恋火

流月るる

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第十話

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 打ち合わせは終えたのに珍しく美綾たちはおしゃべりに華を咲かせていた。ああして女の子三人でしゃべっている姿を見ると、美綾も普通の女の子なんだなと司は思った。
 真夏は気が強くて元気なタイプだから、美綾とは合わないかもしれないと最初は危惧していた。けれど、どちらかといえば相手とぶつかりやすい真夏が、美綾の前では穏やかで案外二人はうまくやっている。しっかりしていて細かな部分まで配慮するところが似ているおかげかもしれない。

 同級生なのにどことなく姉のような雰囲気があるせいか、真夏が甘えているようにも見える。
 そしてそんな時の美綾も、ふんわりやわらかな空気をまとう。みなみは変わらず、にこにこほほ笑んでいる。

「九条……なんか変わったな。由功のそばにいる時と雰囲気が違う。あいつの隣にいる九条って高嶺の花で近寄りがたくて孤高っぽかったのに、なんかちょっと儚げでやわらかい感じ。まあどっちにしろかわいいけど」

 司は思わず陸斗を睨んだ。

「なんだよ。言っておくけどオレだけじゃないぞ。憧れの女の子が手の届きそうなところにいて、なおかつあの雰囲気だ。あの髪に触れたい男はたくさんいる」
 
 最後だけ抑えたその声音は、男相手に披露するにはもったいないほど色気があった。高宮くんに耳元で囁いてほしいと騒いでいた女の子がいたのも頷ける。

 最近の美綾は夏だからか髪をまとめる日も多い。今日も腰までの長い髪をアップにしていて、さらさらの毛先が背中に流れている。
 美綾の雰囲気が変わってきたことなど、陸斗に言われずとも、同じチームで仕事をしている自分たちが一番それを実感している。
 勇などは時々美綾に見惚れていて、仕事にならずに陽司に怒鳴られているぐらいだ。

 無防備で隙だらけなのは由功が隣にいないせいだと思っていた。
 もちろんそれもあるだろうけれど……一番の原因はあの男のせいだ。

「いや、やっぱり由功のせいか……」
「なにが?」
「……なんでもない。おい、そろそろ行こう。オレは由功の部屋に寄ってから戻る」

 はっとしたように三人はおしゃべりをやめて会議室内の片づけをはじめた。不思議そうな表情の陸斗を放置して司はとりあえずあいつに確かめるかと、由功の部屋に向かった。


 ***


 由功が在室しているかどうかは壁のプレートで確認する。あの男は働いていないように見えて忙しいから、いないことも多い。
 在室であることを確認してドアをノックする。部屋に入ると由功は机で資料を読んでいた。

「なんだよ。オレは今忙しい」

 顔もあげずに由功は言い放つ。それは部屋の様子を見てもわかった。秘書代わりの美綾がいないせいか、室内が雑然としている。机の上の資料もバラバラに積み重なっていた。

「おまえ誰か秘書いれてないの?」
「適当に手伝わせているけど……整理整頓って一種の能力かセンスだな。美綾は本当に優秀だよ」

 深々とため息をつく。おそらくこの状態でも片付けた後なのだと由功は暗に訴えたいようだ。
 
「それで?」

 司は由功の机の前に立った。天井の明かりが遮られて影が落ち、由功が仕方なく仕事の手を止める。

「なんで九条を手放した?」
「手放したつもりはない。美綾に経験積ませたかっただけだ」
「嘘だ。チームにいれて仕事をさせるから見守れなんて……だいたいオレはおまえと九条は付き合っていると思っていたんだぞ!」
「だから?」

 本人の口から聞いたのに司はずっと信じていなかった。でもあの夜――不可解な現状の理由がわかった。

「あまりに無防備すぎて変な気分になるんだよ! おまえのものじゃないってストッパーがはずれたせいで余計に惑わされる」
「でもおまえは美綾には絶対に手を出さない」
「そんなのわかるもんか!」
「わかるよ。だからおまえに頼んだんだ」

 本当にむかつく男だと思う。こういう話はどんなに親しくても男同士だとほとんどしない。なによりうまく隠してきたつもりだった。
 由功はなにもかも確信したうえで――美綾をチームにいれた。 
 あらゆる角度から物事を分析して、最適解を選択する。人を見極め、采配し、なおかつ従わせる力。腹立たしいと同時に敵わないと思うのはこうい時だ。
 そういえば彼女にも気づかれていた。
 由功がただ一人、自分の身近におくことを選んだ対象が、女の子だと知った時びっくりした。
 そう、最初に『SSC』をつくると聞いたときから、この男が一番必要としたのは貴影でも自分でもない。
 彼女だ。

「それでも惑う。抱きしめたくなる。自分の手で守りたくなる……おまえは惑わなかったのか?」

 さらさらの長い髪。愁いをおびた大きな瞳。抱きしめたくなる華奢な肢体。
 不意に泣きそうな表情をして儚げな笑みを浮かべるくせに、誰の手もとらない。

――『私は守ってほしいなんて望まない』

 泣いていたくせに、淡々とそう言った。

「惑うさ。だからそばにおいた。守ってきた。大事にしてきたんだ」

 そうだ。由功は大事にしていた。特別扱いしていた。それは今だって変わらない。
 この男が全力で守ろうとする唯一の女の子だ。

「でもオレは知っている。美綾が好きな男がオレじゃないことを。そしてその恋が叶わないことも」

 そう――叶うことはない。彼女の恋は叶わない。いや、叶えてはならない。
 そうでなければ美綾以外の女の子が今度は傷ついてしまう。

 由功はどこか遠くを見るように壁へと視線を向ける。このビル内のどこかで美綾はまだ仕事中だ。もしかしたら二人で話し合いでもしているかもしれない。
 いろんな感情を抑え込んで、彼に気づかれることのないように、必死に耐えながらそばにいる。

「いつか忘れるんだとあきらめるんだろうと思っていた。美綾自身が決着をつけるまで見守っていればいいと思っていたんだ。でも美綾はできずにいる」

 片思いをしている人間なんてたくさんいる。自分だってそうだ。あきらめかたなんてわからない。

「でもそれは彼女だけのせいじゃない」

 司はきっぱり断言した。

「ああ、違うからな……あいつ。無意識か意識的か知らないけど、他のどんな女もすっぱり排除するくせに美綾にだけ接し方が違う。だからいつまでも美綾が期待するんだ」
「九条がそばにきて、あいつも惑っているってことか?」

 恋人がいても好きな女がいても――同じ男として気持ちはわかる。
 
「さあな。でもオレはどんな形でもいい。もういいかげん彼女を解放してやりたい」

 由功は強く言い放つ。
 由功が彼女を手放したのだと思っていた。違う。貴影から手放したいのだ。
 恋の蔓に囚われたお姫様を救い出す。
 蔓を断つ鋭利な刃が、たとえそれで彼女自身を傷つけることになっても。
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