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シェリンが死んだのは、それから1ヶ月後だった。
なんとなく早く目が覚めたリリーはすぐに、隣で寝ていた母親が、いつもと違うことを感じ取った。
「母様?母様、母様?起きてよ、母様。ねえ、嘘でしょ?母様…?」
いくら揺さぶっても起きない母親を見て、リリーは母親が死んだことを理解した。
もともと、母親が長くないことは前から知っていたし、そのことを母親から聞かされていたのだ。
理解するのは簡単だった。
だが、受け入れることは容易ではない。
リリーは泣いた。
間違えて毒草を摘んできてしまい、腹痛で眠れなかった時よりも。
お気に入りのおもちゃを目の前で全部燃やされた時よりも。
こっそりと愛でていたウサギを生きたまま目をえぐられ、殺された時よりも。
昼頃まで泣き続けて、リリーはようやく泣き止んだ。
リリーは強い子なのだから。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったシーツをしかと掴み、家にあったすべての服の――とはいっても、手で数えられるほどしかないのだが――洗濯をはじめた。
「うさぎがタライでぴょんと跳ねた、カエルもこたえてぴょんと跳ねた…」
母親が洗濯をするときに歌っていた、童謡。
習慣というのは怖いもので、こんなときにも口から流れ出てしまう。
再び零れそうになる涙をぎゅっと堪えて、リリーは小さな手をひたすらに動かした。
日も傾き始めたころ、リリーはようやく全部の洗濯物を干し終わり、飴色の小さなタンスの引き出しをあけた。
――母様は言っていた。ここに宝物を隠しておくから、私がいなくなったら、この中を見るんだよ、と。
そこには、2つの真っ白な封筒と、袋に入った少しばかりのお金、そして、美しい紋章の入った短剣がちょこん、と鎮座していた。
封筒の表を見ると、一つには「リリーへ」と、もう一つの方には「ベラへ」としたためられていた。
リリーは自分の名前が書いてある方の封筒を手に取り、開けた。
ロウも垂らされていない封筒はすんなりと開き、母親らしい丁寧な字が綴られた便箋が落ちてきた。
「リリーへ
この手紙を読んでいるということは、私は死んでしまったのでしょう。
賢いリリーならわかるかと思いますが、私が死んだら、クアック公爵の愛人、アイリーンがリリーを追い出すに違いありません。
もともとあの方にはいい噂を聞いていませんでしたから。
私は、できる限りのことをリリーに教えたつもりです。
だから、どんなことがあっても、あなただけは強く生きて。
丘を登った先の森の中に、私の友人で、ベラという女の人がいます。
私の手紙を見せて、助けを請いなさい。
ひとりだけ残して、ごめんなさい。
リリー、愛してる。
永遠にあなたの母親、シェリン・ラザフォード」
リリーはもう、泣かなかった。
かわりに、部屋の隅にあった古い旅行鞄に、荷物をつめた。
母親に教わって作った押し花。母親のために拾ってきたきれいな小石。アルが内緒でくれたけど、もったいなくて食べられなかったキャンディー。
思い出たちが蘇ってきて、リリーは温かい気持ちになった。
決して楽な暮らしではなかったけど、それでも、楽しかった。
これで、前を向いて歩いていける。
リリーは、冷たいけれど穏やかな顔をした母親の顔を見ながら眠りについた。
翌朝、日が登るよりもずっと前にリリーは起きて、洗濯物を取り込んで、畳んで、鞄に詰めれるだけ詰め込んだ。
そして、最後に母親の顔にそっとキスをして、いってきます、と大きな声で言って、壊れそうなドアをゆっくりと開けた。
その日、アルはとても早起きをした。
なぜなら、昨日は待てども待てどもリリーが来なかったから。
夜まで待ったのに、リリーは来なくて、帰るのが遅いって、じいちゃんに怒られちゃったんだから。
今日はとことんリリーのことを問い詰めてやる。
もしかしたら今日もリリーは来ないかもしれないと考えたアルは、リリーが寝ている隙に小屋を訪れようとしたのだ。
茂みの中をずんずん進んだアルは、小屋の前に、人影が立っているのをみた。
「リリー!?」
草に足を取られそうになりながらも走っていったアルは、「おや、大丈夫かい」という聞き覚えのない声を聞いた。
「誰だ!リリーになにかするなら…」
そこで初めて、アルは声の正体を見た。
「女の人…?」
そこに立っていたのは、胸まで伸びた黒髪を後ろで束ねた、妖艶な雰囲気の女だった。
リリーはその傍らに立っている。
「リリー、この人だれ?」
リリーは答えない。
「もしかして、悪いやつなの?だ、大丈夫、僕がリリーを守るから!」
そういってアルは女に突進したが、軽くいなされて、小石に躓き、膝にじわじわと血が浮き出てきた。
「アル、大丈夫!?」
リリーは思わず鞄から手を離し、アルに駆け寄った。
静かな朝に、鞄の落ちる、鈍い音だけが反響する。
「だーから言ったのになぁ」
女はちょっと笑い、ゆっくりとアルに近づいてひざまずき、「ほら、見せてご覧」と言った。
なんとなくあらがえなくて、素直に従ったアルの膝を見て、女は懐から取り出した薄緑の透き通った液体をぶっかけた。
「いたっ!」
「ま、しみるのはしょうがない。頑張って耐えるんだな」
あとはほっときゃ治る。そう言って立ち上がった女は、アルの瞳を見据えて宣言した。
「坊主、ここの人間だろうから言っておくが、リリーの母親は死んだ。だからリリーは、シェリンの親友である、このベラが引き取る。」
一方的に宣言し終えたベラは地面に伏していたリリーの鞄を拾って埃を払い、リリーに手を差し伸べた。
「さ、行くぞ」
こくん、と頷いたリリーがベラの手を取り歩きだしていく様子を、アルは、「リリー…」という弱々しい声でしか見送ることができなかった。
なんとなく早く目が覚めたリリーはすぐに、隣で寝ていた母親が、いつもと違うことを感じ取った。
「母様?母様、母様?起きてよ、母様。ねえ、嘘でしょ?母様…?」
いくら揺さぶっても起きない母親を見て、リリーは母親が死んだことを理解した。
もともと、母親が長くないことは前から知っていたし、そのことを母親から聞かされていたのだ。
理解するのは簡単だった。
だが、受け入れることは容易ではない。
リリーは泣いた。
間違えて毒草を摘んできてしまい、腹痛で眠れなかった時よりも。
お気に入りのおもちゃを目の前で全部燃やされた時よりも。
こっそりと愛でていたウサギを生きたまま目をえぐられ、殺された時よりも。
昼頃まで泣き続けて、リリーはようやく泣き止んだ。
リリーは強い子なのだから。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったシーツをしかと掴み、家にあったすべての服の――とはいっても、手で数えられるほどしかないのだが――洗濯をはじめた。
「うさぎがタライでぴょんと跳ねた、カエルもこたえてぴょんと跳ねた…」
母親が洗濯をするときに歌っていた、童謡。
習慣というのは怖いもので、こんなときにも口から流れ出てしまう。
再び零れそうになる涙をぎゅっと堪えて、リリーは小さな手をひたすらに動かした。
日も傾き始めたころ、リリーはようやく全部の洗濯物を干し終わり、飴色の小さなタンスの引き出しをあけた。
――母様は言っていた。ここに宝物を隠しておくから、私がいなくなったら、この中を見るんだよ、と。
そこには、2つの真っ白な封筒と、袋に入った少しばかりのお金、そして、美しい紋章の入った短剣がちょこん、と鎮座していた。
封筒の表を見ると、一つには「リリーへ」と、もう一つの方には「ベラへ」としたためられていた。
リリーは自分の名前が書いてある方の封筒を手に取り、開けた。
ロウも垂らされていない封筒はすんなりと開き、母親らしい丁寧な字が綴られた便箋が落ちてきた。
「リリーへ
この手紙を読んでいるということは、私は死んでしまったのでしょう。
賢いリリーならわかるかと思いますが、私が死んだら、クアック公爵の愛人、アイリーンがリリーを追い出すに違いありません。
もともとあの方にはいい噂を聞いていませんでしたから。
私は、できる限りのことをリリーに教えたつもりです。
だから、どんなことがあっても、あなただけは強く生きて。
丘を登った先の森の中に、私の友人で、ベラという女の人がいます。
私の手紙を見せて、助けを請いなさい。
ひとりだけ残して、ごめんなさい。
リリー、愛してる。
永遠にあなたの母親、シェリン・ラザフォード」
リリーはもう、泣かなかった。
かわりに、部屋の隅にあった古い旅行鞄に、荷物をつめた。
母親に教わって作った押し花。母親のために拾ってきたきれいな小石。アルが内緒でくれたけど、もったいなくて食べられなかったキャンディー。
思い出たちが蘇ってきて、リリーは温かい気持ちになった。
決して楽な暮らしではなかったけど、それでも、楽しかった。
これで、前を向いて歩いていける。
リリーは、冷たいけれど穏やかな顔をした母親の顔を見ながら眠りについた。
翌朝、日が登るよりもずっと前にリリーは起きて、洗濯物を取り込んで、畳んで、鞄に詰めれるだけ詰め込んだ。
そして、最後に母親の顔にそっとキスをして、いってきます、と大きな声で言って、壊れそうなドアをゆっくりと開けた。
その日、アルはとても早起きをした。
なぜなら、昨日は待てども待てどもリリーが来なかったから。
夜まで待ったのに、リリーは来なくて、帰るのが遅いって、じいちゃんに怒られちゃったんだから。
今日はとことんリリーのことを問い詰めてやる。
もしかしたら今日もリリーは来ないかもしれないと考えたアルは、リリーが寝ている隙に小屋を訪れようとしたのだ。
茂みの中をずんずん進んだアルは、小屋の前に、人影が立っているのをみた。
「リリー!?」
草に足を取られそうになりながらも走っていったアルは、「おや、大丈夫かい」という聞き覚えのない声を聞いた。
「誰だ!リリーになにかするなら…」
そこで初めて、アルは声の正体を見た。
「女の人…?」
そこに立っていたのは、胸まで伸びた黒髪を後ろで束ねた、妖艶な雰囲気の女だった。
リリーはその傍らに立っている。
「リリー、この人だれ?」
リリーは答えない。
「もしかして、悪いやつなの?だ、大丈夫、僕がリリーを守るから!」
そういってアルは女に突進したが、軽くいなされて、小石に躓き、膝にじわじわと血が浮き出てきた。
「アル、大丈夫!?」
リリーは思わず鞄から手を離し、アルに駆け寄った。
静かな朝に、鞄の落ちる、鈍い音だけが反響する。
「だーから言ったのになぁ」
女はちょっと笑い、ゆっくりとアルに近づいてひざまずき、「ほら、見せてご覧」と言った。
なんとなくあらがえなくて、素直に従ったアルの膝を見て、女は懐から取り出した薄緑の透き通った液体をぶっかけた。
「いたっ!」
「ま、しみるのはしょうがない。頑張って耐えるんだな」
あとはほっときゃ治る。そう言って立ち上がった女は、アルの瞳を見据えて宣言した。
「坊主、ここの人間だろうから言っておくが、リリーの母親は死んだ。だからリリーは、シェリンの親友である、このベラが引き取る。」
一方的に宣言し終えたベラは地面に伏していたリリーの鞄を拾って埃を払い、リリーに手を差し伸べた。
「さ、行くぞ」
こくん、と頷いたリリーがベラの手を取り歩きだしていく様子を、アルは、「リリー…」という弱々しい声でしか見送ることができなかった。
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