イケメンとテンネン

流月るる

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結婚アイサツ編

05

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 私はつい音もでない携帯をちらちら眺めていた。眺めるたびに小さくため息をつく。
 金曜日、いつもなら互いに何の予定もなければ、週末は朝陽のうちで過ごすことになっている。 でも今日は七穂と食事に行くからと断った。朝陽は連絡をくれたら迎え行くとは言ってくれたけれど、家に行けるかどうかはわからないと曖昧に濁した。
 今夜行けなくても明日はどうせ会うし。

 時間はもうすぐ十九時……あの男はどういうつもりなんだとイライラしてくる。すでに残業と称して残していた仕事は片付いてしまった。いつか片付けようと気になっていたファイルを、綺麗に整理整頓することで会社で時間をつぶしている。
 朝陽はとっくに部屋に帰っているだろうし、アリバイにつかった七穂は上司の彼とデートに行っているはずだ。

 そう、私は朝陽に「七穂とごはんを食べる」という嘘をついて残業をしている。この時間まで職場にいることを不審がられても「七穂の用事が終わってから待ち合わせなの」と誤魔化せるとふんだからだ。
 当初予定の待ち合わせ時間は十九時だったのに、終業直後のメールに時間変更の連絡があり、それは『時間がわかり次第またメールする』という内容に変わった。
 憤慨しないわけがない。

 本当に、相手が朝陽の弟じゃなかったら絞める!!

 朝陽が木原家に行っている間に、私は陽人くんに強引に連絡先を教えろと言われてしまった。  「嫌だ」と心では即答しても現実は断れるはずもなく嫌々ながら交換した。その結果が「兄ちゃんに内緒で話がしたいから時間作って」というものだった。

 正直どうしようか迷った。いくら相手が大学生の弟でも「朝陽に内緒」というのがひっかかる。 けれど弟と二人きりで会うなんて、朝陽が許すはずもないことを、弟も私もわかっている。
 自分の机の引き出しの整理までしおわるとぷるるっと受信の音がして、メールを確認した。

「二十時にファミレス?」

 ……何気にこのファミレスは朝陽のマンションの近くだ。駅の反対側なのであいつが近づくことはないけれど灯台下暗しという感じなセレクトがなんか嫌。
 ファミレスならさっさと先に行って食事してようかなあ、おなかすいたし。
 陽人くんと一緒に食事をするような雰囲気にはならないだろうし。
 そうしようと決めて、荷物を持って椅子から立ち上がるとそれは背後から現れた。

「と、透! やだびっくりさせないでよ」
「ごめんね、驚かせて。咲希ちゃんがこんな時間まで残業なんてめずらしいなと思って」
「え、と、あ、うん」

 透がにっこりとほほ笑む。やだ、今、室温が下がった。

「僕もさっき外から帰ってきたんだ。朝陽から今日は咲希ちゃんは同期の女の子と食事に行くって聞いていたんだけど、今から行くの?」
「……うん、そう」

 朝陽ー、なぜ私の予定を透に教えるんだー! どうせ透が何の気なしに聞き出したんだろうけれど。
 すがるように荷物を胸に抱いて、にっこりほほ笑む透に同じように笑みを返した。

「同期って池内さん?」

 池内さんというのが七穂の名字だ。こくんこくんと頷いた途端、透の目がきらりと光った。   すーっと空気が凍り付く。透って相変わらず場に影響を与えるよね。私多分なにか間違えたんだよね。

「池内さんなら上司の恋人と楽しそうに歩いているのを見たんだけど……。朝陽に嘘をついてもかまわないけど、僕にはつかないでね、咲希ちゃん」

 語尾に音符かハートマークがつきそうなくらいご機嫌な口調で、透は周囲に吹雪をまき散らしていた。
 私が観念したのは言うまでもない。






 朝陽には内緒にしてほしいとは言われたけど、それ以外の人にばれてはいけないとは言われていない。私は透の望むまま正直に答えさせられて(だって、朝陽に今すぐ電話してもいいんだよなんて言うんだもんー)陽人くんとの待ち合わせ場所であるファミレスにきていた。

 オレンジ色をベースとした店内は、家族連れや、学生さんのグループ、サラリーマン同士などいろんな人々を内包している。ちょうど帰るお客さんが重なったせいか幸い席がいくつか空いていて、時間差ではいった透からも席が見渡せる位置に座った。

 お水のグラスと一緒にメニューを渡されて眺める。学生時代はたまにお世話になったこともあったけれど社会人になってからは初めてだ。懐かしいメニューがまだあることに驚きながら、デザートまで一通り見ていく。うーんオムハヤシもおいしそうだし、和風ハンバーグも定番っぽい。白身魚のムニエルもいいし和定食もいいなあ。うーん、ファミレスも侮れないなあ。
 見ればお子様プレートが運ばれて、小さな男の子が「わあっ」と無邪気な声をあげていた。

 「金曜日だよー夏井さんとデートじゃないの?」と透に聞いたら「莉緒は今日は実家だよ」と不機嫌そうに答えられてしまった。どうやら透の虫の居所が悪いタイミングに遭遇したようで、会う相手は朝陽の弟だと答えたにも関わらず「朝陽以外の男と二人きりで会うなら僕も行く」というわけのわからない理由を持ち出されてしまった。 
 予定は狂わされるは、おなかは空いているわ、透は寒いわで私は抵抗するのも疲れて、近づいてきた店員さんにオムハヤシを頼んだ。透はどうやら和定食を頼んだようでくりかえされる注文の声が聞こえる。

 椅子の背にかけたショートコートを再度綺麗に整えて、おいていた荷物から携帯をとりだしてテーブルに置いた。待ち合わせの二十時まであと二十分、早くオムハヤシがくれば食べ終わる頃に陽人くんが来るかもしれない。

 朝陽に内緒で私に会いたい理由がなにか、会いたいと言われた時からなんとなくわかっていた。 デパートで初めて会った時の曖昧な表情。品定めするみたいな視線。ぞんざいな口調。
 朝陽の家族の中で私への負の感情を露わにしているのは陽人くんだ。ほかの人たちは上手にオブラードに包むことで戸惑いだけを見せるけれど。

 多分私に問題があるわけじゃない(……と思いたい)。
 彼女じゃなければ誰でも同じ。
 朝陽の隣にいる人を彼らは具体的に思い描いているのだから。

 「お待たせしましたー」とスカート丈の少し短い女の子が、ほわほわ湯気のたつオムハヤシを運んできた。うーんハヤシライスの香りに、綺麗な黄色い卵。ここのはふわふわトローリとした半熟の卵じゃないけれど、ごはんを厚めに包んでいてハヤシライスのソースとからむと甘みが口の中でとろけていく。
 お腹がすいているせいもあって、スプーンに大きくすくったものがどんどん口の中に運ばれていった。会うまではちょっと胃が痛い気がして、食欲もないなあと思っていたのに目の前のおいしいものと一人きりじゃない状況に安心したんだと思う。

 何を言われるかわかっている。それでも無理やりついてきた透に救われている。

 顔をあげるとごはんをお箸で口にはこんでいた透と目があって、にっこり微笑まれた。寒くはない笑顔、この場所は暖かで家族の笑顔に満ちていて、こどもの笑い声も聞こえる。

 私はこの席に一人で座っているけれど、一人じゃない。

 「空いたお皿おさげしますね」と言ってきた女の子にお水のおかわりを頼んだとき、誰かを探すようにして店内に入ってきた男の子の姿が目に入った。







「ごめん、待たせて」

 む、こういうときの声、朝陽に似ている。やっぱり兄弟だなあと思っていたせいで、敬語を使えと言いそびれてしまった。
「コーヒー」とだけ言って頼むのを聞いてやっぱりこいつは食事はしてきたのか? と思ったけれど自分は満腹で満足したので一応聞いてやる。

「食事は?」
「大丈夫。それよりごめん、予定よりだいぶ時間遅くなって。牧野さんこそ食事は?」
「今すませたから大丈夫」

 すんなり謝罪されてしまったせいで、臨戦態勢だった気持ちがそがれた。
 私に目を合わせることなく思いつめた目をしている。そういう姿を見てしまうと、この子も言いたいことを言っていいか悩んでいるのかなと思った。

「それで朝陽にまで内緒で話したいことってなに?」

 お水のおかわりと一緒にコーヒーが運ばれてきたタイミングで私は背筋を伸ばして聞いた。陽人くんはコーヒーを一口飲むと、顔をあげて私を見る。陽人くんはお母さん似だ。でもふとした声とか、こんなふうにまっすぐ見つめてくる目とかどこか朝陽を思わせる。

「……今、兄ちゃんの部屋に優奈さんがいる」

「は?」

 朝陽と別れてほしいとか、結婚は反対だとかそういう言葉が出るのだと思っていたせいで意味がすぐにはわからなかった。けれど体のほうが先に反応してさーっと血がひいていく。

 今ここで私は朝陽に内緒で弟と会っている。

 朝陽は優奈さんと部屋にいる?
 二人きりで?

「わかっていると思うけど、兄ちゃんと優奈さんはずっと付き合っていた。二人の間に行き違いみたいなものがあって別れたけど、それでも今でも優奈さんは兄ちゃんを思っている。兄ちゃんだってたぶん……ずっと忘れていなかった」

 テーブルにあった手を膝の上に戻した。どうしようもなく震える指を陽人くんに見られたくなかったから。
 周囲は相変わらず騒がしいのに、自分の心臓の音がどくんどくんと響いてくる。私の動揺なんか見て見ぬふりをしているのか淡々とした声が続いていく。

「優奈さんが離婚して……また二人が一緒にいられるかもしれない。そんなときに兄ちゃんがあなたを連れてきた。兄ちゃんは優奈さんが離婚したことを知らなかったから」

 優奈さんが離婚したらしいことは朝陽からも聞いた(朝陽もついこの間、知ったばかりだったらしいけど)。でもそのときに聞けなかったことがある。


「彼女……いつ離婚したの?」


 声が震えた。のどがからからに乾いていて、水を飲みたかったけれどグラスを持つ手が震えそうでできなかった。

「四月に実家に戻ってきて、離婚が成立したのは夏だよ」

 陽人くんが視線をふせる。
 ああ、上着も脱がないままで暑くないんだろうか。こげ茶のブルゾンの肩がすくめられた。
 朝陽のお母様に付き合い始めた時期を聞かれて「春ぐらいから」と答えた。そのときの一瞬止まった彼女の手が思い出された。

 私と朝陽のはじまり……ワイン味のキスは私が恋人に振られなければ、腹いせにあいつを誘わなければあるはずもなかったあまりにも小さなきっかけ。
 あの頃に朝陽が優奈さんの、離婚に向けた別居を知っていればきっとすぐに消えてしまった程度の。

「あの二人は……今日ヨリを戻すよ。オレはあなたを引き留めたかっただけ。兄ちゃんを優奈さんに返してください」

 瞬きをするたびに、天井からぶら下がったライトの明かりが滲む。誰かが頼んだのだろうオムハヤシが運ばれていって、おいしそうな匂いを漂わせた。

 気づくと透が椅子から立ち上がろうとしているのが見えて、私は視線を強くむけて制した。そうだここには透がいる。はっとして自分を取り戻す。

「朝陽はモノじゃない。返すも返さないもないよ」

「兄ちゃんが優奈さんを選んだら、すんなり身をひくってこと?」

「選んだらね」

 選ばないよ、朝陽は。
 
 心の中だけで断言した。口には出せないけれど、そんな自信は微塵もないけれど、言い聞かせて暗示をかけるみたいに。
 陽人くんにも透にも弱みは見せたくない。ここで負けてしまったら私はきっと朝陽を前にしても負けてしまう。

「すごい自信だね。オレそういうの嫌いじゃないよ」

 だから陽人くんが伝票をつかむ前に奪って、立ち上がった彼を睨むように見上げた。陽人くんは「ごちそうさま」と小さくつぶやくと背を向けて行ってしまった。少しの間をおいて陽人くんがいた席に透が座る。


「咲希ちゃん……」


 透……今ね、朝陽の部屋にあいつの元カノがいるんだって。長く付き合っていた幼馴染の彼女で、雰囲気が夏井さんにそっくりなの。ヨリもどしちゃうのかな。


 頭の中で流れた言葉はけれど音になって漏れることはない。
 ぎゅっと握りしめた手の中で2枚の伝票がぐしゃぐしゃになる。
 会話がどこまで透に聞こえたのか、聞こえなかったのかわからない。でも口に出せなかったのは、たいしたことじゃないと思いたかったから。

 透の手が伸びて頭をなでた。ぐしゃぐしゃっと髪を乱したその手のひらの感触は朝陽とは違っていた。
 そんなことにさえ胸が痛んだ。
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