夜毎、君とくちづけを

流月るる

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1巻

1-2

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「広瀬?」

 私はぎゅっと胸元を掴んだ。
 自分の身になにが起きたのかわからなくて、心臓がばくばくしている。
 息が苦しくて、私は体を丸めた。

「広瀬! 広瀬! どうした!」
「あの! どうされました? どこか具合でも悪くなったのですか?」

 焦る上谷の声と、おろおろした宮司ぐうじさんの声が聞こえる。
 私の体を支えて、上谷が顔をのぞき込んできた。私は息が苦しくて、言葉を発することもできない。
 なんで! なんで息ができないの! 病気?
 酸素! 酸素ちょうだい! 
 なんでいきなりこんなことになったの!?
 それとも、まさか、これが――!!

「広瀬! 息ができないのか?」

 私は涙目になりながら、とにかく頷いた。
 水の中じゃないのに溺れているようで。でもそんな自分の状況さえ伝えられない。

「まさか、これがわざわい!?」
わざわいとか言ってる場合じゃないでしょう! こんなの! 下手したら彼女の命が危険だ」
「じゃあ、救急車ですか!?」
「わからない! わからないけど!」

 上谷が声を荒らげていた。
 会社ではどんなトラブルが起きたって、いつも冷静で悠然としている男の珍しい姿だ。

「災いを回避する手段はキスでしたね……キスすればいいんですよね!」
「え? はい、あの、でも」
「それでダメなら救急車を呼んでください。広瀬、緊急事態だから! ごめん!」

 うん! もうなんでもいいよ! 息ができるなら! だって苦しいんだもん!
 苦しい! 苦しいよ! 
 息ができないのに口を塞がれるなんて変な気もするけど!
 もうなんでもいい!
 上谷の手が私の頬に触れ、そしてそっと唇が合わさった。
 それは一瞬のささやかな触れ合い。
 キスとも呼べないような唇同士の接触。
 上谷とキスするなんて思いもしなかった。
 でも――息はできるようにはならなくて、私は口をぱくぱくさせるだけだった。
 なんで!?

「キスすればいいんじゃなかったんですか! なんの変化もないじゃないですか!」

 そうだよっ!

「あ、いや、えーと……接吻せっぷんによる体液の交換。そう、文献には体液の交換とあります!」

 ほら、ここっ! と見せられても、そんなの確認する余裕はないよっ。

「はあ? それを早く言ってください!!」

 なんでもいいから! 救急車を呼ぶなり、助けるなり、早くして!
 でないと……息が苦しくて視界が……もう。
 意識がブラックアウトしかけた時、上谷にぎゅっと体を抱きしめられる。唇にふたたび柔らかいものが触れて、口内になにかが侵入した。
 ぬるりとした感触を受け入れると、鼻からすっと酸素が入ってきた。
 どうやらこのぬるりとしたものに触れている間は、息苦しくならないようだ。
 私はもっと楽になりたくて、口の中に入ってきた柔らかいものを飴玉あめだまのようにめ回す。
 するとやはり、だんだん息がしやすくなってきた。
 溺れかけていた水の中から、ようやく助け出された気分。いや、溺れた経験はないけど。
 やっと息ができる。酸素が入ってくる。
 それでもまだ落ち着かなくて、必死でそれをめた。めていると、鼻からどんどん酸素が入ってくるのだ。
 肺を酸素で満たしたくて、私は飴玉あめだまめた。飴玉あめだまにしてはやけに柔らかくて時々、意思を持っているように逃げていくけれど、必死にそれを追いかけた。
 ダメだよ! まだ足りない。呼吸が落ち着かない。
 ものすごく苦しかったんだから、あんな目にはもうあいたくない!
 めているうちにあふれてくる唾液だえきを、こくんこくんと呑む。
 鼻での呼吸が落ち着いてきて苦しさがやわらぐと、私はめてもめても小さくならない飴玉あめだまを逃がしてあげた。
 うーん、飴玉あめだまというよりグミかな、なんてことを考えながら。
 そうして目を開けたところ、至近距離にイケメンのドアップがあった。
 驚いて思わずまばたきをする。
 涙目でぼやけていた視界に不安げな上谷の顔があって、私は嫌な予感を覚えながらも「かみ、や?」と呟いた。
 なぜか舌ったらずな口調になった。

「大丈夫か? 息は? 苦しくないか?」

 気づけば上谷の腕に支えられていて、私はゆっくりと体を起こす。さっきまでの苦しさが嘘のように、呼吸が楽だ。

「広瀬。大丈夫か?」

 確かめるように少し強い口調で聞かれる。

「う、ん。大丈夫」
「……よかった。焦った」
「よかった……よかったです」

 宮司ぐうじさんの涙声を聞き、私は今ここがどこで、どんな状況だったかを思い出した。

「本当によかったですー。もう少しで救急車を呼ぶところでした」

 そうだ、ここは神社の一角。
 床にはさっきまで宮司ぐうじさんが大事に抱えていた文献が落ちている。
 理解できなかった文献の内容の一部が、嫌でも理解できた。
 わざわい……そして、接吻せっぷん

「……ほこらのせい、なの?」

 あの伝承はファンタジーじゃないの? ただの迷信じゃないの?

「信じたくないけど……可能性はある」

 上谷が神妙な顔つきで呟くから、真実味が増した気がして嫌になる。

「キス……した?」
「キスというか……接吻せっぷんによる体液の交換だ、察しろ」

 ああ、ただ単に唇を合わせただけじゃダメってことか。
 つまり、ディープキス……
 え、次の満月まで毎日同じ時間にディープキスをしろってこと?
 よりによって上谷と!?

「今日は広瀬の体調がたまたま悪くなっただけなのか、ほこらわざわいのせいなのかは、明日も同じことを試せばわかる。検証――するか?」
「検証する意味はある?」
「……わからない。現時点で確かなのは――おまえが呼吸困難を起こし、それが接吻せっぷんで落ち着いたということだけだ」

 そう。
 この出来事がわざわいのせいなのかどうかは、わからない。
 上谷の言う通り、救急車を呼ぶことなく落ち着いたのはこいつのキスのおかげ。
 それは確かな事実。

「次の満月まで毎日同じ時間に接吻せっぷんを交わせば、わざわいは消えるはずです」

 宮司ぐうじさんは文献を手にすると、どことなくほがらかな声でなんでもないことのように言った。
 私と上谷は顔を見合わせて、互いに深くため息をつく。
 午後八時五十八分。
 それが、私たちがキスをしなければならない時間。
 こうして次の満月まで毎晩、私たちは『儀式』をおこなう羽目になったのだった。


   * * *


『今夜どうする?』
『どうするってなにが?』
『待ち合わせ場所と時間だ』
『考えとく』


 メッセージの字面じづらだけ見れば、恋人同士のやりとりにも見えなくはない。
 私の心情は、ものすごくそこからかけ離れているけど。

「珍しいー、真雪がスマホを手放さないなんて」

 昼食のトレイを手にした友人のみなみ環奈かんな目敏めざとく見つけてきた。
 週はじめの月曜日、今日の社食の日替わりメニューは鉄分補給ランチのようだ。
 私はミニバッグにスマホをそそくさと放り込む。
 大手総合商社の社員食堂は、どこぞの設計士がデザインしたとかで社食というより、まるでカフェだ。
 実際、入り口は別だが社員以外の一般の人も利用可能となっている。メニューも豊富でコスパもいいのでランチタイムは盛況だ。

「それで、神社のほうは大丈夫だった?」

 そうだよ。
 環奈だってあの場にいたのに、一人迷子案内を探しにいったりするから、私が……
 八つ当たりしたくなったけど耐える。今は正直それどころじゃない。

「まあ大丈夫と言えば大丈夫で、大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない」
「なにそれ」

 環奈は「いただきます」と手を合わせると、ひじきの煮物に箸をつけた。

「あのさ、男女が二人きりになれる場所ってどこ?」

 そう、目下、急を要する課題はそれだ。
 私は今夜八時五十八分に、上谷とキスをしなければならない。それもディープキスだ。
 一応、今夜二人で再度検証予定だけれど、それをどこでおこなうかが問題だった。
 ――冷静に考えるといろいろ大変なんだよ。

「んー、互いの部屋か、そういうホテルじゃないの?」

 ランチタイムであることを考慮して、環奈が小声で答えてくれる。
 そうだよね。部屋かホテルが一番安全だとは思う。
 でも上谷を部屋に呼びたくもないし、自分も行きたくない。ホテルなんて、もってのほかだ。

「なに? 男と逢引あいびきでもするの? えー、真雪いつの間に彼氏ができたの?」
「違う。そういうわけじゃない」
「ふーん。あー、学生時代はデートにカラオケボックスとか使っていたかな」

 カラオケボックス! 
 いいこと聞いたと思ったけど、それは顔に出さないようにした。
 有能な秘書様に気づかれると面倒なことになる。絶対、おもしろがられる! 
 次の満月まで毎日同じ時間に上谷と接吻せっぷんしなきゃいけなくなったなんて……絶対知られるわけにはいかない。
 環奈は総務部秘書課、そして私は企画部、上谷は営業部だ。
 当然、仕事が終わる時間はそれぞれの部で違う。
 だから午後八時五十八分という時間は、私にはかなりネックだった。
 私は残業がなければ大抵その時間は家でくつろいでいる。夕食とお風呂を終えてドラマを見たり、インターネットをしたり、時には晩酌したりしている時間だ。
 なのに今日から一ヶ月は上谷と会うために、また外に出なければならない。
 それが次の満月まで毎日続くのだ。残業とか出張とか……なにより週末をどうするのか。
 考えれば考えるほど、宮司ぐうじさんの言っていた「試練」という言葉の意味が身に染みてくる。
「試練」だよ! まさしく。
 そのあたりのことも上谷とは相談する必要がある。

「そういえば、気をつけなさいよ。社員旅行で真雪と上谷が一緒に消えたって噂になっているから」

 社員旅行中のトラブルだったから、上司に説明しておく必要があった。そのため、二人で外出したことをみんなに知られたのだろう。もっとも、真実は迷子への対応をたまたま二人でしただけなのだけれど、相手が上谷であったせいで勘繰られてしまう。
 あいつって、やっぱり私にとって疫病神やくびょうがみ!?

「面倒くさい。あの男と関わると本当にろくなことがない」
「真雪は上谷に近づかないようにしているわりには、なにかと関わっちゃうねー。因縁いんねんでもあるのかな」

 何気ない環奈の言葉に私はごほごほむせながら、否定した。
 因縁いんねんなんていらないー!!


   * * *


 その夜、私は約束の時間より少し早めにカラオケボックスに入った。
 一度家に帰って食事を済ませ、ラフな格好に着替えてやってきた。お店の人には後から人が来ることを伝えて先に部屋に入る。
 テーブルの上のマイクを見ると、カラオケする気分じゃないけど大声で歌いたくなる。いや大声で叫んでやりたい。
 私はウーロン茶を頼んでから、テーブルの上にプリントアウトしたカレンダーを広げた。
 このカラオケボックスは私の住むマンションの最寄駅のすぐそばにある。上谷に待ち合わせ場所をカラオケボックスにしようと提案した時、あいつがこの駅を指定したのである。
 会社近くは避けたいし、互いの住んでいる場所の中間地点には残念ながらなかった。結果、時間帯を考慮して、私が行きやすい場所にしてくれたのだ。
 そういうところ、やっぱりできるんだよね……
 同期だから、私はあの男の優秀さを知っている。
 でも同期だからこそ、その優秀さが嫌いだ。
 新入社員研修のレポート発表の結果は、上谷がトップ、私が次点だった。
 二年目の研修企画案も上谷のが採用されて、私は落選。
 三年目に実施される、地方や海外を回る半年間の研修参加は出世コースに乗るための必須条件のようなもので、キャリアアップを目指す私には大事なものだった。
 それだって、選ばれたのは上谷だ。
 私にとって目の上のたんこぶのような存在、それが上谷理都だった。
 環奈なんかは『上谷をライバル視するなんて真雪ぐらいだよ』と言うけれど、いつも目の前をちらちらされれば誰だってうざいはずだ。
 因縁いんねんがあるなんて否定したいけれど、事実なにかと因縁いんねんがある。
 今回の件はそのさいたるものだ。
 よりによって、上谷とキス! 違った。接吻せっぷんによる儀式!
 憂鬱ゆううつでたまらない。

「とりあえずしばらく出張は入らない。大きな企画が終わったばかりでよかった。残業も調整ききそう。問題は……ここだよ」

 私はカレンダーに次の満月までの自分の予定を書き入れていた。
 憂鬱ゆううつだろうがなんだろうが、対策は練る必要がある。
 ここに上谷の予定を加えてもらって、どうやってこの期間を乗り切るかを考えないといけないのだ。
 儀式の期間が終わるはずの最後の週末に、私は学生時代の友人との温泉旅行を予定していた。
 なかなか予約の取れない高級旅館で、半年前の予約開始日の開始時間すぐに電話を入れてようやく確保した宿なのだ。
 この旅館をキャンセルするのは嫌だー。

「ここは上谷と要相談ね」

 あとの週末は、悲しいほど特に予定はない。
 恋人のいない二十六歳の女子なら、きっとみんなこんなもんのはず。

「悪い。遅くなった」

 軽いノックと同時に上谷が扉を開けて部屋に入ってきた。

「お疲れー」
「……広瀬、家に帰ってからきた?」
「夕食も済ませました。そういうあんたは今まで仕事?」

 上谷はまだ会社仕様のスーツ姿だ。手にはビジネスバッグを持っている。

「ああ」
「夕食は?」
「食事は済ませた。おまえもスケジュール確認していたのか。こっちは俺の」
「ん、記入するね」

 あまり認めたくないけれど、私と上谷はたぶん感覚が似ている。
 新入社員研修でもこの男と同じグループになったことがあって、その時にも思った。
 合理的に無駄なく効率よく行動したい性格……なぜならそのほうが楽だから。
 ――っていうか、考えても無駄なことに頭を使いたくないんだよね、たぶん。
 上谷はスーツの上着を脱ぐと、私と同じようにウーロン茶を注文して、それから椅子に座った。
 そしてテーブルの上にごつい腕時計と、ストップウォッチとスマホを並べて置く。

「なに、これ」
「電波時計仕様の腕時計。それから……まあそういう時間がどれだけ必要なのか計るためのストップウォッチ。スマホもタイマー設定してある」

 仕事できすぎだよ、上谷。
 気が回ると褒めるところなんだろうけど、できすぎていてなんか嫌……

「本当にほこらのせいだと思う?」

 こうしてスケジュールを確かめてはいるものの、正直私はまだ疑っていた。

「おまえは今夜も検証する気? 儀式をしないと息ができなくなるかどうか」
「する。だってありえないでしょう! ファンタジーじゃないんだよ! なんであんな岩に、そんな力があるのよ! 昨夜のだって偶然……だと思いたい」

 う、語尾が小さくなってしまった。

「俺はいいよ。もしかしたら今夜息ができなくなるのは俺かもしれないし、なにも起こらないかもしれない。俺だって正直、混乱している」
「冷静にこんなもの準備しておいて!?」
そなえあればうれいなしだ」

 なんか違うー。

「広瀬、おまえ彼氏いるの?」

 はあ? あんたにそんなの関係ある? と普通なら言っているところだ。
 でも、今の状況ではどういう意味で聞かれているかはわかる。

「いない! あんたは……いるんだよね?」

 噂は聞いている。でも真実かどうかは不明だ。いつもならあえて確かめたりしないけど、今回に限っては聞かないわけにいかない。

「ああ、いる。噂は聞いているんだろう? 遠距離だけど――」

 ああ、やっぱり噂は本当だったか。
 上谷は少し前まで半年間、各地の研修先をぐるぐるまわっていた。
 そこで恋人まで作ってくるとは……やっぱりむかつく! リア充爆発しろ!

「どうするの?」
「なにが?」
「もし……その、毎晩アレしないといけなくなって、その……彼女に説明」

 上谷相手にキスとか接吻せっぷんとかいう単語を言いたくなくて濁す。
 でも、きっとそこは重要なところだ。

「おまえが彼女ならどうしてほしい? ほこらの岩のわざわいのせいで次の満月まで他の女と毎晩キスしなければならなくなった。そう正直に聞かされたいか?」

 私は想像してみる。もし自分の彼氏が同じ立場になったとして、正直に話してほしいかどうか。
 たとえそこに気持ちがなくても、わざわいを避けるためだとしても、自分以外の女とキスをする。
 それもディープキスを毎晩だ。
 仕方がないって割り切れる?
 知らされたほうが、むしろ不安になるんじゃない? 
 遠距離だったらなおさら……きついんじゃない?
 でも、彼女に内緒で他の女にキスするの?
 それって浮気じゃないの?
 え? もしかして私が浮気相手?
 バレたら刺されたりするんじゃ……

「……期限があることなら、知らないほうがいい、かも」

 保身も兼ねて、私は卑怯ひきょうな答えを口にした。
 かなりずるい考え方だけど、こういう状況だとなにが正解かなんてわからない。

「俺も、できれば言いたくない」

 上谷がふと視線を落として物憂ものうげに呟く。
 この男は確かにモテるけれど、とっかえひっかえ女遊びするタイプじゃない。新入社員研修の時も確か大学時代から続いている彼女がいると言って、周囲を牽制けんせいしていた。その彼女と別れたらしいって噂が広がった後は、猛者もさたちにアプローチされて騒がれていろいろ大変そうだった。
 私は当時、この男には恋人がいてくれるほうが、周囲も巻き込まれなくて助かると思ったものだ。
 ――彼女に伝えれば……私たちの罪悪感は軽くなるかもしれない。
 けど、彼女にしてみたら、ただ不安になるだけだ。

「第一こんなこと話して信じてもらえるとも思えないし、事情がわかったからって納得できるものでもないだろう。卑怯ひきょうだと思うか?」
「他人事なら卑怯ひきょうって言いたいけど……今回はわかんない」

 私はウーロン茶をストローでずずずっと飲んだ。あえて音をたてたのは、この場の空気を変えたかったから。

「ところで上谷はこれからの一ヶ月、出張とか週末の予定とかはなにもないの?」

 渡されたスケジュールは仕事のものばかりだ。こいつは営業部なので夕方からの打ち合わせがいくつか入っていた。でもタイムリミットには間に合いそうな時間帯だ。

「出張は今のところ予定はない。入らないよう交渉する。仕事も調整して残業時間はコントロールする。週末は二週目に……会う予定だった」

 ああ、遠距離の恋人に会う予定――それは大事だ。私の旅行と同じぐらい。

「久しぶりに会うんだよね? 会いにいくほう?」
「ああ」
「どこ?」
京都きょうと

 それはまた……気軽に行けないところですね、上谷くん。

「もしかしてキャンセルするつもりとか?」
「そうせざるを得ないだろう」

 え? 久しぶりの恋人との逢瀬おうせをキャンセルするの? 
 もしかして私も旅館をキャンセルしないといけない?

「なんか方法ない? せっかく恋人と会うんだもん。その時間帯だけ少し抜けて……ほら、彼女をこっちに呼ぶとかさ。あ、なんなら私が京都に同行してもいいよ」

 ふところ具合は寂しくなるけど、できなくはない。互いに協力は必要だろう。

「それで……この四週目の週末のおまえの旅行先に、俺もその時間だけ行けばいいわけ?」

 上谷は私がカレンダーに書き入れたものを見て、あきれたように言った。
 私が譲歩した理由をそこだと見抜くあたり、やっぱり鋭くて嫌なやつだ。

「恋人と過ごしているのに……この時間だけ抜けるのか? そしておまえとキスをして、また何事もなかったように恋人に会うのか? おまえ、そんなことできる?」

 口調にさげすみも混じり始めて、私はぶんぶんと首を横に振った。
 恋人とのデート中に抜けて、他の女とキスをして、素知らぬふりをして戻るなんて、どこの最低な二股野郎だ! ですね。
 それに午後八時五十八分なんて、恋人と優雅にディナー中か、下手したらいちゃつきタイムの最中だろう。

「今夜の状況次第で――考える」
「そうだね」

 気づけば、スマホの時計は問題の時刻の三分前を示していた。

「本当にもう一度検証するんだな?」
「する」
「キスするんじゃなく、もう一度様子を見るんだな?」
「そうだよ」

 昨夜はたまたま私の体調が悪くなっただけかもしれないでしょう!
 儀式の話を聞いた後だったから、キスで楽になった気がしただけかもしれないし!
 なにも起こらない可能性に、一縷いちるの望みをかけたい。


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