Ocean&Blue

雪原

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4.上官と部下

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 職場でどういう顔をしてリーフェルトと会えばいいのか、とレインは気まずさに頭を抱えた。
 どうしたって土曜の情事が脳裏に浮かぶ。
 だが分かっている。リーフェルトはたぶん「いつも通り」だろう。

 レインが出勤すると、ミロタ本部長のところに出頭するようにと、すでに連絡が入っていた。そう言えば、リーフェルトはあの情事の終わりに月曜の十時半に自分のところに来るように、と言っていたのだ。よく考えたら立て続けにこう来るのは、何かあるに違いない。浮かれている場合ではないのかもしれない。
 どういう顔でリーフェルトと会えばいいのかという、レインの悩みはすぐに解決した。ミロタ本部長の部屋にいったら、表情にも視線にも何の感情も籠っていないリーフェルトが本部長の横にいたのである。

「レイン・ドレイク少尉、ご命令により出頭いたしました」
 レインも表情を消し型どおりに敬礼する。ご苦労、少尉、と本部長は鷹揚に言った。リーフェルトはいつも通り、冷たく冴え冴えとした顔をしており、レインを見たところでなにか態度や表情に変化が現れる訳でもなかった。
 職場の女性とお楽しみの翌日に顔を合わせた時、それとなく上目遣いで意味ありげな視線を飛ばしたり、意味深にそっと微笑んだりして、秘密の共有をささやかに確認しあう——そんなことはガキのやることだと、レインの上官は態度で示したのである。
 ミロタ本部長はさほど感銘もなくレインを見つめ返し、あっさりと言った。
「六月一日付で中尉に昇進だ。おめでとう少尉」
 レインの感想は、このタイミングで?だった。人事評定の時期でもないし、この間の銀行事件の時も、褒賞はあるが、昇進はない、と言われていたのに。
 だが、昇進させてくれると言うなら別に否はない。レインはきっちり答礼を返すと、「謹んで拝命いたします。階級を恥ずかしめることがないよう、全身全霊をもって職務にあたる所存であります」と生真面目に答えた。
「うん。正式な辞令は後日でる。これからの職務については、君の上官に詳細を聞きたまえ」
 本部長がそう言うと、リーフェルトは無感動にうなずいた。昨日、別れ際に出頭しろといった件だろう。

 それでレインは言われた通りにリーフェルトのもとに赴いた。少佐の執務室は、吹き抜けの中二階にあるガラス張りの個室だった。こういう部屋を使う上官は常にブラインドを下ろしていることが多いが、リーフェルトは特別な用がない時は開け放しにしていた。今日は珍しくブラインドは下ろされていた。
 その密室の感触に少し動悸を覚えるものの、ノックの前に首を振った。少なくとも少佐は完全に土曜の情事のことは無視しているのだから、こちらもそれは意識の外に置いておくべきなのだ。

「ドレイク少尉、参りました」
 入れ、といつも通りの声がして、レインは息と表情を整えて部屋に入った。
 まずは昇進おめでとう、とリーフェルトは言った。微笑んでいたが、その微笑みは上官が部下に向けたもの以外の何物でもなかった。レインは一瞬、土曜の夜のことは夢だったのではないかと思うほどだった。
「少佐もご昇進と伺いました。おめでとうございます」
 うん、とリーフェルトは軽く頷いたが、直後に笑みを消し言った。
「が、昇進がめでたいかどうかは、私の話を聞いてから判断した方がいいですよ」
 そう言ってリーフェルトが、これは極秘だがと前置きをして話した内容に、レイン・ドレイクは甘い気分も、昇進の喜びも一瞬で消し飛んだ。

「アサルト島のクランカンを制圧するのですか」
「カイラモの率いるクランカンは麻薬密売で財を成しているのは知っているでしょう。また非合法に武器を買い集めて、アサルト島は武装勢力の一団となっています。麻薬は人道的犯罪、武器は騒乱準備罪だと言うことで、統治委員会オーダーは実力行使に出ることにしたということです」
「……言ってはなんですが、今更ではないですか?」
 クランカンが麻薬で財を成していることなど、イルスタリアでは子供でも知っている。そしてその売上が少なからず支配者層クラウンに流れていることも。
 だが、レインはそれ以上は聞かなかった。リーフェルトもそれ以上は説明せず、言った。
「君の言うとおり今更です。しかし、行けと言われたところに行って、やれと言われたことをやるのが、我々の仕事です。作戦は私が指揮を取ります。君の奮闘を期待してもいいですね?」
「もちろんです、少佐」
「ブリーフィングには君も参加するように。下がって結構」
 レインは完璧な敬礼を施すと、リーフェルトの部屋を出た。

 顔が熱い。情事とは別種の興奮がレインの中に湧き上がってきた。自分がリーフェルトの一番の部下であることは、レインの自尊心を満足させた。
 公私共に……「私」の方は今のところただ一度きりだが……あの男を手に入れられるという思いは、レインに上等のウイスキーが引き起こす酔いのような感触を味わわせた。



 好事魔多しとはよく言ったものだった。
 自分の前で腰に両手をあて仁王立ちになったミロタ本部長の前で、そんなことを思う。
「君は何を考えているのだ」
「申し訳ありません、カッとなりました」
 本部長の横でリーフェルトが呆れたような顔をしているのを見て、レインは肝が冷える。情事の甘い余韻など消し飛んでしまった。

 事はブリーフィングの場で起きた。作戦の概要を説明したのは、統合作戦本部のエズラ大佐であった。レインは初対面であったが、リーフェルトの方は顔見知りらしい。しかも顔を合わせて嬉しい顔見知りではなさそうなのは、二人の間に流れた微妙な空気でわかった。
 それでもブリーフィングは淡々と進んでいたのだが、リーフェルトがいくつか妥当な質問をした。それがエズルには気に入らないらしい。いちいち嫌味と皮肉まじりに返答を寄越し、リーフェルトは平静を保っていたが、横で聞いているレインは苛々してきていた。
 そこに大佐がリーフェルトに言い捨てたのである。
「マリヴォーの英雄殿は臆病者か?その階級章は女の気を引くためだけにあるのかね」
 それを聞いた瞬間、レインはカッと頭に血が上った。
「そんな言い方ないでしょう!命がけで作戦を実行する指揮官を愚弄するのが、大佐ともあろう人がやることなんすかね!?」
 リーフェルトが「少尉!」と怒鳴るのと、「貴様、誰に口をきいているかっ!」とエズラ大佐が叫ぶのとほぼ同時だった。

 しかし、レインは引かなかった。
「そりゃ、そっちは言うだけ言ったら、酒でも飲みながら高みの見物でしょうけどね!」
「「ドレイク少尉!」」
 リーフェルトとミロタ本部長は同時に叫んだ。
 ミロタ本部長は嫌味を言った。
「数時間前に、中尉拝命の立派な口上を聞いて、感心したばかりだというのにな。立派なのは口だけだったらしい」
「申し訳……」
「……ま、君のその覇気は私は嫌いじゃないがね」
 本部長はニヤリと笑った。甘やかさんでください、と言ったのはリーフェルトだった。
「覇気と無礼は別です」
 リーフェルトは憮然と言った。レインは冷や汗をかいた。
「少尉、今日はもう上がりなさい。ジムに行ってサンドバッグでも殴りつけてくるんですね。次に同じことをやったら、営倉に放り込みます。頭に血が上ったら、まずは相手の階級章をよく見て、自分の立場に思いを馳せることです……下がってよろしい」

 レインは、自分と目を合わせようとしない上官にそれでも頭を下げた。リーフェルトは返事もしなかったので、少なからず傷ついたが、それを無視してリーフェルトの前を退出した。
 
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