6 / 273
幼少期編
フィトゥスの日誌
しおりを挟む
フィトゥス・ヘスティアス、それが私の名前である。
悪魔としてこの世に生を受け、様々な人物と関わってきた私だが、今は縁あってここ、アルヘオ家にお邪魔させてもらっていた。
お邪魔させてもらっている、とは言っても今までのような仮契約ではなく、この家に骨を埋める覚悟を決めた本契約の方である。
そんな私はいま、非常に困った状況に陥っていた。
「ですからエルピス様にはもう戦術級を教えてしまうべきです。この間のように不用意に戦術級クラスの魔法を行使しては、最悪エルピス様の身に危険が及びます。それを第一優先で防ぐべきなのでは?」
「基礎もできていないのに戦術級を教える方がまずいわ。エルピス様の最高魔力は今のところ把握できていないけれど、フィトゥスからの報告だけで国家級が二発分、古龍にも匹敵する魔力量よ」
「ヘリアとリリィが喧嘩するなんて珍しいわね。確かにあの魔力量は危険だけれど、エルピス様はしっかりと抑え込めている。なら急がなくてもよいのでは?」
エルピス様の側付きとして任命されている執事やメイドは、私を含めて計六名。
もちろん序列は存在し、この家に長く仕えている最後に言葉を発したメチル先輩が一番手。ついでここにはいないが猫人族のティスタ先輩、次にヘリア、リリィ、私、でもう一人の森霊種がエルピス様の側付きとして働いている。
そのうちの三名がこうして議論を交わしている訳だが、森霊種同士では話がつかないと、彼女達は最終決定権を私に振りたがる癖がある。
誰を選んでも地獄の選択肢。できれば巻き込まれたくないものだ。
「あ、あの、エルピス様はもうそんな魔法を使えるんですか?」
話を横から聞いていたのか、そう言って森霊種達の話に混ざったのはエルピスの側付き最後の一人、未だエルピス様と喋ったことすらない見習いの少女だ。
彼女はこの家に入ってから日も浅く、エルピス様と直接面会する機会を作る時間を全て家事の修行に費やしている。
なのでエルピス様と実際に話しているところは見たことがないが、彼女からはエルピス様の事を何度か見たことがあるのだろう。
自分より年下の少年が戦術級を扱えることに驚くのも無理はない……というよりは、驚かない方が無理がある。
「そうよ。貴女って魔法の種類がどれだけあるか知っていたかしら?」
「ええっと……農民でも才能があれば使える初級魔法、駆け出しの冒険者や魔法使い見習いが使う中級魔法。
中堅の冒険者や魔法使いが使う上級魔法、上位の冒険者や宮廷魔術師クラスでないと扱えない超級魔法。
その超級魔法の使い手が数名いないと使えない戦術級魔法に、さらに人数と触媒を必要とする国家級魔法。
神話に存在だけが噂されている神級魔法の計七種類だと聞き及んでいます」
「大体それで合ってるわ。ならその凄さがどれくらいかは分かるわね。今のエルピス様は戦術級どころか国家級、つまりは一つの国を落とせるだけの力が既に備わっているのよ」
国家級の魔法を扱う事ができるのは、猛者が集うアルヘオ家の中でもエルピス様を除けば唯一人、当主イロアス・アルヘオ様のみである。
子が親と同等の魔法技術を持つことは遺伝でもあるらしいにはあるらしいが、それでも長年の修行が必要な領域のはずだ。
あんなに簡単に、まるで思い描いた事がそのまま形として現れる様に現象が本来は発生してはいけないはずなのだが。
「話が長くて大変にゃ、フィトゥス。ここは私が受け持ってあげるから早く逃げとくにゃ」
「ありがとうございます、メチル先輩。それでは私はこの辺で」
影の中に入るようにして私は身体を地面に溶かすと、森霊種達に支配された部屋からなんとか脱出し渡り廊下に出る。
いまの時間帯だとエルピス様は寝ているころだろうか。
技能についての説明もいつかはしないといけないのだろうが、エルピス様はきっと私に隠しているだけで既に技能を所持している事でしょう。
一体なんの技能を持っているのか、先天性の技能なのか、そしてあの黒髪も気になるところだ。
できれば起きていて欲しかったものだが、中庭にエルピスの姿はなく、フィトゥスはがっくりと肩を落とす。
「まぁ、メチル先輩がこっちに来ている時点で察しはついていましたけれど……」
「よく寝てよく食べてよく動く。エルピスはいたって健康に育っているわね」
「奥様、本日もお仕事お疲れ様でした。彼方へは行かない方がよろしいかと」
「ありがと、どうして?」
「いまリリィ達が暴れておりますので。メチル先輩に私達の可愛い後輩がいるので、そう白熱しないとは思いますが」
渡り廊下を過ぎて部屋の前を通ると、丁度良いタイミングでクリム様が顔を出す。
仕事の時だけは彼女は正装に着替える癖があり、戦闘時に着るような服ではないが、いつものダラダラとした服装ではなく今日はぴっしりと決まっている。
クリム様はそう言った私の顔を一瞬見た後、思いついたように腕を引っ張って私を室内へと誘導した。
その事に疑問を抱かないままに部屋の扉は締め切られ、この家の中に密室が新しく生まれる。
「え、ええっと……なんでしょう?」
「エルピスの事でね。丁度いいからリリィ達にも言っておいて欲しいんだけれど、私から二つ」
「はい。分かりました、なんなりと」
呼び止められ、主人から指示を出されるのならば私がそれに従わない道理はない。
片膝をつくとまではしないものの、それ以上の敬意を持って私は主人の言葉に耳を傾ける。
「まず一つ目、エルピスの黒髪に関しての質問は今後一切禁止。向こう側から話を振ってくるまでは、こちら側からふらないこと」
黒髪はこの世界でも特殊な髪の色である。
もちろん光の加減で黒に見えるものだったり、そもそも黒髪が生まれない種族なんかも存在するものの、黒髪は稀有な存在だ。
その意味にエルピス様が気がつくまで、もしくは気がつこうとするまで私達からおせっかいを焼くというのは確かに無駄な行為である。
それを話題として提供しようとしていた手前、クリム様の登場は私にとって本当にタイミングの良いものだった。
「二つ目にあの子の力の事。イロアスがまだ帰ってきていないから正確なことは言えないけれど、あの人が帰ってきたらあの子のテストをする。それまでは魔法は戦術級まで、体術は護身術のみの指導とするわ。問題ないわね?」
「はい。全て主人の意のままに」
私に指示を出すだけだ、たったそれだけの事なのに主人の顔は苦々しい。
きっと自らの子供の成長が見たくて見たくて堪らないのだろう、それはクリム様と同じとまでは口が裂けても言えないが、私も同じだ。
彼の成長が見たい、彼が強くなるところが見たい。エルピス様の為ならば命を賭すと側付き達は全員が決めている。
そんな側付きよりも更に深い愛情でエルピス様に接するクリム様からすれば、仕方がない事とはいえ苦渋の決断だったのだろう。
最も危険な事は、エルピス様が力の使い方を分かっていないまま力に溺れる事だ。そうなってしまえば最悪の場合はエルピス座をその手にーー
「分かったわ。貴女エルピスに弱いから少し不安だけれど……任せたわよ?」
「酷いですね、クリム様。公私混同はしませんよ」
それは嘘だ。この家での生活全てがフィトゥスにとって公であり私的でもある。
ならば主人に対して嘘をつかない方法は、そうならないようにすればいいだけの事だ。
それからどこかへと出かけてしまったクリム様を見送り、私は先程言われた言葉を反芻してからエルピス様の部屋へと向かう。
いつもと同じ扉なのに今日はなんだか少し重たく感じられ、その感覚に私は気を引き締め直した。
「……やはり寝ていましたか」
時刻にすれば朝の八時を少し過ぎた頃合いだろうか。
エルピス様が睡眠を開始するのは二十一時頃なので、十一時間以上は睡眠に充てているという事になる。
龍人はその元が龍であるという性質上、一度の睡眠で長い時では一週間から一月程度になることも少なくはない。
半人半龍であるエルピス様もその煽りを受けており、睡眠にかける時間は相当なものである。
まだまだ小さなその身体を眺めながら、近くにあった椅子に腰掛けると私は寝顔に言葉を投げかけた。
「あの時感じた魔力の質、明らかに人のそれでも龍人のそれでもない異質なものでした。エルピス様、貴方は一体なんなのでしょうか」
人というよりはもっと崇高な、崇めるべき何かであったような、馬鹿馬鹿しいといえばそれで終わりだが、私が感じたのはそんな言いようのない違和感だ。
「んんっ……フィトゥス? おはよ」
そんな私の声で起きたのか、エルピス様は眠たそうに瞼を擦りながら身体を起こす。
そんなエルピス様に対して椅子から身体を起こして真面目な顔に切り替えると、小さな咳払いをしてから私は朝の挨拶を返した。
「おはようございます、エルピス様。良いお目覚めですね」
「朝は寒いから起きられないや……ううっ、起こしてー」
「自分で起きなきゃダメですよ、エルピス様」
そうは言いつつも、私は差し出されたエルピス様の両の手を握り、優しくその身体を起こす。
先程まで布団に入っていたというのに随分と冷たい手で、半人半龍の特徴表が頭の中を駆けていく。
確か朝は体温が低く、夜は体温が高くなる完全な夜型種族だったはずだ。
「そう言いつつも起こしてくれるフィトゥスが好きだよ?」
「はいはい、リリィにそんなことを言ってはダメですよ、誤解されますから。今日は魔法の訓練とお勉強です」
「えぇ、勉強嫌なんだけど」
「教養は日々の助けになります。夢を選ぶ為の選択肢にも、それ以外にもね。ほら行きますよ」
会話をしながら着替えを終えさせ、エルピス様の手を引いて部屋へと向かって歩いていく。
丁度別棟の近くを通る必要があるのだが、未だに口論が終わっていないのか耳にはリリィ達の声が小さく聞こえてくる。
できればやめて欲しいものだが、そうは言ってもあの三人の間に入っていくような勇気もない。
「なんか向こううるさいねー」
「耳を塞いだ方がいいかと。呪いみたいなもんですよ、あれ」
「呪いってなにさ、怖いんだけど」
軽口を叩き合う時間が私にとっては一番心地いい。
嘘も何もなく、心からの言葉を伝えてくれる主人との会話は私にとって最良の時間だといえる。
心を覗く悪魔の力があるからこそ、エルピス様の言葉に対して私は感動するので、他に悪魔がいないアルヘオ家本家では私の心の内を察する事ができるものはいない。
「そういえばさ、フィトゥス。一つ言いたかった事があるんだけど」
「なんでしょう?」
「いつもありがとうね」
こちらを向いて少し恥ずかしそうに感謝の言葉を述べる彼の姿が、どうしようもなく私を救ってくれた時のイロアス様と同じように見えて──。
心の中にあった疑念は気が付けば消え去っていた。
彼が何者であったとしても、こんなにも良い子なのだ。
たとえ何があったとしても守らなければならない可愛い子供。
「ーーええ。全てはエルピス様の為に」
感謝の言葉を告げて部屋に入っていく主人の背中は、まだまだ当分は小さい。
だがその小さな背中がこれから先どうなるのかは、エルピス様次第だ。
今日一日を日記に記すのならば、きっと自分は最後にこう書き記すだろう。
この家に初めて来た日と同じ、あの言葉を。
「忠義は全て貴方様に。我が身全てはこの家の為に……でしたっけ」
悪魔としてこの世に生を受け、様々な人物と関わってきた私だが、今は縁あってここ、アルヘオ家にお邪魔させてもらっていた。
お邪魔させてもらっている、とは言っても今までのような仮契約ではなく、この家に骨を埋める覚悟を決めた本契約の方である。
そんな私はいま、非常に困った状況に陥っていた。
「ですからエルピス様にはもう戦術級を教えてしまうべきです。この間のように不用意に戦術級クラスの魔法を行使しては、最悪エルピス様の身に危険が及びます。それを第一優先で防ぐべきなのでは?」
「基礎もできていないのに戦術級を教える方がまずいわ。エルピス様の最高魔力は今のところ把握できていないけれど、フィトゥスからの報告だけで国家級が二発分、古龍にも匹敵する魔力量よ」
「ヘリアとリリィが喧嘩するなんて珍しいわね。確かにあの魔力量は危険だけれど、エルピス様はしっかりと抑え込めている。なら急がなくてもよいのでは?」
エルピス様の側付きとして任命されている執事やメイドは、私を含めて計六名。
もちろん序列は存在し、この家に長く仕えている最後に言葉を発したメチル先輩が一番手。ついでここにはいないが猫人族のティスタ先輩、次にヘリア、リリィ、私、でもう一人の森霊種がエルピス様の側付きとして働いている。
そのうちの三名がこうして議論を交わしている訳だが、森霊種同士では話がつかないと、彼女達は最終決定権を私に振りたがる癖がある。
誰を選んでも地獄の選択肢。できれば巻き込まれたくないものだ。
「あ、あの、エルピス様はもうそんな魔法を使えるんですか?」
話を横から聞いていたのか、そう言って森霊種達の話に混ざったのはエルピスの側付き最後の一人、未だエルピス様と喋ったことすらない見習いの少女だ。
彼女はこの家に入ってから日も浅く、エルピス様と直接面会する機会を作る時間を全て家事の修行に費やしている。
なのでエルピス様と実際に話しているところは見たことがないが、彼女からはエルピス様の事を何度か見たことがあるのだろう。
自分より年下の少年が戦術級を扱えることに驚くのも無理はない……というよりは、驚かない方が無理がある。
「そうよ。貴女って魔法の種類がどれだけあるか知っていたかしら?」
「ええっと……農民でも才能があれば使える初級魔法、駆け出しの冒険者や魔法使い見習いが使う中級魔法。
中堅の冒険者や魔法使いが使う上級魔法、上位の冒険者や宮廷魔術師クラスでないと扱えない超級魔法。
その超級魔法の使い手が数名いないと使えない戦術級魔法に、さらに人数と触媒を必要とする国家級魔法。
神話に存在だけが噂されている神級魔法の計七種類だと聞き及んでいます」
「大体それで合ってるわ。ならその凄さがどれくらいかは分かるわね。今のエルピス様は戦術級どころか国家級、つまりは一つの国を落とせるだけの力が既に備わっているのよ」
国家級の魔法を扱う事ができるのは、猛者が集うアルヘオ家の中でもエルピス様を除けば唯一人、当主イロアス・アルヘオ様のみである。
子が親と同等の魔法技術を持つことは遺伝でもあるらしいにはあるらしいが、それでも長年の修行が必要な領域のはずだ。
あんなに簡単に、まるで思い描いた事がそのまま形として現れる様に現象が本来は発生してはいけないはずなのだが。
「話が長くて大変にゃ、フィトゥス。ここは私が受け持ってあげるから早く逃げとくにゃ」
「ありがとうございます、メチル先輩。それでは私はこの辺で」
影の中に入るようにして私は身体を地面に溶かすと、森霊種達に支配された部屋からなんとか脱出し渡り廊下に出る。
いまの時間帯だとエルピス様は寝ているころだろうか。
技能についての説明もいつかはしないといけないのだろうが、エルピス様はきっと私に隠しているだけで既に技能を所持している事でしょう。
一体なんの技能を持っているのか、先天性の技能なのか、そしてあの黒髪も気になるところだ。
できれば起きていて欲しかったものだが、中庭にエルピスの姿はなく、フィトゥスはがっくりと肩を落とす。
「まぁ、メチル先輩がこっちに来ている時点で察しはついていましたけれど……」
「よく寝てよく食べてよく動く。エルピスはいたって健康に育っているわね」
「奥様、本日もお仕事お疲れ様でした。彼方へは行かない方がよろしいかと」
「ありがと、どうして?」
「いまリリィ達が暴れておりますので。メチル先輩に私達の可愛い後輩がいるので、そう白熱しないとは思いますが」
渡り廊下を過ぎて部屋の前を通ると、丁度良いタイミングでクリム様が顔を出す。
仕事の時だけは彼女は正装に着替える癖があり、戦闘時に着るような服ではないが、いつものダラダラとした服装ではなく今日はぴっしりと決まっている。
クリム様はそう言った私の顔を一瞬見た後、思いついたように腕を引っ張って私を室内へと誘導した。
その事に疑問を抱かないままに部屋の扉は締め切られ、この家の中に密室が新しく生まれる。
「え、ええっと……なんでしょう?」
「エルピスの事でね。丁度いいからリリィ達にも言っておいて欲しいんだけれど、私から二つ」
「はい。分かりました、なんなりと」
呼び止められ、主人から指示を出されるのならば私がそれに従わない道理はない。
片膝をつくとまではしないものの、それ以上の敬意を持って私は主人の言葉に耳を傾ける。
「まず一つ目、エルピスの黒髪に関しての質問は今後一切禁止。向こう側から話を振ってくるまでは、こちら側からふらないこと」
黒髪はこの世界でも特殊な髪の色である。
もちろん光の加減で黒に見えるものだったり、そもそも黒髪が生まれない種族なんかも存在するものの、黒髪は稀有な存在だ。
その意味にエルピス様が気がつくまで、もしくは気がつこうとするまで私達からおせっかいを焼くというのは確かに無駄な行為である。
それを話題として提供しようとしていた手前、クリム様の登場は私にとって本当にタイミングの良いものだった。
「二つ目にあの子の力の事。イロアスがまだ帰ってきていないから正確なことは言えないけれど、あの人が帰ってきたらあの子のテストをする。それまでは魔法は戦術級まで、体術は護身術のみの指導とするわ。問題ないわね?」
「はい。全て主人の意のままに」
私に指示を出すだけだ、たったそれだけの事なのに主人の顔は苦々しい。
きっと自らの子供の成長が見たくて見たくて堪らないのだろう、それはクリム様と同じとまでは口が裂けても言えないが、私も同じだ。
彼の成長が見たい、彼が強くなるところが見たい。エルピス様の為ならば命を賭すと側付き達は全員が決めている。
そんな側付きよりも更に深い愛情でエルピス様に接するクリム様からすれば、仕方がない事とはいえ苦渋の決断だったのだろう。
最も危険な事は、エルピス様が力の使い方を分かっていないまま力に溺れる事だ。そうなってしまえば最悪の場合はエルピス座をその手にーー
「分かったわ。貴女エルピスに弱いから少し不安だけれど……任せたわよ?」
「酷いですね、クリム様。公私混同はしませんよ」
それは嘘だ。この家での生活全てがフィトゥスにとって公であり私的でもある。
ならば主人に対して嘘をつかない方法は、そうならないようにすればいいだけの事だ。
それからどこかへと出かけてしまったクリム様を見送り、私は先程言われた言葉を反芻してからエルピス様の部屋へと向かう。
いつもと同じ扉なのに今日はなんだか少し重たく感じられ、その感覚に私は気を引き締め直した。
「……やはり寝ていましたか」
時刻にすれば朝の八時を少し過ぎた頃合いだろうか。
エルピス様が睡眠を開始するのは二十一時頃なので、十一時間以上は睡眠に充てているという事になる。
龍人はその元が龍であるという性質上、一度の睡眠で長い時では一週間から一月程度になることも少なくはない。
半人半龍であるエルピス様もその煽りを受けており、睡眠にかける時間は相当なものである。
まだまだ小さなその身体を眺めながら、近くにあった椅子に腰掛けると私は寝顔に言葉を投げかけた。
「あの時感じた魔力の質、明らかに人のそれでも龍人のそれでもない異質なものでした。エルピス様、貴方は一体なんなのでしょうか」
人というよりはもっと崇高な、崇めるべき何かであったような、馬鹿馬鹿しいといえばそれで終わりだが、私が感じたのはそんな言いようのない違和感だ。
「んんっ……フィトゥス? おはよ」
そんな私の声で起きたのか、エルピス様は眠たそうに瞼を擦りながら身体を起こす。
そんなエルピス様に対して椅子から身体を起こして真面目な顔に切り替えると、小さな咳払いをしてから私は朝の挨拶を返した。
「おはようございます、エルピス様。良いお目覚めですね」
「朝は寒いから起きられないや……ううっ、起こしてー」
「自分で起きなきゃダメですよ、エルピス様」
そうは言いつつも、私は差し出されたエルピス様の両の手を握り、優しくその身体を起こす。
先程まで布団に入っていたというのに随分と冷たい手で、半人半龍の特徴表が頭の中を駆けていく。
確か朝は体温が低く、夜は体温が高くなる完全な夜型種族だったはずだ。
「そう言いつつも起こしてくれるフィトゥスが好きだよ?」
「はいはい、リリィにそんなことを言ってはダメですよ、誤解されますから。今日は魔法の訓練とお勉強です」
「えぇ、勉強嫌なんだけど」
「教養は日々の助けになります。夢を選ぶ為の選択肢にも、それ以外にもね。ほら行きますよ」
会話をしながら着替えを終えさせ、エルピス様の手を引いて部屋へと向かって歩いていく。
丁度別棟の近くを通る必要があるのだが、未だに口論が終わっていないのか耳にはリリィ達の声が小さく聞こえてくる。
できればやめて欲しいものだが、そうは言ってもあの三人の間に入っていくような勇気もない。
「なんか向こううるさいねー」
「耳を塞いだ方がいいかと。呪いみたいなもんですよ、あれ」
「呪いってなにさ、怖いんだけど」
軽口を叩き合う時間が私にとっては一番心地いい。
嘘も何もなく、心からの言葉を伝えてくれる主人との会話は私にとって最良の時間だといえる。
心を覗く悪魔の力があるからこそ、エルピス様の言葉に対して私は感動するので、他に悪魔がいないアルヘオ家本家では私の心の内を察する事ができるものはいない。
「そういえばさ、フィトゥス。一つ言いたかった事があるんだけど」
「なんでしょう?」
「いつもありがとうね」
こちらを向いて少し恥ずかしそうに感謝の言葉を述べる彼の姿が、どうしようもなく私を救ってくれた時のイロアス様と同じように見えて──。
心の中にあった疑念は気が付けば消え去っていた。
彼が何者であったとしても、こんなにも良い子なのだ。
たとえ何があったとしても守らなければならない可愛い子供。
「ーーええ。全てはエルピス様の為に」
感謝の言葉を告げて部屋に入っていく主人の背中は、まだまだ当分は小さい。
だがその小さな背中がこれから先どうなるのかは、エルピス様次第だ。
今日一日を日記に記すのならば、きっと自分は最後にこう書き記すだろう。
この家に初めて来た日と同じ、あの言葉を。
「忠義は全て貴方様に。我が身全てはこの家の為に……でしたっけ」
110
あなたにおすすめの小説
神の手違い転生。悪と理不尽と運命を無双します!
yoshikazu
ファンタジー
橘 涼太。高校1年生。突然の交通事故で命を落としてしまう。
しかしそれは神のミスによるものだった。
神は橘 涼太の魂を神界に呼び謝罪する。その時、神は橘 涼太を気に入ってしまう。
そして橘 涼太に提案をする。
『魔法と剣の世界に転生してみないか?』と。
橘 涼太は快く承諾して記憶を消されて転生先へと旅立ちミハエルとなる。
しかし神は転生先のステータスの平均設定を勘違いして気付いた時には100倍の設定になっていた。
さらにミハエルは〈光の加護〉を受けておりステータスが合わせて1000倍になりスキルも数と質がパワーアップしていたのだ。
これは神の手違いでミハエルがとてつもないステータスとスキルを提げて世の中の悪と理不尽と運命に立ち向かう物語である。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【コミカライズ決定】勇者学園の西園寺オスカー~実力を隠して勇者学園を満喫する俺、美人生徒会長に目をつけられたので最強ムーブをかましたい~
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング2位獲得作品】
【第5回一二三書房Web小説大賞コミカライズ賞】
~ポルカコミックスでの漫画化(コミカライズ)決定!~
ゼルトル勇者学園に通う少年、西園寺オスカーはかなり変わっている。
学園で、教師をも上回るほどの実力を持っておきながらも、その実力を隠し、他の生徒と同様の、平均的な目立たない存在として振る舞うのだ。
何か実力を隠す特別な理由があるのか。
いや、彼はただ、「かっこよさそう」だから実力を隠す。
そんな中、隣の席の美少女セレナや、生徒会長のアリア、剣術教師であるレイヴンなどは、「西園寺オスカーは何かを隠している」というような疑念を抱き始めるのだった。
貴族出身の傲慢なクラスメイトに、彼と対峙することを選ぶ生徒会〈ガーディアンズ・オブ・ゼルトル〉、さらには魔王まで、西園寺オスカーの前に立ちはだかる。
オスカーはどうやって最強の力を手にしたのか。授業や試験ではどんなムーブをかますのか。彼の実力を知る者は現れるのか。
世界を揺るがす、最強中二病主人公の爆誕を見逃すな!
※小説家になろう、カクヨム、pixivにも投稿中。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
レベル1のフリはやめた。貸した力を全回収
ソラ
ファンタジー
勇者パーティの荷物持ち、ソラ。
彼はレベル1の無能として蔑まれ、魔王討伐を目前に「お前のようなゴミはいらない」と追放を言い渡される。
だが、傲慢な勇者たちは知らなかった。
自分たちが人間最高峰の力を維持できていたのは、すべてソラの規格外のステータスを『借りていた』からだということを。
「……わかった。貸していた力、すべて返してもらうよ」
契約解除。返還されたレベルは9999。
一瞬にして力を失い、ただの凡人へと転落しパニックに陥る勇者たち。
対するソラは、星を砕くほどの万能感を取り戻しながらも、淡々と宿を去る。
静かな隠居を望むソラだったが、路地裏で「才能なし」と虐げられていた少女ミィナを助けたことで、運命が変わり始める。
「借金の利息として、君を最強にしてあげよう」
これは、世界そのものにステータスを貸し付けていた最強の『貸与者』が、不条理な世界を再定義していく物語。
(本作品はAIを活用して構成・執筆しています)
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
ファンタジーは知らないけれど、何やら規格外みたいです 神から貰ったお詫びギフトは、無限に進化するチートスキルでした
渡琉兎
ファンタジー
『第3回次世代ファンタジーカップ』にて【優秀賞】を受賞!
2024/02/21(水)1巻発売!
2024/07/22(月)2巻発売!(コミカライズ企画進行中発表!)
2024/12/16(月)3巻発売!
2025/04/14(月)4巻発売!
応援してくださった皆様、誠にありがとうございます!!
刊行情報が出たことに合わせて02/01にて改題しました!
旧題『ファンタジーを知らないおじさんの異世界スローライフ ~見た目は子供で中身は三十路のギルド専属鑑定士は、何やら規格外みたいです~』
=====
車に轢かれて死んでしまった佐鳥冬夜は、自分の死が女神の手違いだと知り涙する。
そんな女神からの提案で異世界へ転生することになったのだが、冬夜はファンタジー世界について全く知識を持たないおじさんだった。
女神から与えられるスキルも遠慮して鑑定スキルの上位ではなく、下位の鑑定眼を選択してしまう始末。
それでも冬夜は与えられた二度目の人生を、自分なりに生きていこうと転生先の世界――スフィアイズで自由を謳歌する。
※05/12(金)21:00更新時にHOTランキング1位達成!ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる