イケメンとテンネン

流月るる

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結婚アイサツ編

07

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「朝陽のマンションまで送る」


 ファミレスを出ると透がそう言った。
 陽人くんの嫌がらせなのかどうかわからないけれど、このファミレスは朝陽のマンションから近い場所にある。
 彼が嘘をつく必要はないから、多分朝陽の部屋に彼女はいるんだろう。
 なんで部屋に元カノあげるかな? 周りもあの子本人も朝陽へ気持ちがあるってわかっているだろうに。

 背中がぞくっとしてコートのえりをたてた。透が心配そうに私を見るけれどその奥に静かな怒りが見え隠れしている。たぶん陽人くんが話した内容は透の耳にも聞こえていたんだろう。
 朝陽の部屋に優奈さんがいる。
 高校生みたいなあどけなさを残しながら、かわいらしくおとなしそうで誰もが優しくしたくなる。そんな彼女の隣に守るようにかばうように立つ朝陽が簡単に思い浮かんでしまうのはアルバムを見てしまったせい。
 あいつはやっぱりああいうタイプが好みなんだろう。
 優奈さんもテンネンちゃんも子リスちゃんも似たような系統だ。
 私だけがイレギュラー。


 足が止まった。


 今夜私は七穂と久しぶりの食事で、遅くなるかもしれないから部屋には行かないかもって伝えてあった。必要なら迎えに行くとは言われていたけれど、私朝陽の部屋に行かないほうがいいんじゃないだろうか。
 もしあいつが優奈さんを拒めなかったら? 結婚をしてしまったからあきらめたけれど、離婚した今、もう一度ヨリを戻すことはできる。

 彼女の、自分の家族の、心の奥底にあるかもしれないあいつの願望通り。

 私さえ隣にいなければ。


「咲希ちゃん」


 強く名前を呼ばれて、透の声の固さにびっくりする。ぐいっと手首をつかまれて引っ張られるままに足は進んだ。

「透、私やっぱりこのまま帰る」

「朝陽の部屋に元カノいるんだろう?」

「……わかんない」

 今もいるかどうかなんて、いつからいるのかなんてわからない。もしかしたらもう部屋にはいないかもしれない。もしかしたらまだいるかもしれない。陽人くんの言う通りヨリを戻している最中かもしれない。

「あいつの部屋にいようがいまいがどっちでもいいけど、咲希ちゃんはこのまま帰っちゃだめだ。ちゃんと朝陽に今日のことは伝えたほうがいい」

 通りを行きかう車のヘッドライトに照らされた透は、光と闇に交互につつまれながら見たこともない表情をしている。ふんわり優しげな王子様でなく怖い魔王みたい。
 こういう透がいることを知ってはいたけれど、それが私に向けられることはあまりない。

「だって……彼女が部屋にいて、もし、もしも」

 いやだよ。好きな人が私以外の女を抱いているシーンなんてもう二度と見たくない。あんな裏切られ方するぐらいなら、ここで逃げ出してしまいたい。

 だからイケメンなんて嫌いだ。テンネン系に優しくしてしまう男も嫌いだ。

「朝陽は……ヘタレだけどそこまでバカじゃない。あいつが信じられない?」

 透がつかんでいる私の腕に痛みはない。ふりほどけばきっとすぐに離される程度の強さ。
 きゅって唇をかんだ。



 信じている、信じている、朝陽を信じている。



 滲みそうだった涙を瞬きで逃すと透の雰囲気が和らいだ。いつもと同じ優しい笑顔になって私の一歩を待つ。

「透……ついてきてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 もし透がいなかったら私はきっと逃げていた。
 朝陽を信じる心から。
 透の隣で一緒に歩いているうちに透の手は私から離れた。透からこんなふうに触れられたことは久しぶりで、一緒にいてもずっとこの距離は縮まらなかったことを思い出す。
 駅からの歩きなれた道筋にでると朝陽の部屋に透と一緒に向かっていることが不思議で少しずつ気持ちが落ち着いてくる。

 大丈夫、私には透がいる。戦うのも逃げるのも一人じゃない。

 それでも、マンションのエントランスが見えてエレベーターから降りてきた二人の男女に、男に腕をからませる女の姿に、タイミングの悪さを呪いたくなった。







 エレベーターに乗るとすぐ優奈がぎゅっと腕をつかんできた。

「優奈!」

「最後だから! もう今日で最後にするから昔みたいに甘えさせて」

 うつむいた優奈の震える声に、彼女がそこになんらかの決意を滲ませているのに気づいてオレはそれをふりほどくことができなかった。昔から優奈は甘えたいとき、泣きたいとき、言いたいことを言えない時に、こうしてオレの腕にすがりついてきたことを思い出したから。

「朝陽ぃ」

 そんなときいつもオレはもう片方の手でオレの腕をつかむ彼女の手をつつんでいた。大丈夫、オレがいる、そんな意味をこめて。けれどそれを返すことはできない。

 移り変わる数字を見ながら優奈と過ごした時間が減っていくような感覚になる。オレたちは長くそばにいて一緒にいて、でもその数字は1になって0になる。もうそこから数字が増えることはない。
 エレベーターの扉がゆっくりと開いて、エントランスの自動ドアの向こうに咲希と透の姿が見えたとき、オレは反射的に優奈の手を振りほどいた。


 なんでここに咲希がいる? そしてどうして透と一緒に?


 浮気を見つかった男の気分でさあっと血液が引いていく気がした。優奈も立ち止まって呆然と咲希たちを見ている。一瞬、佐々木さんに抱き付かれた公園の夜を思い出す。あの時も突然の咲希の出現にかなり驚いたけれどその比じゃない。どくんどくんとそこに心臓があったことを思い出させるほどの音が体中に響く。
 咲希は大きく目を開いた後、キッと強くオレと優奈を睨みつけた。


「咲希」


 逃げだすなら追いかけなければと思って出た足は、けれど反対につかつかと歩み寄ってきた咲希の姿でその場に止まった。咲希は慣れた手つきでカードをかざして中に入ってくる。透が向こうでオレを強く睨みつけているのがわかったけれどあいつは近づこうとはしなかった。
 エントランスのタイルにリズムよくヒールの音が響く。咲希はオレを睨みつけた視線を優奈に移動させて、優奈がつかんでいたほうとは逆の、オレの腕をつかんできた。

「朝陽と、話はできた?」

「咲希……」

「ヨリを戻したいとでも泣きついたの? 朝陽は応じてくれた?」

 かわいらしく高い声が妖艶に耳に届くと同時に優奈の表情が苦痛にゆがむ。どこかで見たような場面の展開にオレは咄嗟にまずいと思った。

「応じるわけないわよね。朝陽は私と結婚するの。朝陽が選んだのはあなたじゃない! 私よ!」

「優奈! 悪いけど送れない! 陽人呼び出してでもいいから帰ってくれ」

 オレは叫びながら腕にすがりついていた咲希をぎゅっと胸の中に抱きしめた。これ以上咲希に何も言わせないために。


「幼馴染をかさにきて朝陽に近づいたりしないで!」


 けれど咲希はもがくようにして、それでも言葉を吐きつづける。怯えたような優奈が頷いて背中を見せる。その向こうに透もいて、オレは縋るよう見た。くやしげな痛ましげな表情をしながら、心配を滲ませる透が深くうなずく。多分優奈のことはあいつがなんとかしてくれる、それを願ってなお言いつのろうとする咲希をエレベーターまでひっぱって押し込んだ。

 咲希はうつむいたまま、はあはあと激しく肩を震わせて息をしている。オレがつかんだ腕から伝わる震えは優奈に対峙したときからずっと続いていて、否が応でもあの夜の公園がフラッシュバックする。佐々木さんにひどい言葉を投げつけたときも、こいつはこんなに震えていたのだろうか。


「咲希……ごめん」


 幸い咲希はオレから逃げたりはしなかったけれど、エレベーターのドアがあくとすかさずオレの腕から逃れて部屋へ向かい、自分でカードキーをあけて入った。追いかけるオレを振り返りもせず詰りもせず乱暴に靴を脱ぎ棄てると、電気をつけてすたすた廊下を歩きリビングのスイッチも押す。
 一瞬そこで立ち止まった咲希の背中は、明かりに照らされてまぶしいのに暗い影を背負っているように見えた。おもむろにリビングの窓辺に近寄ると、力強くカーテンをあける。そのまま窓をあけはじめて冷たい空気が入り込んできた。


「咲希?」


 何をやっているのかわからなくても行動をとめることはできない。無言のまま今度は和室の窓まであけたあと咲希は初めてオレを見て何かをぽつりとつぶやいた。その顔にオレが想像していたような涙はでていない。けれど泣くよりも傷ついた絶望したような暗い表情にオレは息をのむ。


「あの子の……匂いがする、気持ち悪い」


 片手で吐き気をおさえるように口元をおさえる。
 優奈の匂い? 確かにさわやかな柑橘系の香りがしていたことを思い出す。あんなわずかな時間でも匂いが残るのか、それともささいなものに気が付く咲希がすごいのか。
 はっと表情を歪ませると咲希がふたたび廊下にでていく。彼女が向かった先に気が付いてオレはあわてて追いかけた。


「なんで! なんで! なんでここにまであの子の匂いが残っているの? 部屋にあげて二人きりになったのだって許せないのに! なんで寝室にまであの子をいれたの!? ここで二人で何していたのよ!!」


 窓をあけたあと咲希は枕をつかんで壁に投げる。そうしたあとオレの腕をひっぱりもつれあうようにオレたちはベッドの上に転がった。オレの上にまたがってのっかるようにして咲希が見下ろす。
 開け放たれた窓から風が通り抜け、ふんわりとした咲希の髪が揺れて落ちると光をさえぎる。オレの肩をおさえる細い指先がいまだ震えているのがつたわってきた。


「……あの子を抱いたの?」


 低く絞り出した声とともにぽつりと水滴がこぼれてくる。頬におちたそれが流れていくのを感じながらオレはその目に向き合った。真っ黒なそこは輝きを失い、あふれるものが覆い隠す。


「抱くわけない。不可抗力とはいえ部屋にあげたのは悪かった。オレが油断した……ごめん、咲希本当にごめん」


 おそるおそる手を伸ばして小さな咲希の頬に触れた。涙を拭おうと動く指の上にふたたび新しく涙が生まれてくる。


「あの子に返したりしないから。あんたは私のものよ、朝陽」


 咲希の唇がオレの息をとめるようにふさいでくる。嗚咽とともにオレの中に入り込んだ舌は、すがるように伸ばされて、これほど胸が痛くなるキスは初めてだった。
 乱暴にまさぐる舌は快感をひきだすというよりも、逃がさないとしがみつくこどもの腕にも似ていて、オレは求められるまま口を開いてそれを受け入れていた。
 最初は雨のようにぽつぽつ落ちていたものはなりをひそめ、嗚咽だったものは喘ぐ吐息にかわっていく。思わず手をのばしてコートや服を脱がしたくなる衝動が起きる。けれどリビングも和室もこの寝室の窓も開いたままの空間はその温度を下げていくだけで、廊下も玄関もつけっぱなしの電気がオレを現実に引き戻した。
 なのに咲希の手はオレのシャツのボタンをはずし素肌に指を伸ばしてくる。ベルトをはずしファスナーをおろされてようやくオレはその行動をとどめるべく咲希の腕をつかんだ。


「窓……閉めないと風邪ひくぞ」


「……匂い、もうない?」


 体を起こしながら咲希の体を抱きしめた。コート越しにも冷えているのを感じる。頬と頬をあてると涙の後だけではない冷たさに抱く腕に力をこめた。


「本当にごめん。陽人だけだと思って鍵をあけたんだ……優奈がいるとは思わなくて部屋に入るのを止められなかった。気づいたらここにいて……」
 

 くしゅんと咲希がくしゃみをして、オレはゆっくり咲希をはなすととりあえず寝室の窓とカーテンをしめた。咲希がベッドに座ったままなのを確認して、リビングや和室の窓を閉め明かりを消すと再び戻ってくる。普段は使わないエアコンをいれると咲希の隣に腰をおろした。

 うつむいたまま座り込んでいた咲希は左手の薬指の指輪をくるりとまわしていて、咄嗟にそれをつかんだ。



 今、引き抜こうとした。



 冷やされた空気のせいだけじゃない、オレの背中に冷たいものがはしって鳥肌がたつ。息をのんでオレは咲希の手をつかんだまま固まった。

 咲希が……指輪をはずそうとした。
 
 その事実にオレは想像以上に衝撃を受けて、同時にオレ以上に嵐の中に放り出されただろう咲希を思い知らされる。


「……ヨリもどしたいって言われた?」


 オレの行動に構わずに咲希が首をかたむけて穏やかな声を発した。そこにはいつもよりずっと儚い風情で瞬きもせず涙を流す咲希がいてオレはおさえた手にぎゅっと力をいれた。
 もうオレは散々咲希を追い詰めてきている。
 何度も何度も逃げ出そうとされて、ぎりぎりで捕まえて、落ち着いたかと思えばこんなふうにオレたちの間に壁がたちふさがる。ひとつでも間違えた対応をとればもう後がない。最後の通告でも言いそうな咲希にごくりと唾を飲み込んだ。


「言われた。でもはっきり断った。咲希、オレは!」


「いつも逃げたくてたまらなくなるの……。朝陽の気持ちは私にあるってわかっているし信じたいし私だって朝陽が好き。でもどうしてだろう朝陽。私自信なんてないよ。どうしてこんなに弱くなっちゃうんだろう。なんでいっつもひどいことしか言えないんだろう、できないんだろう。いつかやっぱり私じゃ嫌だって朝陽に思われたら、私もうどうしていいかわかんないよ」


「どんなおまえでも嫌だなんて思わない」


 もう片方の手で咲希の頬をつつみこむと額と額をくっつけた。閉じた睫毛の隙間から再び水滴があふれてくる。
 佐々木さんへ辛辣な言葉を投げたときも、さっき優奈に言った言葉も表面上は強気なくせに、根底に咲希の自信のなさがある。
 なんでと思うくらい時々咲希は自己評価をさげて、それを誤魔化すように、それでオレに嫌われようとするみたいに棘のある言葉を選ぶ。


 その棘でずたずたになるのは彼女のほうなのに。


 そしてそのきっかけになるのはいつもオレだ。
 オレの行動が態度が言葉が咲希を簡単に追い詰めて傷つける。

 オレはゆっくりと咲希の右手を左手からひきはなす。指輪をはさんでいた指をそこから離してぎゅっと握りしめた。この指輪を咲希自らがはずしたとき、多分オレは彼女を失うことになる。そんな確信があった。


「傷つけてごめん。不安にさせてごめん。でもオレは咲希が好きだから。どんなおまえでも気持ちは変わらないから。オレを信じて」


 想いが届くように、オレが傷つけた傷が少しでも癒えるように願いをこめて、オレは流れてはあふれる咲希の目を見つめる。
 上品なメイク、きれいな艶のある髪、いつもかわいらしい色で彩られた爪。しっかりしていて強気でなんでも器用にこなす。


 けれどそれは咲希が幾重にも重ねた武装。


 その奥に、優しくて甘えたがりで、不器用で自信のない小さな咲希が隠れている。
 オレはそんな咲希を守りたい。
 誰にも見つけてもらえずに強がってばかりの、本当は弱い彼女を。


「指輪ははずすな、咲希」


 ぎゅっと握った咲希の手をかかげて、オレはすがるようにその指輪にキスを落とした。
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