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しおりを挟むキリトの胸の中にアンリが飛び込んでくる。
ぎゅっと抱きしめると甘い香りに包まれ、キリトはアンリの頭に顔を埋めた。
──アンリ……
「…………キリト?」
小さな声で呼びかけられてキリトはハッとする。
──やばい!これ “アンリ” じゃなくて本物だぞ!
「ご、ごめん、オレ」
──うわうわうわ、めっちゃ柔らかくてあったかくてなんか細っ!!
思いっきり未練を残しつつ慌てて身体を離そうとすると、アンリはキリトの背中に手を回しぎゅっと抱きついてきた。
──えええええ!?
「あ、あの」
「ふふ。なんか、安心する……」
アンリはキリトの胸に頬を預けている。
柔らかい髪がふわっと顎にかかる。
──や、やば…………
一旦離した手をどうすればいいのか、思考が過回転して入力待ちのまま固まっている。
「あったかいね」
囁くようなアンリの声にキリトの脳内は真っ白になった。
──処理落ち……。完全にフリーズしてるオレ
アンリの身体の温もりがキリトの理性をじわじわと奪っていく。
──……このまま、思いっきり抱き締めたら、オレはもう……
「すっごい心臓の音、速いよ」
──やっぱり聞こえてる!
「キリト、私ね」
そのとき不意にガチャっと部屋の扉が開いた。
「うわっ、びっくりした。アンリか」
メガネをかけた女性が抱き合っている2人を見て驚いている。
2人は慌てて身体を離した。
「ちょっとお。ここはそういうことする場所じゃないんですけど!?」
「す、すみません先輩! これはそのぉ」
「部外者立ち入り禁止って知ってるよね?」
キツい言葉にアンリは珍しく焦った顔をしていてキリトも焦る。
「あ、あの、オレもこのサークルに入りたくて!」
「え?」
「へえ? それなら大歓迎だけど。本当に活動に興味あるの?」
女性はじろっとキリトを見る。
「は、はいっ。その、社会貢献、したいなって」
「ちょっとキリト、いいの?」
アンリがキリトのパーカーの裾を引っ張る。
キリトは必死に女性を窺った。
──オレのせいでアンリの立場が悪くなるとか、ありえない!
「まあいいか。猫の手も借りたいくらいだしね。じゃ、これに名前書いて。私はサークル長の綾部。君は?」
「大河内希理人です……」
「工学部2年ね。君たち付き合ってるの?」
「いやいやいや!?」
──どう見たって釣り合わないのに何言ってんだこの人!
キリトの中では100%無いことである。
今日のように、光の中からアンリが気まぐれに向かってくることはあるかもしれない。
だが2人とも、自分の居場所を変えることはきっと無い。
──オレはずっと闇の中から見てるだけで良いんだ。変なこと言うなよ……!
まだ身体に残っているアンリの柔らかい感触をキリトは必死に降り払う。
「なんでも良いけどさ、恋愛でサークル内の人間関係ぐちゃぐちゃにするのだけはやめてよね。別れる時はスッパリ去ること」
「つ、付き合ってないです」
「これからの話だよ」
「ないです」
焦りまくって言うとぎゅうっとパーカーを引っ張られる。
振り返るとアンリがムッとした顔で唇を尖らせていた。
──か、可愛い。 “アンリ” に覚えさせよ。
反射的に考えているとアンリが言い放った。
「確かに付き合ってはないですけどこれからどうなるかはわかりません!」
「いやわかる。無い。……いてっ!」
キリトの足をアンリは思い切り蹴飛ばして部室を飛び出して行った。
アンリの目が潤んでいたように見えて、キリトはドキリとする。
「え?」
キリトは勢いよく閉まった扉を呆然と見つめた。
綾部が呆れて言う。
「君ね。もうちょっとアンリの気持ち考えなよ」
「アンリの気持ち……」
「マジでわかんないのか。まあいい、明日までには仲直りしてよ」
「明日」
「社会貢献したいんだろ?」
そこでキリトは思い出す。
「ああ、子ども食堂。わかりました、じゃ」
焦ってアンリを追いかけようとするキリトのパーカーを綾部が思い切り引っ張る。
「ぐえっ」
「待て。目的が女でも入部したからには本気でやりな。活動内容と明日の仕事、説明するから」
「でも仲直り」
「そんなのLINEで済ませろ」
「繋がってません」
「どういう関係だよ」
キリトはソワソワしながらも綾部の話を真面目に聞く。サークルの人数は30人ほどだが実際活動しているのは半分くらいだそうだ。
「金曜日はカレーって決まってるから子供たちも楽しみに来るんだ。カレーくらい作れるか」
「無理です」
「調理実習でやったろ」
「5年引きこもってたので」
「へえ。いいじゃないか」
「何が?」
どういう意味だ、とキリトは訝しむ。
「子ども食堂には学校に行けてない子も良く来るんだ。話してやれ」
「話すのとか無理です」
「まあそうか。無理にとは言わないよ。料理も会話もできないなら力仕事……も無理か?」
綾部はヒョロリとしたキリトを見て呆れて笑った。
「学校に行けない子供がそんなところに来られるものなんですか」
キリトの素直な疑問に綾部は頷く。
「行けない理由は色々だから。怖いのが学校だけなら別のコミュニティがあれば良いだけの話。どこにも行けない子も沢山いるだろうけど、それは今の私たちには助けられない」
キリトは助けが欲しいと思ったことは無かったが、本当に辛かった時期に誰かが手を差し伸べてくれたらどうだっただろうか、とぼんやり考える。
「でもそうか、お前がアンリの眠り姫だったか」
「眠り姫?」
「アンリは引きこもってる友人がきっかけで心理学部を選んだって話してた。ここに入ったのもそういう子どもたちの力になりたいからだって」
──オレがきっかけ? まさか。
自分がアンリの人生に影響を及ぼしているわけがない、と思う。
──でももしそうなら…………いやっ。無い無い。
芽を出した微かな喜びをキリトは慌てて踏み潰した。
「そういう関係なら邪魔して悪かったな。明日は16時集合。仲直りしてから来ること!」
キリトは綾部と連絡先を交換し部室を出るとすぐにアンリの位置を確認する。
SNSで繋がってはいないが、GPSでは追えるのだ。
──もう帰ってる。
アンリは既に電車に乗っているようだった。
──せっかく一緒に帰りたいって言ってくれてたのに。オレが怒らせた……
自分を拒絶したアンリの居場所を明確に教えるGPSの画面がより一層の罪悪感を抱かせる。
──こんなことだけわかっても、アンリの気持ちは全然わからない……
キリトは画面を閉じ、ふうっと息を吐いて空を見上げる。
赤く染まり始めた空はただ美しかった。
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