Amber&Smoke

雪原

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美しい手

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 レイン・ドレイク少尉は、私生活では不器用な二十二歳の青年だったが、軍人としてのキャリアは悪くないスタートを切った。士官学校を卒業し、イルスタリア陸軍特別作戦班に配属されてわずか二週間後に、辺境都市マリヴォーが隣国カラタリアに攻め込まれ、初陣とあいなったのである。
 ひたすら命じられるままに戦い、終わった時には「マリヴォー防衛の英雄部隊」のひとりとなっていた。
 そして今、夕暮れ間近のコーヒーショップで、彼の上官とコーヒーを飲んでいる。
 
 ヒュー・リーフェルト少佐はレインより十二歳年上の三十四歳で、マリヴォー防衛の英雄部隊の指揮官であった。特別作戦班の指揮官、というその職務から想像されるような厳つい男ではなく、見た目はどちらかというと優男である。軍人というより、軍官僚のような風情だった。
 美男子だとは、隊内でももっぱらの評判だった。まあ、美男子の勘定のうちに入れてもいいだろう、とレインも思う。鼻筋が通っていて、面差しは冷たく整っている。灰色の目がどこかミステリアスな印象を受けた。背は高く、細身の体型だがひ弱ではない。ストイックな制服の下の身体は、しっかりと筋肉がついて均等が取れていた。
 
 だが、今、レインが胸を貫かれたのは、顔や立ち姿ではなかった。自分の隣でコーヒーを飲んでいる上官のその手、どこにでもある白のコーヒーカップを掴んでいるその手の美しさだった。
 実戦部隊の軍人だというのに、傷一つない。すらりとした指は貴族的で、ライフルを掴むよりビオラの弓でも持つほうがよく似合う。手の大きさは成人男性としては標準だったが、その造形は美術館の名芸術家が専心して彫り上げた彫刻のようで冷たさを感じさせる美だった。
 コーヒーカップの取手を掴んだ指の形に、匂うような色香がある。この手が、誰かの肌の上を滑るところを想像したら、ゾクリとするような感覚が首筋を這う。
 二年間、彼のもとにいて、今初めてその手の美しさに気が付いた。まあ、通常は上官の手など、まじまじと見る機会はない。

「どうしました」

 リーフェルトがふっと笑った。やわらかいテノールがレインの耳を通り過ぎる。リーフェルトは部下にも──戦場での命令は別として──丁寧語で話しかける。
 いえ、とレインは顔が熱くなるのを感じた。上官の、しかも同性の男の手にときめきを感じているなど、知られたくはない。

「ここのコーヒーは美味いですね」

 気恥ずかしさをごまかすために、当たり障りのないことを言った。レインは実際、コーヒーの味などわからない。苦いか、苦くないか、くらいの差だ。
 リーフェルトはレインの言ったことを確認するように、コーヒーカップに口をつけた。そうして言った。

「コーヒーを味わう余裕がありましたか」
「すいません、それどころじゃないですね」

 コーヒーの感想を言う場面でもなければ、ましてや上官の手に見惚れている場合ではない。
 いいんですよ、とリーフェルトが穏やかに笑ったところで、カウンターの上に置いてあった無線機が彼らを呼び出した。

 “こちら雲雀”

 レインがすぐに無線機を手に取った。

「こちら狐。準備は?」
 “いつでも行けます”

 了解、とレインは応答し、リーフェルトに頷いてみせた。リーフェルトはコーヒーの残りを飲み干すと、戦闘服ですら優雅と思える仕草で立ち上がった。レインもその後に続く。臨時指揮所となったコーヒーショップの外は非常線が張られ、軍の車両や警察車両が一見雑然と並び、その周囲には明日の新聞の一面に乗せる写真を撮ろうと、大きなフラッシュを取り付けたカメラを構えたカメラマンが並んでいる。そのカメラマンを警官が非常線の外に追いやろうと懸命に押し返す。ラジオレポーターがマイクを握りしめて、しゃべり続けていた。
 少尉、とリーフェルトがチラリと振り返って言った。

「一発で仕留めてくださいよ」
「了解」

 コーヒーの味も、上官の美しい手のことも一瞬のうちに頭から閉め出し、レイン・ドレイクは兵士の顔になった。


 テロリスト集団による銀行の立てこもり事件は三十六時間を超え、警備員二名と窓口の女子行員三名がテロリストの手によって射殺されていた。銀行に残った行員と客はガラス張りの銀行の窓側に立たされ、人間の盾にされていた。
 
 ロビーで椅子に縛り付けた頭取の頭に銃を突き付けていた首謀者は、大統領との交渉を要求していた。
 もちろん、官邸は突っぱね、引き伸ばしにかかりその間に、特殊作戦班が突入の準備を行った。
 が、突入作戦を強行すれば、頭取が射殺される恐れがある。イルスタリアの支配者層クラウン十三家の一角を占めるアモンクール家の当主を、テロリストに殺させるわけにはいかない。
 
 レインの役目は、道路を挟んで向かい側のビル……コーヒーショップの二階のテラスから、ロビーに引かれたカーテンの数センチの隙間から見える犯人の頭をぶち抜くことだった。それを確認して、突入班が突入する。一発で仕留めろ、というリーフェルトの命令を、レインは実行した。
 士官学校の問題児、レイン・ドレイクは、他の成績はともかく、レインは射撃だけは天才的にうまかった。
 今回の作戦のターゲットは道路を挟んで向かい側のビルまで三十メートル先だった。距離的にはどうという事はない。だが、相手は動く「的」であり、不明瞭なカーテンのわずかな隙間、しかもガラス越しに確実に頭を狙うのは、なかなかの難題であった。

「それを一発で仕留めろって、あっさりというんだから、少佐は……」

 レインはその時のことを思いかえす。不思議なことに困難な仕事をやり遂げたことよりもなによりも、思い出すのは、少佐の手だった。あのコーヒーカップを優雅に持ち上げていた、奇妙な色香をまとった手。
 俺、別に手フェチじゃないんだけどな、とレインは首をひねる。しかし、あの手の美しさに気が付いて、視線が吸い付いて離れなかった時、レインの中で何かが変わった。配属されて以来、今の今までヒュー・リーフェルトはレインに取って、上官以外のなにものでもなかったが、あの優美な手が、レインの琴線に触れ、それをかき鳴らし始めたのである。
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