【ハレ巫女】妹の身代わりに「亡き妻しか愛せない」氷血の辺境伯へ嫁ぎました〜全てを失った「ハレの巫女」が、氷の呪いを溶かして溺愛されるまで〜

きなこもちこ

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第三話 旅立ち

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 少女が「ミーシャ」として生きていくことになると、状況は悪化していった。彼女に記憶が無いということが分かり、家族は一層ミーシャを見下すようになったのだ。

「アッハハ! お姉さま、フォークとナイフもマトモに使えなくなっちゃったの? じゃあ優しいアタシが、手掴みで食べられるようにしてあげるわ!」
 
 ダリアはミーシャの皿を取り上げ、ゆっくりと床にぶち撒けて笑った。貴族のマナーも全て抜け落ちてしまったミーシャは、ただ床に座り込んで震えるしかなかった。

 さらにあろうことか「ハレの巫女の力」までもが、記憶と共に失われてしまっていた。その力がダリアに移行しているのではと思い、家族は歓声を上げて喜んだ。

  
 「ハレの巫女の力」とは、サンフラワー家に代々伝わる特別な魔法のことである。
 ハレの巫女……通称「ハレ巫女」は、自身の魔力を祈祷として天に捧げる事で、空を晴れさせることが出来る。
 巫女の起こした「ハレ」の太陽の光を浴びた者は前向きな気持ちになり、やる気や活力に満ち溢れる。植物や動物も生命力を増し、豊かな恵みを産むのだ。

 
 しかし家族の望みは叶わず……ダリアが使えるようになったハレの力は、ごく僅かだった。祈祷の力を高める「人々の願い」──「信仰」と、多くの供物を持ってしても、晴れは数分ほどしか持続しなかったのだ。

「ダリアはハレ巫女になったばかりだから……そのうち、しっかり能力が使えるようになるぞ」

「そうよね、お父さま! アタシがお姉さまより劣っているはずがないもの!」

 父親がいつも優しく慰めるので、単純なダリアはそれを盲信している。
 
 ロイ王太子との婚約については、記憶と能力を失っても、解消されることはなかった。ダリアの覚醒が半端だったこともあり、時間経過と共にミーシャの能力が回復するのを期待されていたのだ。

 記憶も能力も……何も持っていなかったミーシャは、全ての物事に血眼で取り組んだ。
 一から厳しく叩き込まれる王妃教育も、家族から強いられる使用人のような家事や、膨大な量の執務も。
 血の滲むような努力の甲斐もあり、十八歳の今……巫女の祈祷以外の事は、完璧にこなせるようになっていた。
 
 いつか誰かから認められることで、死んでしまった元の「ミーシャ」に報いたい。それに彼女は……そうすることでしか、自分を保てなかったのだ。
 
 生まれてから今までの記憶が無いことで、自分が何が好きなのか、何が嫌いなのか、何に幸せを感じるのか……自分を構成するものを、何一つとして持ち合わせていなかった。加えてミーシャには、人から愛された記憶も無い。
 それは酷く恐ろしいことで、ふとした時に自分の存在が消えてしまうような……無かったことになってしまいそうな、そんな感覚に陥りそうになる。
 
 元の「ミーシャ」の好みを探ろうにも、私物は日記帳と数着の粗末なドレスだけ。部屋は来客時の体裁の為に与えられた趣味の悪い空き部屋で、家具も壁紙も、「ミーシャ」が選んだものではなかった。

 いつか……確固たる「自分」を手に入れて、人から愛され、愛したい。
 それだけが、ミーシャの望みだった。

 しかしその末路が、ロイ王太子からの婚約破棄。

 あの時、クロエの瞳は光っていた。「アメの巫女」の力を使い、故意的に雨を降らせたのだろう。
 
 (そんなことをしなくとも、巫女の力を失った私が「ハレ」させることは出来ないのに……。偶然晴れて、婚約破棄が延期になるのが嫌だった? そこまで、私にいなくなって欲しかった……?)

 ミーシャは小雨の降りそそぐ窓の外を眺め、力なく笑う。今となっては、全てがどうでも良いことだ。

 今日ミーシャは、辺境伯へと嫁ぐ。

 触れたもの全てを凍らせる、氷血のスノーグース伯爵へ。
 
 そうなれば……ああ、もう二度と人と触れ合ったり、愛し合ったりすることは叶わないのだ。

 (一度でいいから、「ここにいていいんだよ」って、誰かに抱きしめてもらいたかったな……。)

 物思いに耽っていると、キィ……という小さい音と共に、部屋のドアが開く気配がした。
 バッと振り向いた視線の先には、ビクビクと様子を伺う年配の女性の姿があった。キッチンでいつも見かける、料理人のアガサだ。

「ミーシャお嬢様……お渡ししたいものが」

 恰幅の良い体を怯えさせながら、アガサはミーシャの手に何かを握らせる。そっと開いた手の中にあったのは、真っ赤な宝石が輝く銀製の指輪だった。

「これは……?」

「貴方のお母様の指輪です。お嬢様が生まれる前……奥様の大好物だったレッドプルムのポトフを、初めて作った時……感動した奥様が、私にくだすったんです」

 アガサは早口で囁くと、震える手でミーシャの両手を握った。

「アイツらに取られて、奥様の形見は何もないですよね? これはお嬢様が持っておくべきだと、ずっと思っていました。でもアイツらが怖くて、言い出せなくて……」

「そんな……これは、あなたが貰った物でしょう? 宝石がついているし、売ればそこそこの値段になるはず……」

「いいえ! いいえ……。愚かな婆の、罪滅ぼしだと思ってください。酷い目に遭わされるお嬢様を見て、何も出来なかったのですから……。天国の奥様に、顔向けが出来ません」

 アガサは目に涙を浮かべ、そっとミーシャを抱きしめた。細く痩せたミーシャの体を、柔らかく温かな女性の体が包む。

「奥様の時代から仕えている使用人達は、お嬢様の境遇に心を痛めておりました。助けようと抗議した者もいたのですが……すぐにアイツらの耳に入って、酷い仕打ちを受けた末、辞めさせられました。それからは誰が味方か分からず、みんな疑心暗鬼になって……」

 ごめんなさい、ごめんなさい……と呟くアガサの体を、ミーシャは恐る恐る抱きしめ返した。触れている部分から体温が伝わり「ハグって、こんなに安心するものなんだ」と、ミーシャはぼんやりと思った。

「……ありがとうございます、アガサさん」

 アガサは自分の名前が覚えられていたことに驚き、顔を上げる。涙を流しながらぎこちなく微笑むミーシャの顔を見て、苦しげに顔を歪めた。

「ああ、ミーシャお嬢様……。お嬢様のこれからの人生に、幸あらんことを……」

 その時、廊下の先からドタバタと足音が聞こえ、アガサはビクリと体を固めた。ミーシャはそっと体を離し、「隠れてください」と小さな声で囁いた。

 アガサが急いでベッドの脇に隠れると同時に、勢い良くドアが開く。

「ご機嫌よう、お姉さま! 旅立ちの準備は出来て?」

 ドアの先には、体格の良い使用人を数人引き連れたダリアが、不敵な笑みを浮かべて仁王立ちしていた。

「あら、泣いていたの? 無理もないわね。これから辺境伯へ嫁ぐんですもの、泣きたくもなるわ~!」

 アッハハ!と、頬に手を当てて高笑いをするダリアから顔を背けて、ミーシャはそっと涙を拭う。
 これは自分が初めて流した、優しい涙なのだ。アガサに抱きしめられて感じたあの気持ちまで、奪われてなるものか。

「さあ、お姉さまを馬車までお連れして! 決して逃げられないようにね。アタシが嫁ぐはめになったら大変よ! アタシは王子さまに嫁いで、憧れのお姫さまになるんだから~!」

 ミーシャの両脇を使用人達が掴み、連行されるように屋敷を出る。小雨に濡れながら馬車の中に押し込まれ、後から少ない荷物が投げ入れられた。

「達者でね、お姉さま! もう二度と、会うこともないでしょうけど」

 馬車が動き出したのを見送り、ダリアは満足げに大きく手を振った。
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