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しおりを挟む「こんなとこにいた」
公園のベンチで思考停止していたキリトはハッとして顔を上げる。
サンダルを履いた父親が立っていた。ヒョロリと背が高く、自分に良く似ている。
「あんまりアイスが遅いから迎えに来ちゃったよ」
キリトはぼんやりと父の手元に視線を移す。
小さな買い物袋が下げられていた。
「来るときアンリちゃんに会ったよ。ボディガードするなら家まで送ってあげないと駄目だろ」
──アンリ。そうだ、アンリ……
キリトはバッと口元を押さえる。
「何かあったのか?」
心配そうな父にキリトはぶんぶんと勢いよく首を振った。
「まあいいけど」
父はさっきまでアンリが座っていた場所に座るとアイスを食べ始めた。
キリトの分は無い。昔から、欲しいと言えば何でもくれるが言わなければ何もくれない父だ。
「アンリちゃん、お前が外に出て来て喜んでたろ」
「……そ、んなようなことは、言ってた……」
「お母さんに会うたびにお前のこと聞いてたみたいだ。オレたちはお前のことは放ったらかしだったから大した情報はあげられなかったけど」
そこまで言って父はアイスを一口齧る。
「ああ、でも、お前のこと信用してたから放っといたんだぞ」
「わかってる」
キリトはその点で親に本当に感謝している。
2人とも学校に行けとは一言も言わなかった。助けが必要なときは言え、と言われただけで余計なことは何も聞かれなかった。
「お母さんは最初めちゃくちゃ心配してたけどなあ。まあ、お前元々勉強好きだし、飯も食って昼夜逆転もしてなかったから安心したみたいだ。金は自分で稼いじゃうしさあ。小遣いすらいらないってどんだけ親孝行だよ」
「アルゴリズム投資なんて上手くやれば簡単だから」
「今度教えてくれ」
「気が向いたら」
「向いてくれ」
キリトは上の空で適当に返事をしていた。
誰も乗っていないブランコが風で微かに揺れる。
「まあ、犯罪さえ犯さなければ自由に生きたらいいよ」
──犯罪さえ……
キリトの全身がすうっと冷えた。
アンリのキスは激しかったが、甘かった。
柔らかな唇の感触がまだ残っている。
──アンリはオレを好きなのか。ずっと引きこもってた男への同情か。
やはりアンリの気持ちは良くわからぬままだった。
それでも、好意を持っていなければあんなことは絶対にしないだろう、と思う。
それはずっと欲していた、喜ぶべきことなのに。
──罪を犯してるオレを、アンリが受け入れるわけがない!
キリトはただひたすらに、アンリのことを知りたいだけだったのだ。
絶対に手に入らないと思っていたから。
自分はあの部屋から出ることは無いと思っていたから。
アンリを覗き見ることで誰かに迷惑をかけることなど無いと、無意識のうちに思い込んでいたのではないか。
──オレの言葉がアンリを傷付けるどころじゃない。オレは、とんでもないことをアンリにしてたんだ。
「さあ、帰ろう。ご飯温め直してくれてるよ」
あっさりと言われた温かい言葉にキリトの胸が痛む。
──オレは両親のことも裏切ってる。
父に促されてキリトはフラフラと立ち上がる。
──オレは、アンリに好かれる資格が、無い……
激しい後悔に苛まれながらキリトは父親と並んで歩いた。
◇◇◇
アンリは自分の部屋に戻ると電気も点けずにベッドに突っ伏した。
──カーテン、閉めたい。
それはこの5年で初めて思ったことだった。
キリトが引きこもったのは本当に突然で、アンリはすぐに出て来るだろうと思っていた。風邪みたいなものだろう、と。
しかしいつまでたってもキリトは出て来なかった。アンリはずっとキリトの部屋の窓を見ていたが、カーテンが開くことは無かった。
──開いたらすぐ気がつくように、私の部屋のカーテンはずっと開けておこう。
アンリは着替えるとき以外はずっとカーテンを開けていた。
毎晩ベッドに入るとキリトの部屋の窓を見ながら眠りにつくようになった。
──キリト。一度でいいから窓を開けて。私にも会いたくないの? ねえ、どうして突然引きこもったのか、教えてよ……
ある日学校から帰ってアンリは驚いた。
キリトの部屋のカーテンが変わっていたのである。
──え、何!? っていうか、開けたんだ、今日!
自分がいない間だったのが悔しくて堪らなかった。
そわそわして外を見ていると、ちょうどキリトの母が玄関を出て行くのが見えてアンリは階下にダッシュした。
「おばさん!」
「あら、アンリちゃん。おかえりなさい」
キリトの母はいつもと変わらぬ穏やかな笑顔でアンリに挨拶した。
「あのっ……キリトの部屋のカーテン」
「あらっ。すぐ気付いたのね。なんだかね、部屋が暗いって言って、外が見える生地に変えたのよ」
──外が、見える……!
ぞくりとする。
「アンリちゃんのお部屋も見えちゃうから、しっかり閉めておいてね」
「あ、あのっ。キリトの様子は」
「しばらくベッドから出られなかったみたい。でも食欲も戻って来たから、大丈夫だと思うわ。心配してくれてありがとうね」
アンリはドキドキしながらキリトの部屋の窓を見上げた。
──見えるんだ。私の部屋の中。
今のキリトが外界と繋がる唯一の窓である。
──キリトの世界から見えるのは、私だけ……?
そしてアンリはカーテンを開け放して過ごした。
キリトが自分を見てくれていると信じながら。
──私がキリトの唯一の存在になりたい。
しかし、何年経ってもカーテンが開くことは無い。キリトは沈黙したままだ。
季節が過ぎるたびにアンリの自信は消失していく。
──どうしよう、部屋の中でアイドルとかに夢中になってたら。やだ、めっちゃありえる!
それでも自分はキリトを好きなんだろうか、とアンリは悶々とする。
普通に楽しい学生生活を送りながらいつまでもキリトに囚われているのがバカバカしくなり、告白されるがままに何人かの男子と付き合った。
──ぜんぜんダメ。ぜんぜん違う!
そのたびにアンリはキリトへの想いを膨らませた。
キリトの母に、何度かキリトの部屋を訪ねさせて貰えないかと頼んだことがある。
だがキリトの両親は全てをキリトの好きにさせることにしていたようであった。
「助けが必要ならきちんと言う子だから。何も言わないってことは、要らないのよ」
──その通りかもしれない。
そのドライな考え方はキリトの家族全員に共通しているもののように感じた。
でも、キリトがアンリを必要としていなくても、アンリはキリトに会いたくて堪らないのだ。
またおばさんにお願いしよう、と考えていた矢先、キリトは突然部屋を出て来た。
アンリは嬉しくて堪らなかった。キリトと話したいことがたくさんあったし、キリトに伝えたいこともたくさんあった。
それなのに。
──ぜんぜん眼中に無かった。寄り添うことすら拒否された。キリトにはキリトの世界があった。私のことなんて別に、見てなかったんだ……
窓の外の真っ暗な空には糸のような心細い月が浮かんでいる。
アンリはその日、カーテンを閉めた。
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