールの所に行く方法を考えていた訳だ」
アベルが物憂げなザイナスを笑う。
「そんなのは却下だ。オレを奪う前に言え」
柱の上からラーズのぼやきが降ってきた。
「オレが天界まで手を引いてやる」
そういえば、アベルの短刀もラーズの矢も、ザイナスを貫いたことがある。魂を刈るには祭壇も要るが、それが欠けたおかげで生き延びた。クリスタやソフィーアは条件も合ったが、偶さか難を逃れたに過ぎない。厄憑きにしては運が良い。いや、長引くことが災厄だろうか。現にザイナスは全ての敵だ。
「選別なしに全人観測儀へ、しかも御使いが手を引いて。こんな名誉を拒むなんてさ、キミはやっぱり――」
アベルの皮肉を遮って、スクルドの羽根が微かに震えた。アベルもラーズも携えており、皆は暫し口を閉ざした。だが、いつまで待っても無言のままだ。
『……さん』
ようやく聞こえたと思いきや、途切れ途切れに囁いている。
『兄さん……この下に……』
言葉と声が混じっている。ザイナスは羽根に耳を寄せた。
『ザイナス、敵だ』
不意の大声に仰け反った。喚いているのはクリスタだ。こちらは明瞭すぎるほどで、リズベットらの声は掻き消されてしまった。
『蜂箱みたいに兵隊を詰め込んだ汽車が来る』
『撃退するよ、ザイナス』
ビルギットが横から宣言した。
「ほどほどに」
致命的な一撃の後は、相手が指揮を取り戻す前に戦力を削る。退けばよし、退かねば一掃。いずれ単独兵の虱潰しは巨人機の不得手だ。ひと纏まりを早々に潰し、頭のない残兵を敗走させる心算だった。
『了解』
ビルギットの返事と同時に、後ろで鉄輪と鎖の音がした。
『あれ、何これ。あたし何で繋がれてんの』
怪訝そうなクリスタの声が聞こえたかと思うと、悲鳴が尾を引いて遠ざかる。エステルが拐われた時と同様、巨人機の動力源だ。クリスタには残念ながら、今回はザイナスもビルギットに了承している。
「ビルギット、見張りは健在か?」
ふと、ザイナスが斥候の蜘蛛蛸について訊ねる。
「んーと、あれ? 二つほど消えてる」
ザイナスは位置を確かめさせると、隊列が退いた時点で合流する旨を告げた。
「あのでかいのをこっちに呼ぶって?」
羽根を眺めるザイナスにアベルが訊ねる。
「間に合えばね」
ザイナスは辺りを見渡した。今いるのは王墓の丘の上だ。辺りは三人寄っても抱えられない石柱が並んでおり、その全周が緩やかな斜面に囲われている。
見晴らしは良い。およそ視線を遮るものも無い。ザイナスは遠くを見渡して、麓を覆うな樹々のひと続きを目で追った。濃い色の絨毯だ。
「ラーズ、あの下が見えるか?」
柱の上の狩人に声を掛ける。少しして答えが降ってきた。
「良く気がついたな、ザイナス」
呆れたような口調は丘の麓を指している。
「歩いて来るぞ、馬鹿みたい列を組んで」
教会にせよ宮廷にせよ、追うのはザイナスひとりだけ。だが、ティルダと魔女は御使いがいるのを知っている。街外れの侵攻は手数を削ぐ為のものだろう。
「相手にするのは構わないが、どうする?」
ラーズがザイナスの判断を問う。リズベットたちを呼び戻すか、こちらが王墓に飛び込むか。さて、ティルダは巨人機の存在とリズベットらの不在をどこまで知っているのだろう。ザイナスは吐息を漏らした。
どうやら盤を俯瞰しているのは、魔女ひとりだけのようだ。
一つ目は法と畏れの見えない封だ。あいにく、御使いには効果がない。
二つ目は微動だにしない石の封。これはエステルのひと暴れで開いた。
三つ目は少し凝っている。王族の血に織り込まれた聖霊術の封だ。
「これでよろしいかしら?」
ペトロネラが優美に髪を梳いた。白く冴えた顎先で指し示す先、どれほどの時を経たとも知れない堅牢な術式が雪のように解け崩れて行った。
「はい、御苦労さま」
リズベットは軽く手を振っただけで、自慢げなペトロネラの横を通り過ぎた。エステル、オルガ、ソフィーアも、さっさと扉を潜って先に行く。
「ちょっと、何ですの」
口を尖らせ、ペトロネラが皆を追い掛ける。
王墓の探索とザイナスの護衛に御使いを分け、街外れには防衛線も引いている。だが、ザイナス不在の探索班には華がない。魅せる甲斐がないからだ。
「とりあえず、状況を知らせるわ」
リズベットが羽根に手を添える。地上は相互に会話ができるが、封のある地下は彼女を以てしても送り送られの一方通行だ。こうした事情も勘案し、ザイナスを地上に残している。御使いの解放にザイナスは不可欠だが、今回ばかりは分が悪い。探索への同行は危険に過ぎた。
ティルダも脅威ではあるが、御使いの数では分が優る。魔女は複数の御使いを操るが、ソフィーアの経験上、その支配には濃淡があった。これほどの時間を支配されたカミラは、恐らく魔女そのものだ。既に人格も融けているだろう。
危険はティルダの比ではない。
加えて、最後の御使いだ。シグルーンは初めから、大凡あたりが付いている。不明は身元の方でなく、その行方にあった。彼女も失踪して十年になる。
受肉は黒神の修道士シーグリッド・シベリウスだ。神の娘と謳われたそれは、女であっても人ではない。恐らく、ザイナスの無自覚な誘惑も通じないだろう。もしも共に魔女ならば、今回は御使いの力押しだ。
人の身体は花より脆い。同行のザイナスが巻き込まれ、命を落とすような事にでもなればスヴァールの勝ちだ。魔女もそれを狙っているに違いない。
一行は封の石室を抜け、地下道を辿った。恐らく三桁の年月で人の出入りは絶えている。だがスヴァールの権能があれば、こうした路も必要ではない。
やがて至ったのは、円天蓋の大広間だった。
天然の洞を掘り整え、ぐるりを丁寧に石積みしている。底は粗い岩場のままで、剥落した天板が積もっていた。通廊は上から続いているが、木が朽ちたのか降り場がない。訪れたのが御使いでなければ、梯子が必要な造りだった。
降り立った皆が辺りを見渡す。ぽつんと広間に置かれた祠も、些か奇妙な具合に見える。まず全体に造りが粗い。石の面は生のままで、梁や斜交いも剥き出しだ。王家の逸話に沿って見比べるなら――。
「期待外れですわね」
ペトロネラは無遠慮にそう言った。
「魔女はどこだ」
鼻息の荒いエステルを宥めつつ、リズベットは堂を仰いで皆を振り返る。
「魔女の家じゃなさそうね」
「そうですね。少し大きいのが気になりますが」
ソフィーアが眉根を寄せた。
「大きい? これが? 御手水ほどもないでしょうに」
「れは封の見立てです。中に何かがあるという訳では――あるのでしょうか」
思案するソフィーアを眺めて、オルガは肩を竦めて見せた。
「罠を疑うべきかな」
「分断、ということ?」
リズベットならず、ザイナスと離れることには最初から賛否があった。
「この隙に、エイラに私たちの居場所を囁いたり、とかかしらね」
ペトロネラが指摘するのは聖騎士の率いる部隊の追撃だ。既に各地に手配が廻り、奉都スヴァールには斥候の兆しもあった。三方を山に閉ざされたこの街に兵軍が押し寄せるとなれば、籠城も余儀なくされるだろう。
オルガは口許を曲げた。
「さて兵隊同士の争いではないし、我ら相手に人がどうにかできるとも思えん。魂の選別場を満たすだけのことだ」
リズベットが振り返る。
「エイラが変な気を起こさない?」
「それなら、堕とすに好都合だ」
それが問題なの、とオルガを睨んだ。
「妻だの愛人だの、もうたくさん」
「確かに、正妻はひとりで十分だ」
「確かに、正妻はひとりで十分ですわ」
声を合わせたオルガとペトロネラにリズベットは唸った。みな勝手な事ばかり。ザイナスの将来は、とうに自分が決めてある。余計な口を挟まないで欲しい。
「私は愛人でも良いのですけれど」
ソフィーアはこっそり呟いてから、皆を目の前の現実に引き戻した。
「確かにエイラを唆すだけなら魔女の仕事も楽でしょう。ですが、そのためのフリストとヘルフ――それより、此処に魔女が居るのも確かなようです」
と、見回し堂を指す。
「ただし、これも封ですが」
きょとんとする皆に紐解いて見せる。この円蓋の広間と同じく、堂の見栄えの違和感は、これらが全てが内に向けて防御を固める造りだという。
「つまり、奥から来るものを阻むの見立てです」
「出さないように、か」
オルガは頷いた。御使いの絡む封印として、そうした例は無くもない。ただ、多くは儀式装飾だ。これほどの規模の物理施設は天界にも情報がない。
「この中に」
リズベットが訊ねると、ソフィーアは微かに口許を顰めた。
「この下に」
また穴倉を降りるんですの? とペトロネラが零した。
「壊す?」
「まだよ」
ソフィーアがエステルの肩を抱え、ペトロネラに目を遣って堂を促す。
「どちらにせよ、また私の出番ですわね」
「何となく聖王家の血統を残す意味が解って来たわ」
顔を曇らせ、リズベットが呟いた。
「いえ、待って。王家の紋ではなさそうです」
ソフィーアの言葉にペトロネラが蹈鞴を踏んだ。
「ここに来て何ですの」
造りは確かに沿っているが、封を施したのは別の手らしい。あるいは、この円天蓋の城塞と堂には別の役割があるのではないか。ソフィーアが思案する。
「でしたら、さっさと壊してしまいなさいな」
「大丈夫か?」
オルガがソフィーアに訊ねる。
「今更かと思いますけれど」
答えつつ、オルガを見返した。
「壊すの?」
エステルが焦れて地団太を踏んだ。
「そうだな、厄介ごとは早めに片付けるとしよう」
オルガが頷いて促した。エステルが揚々と駆け出して行く。リズベットは白銀の羽根に手を添えて、ザイナスに状況を送ろうとした。
「兄さん、この下に――」
◇
「何だって、あたしがこんな所にいるわけ?」
硝子窓から目を逸らし、退屈に痺れを切らしたクリスタがぼやく。自身の映る向こう側には、緑の敷かれた丘陵と濃い樹々の畝、遥かに稜線が縁取っている。
王都の北東に位置する奉都、最古の奉都《カペル》スヴァールは、緩やかな窪地の底にある。西に大きな石切り場、東に広大な記念墓所。唯一開けた街の南に街道と路線が集まっており、人の往来はそれなりに多い。
そうした景色を眺め遣るクリスタの目線は、丘より遥かな高さにあった。眼下を覗けば路と軌道が走る。それは切り通しの丘の上、更にその上空だ。
そこに、城のような鉄塊が蹲っている。ビルギットの巨人機、その改だ。大規模な隠蔽術が施され、今は樹々を蒸し焼くドレンさえ目に見えない。
ビルギットの製造した半神兵装も、一度はシムリスの路線に打ち捨てられた。とはいえそれも元来は、第一都市ヴェスローテの依頼で制作された都市防衛装備だ。クリスタも契約を捨てきれず、ビルギットの改修は已む無く呑んだ。
結局、ヴェスローテへの納品より先に、皆の王都脱出に使用してしまったが。
「しっかり見張って」
クリスタを見もせず、ビルギットが諌めた。
「斥候が街に来たんだから」
言いつつ、自分は操作卓に貼り付いている。だゆん、と潰れた双丘が計器の大半を埋めている。よく誤作動を起こさないものだ、とクリスタは鼻を鳴らした。
「蜘蛛蛸だって出してるんでしょ、あたしが見張る必要なんてある?」
クリスタが言うのは多脚の自律機だ。
「あれは森の見張り用、ヘルフは線路の見張りをするの」
正直、閉鎖釜は動力が足りない。短期駆動か持久力への全振りかが極端だ。索敵に後者を選んだ以上、殆ど蜘蛛蛸には防衛力がない。
巨人機も端々は超高圧釜で動いているが、基幹の動力は御使いだ。エステルに使ってザイナスに叱られた神聖転換炉が本来の仕様だ。
ともあれ、ザイナスの敵は規模も手数も多い。何せ彼は御使いと魔女、何より人からも追われている。教会はティルダの指揮のもと、正式に魂なきものの聖伐を宣言。加えてペトロネラの王位継承宣言により、宮廷議会も僭王を称したザイナスに国軍を差し向けているという。
のほほんと魔女を追っているように見えて、その実どうにか逃げ延びたに過ぎない。奉都スヴァールに駐留兵がいないのも幸いした。ただし、その他の都市、聖堂も、いずれ王都の模様眺めに徹している。大勢はどうあれ、鎮火後の方が力を誇示し易いからだ。神敵も王も今後の状況次第だった。
「線路を壊しとけばいいじゃない」
クリスタがごねる。
「駄目だって、ザイナスも言った」
巨人機は攻城規模だ。兵員輸送車を撃つ方が被害が出せる。相手の戦力に負担を増せば、交渉に至るのも早まるとの判断だ。御使いに囲まれているせいか、ザイナスの考え方も微妙に効率重視だった。
「面倒くさい、ザイナスくんと一緒にいたい」
「ゲイラとヒルドがいる」
うー、とクリスタが爪を噛む。
「ゲイラの奴、男のくせにくっつき過ぎ。ザイナスくんはあたしのペットだぞ」
「勝手に思ってれば」
ビルギットはにべもない。
「何よ、あんたはいいの?」
「どうでもいい。ザイナスはぼくのじゃないけど、ぼくはザイナスのものだから」
ぽかん、とクリスタはビルギットを見遣る。朱くなった耳の先を見て、ひとしきり唸るや、生意気だとばかりにビルギットの頬を思い切り摘んで引っ張った。
「いあい、いあい――」
クリスタに引かれるまま首を伸ばしたビルギットが、ふと硝子窓の前で止まる。クリスタが何気に目線を追うと、稜線に白煙が覘いていた。
◇
空回りしている感覚だった。たまに何かが噛み合うような――そんな時、たいていザイナスは災難に遭った。意識し始めたのいつ頃か。奉神不在の宣告か、神器に胸を突かれてからか。まったく、地霊術は儘ならない。
巨人機で覗いた歯車が、ザイナスの心象を明確にしたのも大きい。以来、印章が結び易い。ザイナスの内の五九個は、形も大きさも違うぎざぎざの環だ。それが延々空回りしながら、互いに噛み合うのを待っている。
「どうしたザイナス、考え事?」
幾重にも続く緑の畝を背景に、悪戯な目がザイナスを覗き込む。ぼんやり見おろす丘陵は、白く削った道なりに雑多な石碑の乱杭歯が生え散らばっている。
「死んでそれまでなんだから、僕にあれは関係ないな」
墓碑を眺める観光客、水売り、飴売り、土産物屋の曳き屋台。ちらほら伺えるそれらを眺めて、ザイナスは肩を竦めて見せた。
「なるほどね、手っ取り早くスヴァールの所に行く方法を考えていた訳だ」
アベルが物憂げなザイナスを笑う。
「そんなのは却下だ。オレを奪う前に言え」
柱の上からラーズのぼやきが降ってきた。
「オレが天界まで手を引いてやる」
そういえば、アベルの短刀もラーズの矢も、ザイナスを貫いたことがある。魂を刈るには祭壇も要るが、それが欠けたおかげで生き延びた。クリスタやソフィーアは条件も合ったが、偶さか難を逃れたに過ぎない。厄憑きにしては運が良い。いや、長引くことが災厄だろうか。現にザイナスは全ての敵だ。
「選別なしに全人観測儀へ、しかも御使いが手を引いて。こんな名誉を拒むなんてさ、キミはやっぱり――」
アベルの皮肉を遮って、スクルドの羽根が微かに震えた。アベルもラーズも携えており、皆は暫し口を閉ざした。だが、いつまで待っても無言のままだ。
『……さん』
ようやく聞こえたと思いきや、途切れ途切れに囁いている。
『兄さん……この下に……』
言葉と声が混じっている。ザイナスは羽根に耳を寄せた。
『ザイナス、敵だ』
不意の大声に仰け反った。喚いているのはクリスタだ。こちらは明瞭すぎるほどで、リズベットらの声は掻き消されてしまった。
『蜂箱みたいに兵隊を詰め込んだ汽車が来る』
『撃退するよ、ザイナス』
ビルギットが横から宣言した。
「ほどほどに」
致命的な一撃の後は、相手が指揮を取り戻す前に戦力を削る。退けばよし、退かねば一掃。いずれ単独兵の虱潰しは巨人機の不得手だ。ひと纏まりを早々に潰し、頭のない残兵を敗走させる心算だった。
『了解』
ビルギットの返事と同時に、後ろで鉄輪と鎖の音がした。
『あれ、何これ。あたし何で繋がれてんの』
怪訝そうなクリスタの声が聞こえたかと思うと、悲鳴が尾を引いて遠ざかる。エステルが拐われた時と同様、巨人機の動力源だ。クリスタには残念ながら、今回はザイナスもビルギットに了承している。
「ビルギット、見張りは健在か?」
ふと、ザイナスが斥候の蜘蛛蛸について訊ねる。
「んーと、あれ? 二つほど消えてる」
ザイナスは位置を確かめさせると、隊列が退いた時点で合流する旨を告げた。
「あのでかいのをこっちに呼ぶって?」
羽根を眺めるザイナスにアベルが訊ねる。
「間に合えばね」
ザイナスは辺りを見渡した。今いるのは王墓の丘の上だ。辺りは三人寄っても抱えられない石柱が並んでおり、その全周が緩やかな斜面に囲われている。
見晴らしは良い。およそ視線を遮るものも無い。ザイナスは遠くを見渡して、麓を覆うな樹々のひと続きを目で追った。濃い色の絨毯だ。
「ラーズ、あの下が見えるか?」
柱の上の狩人に声を掛ける。少しして答えが降ってきた。
「良く気がついたな、ザイナス」
呆れたような口調は丘の麓を指している。
「歩いて来るぞ、馬鹿みたい列を組んで」
教会にせよ宮廷にせよ、追うのはザイナスひとりだけ。だが、ティルダと魔女は御使いがいるのを知っている。街外れの侵攻は手数を削ぐ為のものだろう。
「相手にするのは構わないが、どうする?」
ラーズがザイナスの判断を問う。リズベットたちを呼び戻すか、こちらが王墓に飛び込むか。さて、ティルダは巨人機の存在とリズベットらの不在をどこまで知っているのだろう。ザイナスは吐息を漏らした。
どうやら盤を俯瞰しているのは、魔女ひとりだけのようだ。
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