15 / 18
幕間 ミドルアース
しおりを挟む
岬に面した宵限の台地には古い裁定場跡があった。今回の裁定にあたっては、その地に因んで議場、闘議場が整えられた。
足首ほどに短く草を刈られた草原の東西には、それぞれ郷里の陣が敷かれている。互いの姿が小さく見えるほどの広さだ。
中央に拵えた天幕は全周に幾重もの扉幕がある。今はその全部が巻き上げられており、まだ空席だが郷里の貴人、官吏、代闘士の座が見渡せる。
本来の裁定では帯剣の衛士はさほど多く必要とされない。だが今回は向かい合う人垣に武装した衛兵隊が層を成していた。これらは郷都統合府の要請によるものだ。
郷里の兵力には歴然とした差がある。郷都には常設の守護隊があり、その層は厚い。一方で王里の兵力は自治省庁が各個に保有する小規模なもので、裁定場に並ぶのはせいぜいその寄せ集めに過ぎなかった。
その明らかに不平等な条件を王里は飲んだ。むしろ郷都はそのことに疑心暗鬼を募らせている。
郷都統合府の首長は三人いる。エルフのエーミス、ドワーフのジレット、ゴブリンのサロネーが郷ノ皇だ。対する王里は同盟の里長が名を連ねるものの、ほぼバルター一人が全権を担っていた。
裁定の儀が宣言され、双方が中央の議場に歩を進める。そのとき番狂わせは起きた。
台地の縁に控えていたトロルが暴れ出したのだ。物言わぬ愚鈍な人足の巨人が、郷里の者を見境なく撥ね退けながら中央の天幕に近づいて行く。
双方のうちに境里で起きた出来事を知る者が幾人もいた。真っ先に反応したのは郷都の衛兵隊で、彼らは天幕を守るべく一斉に前進した。
一方で王里の陣営は兵を留めている。
事故か策謀か、後者ならば何者の企みか。貴人のひとりが声を上げようとした折、王里の陣よりもう一体のトロルが現れた。
それは浮足立つ郷都の衛兵隊を一顧だにせず、天幕に近づくトロルに駆け寄るや、わずか数撃で暴走するトロルをねじ伏せた。まるで手練れの人間のようだった。
誰もが呆然とするなか事態は意外な結末を迎えた。だが、それが混沌の始まりだった。
ガリオンとターヴはその光景に歯噛みした。二人は代闘士として王里の陣幕におり、傍には付き人として四人のゴブリンが控えている。
そこにニアベルの姿はない。事情を知っているのは二人と四人のゴブリンだけだ。そして恐らくその行方を知っているのは、裁定場の混沌を平然と眺め遣るバルターだけだろう。
当初、郷都の衛兵隊は暴走するトロルの鎮圧を見て引き上げるかに思えた。ところが彼らはもう一方のトロルに襲い掛かった。見分けが付かなかった訳ではない。恐怖に駆られたようにも見えなかった。
衛兵隊はトロルを囲みつつ、王里の企みであると声を上げ、陣幕に矛先を向けた。郷都にそれを留める者はいなかった。三皇の意見は割れたかも知れないが、兵は王里《オード》に迫った。
恐らくそれがバルターにとって、最後の許容点だったのだ。
バルターの合図とともに裁定場の周囲から複数のトロルが躍り込んだ。それは裁定場の整備に持ち込まれ、草原の縁に邪魔者のように留め置かれ人足たちだ。土を運ぶしか能がないはずの道具が一斉に動き出した。
トロルは郷都の陣幕の傍からも現れ、瞬時にして郷都の衛兵隊は攻める側ではなくなった。本陣そのものが包囲されていたのだ。
四方から侵攻するトロルたちは、まるで幼児が人形で遊ぶ如く片端から郷都《ゴート》の兵列を蹂躙した。枯葉のように頭上を舞う人の姿に、もはや敵味方の境なく恐怖した。
怒号と悲鳴が草原に満ち、音そのものが割れて羽虫の音のように響いている。攻めるや逃げるや混沌と化した土煙に、トロルの巨体が浮島のように突き出している。まるで網の中の魚をいたぶる子供のようだった。
戦況は混乱した。いや、混乱していたのは郷都だけだ。四方をトロルに囲まれたその間隙は、いつの間にか王里の槍衾に塞がれていた。もはや逃げることさえ叶わなかった。
郷都《ゴート》の陣幕は丸裸も同然、目の前で己が兵士が壊滅する様を見せつけられている。巨人の支配する怒号と悲鳴の戦場は誰も手の出しようがない。もはや降伏講和の伝令さえも、この戦場を渡ることはできなかった。
郷都《ゴート》統合府は敗北した。その兵の一人さえバルターに届くことはなかった。
ガリオンの顎先の髭は擦り減って、もはや疎らに残っているだけだ。重い息を吐いて隣のターヴを見上げた。声を掛けようとして、その視線が戦場にないと気づいた。怒号が煙るその上を向いている。ターヴは空を見上げていた。
何事かとそれを目で追って顔を上げ、ガリオンは言葉を見失った。
混沌の中にも騒めきと沈黙が拡がっていく。皆が騒乱の空にあるものを追い始めている。まだ何も終わっていなかった。
いや、裁定は始まっていなかったのだ。
足首ほどに短く草を刈られた草原の東西には、それぞれ郷里の陣が敷かれている。互いの姿が小さく見えるほどの広さだ。
中央に拵えた天幕は全周に幾重もの扉幕がある。今はその全部が巻き上げられており、まだ空席だが郷里の貴人、官吏、代闘士の座が見渡せる。
本来の裁定では帯剣の衛士はさほど多く必要とされない。だが今回は向かい合う人垣に武装した衛兵隊が層を成していた。これらは郷都統合府の要請によるものだ。
郷里の兵力には歴然とした差がある。郷都には常設の守護隊があり、その層は厚い。一方で王里の兵力は自治省庁が各個に保有する小規模なもので、裁定場に並ぶのはせいぜいその寄せ集めに過ぎなかった。
その明らかに不平等な条件を王里は飲んだ。むしろ郷都はそのことに疑心暗鬼を募らせている。
郷都統合府の首長は三人いる。エルフのエーミス、ドワーフのジレット、ゴブリンのサロネーが郷ノ皇だ。対する王里は同盟の里長が名を連ねるものの、ほぼバルター一人が全権を担っていた。
裁定の儀が宣言され、双方が中央の議場に歩を進める。そのとき番狂わせは起きた。
台地の縁に控えていたトロルが暴れ出したのだ。物言わぬ愚鈍な人足の巨人が、郷里の者を見境なく撥ね退けながら中央の天幕に近づいて行く。
双方のうちに境里で起きた出来事を知る者が幾人もいた。真っ先に反応したのは郷都の衛兵隊で、彼らは天幕を守るべく一斉に前進した。
一方で王里の陣営は兵を留めている。
事故か策謀か、後者ならば何者の企みか。貴人のひとりが声を上げようとした折、王里の陣よりもう一体のトロルが現れた。
それは浮足立つ郷都の衛兵隊を一顧だにせず、天幕に近づくトロルに駆け寄るや、わずか数撃で暴走するトロルをねじ伏せた。まるで手練れの人間のようだった。
誰もが呆然とするなか事態は意外な結末を迎えた。だが、それが混沌の始まりだった。
ガリオンとターヴはその光景に歯噛みした。二人は代闘士として王里の陣幕におり、傍には付き人として四人のゴブリンが控えている。
そこにニアベルの姿はない。事情を知っているのは二人と四人のゴブリンだけだ。そして恐らくその行方を知っているのは、裁定場の混沌を平然と眺め遣るバルターだけだろう。
当初、郷都の衛兵隊は暴走するトロルの鎮圧を見て引き上げるかに思えた。ところが彼らはもう一方のトロルに襲い掛かった。見分けが付かなかった訳ではない。恐怖に駆られたようにも見えなかった。
衛兵隊はトロルを囲みつつ、王里の企みであると声を上げ、陣幕に矛先を向けた。郷都にそれを留める者はいなかった。三皇の意見は割れたかも知れないが、兵は王里《オード》に迫った。
恐らくそれがバルターにとって、最後の許容点だったのだ。
バルターの合図とともに裁定場の周囲から複数のトロルが躍り込んだ。それは裁定場の整備に持ち込まれ、草原の縁に邪魔者のように留め置かれ人足たちだ。土を運ぶしか能がないはずの道具が一斉に動き出した。
トロルは郷都の陣幕の傍からも現れ、瞬時にして郷都の衛兵隊は攻める側ではなくなった。本陣そのものが包囲されていたのだ。
四方から侵攻するトロルたちは、まるで幼児が人形で遊ぶ如く片端から郷都《ゴート》の兵列を蹂躙した。枯葉のように頭上を舞う人の姿に、もはや敵味方の境なく恐怖した。
怒号と悲鳴が草原に満ち、音そのものが割れて羽虫の音のように響いている。攻めるや逃げるや混沌と化した土煙に、トロルの巨体が浮島のように突き出している。まるで網の中の魚をいたぶる子供のようだった。
戦況は混乱した。いや、混乱していたのは郷都だけだ。四方をトロルに囲まれたその間隙は、いつの間にか王里の槍衾に塞がれていた。もはや逃げることさえ叶わなかった。
郷都《ゴート》の陣幕は丸裸も同然、目の前で己が兵士が壊滅する様を見せつけられている。巨人の支配する怒号と悲鳴の戦場は誰も手の出しようがない。もはや降伏講和の伝令さえも、この戦場を渡ることはできなかった。
郷都《ゴート》統合府は敗北した。その兵の一人さえバルターに届くことはなかった。
ガリオンの顎先の髭は擦り減って、もはや疎らに残っているだけだ。重い息を吐いて隣のターヴを見上げた。声を掛けようとして、その視線が戦場にないと気づいた。怒号が煙るその上を向いている。ターヴは空を見上げていた。
何事かとそれを目で追って顔を上げ、ガリオンは言葉を見失った。
混沌の中にも騒めきと沈黙が拡がっていく。皆が騒乱の空にあるものを追い始めている。まだ何も終わっていなかった。
いや、裁定は始まっていなかったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる