ハロー。最強な貴方へ

空見 大

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序章

三話

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平地をただただ歩くというのはそれほど大変な事ではない。
ましてや軍人として訓練を積んだ彼女は一日二日寝ずに歩いたとしても根を上げないような教育を体に施されているし、そういう教育を他者に施してきた。
危険地帯ならばいざ知らずただついていくだけならばできるだろう。
そう思っていたのは昨日までのことだった。

「はあっ……はあっ……っ」

息があがる、呼吸が辛い。
肩で息をしていた時はまだいい方で、いまは身体に息を無理やり吸わされて吐かされているような状況だ。
ついに堪えきれず足を止めて膝に手を添えなんとか身体の状態を平常時に戻そうと努力するが、一度ピークに達してしまった疲労はそう簡単には戻りそうもない。
不甲斐ない、そんな感情が頭の中を抜けていく。
戦闘ならばいざ知らず、ついていくことすらもままならないとは。
後悔を顔に浮かべる彼女の側に、気がつけば遥か前にいたはずのアデルがいた。

「息上がってるけど大丈夫?」
「なぜ平地を……げふぉっ、歩くのと……同じ速度で……っ」
「足の置き方が悪いんだよ。道を歩くのにわざわざ草切り落として歩いてたら無駄に体力消耗するでしょそりゃあ」

いま彼等が居るのは森の中。
地面は凸凹としており人が入った形跡のない道路は歩きにくいことこの上ない。
とはいえ隠密行動を訓練の一環として取り入れている騎士団としては、これくらいの道ならば歩いたことがないわけではなかった。
彼女が疑問に思ったのはアデルが草木を切らずに進んでいる事ではなく、まるで地面の変化など感じさせないような滑らかで素早い動きだ。

「そうではなく……っ私は、なぜそんなにもするすると動けるのか聞いているのだ」
「さすがに呼吸が戻るの早いね。頑張って努力してたんだろうことが見えるよ。移動方法だっけ? 教えてあげてもいいけどただで教えるのは嫌だなぁ」
「悪いが金は持ち合わせていない。この格好で出てきたからな、何かあった時のために家宝の装備一式は着込んでいるが……」

金というものは大切だ。
懐に本当に何かあった時用の金は持っているが、これはそれこそ自分の生活が成り立たなくなるレベルの時にだけ使っていいもの。
それ以上の金銭は王国に預けてあるのだがそこから逃げた自分が使えるはずもなく、着込んでいる装備を売ればそれなりの金額にはなるだろうが最強から物を教えてもらうことを考えれば心許ない金額であることは確かだ。
金が出せないのならば最終手段、一瞬考え別にこの男ならば構わないかと考えた言葉を口に出す。

「抱くか?」
「嫌だよ今朝のこと忘れたのか。俺は重たい女を抱く時は結婚する時って決めてんの」
「意外とそこはしっかりとしているんだな。私は気にしないぞ?」
「それ口にして本当だったやつ見たことないし、そこを気にしない女を抱きたくもないね」
「言うじゃないか」

こちらだって抱かれる相手くらいは選ぶ。
そう思いながらも相手がこちらの出せる最大限の対価をいらないというのであれば、残念ながら先ほどの移動方法を知る機会は失われてしまった。
手に入らない物を考えていたって仕方がない。
そう割り切ることが大切なことを知っている彼女は、再び走り出したアデルの後を追いかける。

「……にしても遠かったな、ようやくついた」

それから時間にして10分ほどだろうか。
日数にすれば王都から出て二日、このくらいなんでもない移動時間のようにも感じられるが、通常王都から目的の川まで徒歩ならば二週間から三週間ほどは余裕を見て移動するので驚異的な速度であることにはかわりない。
もはや震えて使い物にならない足をなんとか手で押さえつけながら川の方を見てみれば、ついこの間来た時は透き通るような水色だったのが嘘だったように濁った茶色の水が付近の土を削り、木を押し流しながら自然の力を圧倒的なほどに振るっていた。

「今日は特に荒れているな、もはや濁流だ」
「昨日の夜に山の方で雨でも降ったんじゃないか? それか川の精霊が機嫌を悪くしたか」

川の流れが荒い時の理由は大体二つ。
王国の命綱とされるほど重要な河川であるこの川は基本的に荒れないように普段から管理されており、精霊のご機嫌取りもそれなりにしっかりとされているはずなので考えられるのは雨だろう。
数日経てば川も落ち着くだろうが、いまは時間を争っているので出来ればどうにかしたい物だ。

「通常時であればまだしも、これでは泳いでいけないな」
「はぁ? 泳ぐつもりだったの?」
「船もないのだから仕方がないだろう。それくらいの覚悟はしていたぞ」
「船なら作ればいいじゃないか」

あっけからんと、まるで当然のようにアデルはそう口にした。
目の前の濁流は止まるところを知らず、うかつにその身をやつしたならば持って数分と断言できるほどの荒れ様。
船を作れば確かに越えられはするだろう。
だが人にこの荒波を簡単に越えられるだけの船が作れるか? 設備も人員もまるでないこんな状況で。
そんな疑問を目線で向けた彼女に対し、アデルは一際大きな木を一本一刀で切り倒すと木が完全に倒れ切るよりも早く加工を完了させていた。
彼のそばに出来たのはどっしりとした中型の船、それと馬鹿でかいオールだ。

「ほらこれでできた」
「これ本当に沈まないのか?」
「沈むかどうかは運しだいだけどまあ大丈夫でしょ。ようは浮いてる箱があれば何でもいいんだよ」
「まあ確かに泳ぐよりはましか」
「ほらそっち押して」

規格外の行動に驚きながらもこれがこの男の普通だと無理やり理解し、それを飲み込んでゆっくりと自分の常識を変化させていく。
最強の思考と技術を徐々に自分に浸透させていくことによって、身体は徐々に強くなるというのが彼女の考えだ。
強者を喰らって強くなる。
人は自らを取り囲む環境によってその実力の伸び代を決める。
であるとするならば、最強だけが周りにいるいまの状況は彼女にとって人生で最も成長できる時期だと言えるだろう。
力を込めて船を押し、ある程度流れに船が呑まれ始めた頃に飛び乗ると川の流れにしたがって船は勝手に流れていく。
先程までと比べても速度は比にならないほど速いが、それよりなにより身体的に楽なのが素晴らしい。

「それで? このまま流れに任せて共和国まで行くのか?」
「いんや、王国の国境を越えたらそっからは適当な街にでも馬でも借りるよ。足もつかないしな」

陸路に比べて海路はいろいろと面倒が多い。
もともと人間自体が陸の生物なのだから仕方ないと言えばそれまでだが、楽な方法があるというのにそれをしないのは愚か者の所業だ。
国境を越えるという事をアデルが口に出した事で、彼女はいま自分が何をしようとしているのかしっかりと理解する。

「そういえばこのまま外に出ると不法出国することになってしまうのか」
「いまさら気にすることでもないでしょ。それに多分俺に殺されたこととして処理されるだろうし別に気にすることでもないだろう」

実際のところ書面上ではおそらく自分は死んでいるだろうということを彼女はわかっていた。
分かってはいるが、騎士団長として生きてきた人生の中で彼女は国の許可なく他国へと赴く事ができない立場にあったわけで、人というのは不思議なもので長い間そういった環境に置かれると頭で大丈夫だと理解していても体が拒否反応を起こす。

「そういえば残してきた人間はいないの?」
「残してきた人は……まあいるにはいるが情をかけるほどの相手はいないな。唯一私によくしてくれていた従者の一人はすでに死んでしまっている。じゃなかったらいきなりついていくなんて口にしないさ」
「確かにそれもそうか」
「そういうアンタこそどうなんだ? 私に本名も教えてくれていないんだろう? 大切な人はいるのか?」
「いるように見えるか?」

いるように見えるかと枯れて、彼についての事をふと思い返してみるが誰かに会っている様子もなければ手紙をおくっているようなそぶりもなかったので少なくとも王国には彼の大切だと思って居る人はいないだろう。

「少なくともしゃべっている限りじゃ女はいなさそうだな」
「結婚してないからか?」
「性格が悪いからだ」
「どつきまわすぞ」
「弱者に手を挙げるなら好きにしろ。私はお前に助けられているだけの存在にすぎないからな」
「……自分で煽っておきながらそのセリフは俺より性格悪いでしょ」
「悪かったよ、申し訳ない。まあ真面目に考えるならお師匠様じゃないのか? 教えをすらすらいえるほど尊敬しているんだろう? まああの教えはどうかと思うが」

そもそもアデルに師匠が居るという事事態が驚きだったのだが、どちらにせよ彼の口から聞いたことのある自分の知らない人物がその人くらいの物なので、尊敬できる人がいたとすればその人くらいの物だろう。
我流を貫いた自分には師匠というものがいないのでその感情は分からないが、なんとなく察する程度のことはできる。

「ああ師匠ね、あの人は確かに尊敬してる人だけど大切な人ではないな。守る必要もない人だし」
「世界最強の師匠か、一度会ってみたいものだな」
「やめておいた方がいい。俺よりさらに性格を悪くして手が出る速度を早くした人間だ、下手に強いと勝手に殺し合い始められて殺されるぞ」

お世辞にも性格がいいとは言えないアデルをさらに性格を悪くして攻撃的にした生物?
頭の中で想像し、心の底から出た思いは絶対に関わりたくないという確かな思いだ。
アデルが最強と呼ばれている以上はアデルよりは弱いのだろうが、そこいらの人間と比べれば遥かに強いことは疑うまでもない。

「一度会ってみたい物だね」
「俺についてくるならそのうち会えるよ。あの人は強い人間がいるところに引き寄せられる性質があるからな」

強い戦士同士は引き合わされるなどと言っている人を見かけたことがあるが、きっとアデルの師匠もその手合いなのだろう。
アデルから手渡されたオールを使って岩にぶつからない様に気をつけながらもうそうやって会話していると、ふとアデルがカバンからタオルを取り出して顔にかけると身体を横にした。

「なんだ、寝るのか?」
「魔獣は俺がこの船に乗ってる限り襲ってこない。この速度で動いてる船でも国境を抜けるまで2週間はかかる。道中途中下車して食材の確保なりなんなりをするとして……トイレ行きたいか?」
「できれば一日に一回くらいは行かしてくれると人としての尊厳を保てる」

処理をする方法を知っているとは言え、垂れ流しで作業をするというのはなかなかメンタルに悪影響を及ぼす。
できるのであればトイレには行かせて欲しい。

「ならまあ夕暮れに食材の確保とトイレ休憩でいったん止めるから、それまで操縦は任せたぞ」
「ま、任せろ。なんとかやりきってみせる」

視線を上げて川の向こうを見てみれば、見えるのは体力の岩や枝木。
もし失敗をすれば二人してこの濁流の中に落とされることを思えば、オールを操作する手にも力がこもっていくのを感じる。

「私船の操縦とかしたことがないんだが……何とかなるだろうか」
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