64 / 65
16章 聖魔戦争
第64話 汝、神なり
しおりを挟む
空を隠して雲が流れる。地平が濃くなり、暗天に続いている。日暮れとも、夜明けともつかない四方を眺めれば、延々と続く草原だ。足場の草葉は戦ぐほど、雲は雨後の川にように流れている。気づけば、ザイナスはそんな場所にいた。
「足りないな」
足りないどころか、何もない。声に気づいて目線を落とすと、少女が笑っていた。カミラ、スヴァール、そして魔女――それらが彼女に混然としている。
「此処は?」
霧の世界、ではないようだ。見覚えがあるようで、はっきりとは思い出せない。
「おまえ中だ。これは、おまえの心像である」
はあ、とザイナスは緊張感のない相槌を打った。どうやら御使いの不意を突き、ザイナスは魔女に憑かれたらしい。だが、状況がよくわからない。
「賞牌は――」
「要らぬ、もう必要がない。ようやく因果に合点がいった」
勝手に納得されてもなあ、とザイナスは困惑する。あっけらかん、と険のない笑顔に肩を竦める。彼女には何やら人知の及ばぬ理解があったに違いない。
「理由を訊いても?」
「吾の座は此処にあった」
つとザイナスは手を挙げて魔女を制した。
魔女には傲慢の欠片もない。ましてや焦りや怒りもない。憑き物が落ちた――というよりも、憑かれているのはザイナスの方だ。「外」の様子がわからない。
「僕にも解るように」
むう、と魔女は口許を曲げた。考え込むように眉根を寄せる。
「魂なきもの《ノスフェラトゥ》よ」
呼ばれてザイナスは顔を顰める。魔女の流布した最悪の渾名だ。本は古式の屍鬼の呼び名も、今となっては国家と教会が追うザイナスの呼称だ。
「神敵、呪われしもの、不死者。古い言葉の戯言が、こうしておまえの的を射た。今の吾には因果の後先がない。こうして、此処に座を得た証左だ」
ますます以て、解らない。ただ、言葉の端がアベルの話に似てもいる。
御柱の言には鶏と卵の後先がない。因果は時の前後に生じる。一方通行の人の目は、起きた真意に気づかない。いや、地上に降りた御使いにさえ、因果が成るまでわからない。アベルが御柱に翻弄される所以だ。
ザイナスは唸った。不用意な追及は身の丈を越える虎の尾を踏みかねない。
「御柱さま」
「魔女と呼びやれ、くすぐったくてかなわん」
ザイナスの表情を眺め遣り、魔女はひどく楽しげに笑った。ザイナスは言葉を探して選ぼうとしたが、一拍で諦め質問を続けた。
「ええと、あなたが御柱になったとして、その、此処は僕の中なのでは?」
魔女はきょとんと口籠もり、唸るとも呆れるともつかない息を吐いた。
「信心を持たぬとはそういうことか」
ザイナスを軽く睨み付ける。
「確かに、そうだ。人が天上の在処を知るはずもない」
そう呟いて、指先でザイナスの胸を小突いた。
「ここだ」
見おろし、ザイナスは困惑する。
「賞牌では?」
「それは天使に競わせるための戯事だ。おかげで吾も因果に巻かれた」
魔女は口を尖らせて、ザイナスを見上げた。
「あれらの伏せた名は予兆。神代の終わりを告げる宿業だ」
不意に風が大きく鳴り、髪を煽られたザイナスは目に掛る前髪を掻き上げた。
「 約束の地――俗な名で全人観測儀を知っておるか」
問われて頷く。魔女に目を遣ると空を見上げていた。
「柱もまた人を知る半ばだ。もしも神意を問いたくば、おまえが探す他はない」
魔女が目を見開いた。
「因果が成ったな」
つられてザイナスも空を見上げた。
雲が風に流れ飛び、黒天の空が露わに覗く。星の下に敷き詰められたのは、巨大な歯車だ。形も大きさも異なるそれらは、膨大で精緻に噛み合っている。
ザイナスは呻いた。嵌められた。墓穴を掘った。いや、こうなることは決まっていた。魔女の言葉にまんまと因果を紡がれた。
地上に捨てられた信仰の断片、地霊術集めて造られたそれは、ザイナスの心像が描く全神観測儀に他ならない。
「さて、吾もあそこに還らねばならん」
魔女は空の歯車を見上げ、ザイナスに向かって微笑んだ。
ザイナスは口を開き掛け、脳裏を探って呟いた。
「あなたの名前を知らないんですが」
「ヴォラク」
「操流」
魔女が微笑み、繰り返した。
少女の身体が二つに割れて、歯車がひとつ回り出た。それは大きく膨らみながら空に向かって登って行く。五九種の地霊術が、ひとつ増えた。
ザイナスが目線を落とすと、身を閉じた少女が佇んでいる。
「ええと、カミラ?」
「はい。スヴァールの意思も、魔女の記憶も在りますけれど」
答えて頷く。歳相応の表情を見せるが、大人よりも落ち着きがある。ソフィーアの言う通り、彼女らは混然として分け難い。消えてしまった訳ではない。敢えて口調を変えたのは、主導権の交代を示す為なのだろう。
「さて、どうやって此処から出ようか」
幼気な少女に聞く事かと思いつつ呟いた。これが自身の心像の中だと言われても、その出入りはよくわからない。気づけば此処に立っていたのだから。
「こちらへ」
カミラが笑って手を取った。引かれて少し安堵する。だが、数歩も行かないうちに立ち止まった。カミラが振り返ってザイナスを見上げる。
「ええと」
ザイナスが目で問うと、カミラは俯いてはにかんだ。
「あちらで邪魔が入る前に、私を奪っていただけませんか?」
「足りないな」
足りないどころか、何もない。声に気づいて目線を落とすと、少女が笑っていた。カミラ、スヴァール、そして魔女――それらが彼女に混然としている。
「此処は?」
霧の世界、ではないようだ。見覚えがあるようで、はっきりとは思い出せない。
「おまえ中だ。これは、おまえの心像である」
はあ、とザイナスは緊張感のない相槌を打った。どうやら御使いの不意を突き、ザイナスは魔女に憑かれたらしい。だが、状況がよくわからない。
「賞牌は――」
「要らぬ、もう必要がない。ようやく因果に合点がいった」
勝手に納得されてもなあ、とザイナスは困惑する。あっけらかん、と険のない笑顔に肩を竦める。彼女には何やら人知の及ばぬ理解があったに違いない。
「理由を訊いても?」
「吾の座は此処にあった」
つとザイナスは手を挙げて魔女を制した。
魔女には傲慢の欠片もない。ましてや焦りや怒りもない。憑き物が落ちた――というよりも、憑かれているのはザイナスの方だ。「外」の様子がわからない。
「僕にも解るように」
むう、と魔女は口許を曲げた。考え込むように眉根を寄せる。
「魂なきもの《ノスフェラトゥ》よ」
呼ばれてザイナスは顔を顰める。魔女の流布した最悪の渾名だ。本は古式の屍鬼の呼び名も、今となっては国家と教会が追うザイナスの呼称だ。
「神敵、呪われしもの、不死者。古い言葉の戯言が、こうしておまえの的を射た。今の吾には因果の後先がない。こうして、此処に座を得た証左だ」
ますます以て、解らない。ただ、言葉の端がアベルの話に似てもいる。
御柱の言には鶏と卵の後先がない。因果は時の前後に生じる。一方通行の人の目は、起きた真意に気づかない。いや、地上に降りた御使いにさえ、因果が成るまでわからない。アベルが御柱に翻弄される所以だ。
ザイナスは唸った。不用意な追及は身の丈を越える虎の尾を踏みかねない。
「御柱さま」
「魔女と呼びやれ、くすぐったくてかなわん」
ザイナスの表情を眺め遣り、魔女はひどく楽しげに笑った。ザイナスは言葉を探して選ぼうとしたが、一拍で諦め質問を続けた。
「ええと、あなたが御柱になったとして、その、此処は僕の中なのでは?」
魔女はきょとんと口籠もり、唸るとも呆れるともつかない息を吐いた。
「信心を持たぬとはそういうことか」
ザイナスを軽く睨み付ける。
「確かに、そうだ。人が天上の在処を知るはずもない」
そう呟いて、指先でザイナスの胸を小突いた。
「ここだ」
見おろし、ザイナスは困惑する。
「賞牌では?」
「それは天使に競わせるための戯事だ。おかげで吾も因果に巻かれた」
魔女は口を尖らせて、ザイナスを見上げた。
「あれらの伏せた名は予兆。神代の終わりを告げる宿業だ」
不意に風が大きく鳴り、髪を煽られたザイナスは目に掛る前髪を掻き上げた。
「 約束の地――俗な名で全人観測儀を知っておるか」
問われて頷く。魔女に目を遣ると空を見上げていた。
「柱もまた人を知る半ばだ。もしも神意を問いたくば、おまえが探す他はない」
魔女が目を見開いた。
「因果が成ったな」
つられてザイナスも空を見上げた。
雲が風に流れ飛び、黒天の空が露わに覗く。星の下に敷き詰められたのは、巨大な歯車だ。形も大きさも異なるそれらは、膨大で精緻に噛み合っている。
ザイナスは呻いた。嵌められた。墓穴を掘った。いや、こうなることは決まっていた。魔女の言葉にまんまと因果を紡がれた。
地上に捨てられた信仰の断片、地霊術集めて造られたそれは、ザイナスの心像が描く全神観測儀に他ならない。
「さて、吾もあそこに還らねばならん」
魔女は空の歯車を見上げ、ザイナスに向かって微笑んだ。
ザイナスは口を開き掛け、脳裏を探って呟いた。
「あなたの名前を知らないんですが」
「ヴォラク」
「操流」
魔女が微笑み、繰り返した。
少女の身体が二つに割れて、歯車がひとつ回り出た。それは大きく膨らみながら空に向かって登って行く。五九種の地霊術が、ひとつ増えた。
ザイナスが目線を落とすと、身を閉じた少女が佇んでいる。
「ええと、カミラ?」
「はい。スヴァールの意思も、魔女の記憶も在りますけれど」
答えて頷く。歳相応の表情を見せるが、大人よりも落ち着きがある。ソフィーアの言う通り、彼女らは混然として分け難い。消えてしまった訳ではない。敢えて口調を変えたのは、主導権の交代を示す為なのだろう。
「さて、どうやって此処から出ようか」
幼気な少女に聞く事かと思いつつ呟いた。これが自身の心像の中だと言われても、その出入りはよくわからない。気づけば此処に立っていたのだから。
「こちらへ」
カミラが笑って手を取った。引かれて少し安堵する。だが、数歩も行かないうちに立ち止まった。カミラが振り返ってザイナスを見上げる。
「ええと」
ザイナスが目で問うと、カミラは俯いてはにかんだ。
「あちらで邪魔が入る前に、私を奪っていただけませんか?」
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』
放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。
「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」
身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。
冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。
「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」
得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。
これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。
女神の白刃
玉椿 沢
ファンタジー
どこかの世界の、いつかの時代。
その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。
女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。
剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。
大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。
魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。
*表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる