私の彼岸花【上】

ざこぴぃ。

文字の大きさ
3 / 16
白の彼岸花

白の彼岸花【2】

しおりを挟む

 私はいてもたってもいられず通帳を握りしめたまま、靴も履かずお寺を飛び出していた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 気が付くと、母さんが海に飛び込んだ防波堤にいた。あの頃から見て見ぬふりをし、避けて来た防波堤だ。
 海面に映る自分の姿が歪み、ひどく醜く見えた。

「か、母さん……!私を許して……!母さんは私達を捨てて逝ったとずっと思って……!でもそうじゃないんだよね!母さん!」

 冷たいコンクリートにひざまずくとまた……涙が落ちた。
 15年経ち、33歳となった私はいつの間にか亡くなった日の母さんと同じ年齢になっていた。
 揺らぐ海面を見つめると、防波堤に当たる海が深く暗く、手招きしている様にも見える。
 この目の前の海に……人を助けるためとは言え、飛び込めるだろうか。たぶん私には無理だ。だって私には夫も子供もいるのに……。

「え……?子供……?」

 私は15年経ってようやく気が付いた。母親になって初めて、それは気付くことが出来たのかもしれない。
 
「その飛び込んだ女性って……もしかして妊婦さんだったの……?」

 また涙が溢れる。それは自分なりに出した答えがより正解に近いという思いからだったかもしれない。自分の中でなぜか納得ができ、妙に腑に落ちた。
 何も知らずに母さんをどこかで憎んでいた自分に言い聞かせる。

 そう……海に飛び込んだのがお腹の大きな妊婦さんだった場合、女性は元より、お腹の子供の命を助けようとしたのかもしれない――

 母さんは自殺だと思っていた……だけど、それは完全に間違っていた事に気付く――

母さん……
母さん……!!

「母さん!会いたいよっ!!」

 ビュウゥゥゥゥゥゥゥ!!

 そう願った瞬間、強い風が吹き、潮風の匂いが脳を抜け、海岸に咲く彼岸花が揺れる。

………
……


「あの……すみません。春子さん?ではないですか?」

 ふいに、泣きじゃくる私の背後から声がする。
 くしゃくしゃの顔を袖で拭きながら振り返ると高校生くらいの女性が花束を持って立っていた。
 その女性は白いワンピースに黒髪の利発そうな女性だった。

「ぐす……は、はい……私、春子です。あなたは?」

私は涙をぬぐいながら途切れ途切れに答える。

「私は秋音。ようやくお会い出来ました……」

 そう言うと秋音は花束をそっと海へ投げ入れた。花束は海面に着水すると、波に揺られ足元を行き来する。

「もう15年も前ですが……私の母はここで自殺をしました」
「自殺……?秋音さん……のお母さんが?」
「はい」
「そうなんですね……」

 すぐにはピンと来なかった。最初は初対面で何を言っているんだろうと思っていた。しかし、頭の中で記憶と記憶が合致する。

「えっ……嘘……まさか……!」
「私は奇跡的に母が運ばれた病院で産まれたと聞きました……」

 住職さんが言っていた言葉を思い出した。
 遺体が上がったのは二人だったと……もし、妊婦さんでお腹に子供がいたのなら三人ではないのか……?住職さんもその話は知らなかったのかもしれない。

「あの時、母の発見が少しでも遅かったら私はこの世に産まれていなかったそうです……。あなたのお母さんが大声を出して飛び込む姿を偶然、釣り人が見て警察に通報した……そう、聞いています」

秋音は風になびく髪をかき上げながら、話を続ける。

「もちろん覚えてはいませんが、あなたのお母さんは私にとって命の恩人なのですよ」

 そう言って、ニコッと笑う顔がなぜか母さんと重なって見えた。秋音は私の横に座り、話を続ける。

「私、一度だけでもいい『お母さん』て……呼んでみたかったんですよね……」
「秋音さんも、私と同じなのね……私はもう一度、母さんに会ってありがとうって――」

 ふいに自分の口から出た言葉で、夢でみた母さんの言葉を思い出した。



『春子、母さんはね……あなたが私の子に産まれてきてくれて良かった。……ありがとう』



 胸をわし掴みにされた気がし、目の前にあった見えないもやもやした霧が晴れていく。

「思い出した……母さんは産まれてきてくれてありがとう……て言ってたんだ……あぁ、そうか……夢で母さんはありがとう、て言ってたんだ。そっか……そうだったんだ……」

 何度も同じ言葉を声に出し繰り返す。もう二度と忘れない様に。すると涙がまた自然と溢れてくる。だけどその涙は悲しい涙ではなく、嬉しい気持ちでいっぱいの涙だった。
 私は海を眺めたまま干渉に浸り、しばらくしてから秋音さんに声をかける。

「ねぇ……秋音さん。時間があればこの後どこかで食事で……も……」

 秋音さんからの返事はない。彼女も干渉に浸っているのかと思い、横に座っていた秋音ちゃんの方に目をやる。
 するとなぜかさっきまでそこにいた秋音さんの姿が……どこにもなかった。

「え……?秋音さん……?」

 慌てて立ち上がり辺りを見渡すが、それらしい姿は見当たらない。
 海に投げ入れたはずの花束もいつの間にか見えなくなっている。

「どういう事……?」

 私が干渉に浸り、秋音さんの方を振り向かなったのはたぶん数十秒程であった。その間に黙っていなくなるだろうか?それに花束も見当たらない。

「何なの……?」

 気味が悪くなり、私は防波堤を後にお寺さんへと急ぎ足で引き返す。お寺さんを出る時に靴も履かずに飛び出した事を少し後悔する。
 港町の道路を裸足で歩く姿など誰にも見られたくない。ようやく我に返り、住職さんに申し訳ない事をしたと反省した。
 暑い舗装の上を急ぎ、間もなくお寺さんの参道の入口だ。
 参道近くになぜか救急車が止まっていた。しかしそんな事より裸足で歩いているのが恥ずかしく、うつむきがちに参道へと入る。
 ちょうどそこへがお寺さんの方から親子と見られる二人が歩いて来る。何だか気まずい……。

「こんにちは――」

 軽く会釈をしさっさと素通りした。
 私は境内にある手洗い場で水を汲み、軽く足を洗い流すと住職さんが待っているであろう本堂の隣の住まいへと戻って来た。

「あのぉ……すいません!春子です!誰かおられますか!」
「はいはい。帰って来ると思って待っちょったよ。靴もそのままだしね」
「すいませんでした。取り乱して、恥ずかしい所を見せてしまって……」
「はっはっは!そんな事、気にする事ないけん。おや?その顔は何だかスッキリした顔だね?少しは落ち着いたかい?」
「はい。色々ありがとうございました。それと住職さんに少しお聞きしたい事があって。実はさっき――」

 ――その後、住職さんに防波堤で会った女性の話をしたが、住職さんも知らないと言う。
 
 あの女性はいったい誰だったのだろう?


―白の彼岸花【3】へ続く―

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...