Ocean&Blue

雪原

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3.初めての情事

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 部屋は微かにオークモスのような香りがした。さっきはしなかった匂いだった。リーフェルトが使っているオーデコロンとも違う。
「誰か来てたんですか」
「犬並みの鼻ですね……クジェルカですよ。野暮用でね」
 そう言ってリーフェルトは部屋の明かりを消した。スタンドの明かりだけになりほの暗い中、ベッドが浮かび上がる。それだけでレインは頭に血が上った。

 バスローブをまとっているリーフェルトを見ると、緊張で頭が煮えるようだった。心臓が耳元で鳴っているかのようにドクドクと音を立てている。
 最初に断っておきますが、とリーフェルトは言った。
「君、たぶん、後悔すると思いますよ。今の君には勢いだけしかないのでね。十年後に、なぜ俺はあの男と寝たんだと後悔すると、私は思うのですが」
 リーフェルトは大きな枕を並べてあるベッドヘッドに身体を預けて座って、まだベッドの脇にぼんやりと立っているレインを見上げた。
「だからといって……今この場で、俺、やめます、なんて言えると思いますか」
 ですね、とリーフェルトが目をそらして呟いた。
「でもまあ、やめてもいいんですよ。正直、来ないかもしれないと思いました。シャワーを浴びたら冷静になって、そのままふて寝でもするかと思っていたんですが」
「俺から言い出したのに、それはありません」
「でも君は基本的にストレートでしょう……本当に出来るんですか」
 言ったじゃないですか、とレインはつぶやいた。
「少佐は特別だって」

 レインはそう言うとシャツを脱いでベッドに上がった。リーフェルトと相対し、いささか乱暴に唇を合わせる。
 どうにかなる、とレインは自分に言い聞かせた。……どうにでもなれ。
 唇を押し開き、不器用に舌を絡めると、リーフェルトが応えた。レインは背中に電流が走るような感覚を味わう。自分の稚拙さが恥ずかしくなる。……互いにむさぼり合って、その唇を離した時、リーフェルトの口から吐息が漏れた。その吐息がレインの耳をくすぐった瞬間、一気にレインの欲望が膨れ上がった。扇情的な、蠱惑的な吐息。普段は取り澄ましている年上の男の色気。
 レインはそのままゆっくりとリーフェルトの首筋に唇を這わせた。リーフェルトが息を呑んでから、また甘く息を吐いた。

 抱いたつもりが抱かれたかもしれない。リーフェルトは経験豊富で、不慣れながらも自分を抱こうとする年下の男を巧みにリードして、そうして自らも進んで快楽の渦に溺れていた。
 リーフェルトの体温、肌の感触、匂い、吐息、声……すべてがレインにとって新鮮で、かつすべてに虜にさせられた。女性のような柔らかさとは違うしなやかな筋肉は、レインに別の喜びを与えた。そしてあの、レインを捕らえて放さない手。レインはあの美しい手を握り、何度も口づけをした。レインの不慣れな愛撫でも、リーフェルトの身体はしっとりと熱いというのに、あの手は奇妙にひんやりとしていた。その手がレインの背中を撫で、身体の筋肉をなぞる。まるで上等のベルベットで肌を撫でられているかのような感触……思い出すだけでも身体の芯が疼いてくる。

 自分が年上の男を、しかも自分よりはるかに経験豊富な男を満足させられただろうか。あの熱に浮かされた、紅潮した忘我の表情の艶めかしさが、レインの感情を焼く。
 淫魔、という言葉がレインの脳裏に浮かぶ。人を愛しはしないのに、行為だけは上手いなんて、と複雑な気分になる。そして、リーフェルトをそうあらしめているのは何なのか、とふと思った。
 今はうとうととしているその顔を見下ろして、綺麗だな、とレインは思う。いつもはきちんと整えている髪が乱れて顔にかかっているのが、生々しくも色っぽい。
 その髪を優しく払うと、リーフェルトは薄目を開けた。
「少佐殿、再突撃のご命令をお待ちします」
 少しふざけて言うと、リーフェルトの唇が笑った。
「そのまま待機だ、少尉」
「もう終わりですか」
「二回もやったんだからいいでしょう。私は君のように若くないんですよ……」
 すみません、とレインは小さく謝り、その額に口づけをした。
「無理、させたでしょうか」
「覚悟はしてましたよ……それより、君、もう部屋に戻りなさい」
「泊めてはくれないんですね……」
 そうレインは言ったものの分かってはいる。それがリーフェルトのけじめのつけ方なのだろう。自分は単なる情事の相手で、恋人ではないのだ。
 できれば朝までこうしてお互いの体温を感じあっていたい。レインはもう一度リーフェルトを抱き寄せると、その首元を強く吸った。
「見えるところはやめて下さいよ」
 リーフェルトが眠そうな声で言う。
「弁えております」

 そう言って意を決してベッドから出た。まだ体が熱い。だが、こらえて脱ぎ捨てた服を着直す。
 リーフェルトは毛布にくるまったまま、薄目を開けてその様子を眺めていた。身支度を終えたレインが、もう一度ベッドに上がって、名残惜しそうにリーフェルトの唇を吸う。
 離れがたいのを離し、レインはおやすみなさい、といった。
 部屋を出て行きかけたレインの背中に、リーフェルトが声をかけた。
「明日は先にイズワルドに戻ってください。私はクジェルカと閣下と話がありますので」
 それはレインを少々落胆させた。話が終わるまで待たせてはもらえませんか、と言おうとしたが、やめた。一度寝ただけで、狎れたと思われるのは嫌だった。
「わかりました」
「月曜日、一〇三〇に私のところへ出頭を。大事な話があります」
 毛布の向こうからくぐもった声で、現実的なことを言われた。レインは背中に冷や水をぶっかけられた気分で、それでもいつものように、「承知しました」と返答した。

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