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結婚編(卒業編)
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「ただいま莉緒、咲希ちゃん」
「おかえりなさい、透さん」
玄関に出迎えていく夏井さんはスキップでもしそうなほどはしゃいでいる。エプロン姿のまま、旦那様を出迎えて荷物を受け取る妻の図を見せられて目がすわる。
後ろから朝陽が「おじゃまします」と言って入ってきて、自分がどう行動すべきか悩んだ。
「お疲れ様、透」
「咲希ちゃんも、今日はありがとう」
廊下ですれ違いざま言葉を交わして、ゆっくりと玄関を見回しながら靴を脱ぐ朝陽に近づいた。どうやら玄関に入ってすぐまた扉があることが気になったらしい。そこはシューズインクローゼットだよ、朝陽。このマンション超贅沢仕様だからあとで案内してもらえばいい。
「おかえり、朝陽。お疲れ様」
透と夏井さんがリビングに行ったのを確認して小さく言ってみた。他人の家で何やってんだかと思うけど、大抵いつも一緒にマンションに入っていくから「おかえり」なんて言う機会ないんだもんー。
朝陽もちょっとびっくりしたように目を開いたあとすごく優しい目でほほ笑む。
「ただいま、咲希」
こういう笑顔、ほんとうに今でも慣れないよ! だいぶ朝陽が私に見せる甘い表情に慣れてきたつもりだったけれど自分の言動が恥ずかしすぎる。
けれどそれは朝陽のほうが上手で、荷物を廊下に置くとぎゅっとそのまま私を抱きしめてきた。
ねえ、ちょっと、ここ他人の家の玄関なんだけど!
奥には透も夏井さんもいるんだけど!
「すげー疲れた。充電させて」
ふうっとめずらしくため息を深くつかれて抵抗できるはずもなく、私もいつものくせで自然に背中に腕をまわしてしまう。こういう朝陽はかわいくて「よしよし」ってしたくなるんだよねー。
「うん、頑張ったね」
うん、本当に大変なんだよ、朝陽は。これまでとは違った業務、新しいメンバー、どうしても軌道に乗るまでは休日出勤も仕方がない上に、なかなか代休も確保できない。朝は早くて夜は遅くて休みの日は外出するより体を休ませたいほど。
「なんか、甘い香りがする」
んー、シフォンケーキのせいかな、生クリームのせいかな、首筋にかかる吐息にびくっと震えるとすかさず朝陽の唇が私の唇を覆った。
え! え! なんで、ここでキス!?
ところが慣れとは恐ろしいもので、入ってきた舌を簡単に受け止めてからめてしまう自分がいる。いや、まずいよ、まずい!これ以上はだめだってー。
でも、朝陽にキスをされると私に拒むすべなんかあるはずもない。
どんっと壁をたたく音がして背後から冷気が漂ってくる。朝陽はかまわずチュッと音をたててゆっくりと唇をはずした。
「あーさーひー」
「おまえんちじゃなければなあ……」
そのあとの言葉を聞きたくもなければ、後ろを振り返りたくもなかった。
***
何事もなかったかのように食卓につく男たちの図。
夏井さんは顔を赤くしたまま料理をよそっていたので、おそらく現場を見られていたのだと思う。私も夏井さんも恥ずかしいのに、透はちょっと怒っていて朝陽は飄々としている。
「夏井さん、頑張ったな。すごくうまいよ」
「よかったですー。咲希さんに教えてもらったおかげです!」
夏井さんが答えると二人の男の箸がとまった。
だからフォークとナイフは必要ないって言ったじゃん。
彼らが何を考えているかはわかる。
「莉緒……咲希ちゃんの名前」
「ようやく許可をいただきました! 咲希さんももうすぐ今宮さんになっちゃいますし」
うん、白和えのポイントはやっぱり豆腐の水切りだよね。でないと時間がたてばたつほど、豆腐からでる水分で水っぽくなるから。出汁のきいている味噌汁はおいしいし、湯通ししたおかげでしゃっきりさを失わない野菜は、本来の旨味が生きている。
なによ!仕方ないじゃん。
「夏井さん、本当に頑張ったな」
「はい!!」
肩をわずかに震わせて朝陽が言った。透もなんだか苦笑しているように見える。名前呼ばせただけだから! 仲良くはなれないからねー。
「そういえば、僕が紹介した式場もう見学した?」
「ああ、一応次の土曜日に見学の予約はいれた」
「仕事は本当に大丈夫なの?」
最近は土曜日の出勤があたりまえになってきている。朝陽の部署は海外事業部と同様にいずれは交代制の変則勤務になる。時差はもちろん、土日関係なしに対応せざるを得ないからだ。
「ああ、ようやく落ち着いてきたから通常業務に戻っていくと思う。突発事項さえなければ大丈夫だ」
「そっか、でも無理しないでね」
透が紹介してくれたのは、今年6月にリニューアルオープンする結婚式専門の式場だ。ホテルやレストランウエディングの次に、今はそういうところが人気になっている。
透たちは透のご実家の関係でどうしてもホテルで豪華な挙式・披露宴を行う必要があったし、どちらにしろオープンまで待てなかったのもあって断念したらしいけれど「結婚式、ここで考えてみない?」とおそらく出来上がったばかりのパンフレットを見せられたのは、彼らの結婚式が終わってすぐ(ちなみに二人はまだ新婚旅行にはでかけていない。休みがどうしてもとれなかったんだって)。
リニューアルオープンということと、透のコネもあってすでに6月最後の週末の大安の日の仮予約をしていると聞かされた時はびっくりした。六月の結婚式は一年前からの予約があたりまえなほど人気な月だ。
朝陽との結婚は決まっていて、あとはいつにするかどこにするかを決めるだけなんだけど、さすがに六月は少し早すぎるんじゃないかと思う。だって準備に(どれぐらいかかるかわからないけれど)時間もないし、両親はじめ親戚に伝えるのもぎりぎりだし、何より朝陽の異動で彼はかなり忙しくなっている。もう少し落ち着いて、透たちがした三月でもいいかなあと思っているんだけど。
「朝陽が忙しいのもわかっているし、二人の結婚式だから僕が口出しすることじゃないこともわかっている。でも、いいところなんだ。見学するだけでもいいから行ってもらえるとありがたい」
私は朝陽と顔を見合わせた。ここまで私たちのことに口を出す透を見るのは初めてだから。それにあまり見たことのない表情をしているのも気になった。
見せられたパンフレットは森の中の式場みたいにグリーンに囲まれていた。シンプルで温かみのある内装、ゲストとの距離の近いアットホームな内容。吟味された食材を使った手の込んだ料理。パンフレットを見るだけでも、よさそうな雰囲気は感じていた。
そこであげてもいいとは思う。でもそれは6月じゃなくてもいい。
「見学は行く。でも六月は早すぎるかもしれないから……少し先のばしにしちゃうかも」
夏井さんは黙ったまま私たちの会話を聞いて、それぞれの器にサラダを盛り付けていた。手作りのドレッシングが二人の口に合うといいな。
「……うん、本当に僕が口出しすることじゃないんだけどね……」
お箸をおいて、透が夏井さんと朝陽とそして私を見た。
そのあとに彼が言った言葉を、私はすぐには理解できなかった。
***
新設された部署のために準備された部屋は、いまだどこか雑然として仕事をする場として落ち着きを取り戻してはいない。真新しいデスクにはファイルが乱雑におかれ、あいたスペースに整理されていない備品が置かれている。自分たちのデスク周囲だけがそれぞれの個性に合わせた様相を描いている程度だ。
オレは腕時計をみて、この時間で仕事のキリがついたのは久しぶりだと思った。
彼がひっぱってきたメンバーは、個性が強く感じるもののそれぞれ仕事のできる人間ばかりが集まっていて、こんな短期間で準備に目処が立ったのはそのおかげであることは認めざるを得ない。
視線をふせて立ったまま書類をめくりながら電話をしている姿にさえ貫録を感じさせる男は、完璧なイントネーションで流暢な英語をしゃべっている。帰国してまだ短いせいか時々彼の指示も英語で飛び交うことがあって、日本語と英語の会話が半々な部署なんてここだけじゃないだろうか。
他のメンバーも「早く帰れるなら帰りたい」と水曜日にも関わらず、ここには残っていない。オレも咲希の部署を覗いて、うまくいけば一緒に帰ろうと思いながら帰る準備をする。
「今宮」
電話を終えたらしい豊原さんからの呼びかけに、オレはこれ以上の仕事は言ってくれるなという思いで目を向けた。
「今日はもう終わりか?」
「はい、他のメンバーも帰宅しました」
「ま、帰れるときには帰らないとな」
そうだ、今だって余計な電話はかかってくれるなと思っている。
「オレもお先に失礼します」
「……今宮、あいつと喧嘩でもしているのか?」
どさっと椅子に腰をおろして、オレを見る豊原さんの目が探るように動く。「あいつ」って、この人がオレに聞く相手は咲希しかいない。「あんたには関係ないだろう」と普段なら言うところだけど、オレは手にしていたカバンを机の上においた。
「喧嘩はしていません」
「でもあいつ、日に日におかしくなっているだろう?」
どうしてこの人がそんなことに気づくのか、この人が時々この部屋からいなくなるのは、部下にやらせてもいい雑用を自分でやりにいくせいだろう。彼が何のために咲希のいる部署にオレより顔をだしているかはわかってはいるけれど。
「月曜日に見かけたとき、なんか妙だとは思ったけど、だんだんひどいぞ」
そう、この男の言う通りだ。
ちょっとおかしいかもな、という様子は日に日におかしくなっている。それが徐々に周囲に気づかれていく程度には。そしてオレはその理由を知っている。わずかにためらったあと、オレはふっと溜まっていた息を吐き出した。
「桜井透の件、ご存知ですか?」
豊原さんは、咄嗟に首をかしげかけて気づいたようにオレを見る。まだ公示されていないことだから口に出すことはできない。でも部長クラスにはおそらく知れ渡っているはずの内容だ。彼はオレから何かを探るように見つめた後口を開いた。
「桜井は結婚したんだよな」
「はい」
「牧野はおまえと婚約中なんだろう」
「結婚します」
がしがしっとムースで整えていた髪を崩して、豊原さんは苦虫をつぶしたように口をゆがめる。
「おまえ、あの二人の関係知っているんだよな」
「高校三年生からずっと、大学時代も就職してからもそばにいた関係ですよ」
約十年、ほとんど毎日のようにそばにいた存在。咲希がこの世の中できっと一番信頼している人間。
それが桜井透。
透の結婚が決まった時も咲希は動揺はしていたけれど、前の男との別れが重なるまでは多分折り合いをつけていた。追い詰められて壊れそうだったところにつけこんだのはオレで、オレたちはそれで関係が始まった。
透の結婚がなければ……もしかしたらオレたちの関係が始まることはなかったんじゃないかと思うぐらい、あいつの影響は大きい。
頭ではわかっていたし、それでも構わないと思っていた。透は結婚したし、あの二人に男女の関係は一度もない。これからも友人としてそばにいて関係を保っていくのは、そう悪いことじゃないとさえ考えていたけれど。
何もかも、あいつに踊らされていて。
何もかも、あいつの思い通り。
「妙な関係だなあとは思っていたけど……桜井は何がしたかったんだ?」
オレだって思っていた。男女の友情なんて単純なものじゃないことぐらい。咲希というよりも、透が彼女をずっと手放せなくてそばにいることを強く望んで、それだけで続いてきた関係。
「あいつ咲希を守りたかったんですよ、ずっと」
豊原さんはオレの言葉に意味がわからないと首を傾ける。あきれたような眼差しにオレは苦笑するしかない。
オレも知らされたのは、あいつの誕生日の日だった。マンションまで帰る道すがら聞かされた話。駅から近いあいつのマンションまでのたった短い距離で、それまで交わしていた仕事のことや、それ以外のつまらないことのついでのようにさらりと零された。
「一年前から打診はあったけど、莉緒のことや咲希ちゃんのことがあったからね。どうしてもその時は受けられなかった。でも、いつかは行かなきゃならない。いつかは離れなければならない。先延ばしに先延ばしにしていたけど限界みたいでね」
そう言ってマンションを見上げた透の目には、自分たちの帰りを待っている大事な女性の姿が浮かんでいたのだろうか。不意に見せる優しさと弱さが混在したその色を消すことなく透はオレに向き合った。
「でも僕は、できれば咲希ちゃんの花嫁姿だけは見たいんだ。僕の前で君と永遠の愛を誓うのをきちんと見届けたい。彼女の「幸せの形」を目に焼き付けたいんだ、朝陽」
すがるように願うようにオレを見た透の真摯な目を忘れることはないだろう。そのセリフであいつがこれまでのことを全部計画的にやってきたんだろうことがぼんやりと裏付けられた。夏井さんとの結婚のタイミング、それにあわせてオレをけしかけて咲希の周囲を固めて、来るべきこの日にあいつが壊れてしまわないように。
「結婚してもそばにいる、そう約束をしている。でも、どうしてもほんの数年だけは離れなければならない。その間咲希ちゃんを君に託すから……誓ってくれ、僕の目の前で」
時々、透の咲希への感情に負けそうになる。それが愛とも友情とも違う執着に近いものだとわかっているせいか、似たような感情をオレ自身が抱いているせいか。けれどだから多分この人にだけは負けられない。
「大丈夫です。オレが咲希を支えますから」
手出し無用。そう豊原さんに宣言すると、彼はやっぱり「お手並み拝見」とつぶやいた。強気な彼にはめずらしいささやかな低い声で。
「おかえりなさい、透さん」
玄関に出迎えていく夏井さんはスキップでもしそうなほどはしゃいでいる。エプロン姿のまま、旦那様を出迎えて荷物を受け取る妻の図を見せられて目がすわる。
後ろから朝陽が「おじゃまします」と言って入ってきて、自分がどう行動すべきか悩んだ。
「お疲れ様、透」
「咲希ちゃんも、今日はありがとう」
廊下ですれ違いざま言葉を交わして、ゆっくりと玄関を見回しながら靴を脱ぐ朝陽に近づいた。どうやら玄関に入ってすぐまた扉があることが気になったらしい。そこはシューズインクローゼットだよ、朝陽。このマンション超贅沢仕様だからあとで案内してもらえばいい。
「おかえり、朝陽。お疲れ様」
透と夏井さんがリビングに行ったのを確認して小さく言ってみた。他人の家で何やってんだかと思うけど、大抵いつも一緒にマンションに入っていくから「おかえり」なんて言う機会ないんだもんー。
朝陽もちょっとびっくりしたように目を開いたあとすごく優しい目でほほ笑む。
「ただいま、咲希」
こういう笑顔、ほんとうに今でも慣れないよ! だいぶ朝陽が私に見せる甘い表情に慣れてきたつもりだったけれど自分の言動が恥ずかしすぎる。
けれどそれは朝陽のほうが上手で、荷物を廊下に置くとぎゅっとそのまま私を抱きしめてきた。
ねえ、ちょっと、ここ他人の家の玄関なんだけど!
奥には透も夏井さんもいるんだけど!
「すげー疲れた。充電させて」
ふうっとめずらしくため息を深くつかれて抵抗できるはずもなく、私もいつものくせで自然に背中に腕をまわしてしまう。こういう朝陽はかわいくて「よしよし」ってしたくなるんだよねー。
「うん、頑張ったね」
うん、本当に大変なんだよ、朝陽は。これまでとは違った業務、新しいメンバー、どうしても軌道に乗るまでは休日出勤も仕方がない上に、なかなか代休も確保できない。朝は早くて夜は遅くて休みの日は外出するより体を休ませたいほど。
「なんか、甘い香りがする」
んー、シフォンケーキのせいかな、生クリームのせいかな、首筋にかかる吐息にびくっと震えるとすかさず朝陽の唇が私の唇を覆った。
え! え! なんで、ここでキス!?
ところが慣れとは恐ろしいもので、入ってきた舌を簡単に受け止めてからめてしまう自分がいる。いや、まずいよ、まずい!これ以上はだめだってー。
でも、朝陽にキスをされると私に拒むすべなんかあるはずもない。
どんっと壁をたたく音がして背後から冷気が漂ってくる。朝陽はかまわずチュッと音をたててゆっくりと唇をはずした。
「あーさーひー」
「おまえんちじゃなければなあ……」
そのあとの言葉を聞きたくもなければ、後ろを振り返りたくもなかった。
***
何事もなかったかのように食卓につく男たちの図。
夏井さんは顔を赤くしたまま料理をよそっていたので、おそらく現場を見られていたのだと思う。私も夏井さんも恥ずかしいのに、透はちょっと怒っていて朝陽は飄々としている。
「夏井さん、頑張ったな。すごくうまいよ」
「よかったですー。咲希さんに教えてもらったおかげです!」
夏井さんが答えると二人の男の箸がとまった。
だからフォークとナイフは必要ないって言ったじゃん。
彼らが何を考えているかはわかる。
「莉緒……咲希ちゃんの名前」
「ようやく許可をいただきました! 咲希さんももうすぐ今宮さんになっちゃいますし」
うん、白和えのポイントはやっぱり豆腐の水切りだよね。でないと時間がたてばたつほど、豆腐からでる水分で水っぽくなるから。出汁のきいている味噌汁はおいしいし、湯通ししたおかげでしゃっきりさを失わない野菜は、本来の旨味が生きている。
なによ!仕方ないじゃん。
「夏井さん、本当に頑張ったな」
「はい!!」
肩をわずかに震わせて朝陽が言った。透もなんだか苦笑しているように見える。名前呼ばせただけだから! 仲良くはなれないからねー。
「そういえば、僕が紹介した式場もう見学した?」
「ああ、一応次の土曜日に見学の予約はいれた」
「仕事は本当に大丈夫なの?」
最近は土曜日の出勤があたりまえになってきている。朝陽の部署は海外事業部と同様にいずれは交代制の変則勤務になる。時差はもちろん、土日関係なしに対応せざるを得ないからだ。
「ああ、ようやく落ち着いてきたから通常業務に戻っていくと思う。突発事項さえなければ大丈夫だ」
「そっか、でも無理しないでね」
透が紹介してくれたのは、今年6月にリニューアルオープンする結婚式専門の式場だ。ホテルやレストランウエディングの次に、今はそういうところが人気になっている。
透たちは透のご実家の関係でどうしてもホテルで豪華な挙式・披露宴を行う必要があったし、どちらにしろオープンまで待てなかったのもあって断念したらしいけれど「結婚式、ここで考えてみない?」とおそらく出来上がったばかりのパンフレットを見せられたのは、彼らの結婚式が終わってすぐ(ちなみに二人はまだ新婚旅行にはでかけていない。休みがどうしてもとれなかったんだって)。
リニューアルオープンということと、透のコネもあってすでに6月最後の週末の大安の日の仮予約をしていると聞かされた時はびっくりした。六月の結婚式は一年前からの予約があたりまえなほど人気な月だ。
朝陽との結婚は決まっていて、あとはいつにするかどこにするかを決めるだけなんだけど、さすがに六月は少し早すぎるんじゃないかと思う。だって準備に(どれぐらいかかるかわからないけれど)時間もないし、両親はじめ親戚に伝えるのもぎりぎりだし、何より朝陽の異動で彼はかなり忙しくなっている。もう少し落ち着いて、透たちがした三月でもいいかなあと思っているんだけど。
「朝陽が忙しいのもわかっているし、二人の結婚式だから僕が口出しすることじゃないこともわかっている。でも、いいところなんだ。見学するだけでもいいから行ってもらえるとありがたい」
私は朝陽と顔を見合わせた。ここまで私たちのことに口を出す透を見るのは初めてだから。それにあまり見たことのない表情をしているのも気になった。
見せられたパンフレットは森の中の式場みたいにグリーンに囲まれていた。シンプルで温かみのある内装、ゲストとの距離の近いアットホームな内容。吟味された食材を使った手の込んだ料理。パンフレットを見るだけでも、よさそうな雰囲気は感じていた。
そこであげてもいいとは思う。でもそれは6月じゃなくてもいい。
「見学は行く。でも六月は早すぎるかもしれないから……少し先のばしにしちゃうかも」
夏井さんは黙ったまま私たちの会話を聞いて、それぞれの器にサラダを盛り付けていた。手作りのドレッシングが二人の口に合うといいな。
「……うん、本当に僕が口出しすることじゃないんだけどね……」
お箸をおいて、透が夏井さんと朝陽とそして私を見た。
そのあとに彼が言った言葉を、私はすぐには理解できなかった。
***
新設された部署のために準備された部屋は、いまだどこか雑然として仕事をする場として落ち着きを取り戻してはいない。真新しいデスクにはファイルが乱雑におかれ、あいたスペースに整理されていない備品が置かれている。自分たちのデスク周囲だけがそれぞれの個性に合わせた様相を描いている程度だ。
オレは腕時計をみて、この時間で仕事のキリがついたのは久しぶりだと思った。
彼がひっぱってきたメンバーは、個性が強く感じるもののそれぞれ仕事のできる人間ばかりが集まっていて、こんな短期間で準備に目処が立ったのはそのおかげであることは認めざるを得ない。
視線をふせて立ったまま書類をめくりながら電話をしている姿にさえ貫録を感じさせる男は、完璧なイントネーションで流暢な英語をしゃべっている。帰国してまだ短いせいか時々彼の指示も英語で飛び交うことがあって、日本語と英語の会話が半々な部署なんてここだけじゃないだろうか。
他のメンバーも「早く帰れるなら帰りたい」と水曜日にも関わらず、ここには残っていない。オレも咲希の部署を覗いて、うまくいけば一緒に帰ろうと思いながら帰る準備をする。
「今宮」
電話を終えたらしい豊原さんからの呼びかけに、オレはこれ以上の仕事は言ってくれるなという思いで目を向けた。
「今日はもう終わりか?」
「はい、他のメンバーも帰宅しました」
「ま、帰れるときには帰らないとな」
そうだ、今だって余計な電話はかかってくれるなと思っている。
「オレもお先に失礼します」
「……今宮、あいつと喧嘩でもしているのか?」
どさっと椅子に腰をおろして、オレを見る豊原さんの目が探るように動く。「あいつ」って、この人がオレに聞く相手は咲希しかいない。「あんたには関係ないだろう」と普段なら言うところだけど、オレは手にしていたカバンを机の上においた。
「喧嘩はしていません」
「でもあいつ、日に日におかしくなっているだろう?」
どうしてこの人がそんなことに気づくのか、この人が時々この部屋からいなくなるのは、部下にやらせてもいい雑用を自分でやりにいくせいだろう。彼が何のために咲希のいる部署にオレより顔をだしているかはわかってはいるけれど。
「月曜日に見かけたとき、なんか妙だとは思ったけど、だんだんひどいぞ」
そう、この男の言う通りだ。
ちょっとおかしいかもな、という様子は日に日におかしくなっている。それが徐々に周囲に気づかれていく程度には。そしてオレはその理由を知っている。わずかにためらったあと、オレはふっと溜まっていた息を吐き出した。
「桜井透の件、ご存知ですか?」
豊原さんは、咄嗟に首をかしげかけて気づいたようにオレを見る。まだ公示されていないことだから口に出すことはできない。でも部長クラスにはおそらく知れ渡っているはずの内容だ。彼はオレから何かを探るように見つめた後口を開いた。
「桜井は結婚したんだよな」
「はい」
「牧野はおまえと婚約中なんだろう」
「結婚します」
がしがしっとムースで整えていた髪を崩して、豊原さんは苦虫をつぶしたように口をゆがめる。
「おまえ、あの二人の関係知っているんだよな」
「高校三年生からずっと、大学時代も就職してからもそばにいた関係ですよ」
約十年、ほとんど毎日のようにそばにいた存在。咲希がこの世の中できっと一番信頼している人間。
それが桜井透。
透の結婚が決まった時も咲希は動揺はしていたけれど、前の男との別れが重なるまでは多分折り合いをつけていた。追い詰められて壊れそうだったところにつけこんだのはオレで、オレたちはそれで関係が始まった。
透の結婚がなければ……もしかしたらオレたちの関係が始まることはなかったんじゃないかと思うぐらい、あいつの影響は大きい。
頭ではわかっていたし、それでも構わないと思っていた。透は結婚したし、あの二人に男女の関係は一度もない。これからも友人としてそばにいて関係を保っていくのは、そう悪いことじゃないとさえ考えていたけれど。
何もかも、あいつに踊らされていて。
何もかも、あいつの思い通り。
「妙な関係だなあとは思っていたけど……桜井は何がしたかったんだ?」
オレだって思っていた。男女の友情なんて単純なものじゃないことぐらい。咲希というよりも、透が彼女をずっと手放せなくてそばにいることを強く望んで、それだけで続いてきた関係。
「あいつ咲希を守りたかったんですよ、ずっと」
豊原さんはオレの言葉に意味がわからないと首を傾ける。あきれたような眼差しにオレは苦笑するしかない。
オレも知らされたのは、あいつの誕生日の日だった。マンションまで帰る道すがら聞かされた話。駅から近いあいつのマンションまでのたった短い距離で、それまで交わしていた仕事のことや、それ以外のつまらないことのついでのようにさらりと零された。
「一年前から打診はあったけど、莉緒のことや咲希ちゃんのことがあったからね。どうしてもその時は受けられなかった。でも、いつかは行かなきゃならない。いつかは離れなければならない。先延ばしに先延ばしにしていたけど限界みたいでね」
そう言ってマンションを見上げた透の目には、自分たちの帰りを待っている大事な女性の姿が浮かんでいたのだろうか。不意に見せる優しさと弱さが混在したその色を消すことなく透はオレに向き合った。
「でも僕は、できれば咲希ちゃんの花嫁姿だけは見たいんだ。僕の前で君と永遠の愛を誓うのをきちんと見届けたい。彼女の「幸せの形」を目に焼き付けたいんだ、朝陽」
すがるように願うようにオレを見た透の真摯な目を忘れることはないだろう。そのセリフであいつがこれまでのことを全部計画的にやってきたんだろうことがぼんやりと裏付けられた。夏井さんとの結婚のタイミング、それにあわせてオレをけしかけて咲希の周囲を固めて、来るべきこの日にあいつが壊れてしまわないように。
「結婚してもそばにいる、そう約束をしている。でも、どうしてもほんの数年だけは離れなければならない。その間咲希ちゃんを君に託すから……誓ってくれ、僕の目の前で」
時々、透の咲希への感情に負けそうになる。それが愛とも友情とも違う執着に近いものだとわかっているせいか、似たような感情をオレ自身が抱いているせいか。けれどだから多分この人にだけは負けられない。
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