禁断溺愛

流月るる

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妹でもなく、彼女でもなく

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 真尋は就職すると同時に実家を出て一人暮らしを始めた。その時に持ち物の整理をして必要なものだけを引っ越し先に持ってきた。それから一年もたたずに今また真尋は引っ越しの準備をしている。
 勤めている総合病院に近いこのマンションを出るのは正直悩んだ。けれど仕事が不規則な真尋と忙しい巧ではなかなか会う時間が確保できない。
 入籍も済ませて夫婦になったし、結婚式の準備もしなければならない。
 巧からは再三『早めに引っ越してこい』だの『結婚したんだから別居はおかしい』だの拗ねたように言われた挙句、最終的に『会えないのは耐えられない』と泣き言を漏らされた。
 それでも重い腰をあげずにいると、巧のほうが真尋の狭い部屋に入り浸るようになった。
 セミダブルのベッドだから二人で寝ても窮屈ではない。けれど、だんだん増えてくる巧の私物が部屋を占拠しはじめ、深夜勤務を終えて帰ってきて寝ている巧を起こさないよう動くのも気疲れするようになった。
 なによりこのマンションには同じ病院に勤務する職員も入居している。そのため、よからぬ噂が広まり始めたのだ。

 いわく――入ったばかりの新人がイケメンを部屋に連れ込んでいる――と。

 病院では結婚したことを公にしていない。就職一年目で結婚したことも、その相手が湯浅製薬の御曹司であることも、元義理の兄であることも格好の噂の餌食になるからだ。いずれは知られるにしても、今はまだそのタイミングではないと真尋は思っている。
 巧は、最初こそ真尋の部屋の狭さに文句を言っていたけれど、数歩も歩く必要なく真尋のそばにいられるとあって、それはそれで気に入ったようだった。
 部屋に二人でいると巧はとにかくベタベタしてくる。そのため、真尋には一切逃げ場がない。
 髪に触れ、体を抱き寄せ、すぐさま衣服を剥ぎ、真尋を激しい快楽に落とし込む。逃げ場がなければ体力がもたない。よって、真尋はようやく重い腰をあげることにしたのだ。
 引っ越しを決めたら決めたで巧は喜んで、すぐさま引っ越し日時を決めてしまった。
 全部業者に任せればいいと言ったけれど、他人に私物を触られるのには抵抗がある。それに物もそんなに多くない。
 そのため真尋は時間があるときに、段ボール箱にちまちま荷物を詰める作業を行っていた。
 日常生活に必要のないものから段ボール箱にしまいながら、真尋はふと懐かしいものを小物入れから見つけた。
 そこには、髪が短かった時には必要なかったヘアアクセサリー類が入っていて、中に一際綺麗なヘアバレッタがあった。
 それを手にしてしばし眺める。
 ピンクベージュのふたつの花。花弁には華やかなビジューが散らばっている。数万円はする高級ヘアアクセサリーブランドのものだ。
 当時、高校生だった真尋には、大人っぽくて贅沢な代物だった。それまで雑貨屋で数百円のものしか買ったことがなかったので、ヘアバレッタにこれだけお金をかけるなんてもったいないと驚いた。
 働きだした今だってきっと手にするにはためらう。
 真尋は肩に届くようになった髪をそのヘアバレッタでまとめた。巧がしきりに髪を伸ばせというので、結婚式も意識して髪を伸ばしている最中だ。
 久しぶりにそれを髪につけて、真尋はその時の巧の表情を思い出す。
 眩しそうに愛しそうに見つめて『似合っている』と呟いて、いつものように髪に指を絡めてきた。
 それは義理の妹になった真尋が、初めて巧の彼女の振りをした日でもあった。



***



 ――真尋、高校二年。五月のとある土曜日。

 その日、真尋は久しぶりに徒歩で自宅の最寄り駅までの道を歩いていた。普段はほとんど車で移動するため、家から近い駅を利用することはあまりない。けれど今日はその駅で、真尋は巧と待ち合わせをしていた。
 巧はこの春に家を出て一人暮らしを始めた。元々大学入学と同時に一人暮らしをする予定だったのを、延期していただけだったらしい。
 なかなか会えなくなったため先日思い切ってメッセージを送ったのだ。

 『今年の父の日はどうするつもりなのか?』と。

 母親が結婚して真尋には義理の父と兄ができた。去年、初めて迎えた父の日に、真尋はお礼の気持ちを込めてハンカチをプレゼントした。父親がいない真尋にとって、初めて贈った父の日のプレゼントだ。
 義父はできたばかりの娘からのプレゼントに大げさではなく号泣した。小さな頃ならともかく、巧が父の日のプレゼントを準備することはなかったようで、ひとしきり泣いた後義父は『実の息子からは一切ないのに、真尋ちゃんからもらえるなんて感激だよ』と巧を見て言ったのだ。
 父親の嫌味を受けた巧はその直後『こういうことをやるときは必ず俺にも声をかけろ』と真尋に八つ当たりをしてきた。だから以降家族のイベントごとがあるたびに、巧にお伺いをたてることにしている。
 今回も同じ経緯で問い合わせた結果『今年は一緒に選ぶぞ』と言われ、買い物には車ではなく電車で行こうと提案された。

 『たまには公共交通機関を使う練習をしろ』と。

 真尋の通う高校は車送迎が原則だ。
 家から出かけるときも車だし、友人である結愛と遊ぶときだって矢内家の車で出かける(なぜなら結愛はプライベートでも車を使うよう厳命されているからだ)。だからあえて使うようにしないと電車に乗る機会はほとんどない。
 中学生の頃は塾へ通う時に電車を使っていたものの、遠くまで出かけることはなかったので、遊びで使った経験は少なくて、巧の言うことにも一理あると思えた。
 そして過保護な義理の兄は、自宅からの最寄り駅を待ち合わせ場所に指定したのだ。ちなみに自宅から駅まで十分もかからないのに車で送ってもらえと言ってもいたが、さすがにそれは遠慮してこうして歩いている。
 巧と二人で出かけたことは何度かあるが、駅での待ち合わせは初めてだ。
 今日の真尋は、春休みに結愛と一緒に買い物に出かけたときに購入した少し大人びたワンピースを身に着けている。ノースリーブの膝丈Aラインのワンピースは臙脂色。紺色か臙脂色かで結愛と悩んで、結局結愛が紺を真尋が臙脂を選んで、二人でお揃いにしたものだ。前結びのリボンが少し大きめでちょっとキュートな感じもある。
 上にオフホワイトのカーディガンを羽織って、同じ色のサンダルを合わせた。バッグは去年のクリスマスに巧からプレゼントされたこげ茶のハンドバッグ。斜め掛けできるベルトもついているけれど、今日はあえてはずして手で持っている。背中まで伸びた髪はポニーテールにした。
 巧が一緒の時はできるだけ大人っぽい格好をするようにしている。そうしなければ、あのイケメン御曹司のオーラに負けて、隣にいることに気後れしてしまうからだ。
 真尋はなんとなくくすぐったい気分で駅に向かいながら、まるでデートみたいだな、と経験もないくせに思った。
現実は義理の兄とのお出かけでしかない。
 駅へ近づくと、改札のそばに立っているイケメンに気づいた。わざわざ外に出てこなくても駅のホームでの待ち合わせでいいと言ったのに。
 巧は真尋に気づくとにやりと笑みを浮かべる。時間通りに迷わずに来たな、とまるで小学生でも見ているようだ。

「歩いてきたのか?」
「うん。ホームで待っていれば良かったのに」
「電車の乗り方忘れていたら困ると思って。チャージしてあるか?」

 ICカードなんて久しぶりに探し出した。真尋が「わからない」と言うと、すぐさま巧が手にして確認し現金をチャージする。

「巧くん、お金」
「必要ない」
「……うん、ありがとう」

 こういうときいまだに真尋は迷う。
 巧にばかりに支払わせるのは申し訳ないとも思うのに、妹だったらあたりまえなのかなと考えたりもする。そういう線引きが時々わからなくなるのだ。
 改札を抜けてホームに向かうと、タイミングよく電車が入ってきた。
 通勤・通学の時間帯の電車ほどではないだろうが、休日だからなのかそこそこ人が乗っていて席は全部埋まっているし、立っている人も多かった。

「真尋、こっちだ」

 扉のそばで巧が招く。混雑しているわけでもないのに庇うようにして巧は立ちふさがって、真尋はドキドキした。
 今日の巧は、黒いパンツに濃いグレーのシャツ。上にはデザイン的にあしらわれたジッパーが個性的なオフホワイトのブルゾンを羽織っている。大学生らしいカジュアルさと上品さが、彼にとてもよく似合っていた。
 なんとなくお互いオフホワイトの上着がまるでお揃いのようで、少し恥ずかしかった。
 周囲にいる女の子たちの視線がすぐに巧に集まる。
 中学までは共学だったのだから男性に全く免疫がないわけではない。なのに女子校に通う弊害か、こんなふうに異性に近くに立たれると、兄という間柄の相手なのに緊張する。

(こういう状況に慣れていないからであって、巧くんにドキドキしているわけじゃない)

 なぜか自分に言い聞かせたくなる。

「このワンピース初めて見た。かわいいな。おまえに似合っている」

 不意に言われてびっくりして巧を見上げた。
 真尋の身長は標準だが、こんなに近いと巧を見上げる形になる。すぐそばに巧ののどぼとけや庇うように伸ばされた腕があり、さらに車に乗った時にも感じるいつもの彼の香りがした。

「あ、ありがとう」
「なに? 照れている?」
「別に、照れていない」

 そう言いながら顔を背けてしまう。

(近い……近いよ、巧くん)

 一緒に暮らしている間も、少年から青年に変化していく様を見てきた。今は久しぶりに会うごとに彼が大人の男性になっているのだと感じている。

「そういえばどこへ行くの?」

 恥ずかしさを誤魔化すべく、真尋は話題をそらす。
 巧はファッションビルの名前を挙げ、降りる駅名を教えてくれた。
 父の日のプレゼントの相談をした時『何を贈るつもりなのか』と聞かれて『ネクタイがいいかな』と答えた。男性ならではのプレゼントだと思うし、なにより父の日のプレゼントとして定番っぽい気がしたからだ。毎日仕事に締めていくのだから役にも立つだろう。問題は、真尋のお小遣いで買える値段なのかどうかだった。
 製薬会社社長なのだから義父のネクタイはきっと高級ブランドのもののはずだ。インターネットで値段を調べてみたらやはりぴんきりだった。
 巧に予算を聞かれて、貯めてきたおこづかいを考慮して『一万円前後かな』と答えた。さすがにいくらなんでも一本千円のものを贈るわけにはいかない。
 やはり義父には格好いい『お父さん』でいてほしいのだ。
 巧は『不足分は俺が払うから、二人で贈ろう』と言ってくれた。おかげでふさわしいものを選べそうだ。それにやっぱりわくわくする。
 電車を降りてファッションビルへと向かった。街中は人が多い。けれど迷いなく歩いていく巧の後をついていくことで、人にもまれずに済んだ。
 高校生の自分には少し敷居の高いフロアに入る。メンズものばかりのフロアは見るからに高級ブランドで埋め尽くされている。
 巧は様々なブランドのネクタイが並んでいるブースへと真尋を案内してくれた。

「このあたりから選べば間違いない」

 シルクの艶とシックな色柄。
 綺麗に並んだネクタイは男性を彩るアクセサリーの一つなんだなと実感する。
 真尋は義父が身に着けた様子を想像しながらフロア内をゆっくりと歩いた。ブランド名はわからないが、ちらりと値段はチェックした。素敵だなと思うものはやはりそれなりのお値段で、予算オーバーなものもあって残念な気持ちになる。
 巧が負担してくれるなら買えるだろうけれど、真尋が父の日に選ぶには背伸びをしすぎている気もして、そこはやむなく選択肢からはずした。
 真尋が悩んでいると店のスタッフであろう二十代ぐらいの男性が近づいてくる。けれど、それを巧が制してくれた。
 こんなとき一人じゃなくて良かったと思う。話しかけられたら緊張と恥ずかしさできっと逃げ出したに違いない。
 そして巧のさりげない優しさに嬉しくなる。
 真尋は二種類のネクタイを手にして、それぞれを比べた。
 ひとつは義父がいつも身に着けているものに近いデザイン。もうひとつは義父なら選ばないかもしれないけど似合いそうだなとちょっと冒険したもの。

「真尋。悩んでいるのか?」
「うん、これか、こっちかがいいかなと思うんだけど、どう思う?」
「……ふうん、こっちはオーソドックスだな。もうひとつは……あまり見ない雰囲気だけど意外にいけそうな気もする」

 そうだよね、と同意を得られて嬉しくなる。どちらも義父には似合いそうだ。

「あえてこっちにしたらどうだ? イメージ変わっていいんじゃないか?」
「うん、じゃあこっちにしようかな」

 オーソドックスなネクタイなら何本もある。だからあえて冒険したものを選んだ。

「じゃあ、そうだな、次は俺のものを選べよ。このあたりから」

 巧は真尋が決めた商品を店のスタッフに預けると、隣の棚を示した。義父のよりもあきらかに若々しい色柄のものが並んでいる。

「会社の手伝いに行くときに使いたい。おまえが選んで」

 真尋はじっと巧を見た。スーツ姿の巧は何度か見たことがある。
 ネクタイを選ぶという作業は一緒なのに、巧のものを選ぶと思うと違う緊張が走った。

「私のセンスに文句言わないでね」
「さあ、どうかな」

 文句を言われたら自分で選んでもらおうと開き直って、真尋はネクタイを眺めた。
 巧のシャツの襟もとを飾るそれ。
 イケメン御曹司だからなんでも似合うし、着こなせる。きっと派手なものやポップなものでもいけるはずだ。でも、会社の手伝いの時に使うなら……と考える。
 まだ大学生の彼が会社でどういう立ち位置にいるのかわからない。でも、彼らしい俺様っぽさと横暴さを気品でカバーできるようなものがいい。
 シルバーは細かい網目模様、ブルーグレーは縞のグラデーション。

「真尋、あててみせて」

 巧に言われて、真尋は順にそれらをあてた。今日のシャツは濃いグレーだからどちらも映える。
 会社だと白いシャツが多いかもしれない。
 シルバーは模様がおしゃれだし、ブルーグレーはグラデーションが綺麗だ。どちらも捨てがたい。

「巧くんはどっちが好き?」

 巧は鏡の前に移動して、真尋があてる様子を見る。鏡越しにうつる自分たちは、周囲からどんなふうに見えているのだろうか。
 ふとそう思った。
 そのタイミングで、背後に立った女性のスタッフが「お客様は素敵ですので、どちらもお似合いですね」と声をかけてきた。
 まだ年若い女性スタッフはきらきらした目で巧を見ている。

「妹さんですか? お兄さんのネクタイを選ぶなんて仲の良いご兄妹なんですね」

 何気ないその台詞に真尋はぴくっとしてネクタイをおろした。
 巧はすっと女性スタッフに視線を流す。そこにはにこやかさがないどころか、どこか冷めた、ある意味いつもの巧の姿があった。

「妹じゃなくて彼女ですよ」

 言うなり巧はポニーテールにした真尋の髪の先を指に絡めてキスを落とす。
 意味深な光を宿したその視線は色気さえあって、女性スタッフばかりか当の真尋自身をも狼狽えさせた。

「真尋、両方もらおう。さっき選んだものはプレゼント用に、この二本は普通でいい。会計をお願いします」

 真尋が手にしていたものを女性スタッフに渡すことで、すぐさま彼女を追い払う。真尋はいまだ固まったまま、そのやりとりをただ見守っていた。

「……彼女?」
「いいだろう、別に。おまえが妹だなんて言ってみろ。モーションかけられて面倒なことになる」

(あ! そ、そういうことか)

 あの女性スタッフの興味をそらすために、あえて『彼女』と言ったのだ。
 ああ、びっくりした。巧の一言は心臓に悪い。
 真尋はドキドキとむやみやたらに鳴り始めた心臓を落ち着かせるべく、意味もなくとんとんと胸元を叩いてみた。
 けれど鏡越しに自分たちの姿を見たときに感じたものが頭を過る。
 できるだけ大人っぽい格好をしたつもりだった。
 でも腰の大きなリボンとか、ストラップシューズとか、ポニーテールとか――巧の隣に立つ自分を見たとき、子どもっぽいと思った。
 釣り合っていないと思った。

「……嘘だってバレていると思うよ。どう見ても彼女には見えないもん」

 せいぜい妹にしか見えない。だからあの女性も最初から『妹さんですか?』と聞いたに違いない。

「なんで?」
「……だって、私……子どもっぽい」
「かわいいし、似合っている。でも――おまえが気になるなら、彼女らしくするか?」
「え?」

いや、元々義理とはいえ『妹』なのだから『妹』で構わないのだ。

「カードでまとめて払うから。あとでおまえの支払い分は現金でくれればいい」
「あ、うん」

 巧はスタッフにクレジットカードを渡した。プレゼント用に包装されたものと、普通に包装されたもの二点を確認した後はひとつにまとめてもらう。
 『彼女らしくする』と言った巧の言葉の意味がわかったのは、そのすぐあとのことだった。
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